第四話
トリーの後ろを着いていき、図書室に足を踏み入れた瞬間、俺は思わず足を止めた。
「……すげぇ」
天井まで届く大きな本棚に、ずらりと並んだ本、本、本、本。
前世では仕事に追われて、ゆっくり本を読む時間なんてほとんどなかった。強いていえば会社の資料くらいだろう。こんな場所が自宅にあるなんて、さすが貴族。金の使い方が違う。
いや、感動している場合じゃない。
俺はこの世界について調べに来たのだ。魔法のこと、貴族社会のこと、それから、聖女のこと。
聖女が現れるまで、俺の見立てではあと一年ほど。
そして、トリーが命を落とす原因。それは、聖女への恋だった。
主人である俺に尽くし続けたトリーは、やがて聖女と出会い、恋に落ちる。けれど、彼女が選んだのは王子だった。
想いは届かず、トリーは絶望する。そして最後には──。
……いや、待てよ。
そもそも、聖女と出会わなければ、トリーが彼女に恋をすることもないんじゃないか?
もちろん、出会わなかったからといって、必ず助かるとは限らない。けれど、少なくとも原作と同じ結末を迎える可能性は減らせるはずだ。
なら、やることは決まった。
トリーと聖女を、絶対に出会わせない。
だが、聖女がどこでトリーと出会ったのか、何がきっかけで親しくなったのか。そこまでは流石に知らない。
だから、聖女が学園に来るまでに、二人が出会わないための対策を考えておかなければ。
「ご主人ちゃん、何を読むんスか?」
立ち止まったまま考え事をしていると、後ろから声が飛んできた。
「……まずは魔法について調べようと思って」
「うぇっ、勉強?ご主人ちゃんが?」
「何か文句が?」
「あ、いえ……久しぶりにこんなまともな会話したッスね、ご主人ちゃん。」
……もう元の身体の暴れっぷりには言及しないでおこう。これ以上びっくりしても疲れるだけだ。
「あぁ、まぁ……少し考え方を変えてな。」
「ふぅん。新しい遊びッスか。で、いつまで続けるつもりなんスか?」
「いや、遊びではなくて……」
「はいはい。」
どうやら、本当に信用されていないようだ。クッソ、何かしらやらかしすぎではないか。ただでさえ前世で疲れ果てて死んだというのに、ここでも過労死させるつもりか。
そういう話は置いといて、俺はまず魔法についての本を探すことにした。幸い、この世界の文字は読めるようで、辺りを見渡すと案外近くにあった。
が、高い。俺の身長では明らかに届かない。
「くっ……」
手を伸ばしてみてもダメだった。
身長に関しては前世とあまり変わらないようで、百六十とちょっとくらいだろうか。
ここはもう少し身長が高くても良かっただろう!と心の中で神(作者)に文句を言った。
「これッスか?」
突然背中側が暖かくなり、トリーの長い腕が俺の頭上を通った。
「あぁ、それだ。ありがとう」
そう言って本を受け取ろうとする。
「やっぱり、今日変ッスよ。普段のご主人ちゃんは絶対に感謝の言葉すら言わないのに」
ふむ、面倒くさいな。
「言っただろう?考え方を変え──」
ドンッ!!
「……っ!?」
突然、目の前の本棚に手がつかれた。
顔を上げると、すぐ目の前にトリーの顔があった。
近い。いや、近すぎるだろ!顔がいい!クソ!男の俺でも惚れちまいそうだ。
「ねぇ、ご主人ちゃん」
いつもの軽い口調。けれど、トリーは俺の顔をじっと覗き込んでいた。
「さっきから思ってたんスけど、今日マジでどうしちゃったんスか?」
「どうって……何が?」
「いや、謝るし、ありがとうって言うし、図書室に来るし。今までのご主人ちゃんからは想像もできないんスけど?」
「……今までのことは、本当にすまなかったと思っている」
「ハァ?」
うぅ……顔が綺麗だ。イケメンだな……じゃなくて、圧がすごい。
「なにか企んでるんスか?それとも、からかってるんスか?」
「違う!俺は……」
お前を助けたい一心で!
「……まぁいいんスけど」
そう言うと、トリーは俺の顔から視線を外した。
……なんだ。意外とあっさり引き下がるんだな。
そう思ったのも束の間、突然トリーに抱きしめられた。
「ゔっ……!?」
な、何事だ!?
突然の抱擁。背中に回された腕。近すぎる距離。いや、待て待て待て。なんで俺は今、男に抱きしめられているんだ!?
そこでふと、姉貴の台詞を思い出す。
『トリーってね、かっこいい上に、能力までかわいいの!!それはね──』
相手を抱きしめると、体力が全回復する能力。
「……うぇい、病気じゃないっぽいッスね。暖かい。」
トリーは数秒後、何事もなかったかのように俺を解放して手をひらひらさせた。
「……は?」
いや、待て。
今、こいつ、能力を使ったのか?
しかも病気じゃないか確認するために?いやいやいや、確認方法が独特すぎるだろ!
「お、お前なぁ……!」
「ん?なんスか?」
「なんスか、じゃない!いきなり抱きつくな!」
「うぇ〜?でも、ご主人ちゃん怒ってないじゃないッスか」
「怒ってるだろ!」
「あはは、いつものご主人ちゃんなら、もうオレのことぶん殴ってる頃ッスよ?」
そう言いながら、トリーは悪びれもせず俺の顔を覗き込んだ。
「……ちょっと試してみたんスよ」
「何を?」
「ご主人ちゃんがホントに変わったのか」
その言葉と同時に、トリーの指が俺の前髪に触れた。
「っ、ちょ……!」
さらり、と髪をすくわれる。
指先が額にかすめるほど近い。
近い近い近い!なんだこの距離感!?
「ほら、こうしても怒んない」
トリーは俺の髪をひと房つまみ、楽しそうに目を細めた。
「前だったら、髪なんか触っただけで怒鳴ってたじゃないッスか。ひどいときは殴られるし?」
「も、もう、心を入れ替えて」
「じゃあこれは?」
額にかかっていた前髪を、そっと耳の横へ流される。
思わず息が止まった。
どんどん顔が近づいてくる。ま、まさか。中身は三十路の社畜だぞ。ましてや男とか──
「ぷっ、あははっ。ご主人ちゃん、耳まで赤いッスよ?」
「へ?」
完全に遊ばれているじゃないか!
「はい、これ。ちゃんとお勉強してくださいッス。」
魔導書を手渡される。さっき取ってくれたものだ。
さっきまでのトリーは、俺が何をしても疑っているような目をしていた。
今だって、きっと俺を信用したわけじゃない。
それでも、こうして自分から触れてきたのは、俺が何をしても殴らないのか、確かめたかったからなのだろう。
「トリー」
「ん?」
「本当に、反省している。……申し訳ない。言葉だけでは償えるとは思っていないが」
「はいはい、そういうことにしとくッスから。」
……まぁ、至極当然の反応である。元はあんな性格の主人が急に心を入れ替えるなんて、天地がひっくり返ってもありえないことだろう。
俺は手元の本を抱え直して、魔導書を読みに窓側の椅子に座った。




