第95話 街道が消えた。じゃあ今日は休みでいいな
大陸地図へ灰色の反応が増えた翌朝、今度は地図の上ではなく、俺たちの足元の世界そのものが壊れ始めた。
王都西へ延びていた街道は、昨日まで荷馬車が二台並んで通れたはずなのに、目の前で百メートル近く消えている。土砂に埋まったわけじゃない。斜面ごと谷へ落ち、途中に架かっていた石橋まで半分持っていかれていた。崩れた地面の断面からは木の根や古い水路がむき出しになり、谷底では濁った水が新しい流れを作っている。
俺は崩落地点の手前に立ち、しばらく眺めたあと、非常に合理的な結論へ到達した。
「道がないなら出勤できない。不可抗力。つまり休みだな」
「道を作れば出勤できます!」
「ええ......作るな!」
「作るに決まってんでしょうがぁぁぁぁぁぁ!!」
ゼニスの声が谷へ反響した。
今日は黄色い安全ヘルメットに橙色の反射ベスト、濃紺の作業服という災害対策職員みたいな格好で、腰には測量用らしい神具までぶら下げている。似合っているのが余計に腹立たしい。
「黒田さん、崩落しているのはこの一本だけではありません。北街道で二か所、南の橋梁で一か所、王都と西部集落を結ぶ道でも斜面崩壊が確認されています。原初魔王残響との因果相関が高い以上、あなたも調査対象者です」
「対象者と作業員は違うだろ。俺は見る。感想言う。帰る。それでいいじゃん。はい。万事解決よ」
「感想を言うだけの人に何千万円も神界費用を使っていません!」
「俺だって使いたくて使ってねえよ! むしろ俺の金だ、返せ!」
「何があなたの金ですかぁ!!この多重債務者!無能力者!!」
少し離れたところでは、ミャオが避難民へ配る湯を大鍋で沸かしていた。小柄な身体に生成りのエプロン、茶色の髪から伸びる猫耳は忙しなく周囲の声を拾い、尻尾は鍋と荷車の間を動くたびにぴんと立っている。
「陸、口だけ動かしてるならこっちの薪を運ぶにゃ。街道止まって、宿へ来る予定だった商人さんも旅人さんも全部キャンセルにゃ。それなのに避難してきた人は増えるし、炊き出しは必要だし、鍋は足りないし、モグは避難民用のパンまで見てるにゃよ!」
「わらわは、ただ見てるだけじゃ!」
モグがパン籠を抱えていた。
「抱えてんじゃねえか。すぐにそれを置けデブ竜」
「避難させておる!」
「お前の胃袋へぜぇんぶ避難させる気だろ!」
ミャオの猫耳が後ろへ倒れた。
「いいから、二人とも手伝うにゃあああああっ!」
俺が渋々薪へ手を伸ばした時、フェンナが崩落した崖の縁まで走っていった。
蜂蜜色の髪が風で跳ね、大きな犬耳が前へ向く。彼女は腰を落とし、崖下から吹き上がる湿った風を何度も吸い込んだ。普段なら何か食い物の臭いを探しているようにしか見えないが、尻尾がぴたりと止まった時だけは笑えない。
「ボス。向こうに人がいるワン!」
「何人くらいだ?」
「いっぱいです。汗、血、濡れた服、馬......それと子供の臭い。崩れた向こう側、谷の上の林に固まってるワン。こっちへ来る道がなくなってます」
俺は崩落面へ目を戻した。
街道がなくなったから休める、という俺の理屈は、向こう側に誰もいなければ成立した。
誰かいるなら、話が変わる。
(面倒だ。最高に面倒だ。しかもこういう時に限って、見つけた奴が俺の横にいんだよなぁ)
見なかったことにすれば寝られる。だが今夜布団へ入った時、向こうにいた子供の臭いをフェンナが報告した声まで思い出すのはもっと面倒だった。
「ゼニス。現代へ一回戻るぞ」
「また、逃げるんですか?」 ゼニスは俺を汚物でも見るかのような冷たい目で見た。
「違う。これは俺の専門じゃねえ。斜面、排水、仮設路、崩落面の安定。大砲撃つより面倒な分野だ。知ったかぶりして余計に崩したら洒落にならん」
ゼニスが少しだけ驚いた顔をした。
「あら、珍しく素直ですね」
「俺は知らんことを知らんって言えるできる大人なんだよ。魔法だけはティアナに言われても認めたくないけどな」
「そこも素直に認めてください」
レグリアが白い転送光の中から現れた。今日は監査制服の上に短い防塵コートを着ているが、泥の地面へ降りた瞬間だけ露骨に靴を見た。
「現代側の専門家接続ぅ♡ また世界間不整合値が増えますねぇ♡」
「公共災害だろ。公費でやれ」
「まだ認定前ですぅ♡」
「じゃあ現場見て認定しろ。神界本部の机からじゃ、この泥の深さまで分からねえだろ」
レグリアが自分の白い靴へちらりと目を落とした。
「……監査には必要に応じて現地確認も含まれます」
「でも靴、汚れるの嫌そうだワン」
「嫌じゃありません! この監査制服、汚したら被服整備申請が面倒なだけです!」
「世界が崩れてんのにクリーニング申請気にしてんじゃねえよ、本部ちゃん」
「本部ちゃんって呼ぶなぁ! 私は現場でも仕事できます!」
「じゃあ泥踏め」
「踏みますよ!」
レグリアは半ば意地になったように一歩踏み出し、靴をぬかるみへ沈めた。
「……最悪」
「聞こえたぞ」
「聞こえてません。で、専門家は誰ですか!」
「自衛隊の施設科に知り合いがいる。槙野拓真。昔、共同訓練で何度か一緒になった。穴掘りと道作りと、俺ら特科が壊しそうな場所を先に怒ってくるのが仕事みたいな奴だ」
「施設科を穴掘り専門みたいに説明しないでください!」
「本人に聞け。俺は専門外だからな」
そこへ、崩落の向こう側から小さな布が振られた。
子供か、大人か、ここからでは判別できない。ただ、人がこちらを見ていることだけは分かった。
ミャオが鍋の蓋を閉める。
「陸。道ができるまで、向こうへご飯運べないかにゃ?」
「空からなら何とかする。まず人数を出す。フェンナ、お前は臭いで散ってる人がいないか探せ。モグは勝手に飛ぶな。お前が着地した衝撃で崖落ちたら笑えん」
「わらわを何だと思っておる!」
「ただのデブ。あるいは食料過積載重量物」
「古竜じゃあああああああああっ!」
口ではいつも通り騒ぎながら、俺はもう休みを諦めていた。
道がないから働けないと思った。
どうやらこの世界では、道がなければ道を作る仕事が増えるらしい。
「クソ仕様だな......」
「何か言いました?」
「何もだ。槙野に電話する。俺の部屋だけは絶対見せんなよ!!」
この時点では、それだけは守られると思っていた。
【神界・追加ご請求】
・広域崩落因果観測費 金貨800枚
・緊急避難領域接続費 金貨600枚
・現代専門家照会準備費 金貨500枚
・災害対応因果安定化暫定費 金貨700枚
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今回加算 金貨2,600枚
今回加算・日本円換算 13,000,000円相当
前回繰越残高 金貨7,250枚
合計残高 金貨9,850枚
合計残高・日本円換算 49,250,000円相当
※公共災害勘定への一部再分類審査中。
「道が消えて休みになると思ったら、逆に一千三百万円増えた。これもう災害って俺の財布に起こってることじゃね?」
「ボスの借金だけは、崩落してもすぐ新しい道ができるワン!」
「フェンナ、うまいこと言った顔すんな。全然うまくねえんだわ」
「公共災害への再分類が通れば、個人負担は調整される可能性がありますぅ♡」
「じゃあ今すぐ通せ。神格監査官だろ!」
「お願いの態度がなってませぇん♡ おじさぁん?」
「道路より先にお前との話が通らねえぇぇぇぇ!!」




