まさか落ちるとは
宿舎の奥にひっそりとあったらしいトイレの前でレーシャさんがパトリアさんの手枷を一度外し、四つ並んだトイレの一つに一人で入らせてあげて、入口で待っていた私の隣にレーシャさんが歩いてくる。
「ナズナ様、さっきは守ってくださってありがとうございます」
「いえそんな…」
「でもちょっと安心もしました。ちゃんと怒ることも出来るんだって」
「一人の時はけっこう怒っちゃう時があるような気がしますけど…」
「そうなんですか?」
「レイゼリアさんには内緒で…」
「レイゼリア様が聞いたらきっと喜んでくださるのに?」
「恥ずかしいし…」
きぃっと扉がゆっくりと開いて、パトリアさんがトイレを終えて出てくる。
顔色は戻ったみたいだけど、表情は暗く沈んで見える。私のせいだと思うから口にはしないでおく。
「では戻りましょうか」
「はい」
大人しく手枷をつけ直され、レーシャさんに鎖を引かれて牢の中に戻っていき、レーシャさんが空の食器が乗ったトレーと外した手枷を持って牢から出てきて、鍵を閉めにくそうにしていたので代わりに閉める。
「ありがとうございます」
「両手が塞がっていたので。そうだ、レドスさんにも聞いてきます」
「そうですね。食器も下げないといけませんから」
二人でレドスさんの牢の前まで進んで、牢の鍵を開ける。
「トイレは平気ですか?雨の音で声が上まであまり聞こえないので、少しでもあれでしたら…」
「そういうことでしたら…連れていっていただきたいです」
「ではこちらを…」
レーシャさんが牢の中に入って手枷をレドスの手首につけようとするけど、魔族用に作られてはないからかレドスさんの腕が太くてつけられないみたいだ。
「縄に交換してくるので少々お待ちください」
レーシャさんが牢の外に出て階段の方に歩いていき、私は一応レドスさんを見張る。
「先程は奥様が申し訳ありませんでした。心根は優しい方なんです。どうかご容赦を…賢者の杖様」
「…わかりました」
「こちらで縛りますね」
「はい」
レーシャさんがレドスさんの手首を縛り、縄を引いて牢の外に連れ出してまたトイレに行って入口でレーシャさんがレドスさんの縄をほどこうとすると、レドスさんが腕を上げてレーシャさんの手が届かなくなる。
「このまま出来るので平気です」
「そうですか?ではどうぞ。入口で待っていますから」
「わかりました」
とりあえず小さい方だけだったのか、すぐに出てきたレドスさんを連れて牢の中に戻して空の食器とトレーを回収して、牢の鍵をしっかり閉める。
「それではまた」
「ええ…」
地下牢を出て、レーシャさんが客室ではなく食堂に向かうけど、食器を下げるためだろう。
しかし予想に反してレーシャさんが厨房から外に出ようとする。
「洗うなら私が行ってきますよ?盾があるから濡れませんし」
「うーん…」
急にレーシャさんが調理台に重ねたトレーを置いて、私の脇を抱えて持ち上げる。
「レーシャさん!?」
咄嗟にレーシャさんの首元に腕を回してしがみつくと、レーシャさんが私のお尻の下に腕を入れてしっかり支えてくれる。
「大丈夫です」
そう言って右腕だけで私を持ち上げて左手で重ねたトレーを持って、平気だと言うように笑顔を向ける。
「力持ちですね…」
「レイゼリア様の侍女ですからね」
「それは力持ちとは関係ないのでは…あとどうやって扉を?」
「あー…開けてから抱っこするべきでしたかね?」
「そうですね…」
片手を伸ばして取っ手を掴んでもいいけど二人で転んだりしたら危ないので、鉄塊の一つで取っ手を上からゆっくり優しく押しながら、扉を壊さないようにゆっくりと奥に進ませて扉を開く。
「便利ですね…私もスプーンとかフライパンとか浮かせられたらいいのですけど」
「レイゼリアさんに習って見るとか?あと恥ずかしいので誰かくる前に早く行きませんか?」
「そうですね。中に雨が入ってしまいますしね」
頭上に傘代わりの盾を出してレーシャさんが歩くのに合わせて一緒に動かしながら外に出て、レーシャさんが左手のトレーで扉を押して閉じる。
空は相変わらず黒く、雨も勢いが弱らないし雷も止まない。
やっぱりリネに威嚇してもらって追い返さないと冠水してしまうかもしれない。
レーシャさんが井戸の横に下ろしてくれて一緒に井戸水をかけながら食器を濯いでいると、またぴかっと光って轟音が響く。
「これはまずそうですね」
「レーシャさんもそう思いますか?」
「はい…弱まる気配がないですからね」
「はい。それにまた近くに落ちました。村の家屋にも落ちないと言い切れないです。サンダーバードは魔法生物なんですか?」
「そのはずです。魔法の力で雷雲を操っているとか」
「じゃあやっぱりどうにかしないとですね」
もしうまく追い返せずに戦闘になった時、すべての雷を受けられるだろうか。
レイゼリアさんの魔法や魔物が使った魔法の雷のように私を狙ってくれたらいいけど、どうなのかわからない。
「やっぱり避雷針…わっ」
レーシャさんがまた私を抱っこして、綺麗になったトレーを片手に持つ。
「傘をお願いします」
「あっはい」
また盾を傘代わりにレーシャさんと裏口に向かって歩いていく。
そして何か悪寒らしきものが背筋に走ってレーシャさんが頭に覆い被さって全身に魔力に張り巡らせる。
「ちょっと前がっ!ひかっ!?」
空気を震わす衝撃と轟音が耳を貫き、キーンと頭に響く。
徐々に雨音が帰ってきて、レーシャさんの頭からゆっくり離れる。
「大丈夫ですか?」
「はい…なんとか食器も落とさずにすんだみたいです。もしかして盾に雷が?」
「そうみたいです。高いところに落ちやすいはずなのに…運が悪かったですね」
「髪が白い…」
「効果があるかわからなかったですけど咄嗟に魔力を…とにかくレーシャさんが無事でよかったです」
魔力を止めて私も平気だとレーシャさんに笑いかける。
「とりあえず中に急ぎましょう」
「っ!そうですね」
レーシャさんが早足で扉の前に立ち、わざと扉を閉めきらずにいたようで、足のつま先を扉の縁に引っ掻けて扉を開いて中に入り、調理台にトレーを置いて扉を閉め、私も盾をしまう。
そして下ろしてくれたレーシャさんが私の頬をそっと撫でて、安堵の表情をする。
「どうかしましたか?」
「今頃怖くなっちゃいました…」
レーシャさんの手を両手で優しく握って、レーシャさんの手に顔を預ける。
「私もびっくりしました。レーシャさんの手、冷たくて気持ちいいです」
「ナズナ様は暖かいですね」
「そうですか?」
「…ありがとうございます。落ち着きました。今拭いてしまいますから」
レーシャさんが空いた左手で私の頭を撫でるので右手を離すと、レーシャさんがすごい速度で洗った食器を拭いて棚にしまい、布をエプロンにしまうと、なぜかまた私を抱き上げる。
「レーシャさん?もう抱っこする必要は…」
「いいですからいいですから!」
「いやっ私がよくないですよ?」
レーシャさんが気にせず私を抱いたまま食堂を出てそのまま廊下を歩いていく。
本当はまだ怖かったんだろうかと思い、大人しく抱っこされてあげていると足音が聞こえてきて、急いでフードを深く被って髪に魔力を込めて白くする。
「レーシャさん今日の診察は終わりました。この雨なので村への訪問診療は日を改めると姫様にお伝えください」
「わかりました。レイゼリア様お伝えしておきますね」
「その子は?体調が優れないのでしたら我々が」
「ありがとうございます。でも恥ずかしがりやさんなだけなので大丈夫です」
「そうですか?」
「ではせめてこれを。村の子に配る予定だったのですが持っていけそうにないので」
「ありがとうございます」
なんだろう。お菓子か何かだろうか。
「ごめんね。白い髪のお嬢ちゃん」
「怖いおじさん達は部屋に戻るからね」
「ありがとうございます…」
申し訳なくなってきてとりあえずお礼を言っておく。
「どういたしまして」
「それではレーシャさん、また後程」
「はい」
足音が遠ざかっていく。とりあえず事なきを得たんだろうか。
レーシャさん、早く客室に戻って…。




