第101話 飛べる死人をまた偵察に使うな
翌朝、俺たちは王都南東の山地を望む丘へ移動していた。前日に残った飛行型の未精算獣は数こそ減っているものの、南東へ近づく空だけは相変わらず妙な避け方をしている。
昨日の飛行群が避けた空域は、遠目にはただの山と雲にしか見えない。古い巡礼路が一本、谷沿いに南東へ延び、その先だけ薄い靄がかかっていた。ノエルの遠見魔術でも奥までは抜けず、ティアナの魔力探知も途中から反応が薄くなる。
「地上から見えない。モグを飛ばすと目立つ。ルヴィアも同じ。となると残りは――」
俺が横を向く前に、リリア・モルグが半歩下がった。
「えぇ......なんかわたし、嫌な予感する!」
「まだ何も言ってないぞ!」
「陸が私をそーやって見る時、大体ろくな頼みじゃないもん」
「お前、夫婦みたいに察しがよくなったな」
「今、夫婦って言ってくれた!?」
「そこだけ拾うなよ!」
青白い肌、白銀の長髪、目の下には生前より濃く残った隈。細身の黒いゴシック調戦装束。見た目だけなら夜の墓地に立っていそうな不死魔導師だが、表情は完全に浮かれていた。
「じゃあ行くよ! 夫からの頼みだもん!」
「撤回する。さっきのなし」
「もう遅いよー! はっきり聞いたもんね! ティアナも聞いたよね!? よね?!」
「私は聞いてないことにしたい」
「なんでよぉぉ! 証人になってよぉぉぉぉ!」
俺は煙草をくわえ、山の方を指す。
「でもさ――お前、飛べる。飯いらない。寝なくていい。身体壊れても戻る。魂も見える。偵察向きなんだわ」
「便利な道具みたいに私のスペック、列挙しないで! あと死んでても痛いんだからね!」
「痛いも足して七項目あるじゃねえか」
「欠点まで性能表に入れないでええええっ!」
そこでリリアが止まった。指を一本ずつ折る。
「……でも待って。飛べる、夜でも普通に動ける、魂も見られる、ご飯はほとんどいらないし、寝なくても平気。護衛も偵察もできて、歳を取って先に死ぬ心配もない。しかも陸が酔って床で寝ても朝まで見張れるし、敵が来たら起こせる。なにこれ、生活面まで含めたら、あたしって相当強くない?」
「最後の売り文句、結婚相談所で通るかあ?」
「陸。これ、かなり嫁にふさわしいでしょ? 戦闘も夜間警戒もできて、しかも老後の介護で先に死ぬ心配までないんだよ。こんな長期運用向きの嫁候補、他にいる? いないよねー!!」
「結婚相手を軍用多目的車両みたいな性能表で売り込む女、初めて見たわ。普通に引くわ」
「あたし、いつだって二十四時間そばにいられるよ!」
「怖い方向の長所が追加されてんぞお前」
「さらに寝てる間も見守れる!」
「監視だよ、あるいはストーカーだ」
「鍵も壁もかなり無視できる!」
「防犯性能を自分から破壊すんなぁぁぁぁ!!」
ティアナが額を押さえた。
「求婚なのか脅迫なのか、もう本人にも分かってないでしょ、どーせ」
「求婚に決まってんじゃん!」
「こええわ!!」
レグリアは少し離れた岩へ腰かけ、楽しそうにこちらを見ている。
「押しかけ嫁力つよつよ♡ 本人同意率ざぁこ♡」
「お前は黙って監査してろメスガキ」
「黒田さんの婚姻意思、観測不能♡」
「観測すんなっての!」
ノエルが咳払いした。
「あー、話を戻します。上空からなら、谷の向こう側まで見える可能性があります。ただし飛行未精算獣がまだ残っています。霊体だから安全、とは言えません」
「分かってる」
俺はリリアを見る。さっきまでのふざけた調子を少し落とす。
「死なないから行けとは言わん。向こう側まで見て、何があるか覚えて、戻って報告までできるのは今いる中じゃお前が一番向いてる。無理に突っ込まず、帰ってこい。見つけるだけじゃなく、俺らへ伝えるところまで頼む」
リリアの口が止まった。
「……そこまで言うなら行く。陸に『死なないから行って』って言われるのは腹立つけど、『私が一番向いてるから頼む』って言われるのは、なんか嬉しい。だからちゃんと見て、ちゃんと帰ってくる。帰ったら約束どおり褒めてよ?」
「約束したつもりはないが、わかった。頼んだ」
「うー、帰ってきたら、『嫁にしてもいい』までは言わなくていいから、『役に立った』くらい言ってよー」
「要求水準が急に現実的になったな」
「積み重ねが大事だからね、こういうの!」
「死人が婚活を長期作戦にすんなっての!」
リリアの足元から黒い霧が広がる。次の瞬間、身体がふわりと浮いた。
「今日は普通に飛ぶからね! 砲弾みたいに飛ばしたら本当に怒るから!」
「なんでだよ、誰も撃たねえよ。前のこと根に持ちすぎだろ」
「撃たれた側は忘れないんだよ! 女の子って、そういうもの」
「何いってんだコイツ......」
白銀の髪を風へ流し、リリアが谷を越える。飛行そのものは安定している。大きく羽ばたく必要もなく、黒い霧をまとった身体がゆっくり高度を上げていった。やがて雲へ入る。通信越しの声だけが残る。
『陸、右に三体いるよー! こっち見てる! きもい!!』
「近づくなよ。外から回れ」
『分かってる! ……うわぁ、来たぁぁぁ!』
灰色の影が雲から飛び出した。リリアが身体を横へ倒し、一体を避ける。二体目の爪が肩を裂き、黒い霧と青白い光が散った。
「リリア!大丈夫かー?」
『痛ったぁぁぁぁ! 死んでるのに痛覚だけ律儀に残す世界の仕様なんなのぉぉぉぉ! 誰なのよ一体ぃぃ!!』
「戻れそうか?」
『まだ行ける! 今ので服も破れちゃったよ! 帰ったら縫製費請求する! あっ、でも陸にこの姿を見られるほうがポイント上がるかな? きゃ何いってるの私!』
「......何言ってるかわからねーが、とりあえず請求書は神界へ出せ」
「私へ回さないでくださいよ!!」
ゼニスが即座に拒否した。リリアは高度を下げ、山肌沿いへ回り込む。数分。通信が途切れた。俺は煙草へ火を点けたまま、一度も吸わなかった。
(自分から行かせた。向いてるとも言った。だったら戻るまで待つのも頼んだ側の仕事だろ。死んでいるから死なない、壊れても戻る――そういう便利な言葉を先に並べておけば心配しなくて済むと思っていたが、姿が見えなくなった時にまで通用するほど俺の頭は器用じゃない。こいつが帰ってきたら、たぶん俺はまた茶化す。それくらいでちょうどいい)
「陸~?」
ティアナの声に振り向く。
「何だ」
「煙草、灰落ちそうだけど?」
「……見えてる」
灰を落とした直後、通信が戻った。
『陸! 見えたよ!』
「お前、返事遅いぞ」
『今、絶対心配してくれてたでしょ? やっぱり陸は私の事、お嫁さんにしたいんだね!』
「黙れ死人。時間超過を気にしてただけだ」
『その言い逃れ今日は採用しないもん!』
通信の向こうで息を切らした声が続く。
『南東へ抜ける獣、いる。でも真ん中へ近づくと左右に避ける。そこだけ細い光の筋みたいなのが山沿いに走ってる。神殿の光に近いけど、ティアナの魔法ともゼニスの神力とも違う。あと……遠くに太陽と翼みたいな印、一瞬見えた』
俺は崩落現場で拾った古い金属杭を思い出した。同じ印かどうか、まだ決めつけるには早い。
「もう戻れ。それ以上入るな」
『もう少し見られるよ?』
「戻って報告までが仕事だ。見つけたからって奥へ奥へ行くな。お前が情報ごと消えたら、偵察じゃなくて行方不明者を一人増やしただけになる」
『……うん。わかった。帰るね』
今度の返事だけは、やけに素直だった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
戻ってきたリリアは、右肩の服を大きく裂き、左脚も膝から下が半透明になっていた。地面へ降りるなり黒い霧が傷口へ集まり、少しずつ元へ戻っていく。
「あぁ、痛かったぁ……。あの爪、身体じゃなくて魂の表面まで引っかくんだよ。肉体なら穴が開いても戻せるけど、ああいうのは痛みが中に残るから嫌。だから次やるなら、もう少し外側から回る。……でも、ちゃんと見てきたし、陸が言った通り戻って報告までしたからね」
「役に立った」
「え?」
「言えっつっただろ。役に立った。十分だ」
「……もう一回、おねがい♡」
「サービス追加料金くれ」
「そこ課金するの陸なの!?」
数秒後、リリアの顔が一気に明るくなる。
「でも私だから頼まれたんだもんね? ちゃんと帰ってきた。報告もできた。帰還率も高い。ほら陸、嫁にふさわしいでしょ?」
「嫁選びで帰還率って単語使うな。不穏すぎる」
「服も身体も自分で直せるよ。家計に優しい!」
「それは確かに――」
「黒田さん」
ゼニスが金色の端末を見せた。
「リリアさんの損傷復元に伴う因果処理費は、依頼者側へ計上されます」
「ええ、そうなのかよ!全然優しくねえぇぇぇぇ!」
「神界が高いだけで私は安いよ?」
「本人価格みたいな主張やめろ!」
レグリアが嬉しそうに巨大印を持ち上げる。
「婚活必死ぃ♡ 不死なのに焦りだけ生者級♡」
「うるさいクソガキ女神! 陸への求婚歴なら私の方が先輩なんだからね!」
「競う分野そこなんですかぁ♡」
「お前ら俺を賞品にして争うな! 不良債権だぞ!」
「じゃあ私が引き取ってずっと一緒にいてあげる!」
「借金男に食いつくなぁぁぁぁ!!」
【神界・追加ご請求】
・高高度霊体飛行観測費 金貨600枚
・不死個体損傷復元因果処理費 金貨800枚
・不死個体危険空域補償費 金貨600枚
・遠距離映像共有費 金貨400枚
─────────────────
今回加算 金貨2,400枚
今回加算・日本円換算 12,000,000円相当
前回繰越残高 金貨33,000枚
前回繰越残高・日本円換算 165,000,000円相当
暫定合計残高 金貨35,400枚
暫定合計・日本円換算 177,000,000円相当
※活動中の不死個体は損傷補償対象として処理。
※婚姻関係の有無は本請求額へ影響しません。
「待て。不死個体損傷復元費は分かる。危険補償って何だ。こいつ死亡済みだぞ」
「死んでたら危険じゃないって誰が決めたの!? 痛いし怖いし服も破れるんだからね!」
「活動中の人格個体ですから。死亡歴ではなく、今回の任務中に受けた損傷と苦痛を基準に補償対象へ入れています」
「……それ通したのお前?」
「私が査定しましたけど」
「そっか。なら、そこは助かった。リリアが痛い思いした分まで『もう死んでるからゼロ円』扱いされたら、さすがに俺も腹立つ」
レグリアが止まった。
「…………」
「何」
「……当然です。監査ですから」
「陸、今レグリア褒めた?」
「事実言っただけ」
「リリアさん、そこ拾わなくていいですぅぅぅぅ!」
「声でっか。効いてんじゃねえか」
「効いてません!」
リリアが請求書を覗き込み、ぱっと顔を上げた。
「陸。結婚すれば家計一緒だよ。飛行偵察できる嫁、かなりお得だよ?」
「今日だけで一千二百万円増やした嫁候補を『お得』って呼ぶ勇気はねえ」
「私の値段じゃないってば! 女神どもに文句言ってよ!」
バンッ!
【婚姻契約:別審査】
「押すなって! 何でそんな項目あるんだ!」
「あるなら申請する!」
「請求書の下で婚姻手続き始めんなってぇぇぇぇぇ!!」




