干渉はしないように
ぱき、ぱきっと卵の殻が捲れて割れていく。
小さなひびが亀裂となって徐々に大きくなって穴になり、ついに新たな生命が外の世界に顔を出す。
お母さん譲りの二本の小さな黄色い角が生えた蜥蜴や鰐のような厳つくも愛らしい顔で黄色い瞳に初めて写る世界を見回し、シュールルルルと産声をあげる。
しかしそれに答えてくれる母親がもういないことは私が一番よく知っている。
「ギギギギギギギ…」
扉の隙間から出てきた可愛い竜の頭のパペットがミミズをくわえている。
「ギギギギギギギ」
グーデルさんはもしかしてお母さん竜のふりを?
でも赤ちゃんの反応は上々のようで興味深げにパペットの方を見つめて、シュールルルルと鳴く。
ペーチャさんがゆっくりと卵を床に下ろして、空いた手を私の肩に回して優しく抱き寄せる。
きっとこの子が自分で卵から頭だけじゃなくて、自分の力で外に歩き出さないといけないんだ。
「ギギギギギギギ…」
頑張れ、頑張れ、何度も心の中で叫ぶと、ころんと卵が横に倒れてしまって咄嗟に手を伸ばしそうになるのをペーチャさんが優しく私の手のひらに手を重ねて止める。
「ギギギギギギギ」
パペットを床に突くくらい下げてグーデルさんが赤ちゃんへ呼び掛けると、卵がゆらゆらと揺れてついに赤ちゃんが床に這い出てきて、小さな羽をパタパタと上下に揺らしながらくねくねと少しずつ進んでいく。
そうして自分の力でパペットの元までたどり着いて、迷わずミミズに喰らいつき、夢中で食べ始めた隙にそっとグーデルが身体を横にして扉の隙間から部屋の中に入ってくる。
「名前はつけない。この子が野生に帰れる可能性を残すためにね」
「はい…」
「よく声もかけず、手助けもせずに我慢できたね」
「いいえ…ペーチャさんのおかげで気づいて我慢できただけで、私は…」
「名前をつけないって言ったけど、個体管理のために数字や見た目から取ったあだ名をつけるんだー。呼び掛けてはあげられないけど、よかったらナズナちゃんが考えてあげて?」
「よかったねナズナ」
「はい…」
ペーチャさんがそう言って私の肩を優しくさすってくれる。
灰色の竜の赤ちゃんが長いミミズを食べ終えるとコココココと喉を鳴らして、丸くなって眠る。
「グリ…灰色だからグリでお願いします」
「いい名前だね」
「そうだねー。じゃあ個体管理名はグリでいろいろ進めておくよ」
「はい。お願いします」
グーデルさんが眠ったグリをそっと持ち上げて部屋の外に運んでいくと、包帯を持って戻ってきて、私の手にぴったりと少しきつめに丁寧に巻いていく。
普通の白い包帯に見えるのに、不思議とひんやりとして冷たい。
「冷たいでしょー?」
「冷たいです。魔法じゃないんですよね?」
「冷たいヒエリニウムっていう花を加工してつくられてるんだよ」
左手に包帯を巻き終えると、右手も同じように巻かれ始めると何か部屋の外から物音が聞こえる。
「何か聞こえたよね?」
「私も聞こえました」
ペーチャさんにも聞こえたようで、二人でグーデルさんがを見つめるけど、グーデルさんは気にしていない様子で包帯を巻き続ける。
「大丈夫ーヘゼルがやっと帰ってきたみたい」
足音がすごい速さで近づいてきて勢いよく扉が開き、汗だくのヘゼルさんが大きく肩で息をしながら私達を見る。
「怪我をしたのか!?」
ヘゼルさんが私の手に気づいてか、慌てて中に入ってきてグーデルさんの横から手元を覗き見る。
近くにきたヘゼルさんは汗だくどころかびしょ濡れで足跡がついている。
「指の骨にひびがねー。ヘゼルはどこにいたの?」
「海の上だよ。嵐の中に歌が聞こえるって噂を頼りに嵐の中にわざといたからすぐには戻って来れなくて…ごめん!みんな!」
深々と頭を下げてヘゼルさんが叫ぶと、包帯を巻き終えたグーデルさんがヘゼルさんの頭に軽い手刀を繰り返す。
「それでー噂の真相は?」
「歌なんて聞こえなかった…それで手当たり次第嵐の中に…」
「そうだったんですね」
「とりあえずヘゼルも帰ってきたしー…二人ともあらためて何があったのか説明お願いできるかな?」
「もちろんだよ」
「えっとまずは…」
私とペーチャさんは二人に賢者の杖を呼んだ経緯を話した。
虫が増えたのに始まり、突然の大群、そしてズニカの侵入。
ペーチャさんとリネの方もズニカの変身で怖い思いをしていたみたいだ。
「エリュがすぐ来てくれなかったらどうなってたか…」
「今度お礼しないとねー」
「そして近接上等のズニカか。ただの研究組織にそんな戦闘慣れしてる奴がいるのがもう裏でやりたい放題なのが見え見えだな…」
「とりあえず二人でちょっと結界を強化してくるから二人は休んで」
「部屋まで送るよ」
ペーチャさんがそう言って立ち上がり、リネが膝から飛び降りたところをなぜか私の手首を掴んで背負う。
「ペーチャさん?歩けますよ?」
「いいからいいから。疲れたでしょ?」
「いえ、そんなことは…」
「いいのいいの。行くよリネ」
半ば強引にそのまま三階にある泊まっている部屋に運ばれてベッドの上に下ろしてくれる。
「ありがとうございます」
「しばらく不便そうだね」
ペーチャさんが私の手を見て呟く。
「はい。でも私の弱さの結果ですから…手加減されるくらい弱かった私の…」
「そんなに落ち込まないで?ナズナは負けてないんだから」
ペーチャさんがリネを抱いて隣に座って私を見る。
その顔は優しく穏やかだけど、不思議と慰めの嘘ではないように感じる。
「戦いなんだよ?ナズナは卵を私達を守るために立ち向かって今も生きてる。勝てなかったけど負けてもない。卵も無事に孵ったし、みんな無事だったんだから」
「たまたまですよ」
「そうかもね。でも生きてるからさ、次は勝てるように頑張ろ?」
「そうですね」
私が笑って見せると、ペーチャさんも笑顔で応えてくれる。
「でもしばらくは練習どころか本も読めなさそうです…」
「ご飯も大変そう…今日はお泊まりしようかな」
「お泊まりですか?」
「いいでしょ?」
「もちろんです」
そうしてペーチャさんに夕食を食べさせてもらったり、身体を拭いてもらったり、髪を梳かしてもらったりと介護されながら過ごし、子犬姿のリネを挟んで仲良くベッドに横になる。
「もしかして、ペーチャさんは私が明日には帰らされると思ってお泊まりしてくれたんですか?」
私は夕食時にグーデルさんに明日私を城に送ると言われたことに触れる。
「怪我をしちゃったからそうなるだろうなってね。ここの医務室はあくまで動物を見る場所だから、城に帰った方が人用の薬がすぐに手に入るよ」
「でも今回はまたすぐに会えます。レイゼリアさんにも」
「そうだね。私も頑張らないと。でもお魚料理あるかな」
「海は無くても川があるのできっとありますよ」
「それなら安心…名残惜しいけど怪我人だからもう寝ないとね」
「そうですね。おやすみなさいペーチャさん」
「おやすみナズナ」
疲れていたのか、夕食後に飲んだ薬の効果か、目蓋を閉じてすぐに私の意識は深く深く沈んで眠りに落ちていった。




