第100話 古竜と高射屋を同じ空に上げるな
飛行未精算獣の群れが王都西の避難所へ近づいたのは、その日の昼過ぎだった。青空を横切る黒い影は四十を超え、遠くでは小さく見えた個体も、近づけば翼幅が荷馬車より広い。羽ばたくたび輪郭が一瞬遅れてついてきて、灰色の光が腹の奥で脈打つ。避難所には負傷者、子供、物資の荷車が集中しており、上空で倒せばそれで終わる話でもなかった。
「いいか。上で何匹倒したかは俺にはどうでもいい。倒した奴が避難所の屋根へ刺さったら、それは撃墜数一じゃなくて被害一だ。炊き出し鍋へ落ちても怒るし、治療所へ落ちたらもっと怒る。だから空で気持ちよく勝手に勝つな。勝つなら、最後にどこへ落とすかまで面倒見ろよ? 俺の指示を聞いてからな」
俺が念を押した直後、モグが胸を張った。
「わらわに任せろ! 全部向こうへ吹き飛ばしてやるからのう!」
「お前......今の話聞いてた?」
「聞いたぞ! 落とさず向こうへ飛ばす!」
「方向まで俺が決めるんだよ!」
隣ではルヴィアが真紅の縦巻きロールを揺らし、空を見て余裕たっぷりに顎を上げていた。
「おーっほっほっほっほ! 数ならモグが勝つかもしれませんけれど、飛行戦で美しく群れを制御するなら、わたくしの方が上ですわね!」
「わらわの方が速いもん!」
「速度だけで飛ぶから食べ物へ突っ込むのですわ」
「食べ物がそこにあるのが悪いんじゃ!」
「古竜二匹が空中で張り合うな! こっちは航空ショー頼んでねえぞ!」
レグリアが端末を上げた。
「無許可龍種二体で空域ぎゅうぎゅう♡」
「その言い方やめろ。古竜を違法ドローンみたいに扱うな」
「では龍種飛行安全補正費を――」
「今の発言取り消す! 何も飛んでません! 俺には空が見えません!」
「現実逃避している間にも三体増えています」
ノエルの冷静な声で現実へ戻された。彼女は地面へ大きな魔力図を展開し、飛行群の位置を光点で示している。ティアナはその横で杖先に細い火花をまとわせ、急降下する個体の魔力変化だけを追っていた。フェンナは耳を左右へ動かし、雲へ隠れた個体の方向を鼻で補っている。
「役割は昨日と同じ。ノエル、遠い奴。ティアナ、攻撃前兆。フェンナ、見失った方向。モグとルヴィアは俺が指した方へ追い込め。勝手に撃墜数競うなよ」
「陸はどうするのよ?」
「俺は地面だ」
「一番安全な仕事取った!」
「馬鹿。落ちてくる場所に人がいるんだぞ。あと俺が空へ上がったら何するんだっての。落ちるだけだ」
ティアナが口を閉じた。
「……それは確かに邪魔だわ」
「納得早すぎるだろ! もう少し、なんか、こうさぁ――」
俺の言葉は無視された。
端末には、朝から繋いだままの風間の音声だけが残っていた。
『黒田。念のため聞くけど、その古竜二人って本当に飛ばすの?』
「飛ばす。というか勝手に飛ぶんだよな」
『だったら先に落下させたくない場所を決めとけ。あと俺を高射屋って呼ぶのやめろよ』
「高射の人間って、自分では飛ばないんだな」
『お前、野戦特科だった頃に砲弾と一緒に飛んでたのか?』
「飛んでたら今ここにいねえよ」
『同じ理屈だよ!!』
「空担当のくせに地上から口だけ出せるの、ちょっとずるくない?」
『お前がそれ言う!? こっちは朝から仕事中なんだよ!』
「俺も今から仕事になる。最悪だな、お互い」
『公務とお前の創作、一緒にするな!』
通信の向こうで風間が切れた直後、飛行群の先頭が降下を始めた。
ヒュゥゥゥゥ――ッ!
空気を裂く音が重なり、避難所の馬が暴れる。俺が見るのは上空より地上だった。東側は人のいない畑、南には炊き出し場、北には治療所があり、西側の旧街道は無人でも斜面がまだ不安定だ。
「東へ追い込め! モグ、正面から殴るな、群れを右へ振れ! ルヴィアは上から蓋!」
「わらわに注文が多いぞ!」
「飯以外の注文も聞けっての!」
モグの身体が空で膨れ、古竜の威圧が一気に広がった。先頭の未精算獣が軌道を変える。そこへルヴィアが赤い魔力光を扇状に展開し、群れの上面を押さえた。空が鳴った。
ゴォォォォン――ッ!
黒い影が一斉に東へ流れる。ノエルが位置を読み上げ、ティアナの火炎弾が群れから外れた二体を横へ弾く。
「一体、低い!」
「見えてる。東の空き地へ落ちるまで触るな!」
地面すれすれまで降りた個体へ王国側の魔導兵が集中攻撃を浴びせ、灰色の核ごと砕いた。次の一体をモグが殴った。
ドガァンッ!
「おいこら、待てデブ竜ぅぅぅぅ!」
黒い巨体が派手に回転しながら地面へ落ち、補給用の荷車から十数メートル離れた場所へ突っ込んだ。土煙が上がり、干し肉を積んだ籠がひっくり返る。
「当たっておらぬ!」
「干し肉が全部土まみれだろうがぁ!」
「な、なんじゃとおおおおっ! 重大事故ではないかぁぁぁぁ!!」
「お前が加害者だろ! 食料被害だけ被災者みたいな顔すんな!」
ルヴィアが空から降りてきて、呆れたようにモグを見る。
「だから美しく追い込みなさいと――」
「お前も二体、荷車の屋根かすめたからな」
「……あら、見ていましたの?」ルヴィアが恥ずかしそうに扇子で口を隠す。
「俺は落ちた後を見る係だっつっただろ!!」
レグリアが嬉しそうに書き込む。
「龍種飛行安全補正、増額候補♡」
「お前は見なくていいところは、見逃してくれや!」
戦闘は一時間ほど続いた。空の敵を俺一人で追う必要はなかった。遠方の流れはノエル、魔法の兆候はティアナ、視界から消えた方向はフェンナが拾い、古竜二人が群れを動かす。俺は地面にいる人間と、何がどこへ落ちるかだけを見ていればいい。
(昔からそうだった。全部できる奴になるより、自分が何を見るか決めた方が早い。俺が欲しいのは英雄の万能感じゃなくて、最後に誰も下敷きになっていない地面だ。……できれば、その確認まで終えたら昼寝したい)
最後の一群が東へ流れた時、そのうち三体の核が空中で割れた。
灰色の光が散る。風に乗ったように見えた光は、途中から南東へ向きを揃えた。
「ノエル。今の見た?」
「はい。風ではありません。魔力残滓が同じ方向へ引かれました」
昨日、獣が避けた空域とほぼ同じ方向だった。俺は地図へ印だけ付けた。今すぐ答えを出す必要はない。答えを出すと、大抵仕事が増える。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
戦闘後、避難所脇の木陰へ勇者一行まで集まり、俺は現代から持ち込んでいた炭酸飲料の缶を配った。シェリアが開栓音に肩を跳ねさせる。
「待ってください。泡が出ていますけど、これ本当に飲料なんですか?」
「飲料。毒じゃない。たぶん」
「最後の二文字いりませんよね!?」
モグは説明を待たず、一気に半分飲んだ。
「ぶふっ! 何だこれは! 喉が攻撃されたぞ! だがなんか癖になるのう!」
「炭酸だ。古竜が飲み物に負けるなよ」
「口の中で小さい爆発がいっぱい起きた!」
「語彙だけ聞くとお前の方が正しい気がしてきたな......」
フェンナも鼻を押さえた。
「鼻に来るワン! 飲み物なのに鼻まで来るワン!」
「お前ら初炭酸のリアクションで討伐後より騒ぐなよ」
俺も一口飲む。
冷たい甘さが喉を抜けた直後、大きなゲップが出た――。
「……炭酸だ。仕方ないな」
「品性よわよわ♡」
レグリアが即座に刺してきたので、俺は未開封の一本を差し出した。
「じゃあお前も飲め」
「何で私が」
「監査官だろ。現代飲料の現物確認」
「適合確認は端末でできますぅ♡」
「怖いの?」
「はぁ? 飲めますけど?」
売り言葉に買い言葉で缶を開けたレグリアが、一口だけ飲む。
喉が動いた直後、ぴたりと固まった。
「…………」
「どうした、本部エリート」
「……刺激性が、予想より」
「炭酸に監査止められてんじゃねえか」
「止まってません!」
「レグリア、涙出てますよ」
「ゼニス先輩まで見ないでください!」
ゼニスが頭を抱える横で、モグが俺を真似してさらに大きなゲップを響かせた。
「陸に勝ったぞ!」
「何の勝負だデブ竜!」
「古竜の威厳が本当に消えていきますわね……同じ竜だと思われたくありませんの!」
ルヴィアが呆れながら、自分の缶を一口飲む。
「……まあ、悪くありませんわ」
「今ちょっとハマっただろ」
「糖分の多い庶民飲料を評価しただけです」
「おい、そう言って静かに二本目取るな。庶民飲料だぞ」
少し離れた場所で、勇者アレクシスだけが缶を両手で持ったまま黙っていた。表面についた水滴を親指でなぞり、開口部へ目を落としている。
「どうした。炭酸で死んだか?」
「いや……こういう、どうでもいい味ほど来るんですよねえ。豪華な料理ならこっちにもありますし、珍しい物だって食べました。でも、帰り道に自販機で買った一本とか、コンビニで何となく選んだ飲み物って、その時は何とも思ってなかったのに、なくなると急に『あれが日常だったんだ』って分かるんです」
最後の方だけ声が小さくなった。俺は余っていた一本を放り、アレクシスが慌てて両手で受けるのを見届ける。
「もう一本やるよ、勇者サマ」
「え――いいんですか?」
「今日はモグに飲ませるとゲップ大会になる」
「こら陸! 聞こえておるぞ!」
俺は現代へ帰ろうと思えば帰れる。四畳半で寝て、コンビニへ行き、負けた金を後悔しながら煙草を吸える。それを面倒から逃げるための穴として使ってきたが、こいつには穴そのものがない。考え始めると気まずい。
「アレクシス。感動してもいいけど、缶は捨てるな。搬送物だから」
「急に現実的ですね」
「請求書が俺を現実へ戻すんだよ!」
レグリアが俺の腹を見た。
「炭酸二本目ぇ♡ 糖分管理よわよわ♡ 腹だけ即日レベルアップしてません?」
「腹は常時高レベルだ。鍛えてるからな」
「脂肪を熟練度みたいに言わないでもらえますぅ♡」
「このクソメスガキ女神、監査項目に腹囲まで入れたら承認印ごと埋めるぞ!」
空き缶のプルタブを右手で握った瞬間、ゼニスが一歩下がった。
「何で逃げた」
「その握った右手を私へ近づけないでください」
「今日はプルタブだよ」
「“今日は”って言いましたね!?」
「過去の経験から学べる女神になったな」
「誰のせいで条件反射が増えたと思ってるんですかぁぁぁぁ!」
【神界・追加ご請求】
・広域飛行対象追跡費 金貨1,800枚
・複数高度因果照合費 金貨1,400枚
・龍種飛行安全補正費 金貨2,000枚
・撃墜後落下領域安定化費 金貨1,400枚
・現代飲食物少量搬送費 金貨400枚
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今回加算 金貨7,000枚
今回加算・日本円換算 35,000,000円相当
前回繰越残高 金貨26,000枚
前回繰越残高・日本円換算 130,000,000円相当
暫定合計残高 金貨33,000枚
暫定合計・日本円換算 165,000,000円相当
※龍種二体の飛行行動を含むため安全補正費が増加。
※炭酸飲料は黒田陸私物。飲食代そのものは神界請求対象外。
「龍種飛行安全補正、二千枚。一千万円。お前ら空飛んだだけで一千万?」
「どちらの分が高いのじゃ?」
「そこ競うな!」
「当然、わたくしの方が上質ですわ」
「安全補正に上質も下質もあるか!」
ゼニスが端末を閉じようとした。
「待て。モグが次から歩けば安い?」
「古竜が地上移動した場合、街道損傷や周辺安全補正が――」
「今、道路補修費まで候補に入れただろ」
「何も言ってません」
「顔が請求書出す顔してんだよぉぉぉぉぉ!!」




