まだまだ始まったばかり
カタカタと揺れながら竜の卵にひびが少しずつ入っていく。
内側から、こつ、こつ、と聞こえる確かな生命の輝きがひびを広げていくかと思っていたのに、突然ぴくりとも動かなくなってしまう。
私が慌てて卵に触れようと手を伸ばしたところでリネがわふわふと吠え出して、触ってはいけないし手助けもしてはいけないことを思い出して手を止めた。
「ごめんリネ…でもどうしよう…卵が…」
吠え続けるリネの方に振り返ると、リネは棚の上にある時計代わりの太陽と月の置物に向かって吠え続けている。
何かの時間?餌の時間じゃないはずだし…時間、時間、時間。
せっかくひびが入ったのに動かなくなった卵を見て、太陽と月の置物見る。
「ひびが入ってから半日かかる…」
リネが私のお腹にぐりぐり鼻先を押しつけてきて、わしゃわしゃと撫で回す。
「ありがとう。きっと休み休み卵を割るんだよね…私達も少し休もうか。飲み物持ってくるから待ってて」
わふっと吠えてリネが卵の側に伏せて丸くなり、私部屋を出て厨房で木のコップとボウルに水瓶から水を汲んで地下室に戻ってリネの前にボウルを置いて、私は椅子に座る。
リネも眠ってしまっているようで、私は水を半分くらい飲んで棚に置いておき、立ち上がって棚にある本の背表紙を眺める。
魚の図鑑に鳥の図鑑、虫の図鑑に動物の図鑑、伝説の武器。
一冊だけなんで武器なんだろうかとその本を手に取って、椅子に座って開いてみる。
世界中の伝説の武器について書かれているようで十三の武器について書かれているみたいだ。
勇者の刀も載っているみたいでもしやと思ってそのページを開いてみるけど名前は書かれていなかった。
初めのページに戻って改めて読み進めてみると、今いる獣人の国パースにも水の爪という武器があるみたいだ。
岩石を穿ち、鉄をも切り裂く、水で象られた不可思議な爪で、猛毒を撒き王国を滅ぼしかけた銀色の竜を獣人族の英雄スイコが水の爪で討ち王国を救ったいう伝説があるらしい。水の爪は竜を倒した一年後に竜に受けた呪いで亡くなったスイコの亡骸と共に湖の底に沈められたそうだ。
伝説の武器は所有者と共に眠らせておくものなんだろうかと思ったけど、次のゴッズニードという戦斧は一振りで嵐を巻き起こす力があるそうで、様々な人の手に渡っているみたいだ。
この本がいつ書かれたものかわからないけど、現在の持ち主はトリマ·ドドスというドワーフの戦士でゴッズニードを振るって五つの戦を制したと書かれている。
ふと太陽と月の置物を見て時間が経ったのを感じ、本を閉じて立ち上がり棚に戻して、眠ったままのリネに卵のことを任せて外に出て、草原にある櫓に登って変わりないか確認する。
とりあえず変化を感じないけど、なんか虫が飛んでる気がすると感じたそばから黄色い羽虫が青いケープの裾に止まって、ケープを揺らして払う。
ペーチャさんにも聞いてみようと櫓から飛び降りて、盾を出して上に着地してそのまま湖の上まで飛んでいく。
「ペーチャさーん、いますかー?」
少ししてすぐに湖面からペーチャさんが顔を出してくれる。
「空からなんて珍しいね。どうかした?」
「ルドガーが虫が多いって言ってて、私も確かに虫が増えた気がするんですけど何か知りませんか?最近珍しい虫を保護したとか…」
「いいや、そんなことはしてないはず。でも小動物達のために虫くらいなら簡単に通れる穴が結界に空けてあるから、知らない虫が入ってくることは珍しくないよ」
「そうなんですね」
「暖かくなってきたから虫が増えたのかなぁ…ちょっと待ってて」
「はい」
ペーチャさんが湖に潜っていき、三分ほどで戻ってくる。
「マリアンヌも確かに多いって。マーマン達も多いって言ってた。でも原因までは知らないって」
「そうですか…」
「気にしすぎもよくないよ?」
「そうですね。そうだ!卵にひびが入ったんです」
「ほんと?よかったじゃない…」
ペーチャさんが突然俯き、また顔をあげる。
「マリアンヌがグーデルが留守だから行ってあげなさいって、そうなの?」
「はい。書類を出しに出掛けてます。夕方には戻るって」
「なるほどなるほど?乗せてもらっても?」
「もちろんです。後ろにどうぞ」
私は湖面にぎりぎりまで盾を降下させて前に詰める。
「掴んで平気?」
「掴んでも飛び乗っても平気です」
「ほんとにほんと?」
ペーチャさんが恐る恐る盾の縁に手をかけてぐっと力を込めてよじ登り、私の後ろに股がる。
「びくともしないんだね…」
「ぜったいではないですけどね。しっかり掴まってください」
「濡れちゃうけど…しょうがないか」
「はい。落ちたら危ないですから」
ペーチャさんが私の脇から腕を出してぎゅっと掴まる。
「じゃあ動きますね」
「うん」
ゆっくりと加速しながら高度をあげて飛んでいくと、ペーチャさんが感嘆の声をあげる。
「おおー箒に乗るのってこんな感じなのかなぁ…」
「そうかもしれないですね」
そして草原の上を風のように飛んで屋敷に向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。
「なにあれ…」
「虫…」
虫が、夥しい数の虫が、屋敷を取り囲んで黒い煙のようにうねっている。
「結界が発動してるみたい…虫はまだ屋敷に入ってないはず」
「結界があるなら私も入れません。結界に穴を開けちゃう…」
「私が中に入ってリネに外の様子を伝える」
「お願いします。私は賢者の杖を呼んでみます」
「任せて」
私は虫の少ない屋敷の左側の方にペーチャさんを降ろし、腰の短刀を外してペーチャさんに差し出す。
「一応何があるかわからないので…」
「ありがとう。いってくる!」
ペーチャさんが右手で短刀をしっかり握って踵を返して虫の大群の中に突っ込んでいくと、結界を抜けた合図のように焼けるような音がして火の粉がそよ風に舞い、私は屋敷から念のために少し離れて屋敷がよく見える草原の櫓に降りて盾をしまい、左の手袋を外して金色の紐を左手に握って魔力を込めてみる。
流石に刀のようにはいかず、抵抗のようなものを少し感じるけどなんとか出来ているのか金色の紐が白く輝き出す。
「お願い…誰かに伝わって…」
櫓の屋根の上から物音がして、慌てて手すりから身を乗り出して屋根の上を覗き込むと、丁度三角帽子が屋根の向こうに沈んでいき、急いで振り返ると懐かしい姿がそこにいた。
「人を頼ることをやっと覚えたのかしらね?」
艶やかな金色の髪を揺らし、月のような金色の瞳で私を見つめ、不敵な笑みを浮かべながら、その手に杖を握る。
「師匠!?どうして!?」
驚きが勝って変なことをいった気がする。
「あなたが呼んだんでしょうが…」
「そうですよね…ごめんなさい…」
ヘゼルさんかグーデルさんがくると思っていたからびっくりしてしまった。
「ヘゼルとグーデルはどうしたの?」
「ヘゼルさんはわからないです。グーデルさんは書類を届けに出掛けていて、偉い人に会うから呼んでもすぐには来れないかもって…」
「そう…それでどうしたの?」
「そうです!屋敷を見てください!」
私は急いで屋敷の方を指差すと、師匠もすぐに異変に気づく。
「なにあれ…虫?」
「はい。虫の大群が屋敷を囲んで…結界で屋敷は守られているみたいなんですけど、私ではどうしたらいいか。そもそも何が起きているのかも…」
「とりあえずあれをどうにかすればいいのね?」
「そうです」
「じゃあちゃっちゃといきましょうか」
「はい!」
師匠が手すりを飛び越えて屋敷に飛んでいくのを私も盾に乗って追いかけると、師匠が急停止して振り返り、私も慌てて止まる。
「リネいないと飛べな…かった…」
師匠が盾に股がる私を見て、口を開けたまま固まり、ゆっくりと屋敷の方に向き直る。
「あとで聞くわ」
「あっはい」
考えるのをやめたような師匠と一緒に急いで屋敷へと戻った。




