第98話 戦争で客が来ないなら店の方から行くにゃ
街道崩落事件から数日後。
宿屋兼万屋「やどり木」の食堂は、妙に静かだった。
普段なら昼前には旅商人が一組くらい入り、冒険者が安い飯を頼み、モグが他人の皿を狙ってミャオに怒られる。ところが今は空いた椅子が目立ち、窓際の席へ差し込む光だけが、誰にも邪魔されず床まで伸びていた。
俺は長椅子で涅槃図になりながら、その静けさを大変好ましく思っていた。
「いい店になったな。静かで、空いてて、寝やすい。天国だわマジで」
「経営者の前で言う台詞じゃないにゃ」
帳簿を抱えたミャオの猫耳が、ぺたりと横へ寝ていた。
エプロン姿はいつもと変わらないが、目の下に少し疲れがある。客が減った分だけ暇になるのではなく、避難所への炊き出し、食材の確保、泊まれなくなった旅人への返金や日程変更で、むしろ仕事は増えていたらしい。
「西街道から来る商人さん、今週だけで六組キャンセル。北の旅人さんも橋が止まって来られないにゃ。部屋は空いてるのに、避難所へ出す鍋と食料だけどんどん減ってるにゃ。二号店の貯金も、仕入れを増やした分だけ止まってるにゃ......」
ミャオは帳簿の端を指で押さえた。
俺は横になったまま、ちらっと見る。
「避難所の炊き出しは人いるだろ」
「いるにゃ。むしろ多すぎるにゃ。兵士も、冒険者も、避難してきた家族も、みんな温かい物を欲しがるにゃ。でも店はここにある。鍋も厨房もここ。毎日運んで、作って、また戻って......店に客が来ないのに、店の外には客がいっぱいいるにゃ」
言い終えたミャオは、しばらく帳簿ではなく窓の外を見ていた。
俺はその横顔を眺める。
いつも俺のツケを追いかけて怒鳴っている猫娘だが、店のことになると冗談が少ない。二号店を持ちたいという話も、金持ちになって遊びたいからではなく、自分の飯と寝床をもっと多くの人へ売れる場所を作りたいからだ。
俺なら客が来ない時点で閉店して寝る。当たり前だ。
だが――こいつは、客がいる場所を考えている。
「......客が来ないなら」
ミャオが小さく呟いた。
「店が客のところまで行けばいいんじゃないかにゃ?」
俺は起き上がった。
「お前、宿を歩かせる気か?」
「宿そのものじゃないにゃ。厨房、食材、簡単な寝床、湯、帳簿、救護用の場所。荷車を大きくして、必要な場所まで行けるようにするにゃ。街道が通れる範囲だけでもいい。避難所の横へ店を作れたら、炊き出しだけじゃなく普通に商売もできるにゃ!そうだ、これがいいにゃ!!」
話し始めるほど、ミャオの猫耳が少しずつ立っていく。
「兵士は飯を買う。冒険者も買う。避難してる人には王国の支援費で安く出せるかもしれない。毛布と水も積める。夜は交代で休める場所にする。宿じゃなくても、やどり木の小さい枝みたいな店なら――」
「話は聞いてましてよ――投資案件として面白いですわね」
食堂の扉が開いた。
入ってきたのはルヴィア・ヴァーミリオンだった。艶のある赤い長髪を背へ流し、金色の瞳、上質な白いブラウスと深紅の上着。古竜のお嬢様らしく、旅先の宿へ来る格好にしては一人だけ布地の値段の桁が違いそうだった。
「お前、いつからいた?」
「今ですわ陸。それよりミャオ、その移動店舗、わたくしが資金を出してもよろしくてよ。竜族の商隊でも似た発想はありますけれど、人間圏の炊き出しと宿泊を合わせるのは面白いアイデアですわ」
ミャオの目が輝く。
「ほんとかにゃー!?」
「待て。ルヴィアの投資は怖い。最後に婚姻条件とか付くかもしれんぞ」
「何でわたくしの善意をそこまで警戒しますの!? 大体私はメスですのよ!!」
「前科があるからだよ!」
「婚姻は前向きな提案ですわ!それに前科って陸、あなたのほうでしょうに!」
「古竜式家庭計画を投資契約に混ぜるな!」
モグが厨房から顔を出した。
「のう。移動するなら飯も一緒に動くのか?」
「またかよ。お前は飯の話しか食いつかねぇな!」
ミャオが頭を抱えながらも笑った。
その時、宿の外が急に騒がしくなった。
窓から見ると、白地に金の聖印を掲げた荷馬車が何台も街道へ入ってくる。積まれているのは木箱、毛布、乾燥食料、治癒薬。白衣に近い聖職服を着た男女まで同乗し、到着するなり避難所の方向を確認して動き始めていた。
先頭の使者が、王国役人へ封書を渡す。
「セレネア聖王国より、広域災害への救援物資です。聖女王セレスティーヌ・ルクレシア・セレネア陛下より、被災者の身分、国籍、信仰を問わず使用するよう仰せつかっております」
俺は窓際へ寄った。
荷運びは早い。治癒薬は中身まで揃っている。毛布も質が悪くない。口だけの支援ではなく、必要な物が必要な数だけ来ている。
「まともな王様いるじゃん」
「少なくとも今回の支援内容は非常に適切です」
金色の光からゼニスが現れた。
今日は白い栄養士風の上着に紺色のエプロン、胸には『救援物資監査』の札。片手には食材表、もう片方には費用明細を持っている。
「何その給食センターみたいな格好」
「救援物資と炊き出しの安全確認です!」
「女神がエプロンまで業務で押し通すの、もう才能だな」
「褒めてませんよね?」
ゼニスは笑顔だが、目は笑ってはいない。
続いてレグリアも現れた。
彼女は荷馬車を見て、すぐ神具を開く。いつものにやにや笑いが戻っていたが、数秒後、指が止まった。
「セレネア神託系支援記録......一部、参照権限なし」
「お前、管理局だろ。開けないの?」
「開けないものは開けません。神託系統は別系統の封鎖がかかっています」
「珍しく役に立たんな、クソガキ」
「減点」
バンッ。
【神格監査官への不当評価:減点1】
「今のどこが不当だ!そのまんま言っただけじゃねえか!!」
ゼニスが横から端末を覗いた。
「私にも閲覧できませんね。ただ、救援物資そのものに不正な因果反応はありません」
「じゃあ今はそれでいいだろ。薬が必要な奴に薬が届く。飯が必要な奴に飯が届く。裏の書類まで俺が気にしたら仕事増える」
レグリアが俺を見た。
「黒田さんらしいですねぇ♡」
「褒めてる?」
「半分だけ♡」
「じゃあ残り半分は聞かんわ」
俺はミャオの方へ戻る。
彼女はもう机へ大きな紙を広げ、荷車の絵を描き始めていた。厨房をどこへ置くか、食材箱、簡易寝台、水樽、帳場。素人の線ではあるが、さっきまで寝ていた猫耳は完全に立っている。
「陸。これ、作れると思うかにゃ?」
「俺に聞くな。車両と構造は専門に振れ。俺が口出すと最後に大砲積むぞ」
「武器を宿屋に積むなにゃ!」
「でも護衛用に一門くらいいいだろ――」
「うちは宿屋だにゃあああああああっ!!」
ルヴィアが楽しそうに笑い、モグは紙の端へ勝手に『肉置場』と書き足した。
ミャオがその文字を見つけて絶叫する。
空いていたはずの食堂は、いつの間にかいつものうるささを取り戻していた。
俺は椅子へ座り直し、まだ何も出来ていない移動店舗の図を眺める。
(客が来ないなら、店が行く、か。俺なら絶対思いついてもやらねえな。動く時点で負けだろ)
でも、ミャオにはその方が似合っている気がした。
「まあ、できたら俺の寝床だけは確保しとけよ」
「最初に陸が働く専用席を作るにゃ」
「計画段階から俺に対してブラックぅぅぅぅぅ!!」
【神界・追加ご請求】
・救援物資因果安全監査費 金貨600枚
・広域避難所接続維持費 金貨1,000枚
・移動支援拠点構想世界間適合調査費 金貨800枚
・セレネア救援系統照会費 金貨1,200枚
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今回加算 金貨3,600枚
今回加算・日本円換算 18,000,000円相当
前回繰越残高 金貨19,400枚
暫定合計残高 金貨23,000枚
暫定合計・日本円換算 115,000,000円相当
※セレネア聖王国救援物資費は黒田陸個人負担ではありません。
※移動式「やどり木」本体は現時点では構想段階。製作費未計上。
「製作費未計上……よし! まだ金かかってない!」
「なんでそこだけ嬉しそうなんだにゃ。これから荷車も厨房も水樽も寝台も要るにゃ」
「待て待て待て。構想って無料で妄想する期間だろ? 金の話は完成してからにしようぜ」
「世界間適合調査はもう始まっていますので、仕様が固まり次第お見積もりを――」
「ゼニス! 計画段階から俺の借金を予約すんな!」
「陸、肉置場は一番大きくするのじゃぞ!」
「お前ら移動式宿屋じゃなくて、移動式請求書を作ろうとしてるだろぉぉぉぉぉ!!」




