第99話 空は専門外って前にも言っただろ
王都西側の仮設街道へ朝日が差し始めた頃、俺は崩落現場の脇に積まれた土嚢へ腰を下ろし、昨日ミャオに持たされた固いパンを煙草代わりにくわえていた。
街道は槙野たちの助言をもとに最低限の通行ができるところまで戻っている。避難民の荷車も一台ずつ動き始め、野営地では鍋の蓋が鳴り、寝起きの子供が泣いていた。ようやく地面の仕事が一段落した。つまり今日は働かなくていい。俺の中では、ほぼ確定事項だった。
「ボス。上から来るワン」
フェンナが、俺の隣で空を見上げた。
「鳥ならモグにでも食わせとけ」
「鳥じゃないワン。昨日、土の下で嗅いだのと同じ……臭いが抜けてる感じが、上にいっぱいあるワン」
パンを口から外す。雲の切れ目に、黒い点があった。一つ、二つではない。高度も大きさも揃わず、翼竜に似た影が急に鳥のように細くなったかと思えば、次の瞬間には蝙蝠みたいな膜翼を広げる。羽ばたいているのに羽音が遅れて届き、胴体の奥では例の灰色の光が明滅していた。
「……地面に飽きたから今度は空かよ。業務範囲を勝手に拡張すんなっての」
白青の光が横で立ち上がり、女神レグリア・ヴェリタスが大きな監査印を抱えて現れた。白と濃紺の制服は相変わらず皺一つなく、小柄な身体に対して印鑑だけが妙にでかい。
「黒田さぁん♡ 上ですよぉ♡ 元自衛官なんですから、当然どうにかできるんですよねぇ?」
「俺は地面へ落とす方だったんだよ。飛んでる奴は前にも言った。専門外」
「空まで専門外♡ できること狭ぁい♡」
「じゃあお前は何できんだよ。監査、ハンコ、煽り。三つだけじゃねえか」
「はぁ!? 世界間因果査定、境界監査、規約照合、異常接続判定、権限封鎖、再分類審査、神格間調整、それから――」
「急に職務経歴書始まったな」
「誰のせいですかぁ!」
「煽り返された途端、自分の仕事内容めちゃくちゃ説明するじゃん」
「三つしかないみたいに言うからでしょうが!」
バンッ!
【神格侮辱:審査保留】
「今のどこが神格侮辱だよ」
「監査官の職能を三項目へ縮めた部分ですぅ!」
「そこは細けえな、赤ペン女神」
「また一個増やしましたね!?」
金色の光から、今度はゼニスが現れた。濃紺の制服に細身のネクタイ、耳には片耳式のヘッドセット。胸元には金色の翼を模した神界章まで付けている。
「はあ。何だその格好。今日は航空会社の人か?」
「緊急空域監査です。飛行脅威が出ているので、空域情報を整理しやすい服装へ――」
「服装で情報整理能力変わるの?」
「気分が変わります!」
「やっぱただのコスプレじゃねえか」
「業務服です!」
そんなやり取りをしていると、上空の一体が急降下した。
ヒュォォォォ――ッ。
翼を畳んだ黒い影が野営地側へ向きを変え、ノエルが遠見魔術を展開する。薄青い光環が彼女の前へ幾重にも浮かび、目を細めたまま声だけを飛ばした。
「高度が一定ではありません。魔力反応も個体ごとに揺れています。ただ、こちらへ真っ直ぐ来ているわけではない。何かを避けて蛇行しています!」
近くにいたティアナが杖先を上げる。
「あれ――、魔法を使って飛んでるわけじゃないわ。少なくとも私が知ってる飛行術式とは違う。陸、これ私だけに聞かれても無理」
「安心しろ。俺にも無理だ」
「そこ胸張るところじゃない!」
無理なものを知った顔で仕切る方が怖い。空から来る脅威をどう見るかは、前にも一度相談した相手がいる。
「ゼニス。風間と繋げ」
「現代側への専門知識照合ですね?」
「電話だよ。変な言い方で料金上げようとすんなよ銭ゲバ」
「世界を跨ぐ時点で電話ではありません!」
足元に金色の光が走り、空中へ縦長の画面が開いた。でかい。現役時代から見慣れた男の顔が、ほぼ等身大で浮かび上がる。
『……あれ、黒田?』
「本人まででかく出すな! 高射屋は召喚獣かよ!」
『ったく。朝っぱらから何の話だよ。あと俺を高射屋って呼ぶな、ちょっとムカつく』
風間蒼士。俺より一つ上で、現役の高射特科二等陸曹。以前も似たような「創作相談」で空から来る敵の見方を聞いたせいか、画面越しの目が最初から疑っていた。
「風間。空の専門家として聞く。今日の雲の高さどれくらい?」
『気象に聞いとけよそんなの』
「降水確率は?」
『天気予報見ろ』
「風向きは?」
『お前、俺を何だと思ってる?』
「高射だから空はだいたい担当でいいんじゃねえの?」
『全国の高射特科所属隊員に謝れ』
隣でレグリアが肩を震わせている。
「知識よわよわ♡ 友人への質問精度もざぁこ♡ざぁこ♡」
「うるせえ。じゃあ本題だ。前にお前が言っただろ。空から来る相手を一人で全部見ようとするなって。今、飛んでる変なのが二十……いや、ノエル?」
「二十七。遠方にさらに九です」
「三十六だ。高さが揃わん。向きも揃わん。ただし南東の一部だけ、全員が避けるように曲がる」
風間の顔つきが少し変わった。
『一般論でいいなら、前と同じだ。一人で全部追うな。早く見つける奴、動きを追う奴、落とせる奴、落ちた後を見る奴を分けろ。それと、避けてる場所があるなら敵だけ見るな。何を避けてるかの方が情報になる』
「やっぱそこか」
『あと、お前が空まで分かった顔して指示するなよ』
「分かってる。俺は落ちてきた後を担当する」
『珍しく聞き分けいいな』
「一応、三十二歳の大人だぞ」
「生活能力は三十二歳未満ですけどぉ♡」
「うるせえ!今お前に聞いてねえ!」
俺は空中画面に背を向け、そのまま土嚢の上へ横倒しになった。現地版の涅槃図みたいな姿勢だが、仰向けになれば空全体が見える。本人が楽で観測もしやすいなら合理的である。
『お前、相談中に寝た?』
「観測姿勢だ。上を見るなら寝るのが一番楽だろ」
『まったく......。お前らしい理由で安心したわ』
その時だった。
ぷっ。
自分でも予想していなかった小さな音が出た。数秒、誰も喋らなかった。
『……通信感度いいな。聞かなくていい音まで拾ったぞ』
「気にするな。回線試験だ」
「生理現象を通信試験へ流用しないでください!」
「ボス、風下に私いるワン!くさい!」
「フェンナ、鼻をつまめ!」
「もうかいでしまったワン!ウオーン!!」
レグリアが神妙な顔で端末を操作した。
「環境音ノイズ、記録♡っと」
「消せよ」
「監査記録ですぅ♡」
「俺の屁を神界公文書に残すなぁぁぁぁぁ!!」
騒いでいる間にも飛行獣は近づいてくる。俺は起き上がり、風間の言葉をそのまま異世界側へ割り振った。
「ノエル、遠くの数と流れだけ追ってくれ。ティアナは魔法攻撃の前兆。フェンナは見えなくなった奴の方向を鼻で拾え。ゼニスとレグリアは避難所の上を飛行禁止扱いにできる範囲を出せ。俺は落下先と人の逃げ道を見る」
「ボス、ちゃんと働いてるワン!」
「言うな。自覚すると疲れる」
ノエルが地図へ光点を落としていく。灰色の点は西から東へ流れながら、南東にある山地の上だけを弧を描くように避けていた。偶然ではない。一体だけなら風かもしれない。三十を超える全部が同じ場所を嫌うなら、そこには理由がある。
俺は土の上へ投影された地図の一点を指で押さえた。
「ここ、何がある?」
ゼニスが資料をめくる。ティアナも首を振る。
「大きな都市はありません。古い巡礼路と山岳路、それから――」
「待ってください」
レグリアの声から♡が抜けた。
「南東方面。神託系統の一部、照会権限外」
俺は上空を見た。黒い飛行獣の群れが、見えない壁でもあるみたいに二つへ割れていく。
「……敵が嫌がる空か。こっちにとって安全とは限らねえな」
空中画面の向こうで風間が眉を寄せた。
『黒田。お前、その創作、そろそろ笑えないぞ』
「俺もそう思う。だから今は笑える方だけやる」
『何だよ?』
「今日の相談料、お前持ちな」
『切るぞ』
「俺が言う台詞だろ!」
【神界・追加ご請求】
・飛行未精算反応広域観測費 金貨900枚
・現代側高射特科専門知識照合費 金貨700枚
・世界間通信維持費 金貨500枚
・緊急空域安全補正費 金貨900枚
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今回加算 金貨3,000枚
今回加算・日本円換算 15,000,000円相当
前回繰越残高 金貨23,000枚
前回繰越残高・日本円換算 115,000,000円相当
暫定合計残高 金貨26,000枚
暫定合計・日本円換算 130,000,000円相当
※風間蒼士への相談は一般的な概念確認に限定。
※黒田陸の環境音ノイズは請求対象外。
「待て。風間と喋っただけで七百枚、三百五十万円?」
「世界間専門知識照合です」
「じゃあ風間に回せよな」
「契約者本人負担でぇぇっす♡ 人に聞いて、人に働かせて、お支払いだけ逃げようとするのおじの癖にざぁこ♡」
「監査官が会話の最後に人格攻撃を足すな、このクソメスガキ女神がああああっ!」
スマホへ風間からメッセージが届いた。
『俺は一円も取ってない。あと屁まで聞かされた分、迷惑料ほしい』
「ゼニス。迷惑料って経費になる?」
「なりません」
「レグリア。俺の屁は?」
「請求ゼロ♡ 監査ログだけ永久保存候補でぇす♡」
「金取らないなら痕跡まで消せやこらぁぁっ!!」




