第94話 戦闘糧食投げても全部の魔物が懐くと思うな
未精算獣が最初に現れてから二日後、俺は王都北西の荒れ地で、戦闘糧食の袋を握りしめていた。
正面には同じ灰色の獣が二体。前より大きく、片方は四本脚のくせに肩の高さが俺の頭を越えている。黒い皮膚の下を流れる灰色の光は、呼吸ではなく何かの計算が失敗して明滅しているみたいで気味が悪い。
「陸。まさかとは思うが、それを投げるのか? 投げるくらいならわらわによこせ!」
モグが隣で目を輝かせている。それはもう、キラッキラに。目が肉のマークになっているように見えるのは俺の幻だろうか、いや幻であってほしい。
「可能性は試さんとな。お前は戦闘糧食一袋で話が通じるようになったからな」
「わらわには効いたぞ!」
「だから再現性を確認するんだよ。成功すれば弾より安いからな」
「失敗したら?」
「お前が拾って食えばいい」
「はっはっはー! 食べるのはわらわに任せるのじゃ!この古竜様にな!」
「食料回収だけ妙に頼もしいな」
少し離れた場所で、レグリアが白手袋の指先を額へ当てていた。今日は監査制服の上へ耳当て付きの防音具を装着し、腰には『火力運用費査定』と書かれた小さな札まで下げている。
「黒田さぁん。最初にモグを餌付けできた成功体験にすがって同じこと繰り返すの、学習能力よわよわじゃないですかぁ♡」
「うるせえ。食費で解決できるなら世界平和だろーが」
「自分の食費も払えてないのにぃ?♡」
「ミャオの帳簿を神界へ持ち込むんじゃねえよ!」
俺はむかついたので袋を投げた。
未精算獣の鼻先へ、戦闘糧食がころころ転がる。
その一体が匂いを嗅ぐように頭を下げた。
「ほら見ろ!」
「陸! 効いたみたいじゃぞ!」
次の瞬間、前脚が袋を踏み潰した。
ぐしゃっ。
モグの顔が絶望に染まる。
「うわああああああっ!!わらわの飯がぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「お前のじゃねえ!」
灰色の獣が突っ込んできた。
俺たちが横へ散った直後、背後から大きな影が飛び込んだ。明るい蜂蜜色の髪、大型犬の耳、斥候用の軽装から伸びる鍛えた脚。大きなふさふさの尻尾を水平にして走る女は、胸だけが身体能力に対して明らかに余計な重量物だった。
「ボスー! 見つけたワン!」
「フェンナ、久しぶりだな。相変わらず前の装甲だけ過積載だな」
「わふっ! 褒められたワン!?」
「褒めてねえ。走るたびぶるんぶるん邪魔そうって言ってんだ」
「叱られたワン! 仲間扱いで嬉しいワン! はっはっ......」
「何で喜ぶんだよ!」
犬人族のフェンナ・ベルクは、俺の横へ滑り込むと両膝をつき、地面すれすれまで顔を下げた。さっきまでの馬鹿っぽい笑顔が消え、耳が前へ向く。
「臭いが変ですワン。獣の臭いじゃない。土も血もあるのに、その真ん中だけ何も臭わない場所がある」
「どこだ?」
「臭いがある場所じゃなくて、臭いが抜けてる場所だワン。右の大きい方、胸じゃない。左肩の少し後ろ、動くたび空っぽがずれるワン」
こういう時のフェンナは、普段と別人みたいに正確だ。
俺は獣の動きを見る。確かに、ティアナが前に言っていた魔力の流れとも、リリアが感じた魂の穴とも位置が少し違う。目で追うより、フェンナが指した『抜け』を基準にした方が早い。
「レグリア。公共事案の火力処理、どこまで公費でいける?」
「えぇ~? 急に規約読む気になったんですかぁ♡」
「金のためなら俺は学ぶ男だ。原初魔王緊急事案は公共因果処理区分って昨日の資料にあったぞ」
レグリアの指が止まった。
「......規定上は、対象核の除去に必要な最低限の火力費用について、公共勘定への再分類申請が可能です」
「おっしゃああっ勝ったぁぁぁぁ!」
「申請可能なだけです! 承認とは言ってませんからね!」
「いいから黙って大砲持ってこいゼニス! こい!大砲女神!!」
「話を最後まで聞けぇぇぇぇぇっ!!」
金色の光とともにゼニスが現れた。今日は濃紺の作業服に防音用イヤーマフ、胸には『重量物転送』の札。俺を見るなり、すでに嫌そうな顔をしている。
「はいはい。言うと思いました。FH-70ですね」
「一発で済ませる」
「あなたの“一発で済ませる”が一番怖いんですって!」
「二発持ってきたら予備も料金かかるだろ。今日は核の位置が分かってる。最低限で済ませるぞ」
火力の話になった瞬間だけ、頭の中から余計な音が引いていく。
砲そのものの細かい手順を周囲へ説明する気はない。俺が見るのは、味方の位置、獣の移動、フェンナが示す抜け、そして撃った後に誰も巻き込まれない場所だけだ。
「モグ、右の獣を引け。フェンナは俺の後ろから臭いを切らすな。レグリア、お前は請求書より先に公共勘定の欄を開いとけ」
「おじさぁん♡ 命令しないでくださぁい♡」
「じゃあお前の自腹でいいな?」
「公共区分を確認します!」
「仕事早いな。……いや、そこはマジで助かる」
レグリアの指が止まった。
「…………」
「レグリア?」
「……当然ですけど?」
「今、♡付け忘れたワン」
「忘れてません! 必要ないだけです!」
「煽ってる時より声ちっちゃくなったぞ」
「戦闘中に監査官の反応まで観測しないでください!」
「お前が普段、俺を観測しまくってんだろ」
やがて、未精算獣の左肩が大きく開いた。
「フェンナ?」
「空っぽ、今そこだワン!」
俺は息を整えた。
さっきまでの借金も、潰された戦闘糧食も、レグリアの煽りも消える。
「――弾着、今。」
ドォォォォォンッ――!!
大気を叩く衝撃が荒れ地を走り、少し遅れて未精算獣の左肩奥で白灰色の爆煙が膨れた。輪郭のずれていた巨体が内側から崩れ、獣の形を保てなくなった灰色の光が、地面へ吸い込まれるように消える。
残った一体はモグが殴り倒し、リリアの遠隔術式とティアナの火力で核を潰した。
戦闘が終わった直後、レグリアは待ってましたとばかりに台帳を開く。
「はぁい♡ 黒田さぁん。本日の暫定ご請求を読み上げまぁす♡ 重量物転送、砲弾因果処理、即レベ稼働、監査接続――」
「公共勘定!」
「まだ審査中ですよ♡」
「じゃあ読み上げるな!」
「暫定個人負担、金貨四千八百枚♡ 日本円換算、二千四百万円相当♡」
「昨日まで百万ちょいだったのにぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「また借金♡ ざぁこ♡ やーいざこおじ♡」
「このクソメスガキ女神ぇぇぇぇぇぇ!!」
俺が追いかけようとした時、ゼニスの通信神具が光った。
空中に小さな映像が開き、菓子の包みを抱えた魔王アルヴィナが映る。普段は十代前半に見える小柄な姿で、黒髪の一部を寝癖みたいに跳ねさせ、王座なのに片足を上げて座っていた。
『黒田ー! 停戦中なのに、別の変なの来た! うちの西側にも黒いの出た! これお菓子案件だよね?』
「外交案件をお菓子単位で分類すんな。あと何食ってんだよ」
『昨日もらった羊羹! これは会議用だから仕事しながら食べてるよー!』
「お前、菓子食いながらでも、仕事はちゃんとするんだな」
『黒田もお酒飲みながらちゃんと働けばいいじゃん』
「あっ、確かに!それいいな、今度から酒もってこよ」
「確かにじゃありません!!」 ゼニスがすかさずつっこんだ。
通信の向こうでアルヴィナが笑った直後、レグリアの大陸図が一斉に明滅した。
魔王国。
アルヴェリア。
ヴァルディス。
さらに北と西の街道沿い。
灰色の点は、もう数える気になれないほど増えていた。
俺は煙草をくわえたまま、火を点けるのを忘れて地図を見た。
「......一匹二匹の話じゃねえな」
レグリアの青紫の瞳が、初めて楽しそうではなくなった。
「はい。大陸規模です」
【神界・追加ご請求】
・未精算核位置照合費 金貨400枚
・FH-70重量物一時転送費 金貨1,800枚
・砲弾因果処理/原状復帰費 金貨1,400枚
・即レベ及び戦闘監査費 金貨1,200枚
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今回加算 金貨4,800枚
今回加算・日本円換算 24,000,000円相当
前回繰越残高 金貨2,450枚
暫定合計残高 金貨7,250枚
暫定合計・日本円換算 36,250,000円相当
※公共因果処理区分への再分類申請中。確定額は後日再査定。
「暫定二千四百万円ってことは、まだ下がる可能性あるんだよな?」
「ありますよぉ♡」
「よし。じゃあ俺の中では今のところゼロ」
「確定してない金額を存在しない扱いする会計、ざぁこ♡ ざぁこ♡」
「うるせえ! 希望的観測は無料なんだよ!」
『黒田ー、二千四百万円って羊羹何本ぶんなの?』
「アルヴィナまで食い物換算で入ってくんな! 今は一個も食いたくねえわぁぁぁぁ!!」




