まだ怪しい
「いけない…ついのんびりと」
レイゼリアさんが背筋を伸ばして大きく身体を反らし、私も空のカップを置いて手袋をはめ直すと、リネが尻尾を縦に振りながら私の右膝を一回舐める。誰か人が来たみたいだ。
私がリネの頭を両手で挟むとリネが右手を押す。洞窟の奥の方だ。
一応村の人逹は入るのを止められているはずだけど、誰かが?
私は腰の小袋から干し肉を取り出してリネに食べさせて顔をわしゃわしゃしてから、不思議そうに私達を見ていたレイゼリアさんにぎゅっと抱き着いてレイゼリアさんの耳元に顔を寄せて囁く。
「ナズナ?」
「返事はいりません。洞窟の奥から人が一人近づいてきています。警戒を」
レイゼリアさんが小さく頷いて私にそっと腕を回す。
「リネ様…捕らえられますか?」
レイゼリアさんの質問にリネが首を傾げる。
「リネ、連れてこれなくても動きを止められる?」
私がそう言うとリネが子犬大に身体を縮ませて洞窟の奥に向かって飛んでいく。
「ひぎゃあああああああああああ!」
奥から男の悲鳴が響き渡って、護衛の兵士さん達が剣を抜く。
「大丈夫。リネ様がうまくやってくれたみたい」
洞窟の暗闇からリネが元の大きさに戻った状態で戻ってくる。
リネの大きな口からは垂れ下がった手足がぷらぷらと揺れている。
「ありがとうリネ」
「とりあえず縛っておきましょう」
「レイゼリア様説明してください」
「もちろん。リネ様、その人を二人の前に」
リネが兵士さんの前にくわえていた人を下ろすと、ふくよかな男性が微かに痙攣している。
というかどこかで見たことのある顔だ。
「こいつは…」
「なぜ我々より先に…」
「レドス…」
レドス、お屋敷にいた男性だ。
驚きつつも流石の手際で兵士さん達がレドスさんを縄で縛り上げていく。
「駐屯所に寄っている間に、先に入ったのでしょうか?」
「そうだとしても何の目的で…何か隠し持ってる?」
兵士さんの一人がレドスさんの全身をまさぐって首を横に振る。
「おかしいくらいに何も持ってないですね」
「そういえばリネ、この人明かり持ってた?」
狼大に身体を縮めたリネが首を横に振る。
「明かりも無しにどうやってこの真っ暗な洞窟の中を?」
レイゼリアさんが警戒するように指輪を着けた右手を男に向ける。
「魔族か魔法か…」
「レイゼリアさん、それなら私が」
右手の腕輪二つを左手に移して手袋を脱いで腰の紐に挟んでおいて、素手になった右手で男の腕を掴む。
すると男の腕がなんだか太くなってきて、慌てて男から離れると縄がちぎれ、男の身体がみるみる大きくなっていき、豚のような顔の魔族のような姿に変わる。
「これは…パトリア夫人に会う必要がありますね」
「その必要はありません…」
「リネ」
「ぐっ!」
起き上がろうとした男を瞬時に元の大きさに戻ったリネが前足で踏みつけて押さえ込み、私は刀の切っ先を男の目の前に突きつける。
「申し訳ありませんがそのままで。あなたは本当にレドスさんですか?」
「はい…でも当主の弟というのは嘘です…」
抵抗する素振りはなく、悲しげな瞳で切っ先を見つめている。
「ではあなたは本当は何者ですか」
「私は…奴隷でした。鼻が効くので、蜘蛛の卵を捕らされていました…。美味しいそう高値で売られていました。でも数が増えて管理しきれなくなってこのようなことに…」
「ではここで何をしていたんですか」
「蜘蛛の卵が生まれていないか確認を…あの蜘蛛逹は蟻の巣のように、いくつかの部屋を用途によって使い分けています。あなた逹が見つけた食料庫とは別に子育ての部屋がある…。そこで蜘蛛を殺していました…」
「三人はここで待っててください。レドスさん、案内してもらえますね?」
「はい…」
「レイゼリアさんもいいですか?」
レイゼリアさんが大きく息を吐く。
「わかりました。賢者の杖に連なる方にお任せします」
「ありがとうございます。リネもありがとう、放してあげて」
リネが狼大に身体を縮めて前足を避けると、ゆっくりとレドスさんが立ち上がる。
破けてはだけた服の隙間からミミズ腫れのような傷跡が見え隠れして、私は刀を消す。
「では案内をお願いしますレドスさん」
「はい…」
リネよりも鼻が効くのか、道を覚えているからか、確かな足取りでレドスさんが洞窟を進んでいく。
「あの、しっ質問よろしいでしょうか…」
「なんでしょう」
「賢者の杖というのは、あの迷いの森に住む賢者様の…」
「はい。私逹は賢者の城から来ました」
「母が言っていました。昔、賢者の杖に助けてもらったって」
「お母様も奴隷に?」
「いいえ…故郷で無事だといいですが…」
「奴隷はアルセルでは禁止なんですよね?何があったんですか?」
「十年くらい前、出稼ぎに出た先で騙されて…魔法をかけられて人族の姿に…。嗅覚以外、力も魔力も人族のように弱くなって抵抗出来ず、奴隷として売り飛ばされてこっちの大陸に…詳しいことはさっぱり…」
「そうでしたか…」
レイゼリアさんも子供が連れ去られていると言っていたし、何か大きな組織がいるんだろうか。
「この先です」
レドスさんが縄の張られた脇道に入っていき、私とリネもそのあとについていく。
道は進むほどに狭くなっていき、レドスさんも屈みながら歩いていく。
「ここです」
拓けた行き止まりの空間を角灯を掲げて照らすと、潰され砕かれた硝子のようなかけらと子犬大の潰された蜘蛛の死骸が地面を埋め尽くしていた。
「レドスさんの言う通りみたいですね…」
「そこにある岩で両手で…」
レドスさんが指差した先には濡れた岩が転がっていた。
「どうやって私達よりも先に?パトリアさんはご存知なんですか?」
「隠し通路があって…。夫人は何も知りません」
「とりあえず戻りましょう」
「わかりました」
とりあえず証言の確認が取れたのでその場を後にしてレイゼリアさん逹の元へ戻る。
でもまだ疑問も残っている。
「どうして当主のふりを?」
「夫人にお願いされて…」
夫がいなくなったら捜すのが普通なんじゃないだろうか。
夫婦仲が悪かったとしても、捜しはするんじゃ…。
それかあんな奴いなくなって清々したとか、あんな男知るかとつっぱねたりするものなんじゃないだろうか。
隠そうとするなんてまるで犯人みたいで怪しい気がしてきて、レイゼリアさんの気持ちが少しわかったような気がする。
「ナズナ様!」
「ご無事で何よりです」
「ありがとうございます。みなさんも無事なようで安心しました」
「ナズナ、どうだった?」
レイゼリアさんがレドスさんを睨みつつそう言う。
「とりあえず蜘蛛に関しては本当でした。それと隠し通路を使って先に洞窟に入ったと」
「その隠し通路はどこに繋がってるの?」
「家の地下に…」
「じゃあそこを通って直接話を聞きに行きましょうか」
「ご案内いたします…こっちです…」
心なしかレドスさんの足取りが重くなったような気がするけど、しっかりと歩いていく。
「レイゼリアさん」
レドスさんに聞こえないように小声でレイゼリアさんを呼ぶと、気を使って遅く歩いて距離を取ってくれる。
「彼が本当に被害者だったら、向こうに帰してあげたいのですが…」
「わかってる。本当に奴隷として連れ去られ売り飛ばされたのなら、ちゃんと帰してあげるから」
「ありがとうございます」
「ナズナが言うことじゃないわよ」
レイゼリアさんが私の頭をぽんぽんと優しく叩いて、元の歩く速さに戻る。
そして先ほどとは別の脇道を奥へと進んで、暗い道を真っ直ぐ歩き続け、梯子のかけられた縦穴のような空間にたどり着き、先の見えない梯子を登っていく。




