第8話 ちゃんと働いた。なぜか借金が増えた。意味が分からん
翌日、俺は冒険者ギルドの受付前で、自分の報酬が自分のものではなくなる瞬間を見届けていた。
金貨30枚。ちゃりん。
まず12枚がゲインの装備ローンへ消えた。
ちゃりん。
残る18枚が、ミャオ管理の生活債務へ消えた。
俺の前には、空になった革袋だけが残った。悲しい。
ミャオは隣で受領書を確認し、満足そうに猫耳を動かしている。
「よしよし。陸、ちゃんと減ったにゃ」
「何だよその達成感満載の顔は。俺は今、三十枚稼いだのに財布が一瞬で軽くなったんだけど」
「借金が減ったなら成功にゃろ?」
「働いたのに手触りが一個もない。せめて一回、俺に三十枚を握らせてから持ってけよ」
「握ったら逃げるにゃ」
「逃げないって」
「装備屋には行くにゃ」
「……可能性の話を断定するな」
「……リゼット」
「はい」
「俺の金、一回も俺の財布に入ってなくない?」
「正確には黒田さんの依頼報酬として受領処理された後、契約に基づいて各債権者へ振り分けられました」
「それを世間では“ない”って言うんだよ」
「でも30枚ぶん借金が減りましたよね」
「数字の上ではな! 俺の胃袋にも煙草にも酒にも一枚も寄与してねえわ!」
受付横で見ていたティアナが腕を組む。
「自分で作った借金でしょ。むしろちゃんと返して偉いじゃない」
「返したんじゃねえ。俺の意思を介さず吸われたんだ。これは返済じゃなく天引きによる強制搾取といえる」
「言い方変えても返済は返済でしょ」
「十九のくせに債権者側に立つな。若者はもっと夢を見ろ!」
「借金から逃げる夢?」
「働かず暮らす夢。ギャンブルで一攫千金とかな!!」
「アンタね。現実見なよ」
俺は受付前の長椅子へ横になった。
片肘で頭を支え、脚を軽く曲げる。
「黒田さん」
「俺はいま精神的に死亡した。しばらく涅槃に入るから、誰も起こすな」
「受付前ですので成仏は別の場所でお願いしますよ」
「死亡届は?」
「行政窓口へどうぞ」
「リゼット、お前この数日で俺への対応だけ異様に強くなってない?」
「気のせいです」
そこへ、金色の光が降りた。
今日は黒の細身スーツに白いブラウス、金縁眼鏡。髪を一つにまとめ、分厚い契約ファイルを胸へ抱えている。
銀行の融資担当か、借りた金を絶対逃さない回収担当にしか見えない。
「黒田さん。継続的な就労実績を確認しましたので、支払能力の再査定に参りました」
「うるさい女神。とっとと帰れ」
「まだ一文字も説明していません」
「その格好と“再査定”で十分だ。あと似合ってねえな、その眼鏡」
「似合っています!」
「はいはい、ブス女神。ブース!」
ゼニスの眉がぴくりと動いた。
「今のは衣装と関係ありませんでしたよね?」
「追い詰められた男は語彙が減るんだよ」
「あなたの語彙力まで債務のせいにしないでください!」
ゼニスは営業スマイルを作り直し、ファイルを開いた。
「では説明します。黒田さんには継続的な依頼収入が発生しています。つまり返済能力が確認されました」
「待て。俺いま手取り0だぞ」
「ですが収入は発生しています」
「全部借金に消えたんだよ!」
「ですから、借金を返せるだけの収益能力が証明されたということです」
「働いたせいで請求条件が悪化してんじゃねえか!」
「悪化ではありません。適正化です」
「債権者が言う“適正”ほど信用できない日本語はねえ!」
ゼニスは新しい紙を一枚抜いた。
「なお、支払能力向上を記念して、即レベ定額支援プランもご案内できます」
「何それ」
「一定期間、個別利用より割安になる可能性があります」
「可能性?」
「利用頻度によります」
「サブスクじゃねえか! 俺の人生を月額課金にすんな!」
「戦闘回数が多い方にはお得ですよ~」
「戦闘回数増やす前提で営業すんな、この守銭奴銭ゲバ女神!!」
「おすすめしただけでしょう!」
ティアナが呆れた顔で言った。
「その女神、意外と商売上手ね」
「褒めるな。こいつはつけ上がるぞ」
「褒めてません!」
ゼニスは新しい紙を一枚抜いた。
「今回より、契約者収益能力再査定費、戦力観測記録費、就労継続支援管理費を――」
「支援されてねえだろ!」
「管理しています」
「ただ見て金取ってるだけだろ!」
「あなたが働かないので、見る必要があるんです!」
「働いたら再査定で取る、働かなかったら監査で取る! どっち行っても料金所じゃねえか、このいかれクレイジー女神が!」
「タダで神界システムが回ると思ってるんですか!」
「思ってるよ! 神だろ! 奇跡ぐらい無料で起こせ! 信仰してやんねえぞ!!」
「あぁぁぁぁぁぁ!!! 神界にも経費があるんですぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」
とうとうゼニスが机を叩いた。
リゼットが書類をそっと避難させる。
「あなたは昨日も、本気を出せば追加報酬を取れたのに撤退したでしょう!」
「危なかったんだよ」
「それは分かっています!」
ゼニスの声が急に下がった。
俺は目だけ動かす。
「え……分かってんの?」
「あなたが見ていた痕跡くらい、私にも見えます。大型個体がいる可能性は高かった。撤退判断そのものを責めているわけではありません」
「じゃあ何で怒ってんだよ」
「帰ってから“俺が追加10枚を捨てたのは世界が悪い”と三回も責任転嫁したからです!」
「聞いてたのかよ! スパイかてめぇは!!」
「監査中でしたから!」
ティアナが小声でジークフリードへ言う。
「この二人、毎回こんななの?」
「俺もまだ二回目だが、多分そうなんじゃないか」
その時、ギルドの扉が勢いよく開いた。
「旧採石場から緊急報告!」
息を切らした冒険者が入ってくる。
「街道の荷馬車が一台ひっくり返された! 護衛が“大岩みたいな獣”を見たって! 小型の魔物の群れじゃないぞ!」
その一言で、場の空気が変わった。
ティアナが俺を見る。ジークフリードも黙る。
「……いたじゃん」
ティアナがぽつりと言った。
「だから帰ろうって言っただろ」
「なら説明しなよ!」
「面倒だったんだよ、眠かったし」
「そこだけで全部台無し!」
ガロンが奥から出てくる。
「黒田。昨日の判断は正しかったらしいな」
「褒めんな。仕事増える」
「増えるぞ。大型個体なら別依頼だ」
「今の発言取り消せ。俺は何も見てない、聞いてない。知らない」
俺は長椅子から起き上がり、そのままゼニスへ手を伸ばした。
「おい女神、日本へ帰るぞ」
「急ですね」
「精神が死んだ。手取り0、請求増加、大型個体追加。今日はもう働いた扱いでいいだろ」
「帰還処理にも料金が――」
「聞きたくねえわ! このクソ女神、とっとと送れ! 帰って酒飲んで屁ぇこいて寝る!!!」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
その後、気づけば四畳半だった。
酒缶、灰皿、外れ馬券、パチスロ雑誌。
見慣れたゴミに囲まれると、妙に安心する自分が嫌になる。
俺はジャージのまま万年床へ倒れ、完全な涅槃図になった。
「異世界よりこっちの方が文明的だな……ゴキブリいるけど」
そう言って煙草へ手を伸ばしたが、箱は軽かった。
空である。
「……嘘だろ。酒はあるのに煙草がねえ、クソ......」
財布にも買い足す余裕はない。
俺はしばらく天井を見たあと、灰皿を真顔で捜索した。昨日までの自分が残した吸い殻の中から、まだ長さのある一本を選ぶ。指では持ちにくいので、机の爪楊枝へ刺した。
「よし。まだ三吸いはいけるな」
火を点ける。苦い。まずい。
だが新品より圧倒的に安い。
「金貨三十枚稼いだ翌日にシケモク吸ってるって、経済どうなってんだよ……」
もちろん俺のせいではない。
少なくとも今は、そういうことにしておく。
しばらく煙をくゆらせていると、スマホが震えた。現実世界に帰ってきた実感がわく。
――望月ひなた:陸さん、また訓練休みましたよね。
――望月ひなた:ちゃんと食べてます?
――望月ひなた:せめて既読くらいつけてください。
俺はしばらく画面を見た。
返信。
――黒田陸:生存
三秒後。
――望月ひなた:それは前にも聞きました。
「こやつ、要求水準上げてきやがった……」
スマホを伏せようとして、玄関のドアノブに袋が掛かっているのに気づいた。
中にはパックご飯、レトルトの丼物、インスタント味噌汁、スポーツドリンク。
短い紙が一枚。
『留守だったので置いておきます。ちゃんと食べてください。次の訓練日も確認してください。 ひなた』
「母ちゃんかよ……」
悪態をつきながら、俺はパックご飯を一つ取り出した。
その横でスマホがまた鳴る。
――望月ひなた:何を食べました?
「追加質問は禁止だろ」
既読だけつけた。
返信はしない。
「今日はもう無理。未来の俺は優秀だからな。今の俺は食って寝る」
ぐうう......
腹が鳴った。
とりあえず差し入れだけは、ありがたく食うことにした。
【今月のご請求】
・契約者収益能力再査定費 金貨180枚
・就労継続支援管理費 金貨120枚
・債権振分情報同期費 金貨130枚
─────────────────
今回加算 金貨430枚
日本円換算 2,150,000円相当
前回繰越残高 金貨22,670枚
合計残高 金貨23,100枚
日本円換算 115,500,000円相当
※ゲイン装備ローン・ミャオ管理債務は別口。
働いて金を稼いだはずなのに、なぜか黒田の手元には何も残りませんでした。
今回加わった面々をご紹介します。
【★初登場 ゲイン】
王都で武具店を営む商人。
黒田の「予備は必要」という言葉を最も危険な方向へ加速させる男です。
商売人としては優秀。
黒田にとっては装備の供給元であり、新たな借金の発生源でもあります。
【★初登場 ジークフリード】
若手ながら昇級の早い実力派冒険者。
当初はジャージ姿でやる気のない黒田を「口だけの男」と見ています。
武器の手入れを欠かさず、冒険者としての仕事にも真面目なため、黒田とは正反対に見える人物です。
【★初登場 ティアナ・ヴァーレン】
19歳の若手魔術師。
淡い桜色の髪と青紫の瞳を持つ努力家で、年上の黒田にもまったく遠慮しません。
黒田の高い身体能力とは釣り合わないほど低い魔法技量を、一瞬で見抜きました。
なお黒田の初級魔法が下手なのは、何かを隠しているからではありません。
普通に練習不足です。




