第87話 停戦交渉に無職を呼ぶんじゃねえ
ヴァルディス魔導帝国と国境で殺し合いになりかけている最中に、今度は魔王軍から「お前ら帝国と組んでこっちを攻めるつもりか」と照会が来た。
俺にはもう、大陸情勢を理解する気力がなかった。現代の四畳半へ戻り、布団へ半分埋まって寝返りを打つ。背中を向いて、おならと共に国際問題まで消えてくれるなら、世の中はかなり優しいのだが。
「黒田さん。起きてください。魔王軍側から、直接会って事実関係を確認したいと返答が来ています」
「寝てる。今の返事も寝言だから外交上の同意として記録すんなよー」
「寝言でそこまで予防線を張る人はいませんよ!?」
「昨日までヴァルディス、今日は魔王。俺の担当範囲どうなってんだ。一人の無職に国際情勢を横断させすぎだろうが」
「あなた自身が三勢力の情報の食い違いに気づいたんでしょう!」
「昨日の俺と今日の俺を同一人物扱いするなって、たぶんソイツ俺じゃないよ」
「アンタ、債務者番号までかんっぜんに同じでしょうがぁぁぁぁ!!」
ゼニスは濃紺のロングコートに銀の肩章、腰には書類筒を下げていた。外交官と軍使を混ぜたような格好で、長い黒髪も隙なくまとめている。胸元だけ妙に開いた仕立てなのが気になり、俺は布団から顔だけ出して、鼻をほじりながらアホ面で眺めた。
「――で、今日も何その格好。魔王に嫁入りでもすんのか?」
「停戦交渉の随行官です。少しは緊張感を持ってくださいね」
「その胸元、外交に必要かね?」
「……気になります?」
「いや、砦だと寒そうだなって」
「黒田てめぇぇぇぇ!そこはせめて一瞬くらい誘惑されろぉぉぉぉ!!」
「仕事増えそうな淫乱女に欲情するとろくなことねえし、な」
「理由まで失礼じゃないですかぁぁぁぁ!! あと女神に淫乱って!何いっちゃってくれてんのぉぉぉぉ!!」
魔王軍が求めているのは、いきなりの友好でも降伏でもなかった。王国とヴァルディス魔導帝国が共同で魔王軍を討つという情報が本当なのか、まず当事者の口から確認したい。そのための短時間の停戦協議だった。
「魔王との外交なんて国王か宰相にやらせろ。履歴書に『魔王と面談経験あり』って書いても採用担当が困るだけだろーが」
「王国側の正式代表は別にいます。あなたは国境戦と神界契約の当事者として名指しされています」
「風評被害だ。俺は基本、酒飲んで寝てるだけのおっさんだ」
「戦闘時だけ国家級に迷惑だから呼ばれてるんですよ!」
その後も四の五の言ってみたが、結局――逃げ切れなかった。
会談地はアルヴェリア、ヴァルディス魔導帝国、魔王軍の勢力が遠くない位置で接する古い石造砦だった。その地点は、いまはどの国も常駐させていない緩衝地帯で、余計な波風を立てずに済む。メンバーは俺、ゼニス、アレクシス、ルクシオン、リリア。護衛として三馬鹿も来ているが、普段うるさいアンディまで口数が少ない。
理由は簡単だった。向こう側に並んでいる連中が、どう見ても洒落にならないレベルだからだ。
先頭には灰色の重装甲をまとった老将。灰鉄元帥ローディス・ヴァルガン。年齢は五十を越えているだろうが、立っているだけで地面へ根が生えたみたいに動かない。その後ろには、赤い軍装の女が腕を組んでいる。紅蓮元帥セラフィナ・ヴェスペル。さらに白骨色の杖を持った女――兵站総監だというエルネ・カーミラ。
俺がそいつらの肩書きを知らなくても、まともに喧嘩を売る相手じゃないことくらい分かった。ローディスの鎧には派手な装飾がほとんどなく、傷を直した跡だけが残っており歴戦の兵であることがうかがえた。セラフィナの腰には杖というより砲身の一部みたいな長い魔導具。エルネは武器より帳簿と白骨色の杖を持ち、俺を見るより先にこちらの荷物の量を見ていた。
(こいつら、一人ずつ方向性の違う面倒くささがあるな、絶対にもめんとこ)
戦う前から帰りたくなる敵は珍しくないが、会計担当まで強そうなのは初めてだった。
「……もうやだ。帰っていい?」
「駄目です、ダメに決まってるでしょ」
「一人一人がボスっぽいんだけど」
『我も同意する。警戒を怠るなよ』
ルクシオンの声にも、普段の大げさな怒鳴りはなかった。
ローディスが俺へ目を向ける。
「貴殿が黒田陸か」
「一応、なんかそう呼ばれてるみたい!」
「一応で名乗るでない」
「元職の癖で、責任ある自己紹介が苦手なんだよなあ」
「……聞いていた通り、貴殿は理解し難い男だ」
隣のリリアが小声で笑った。
(ひそひそ)「陸、大丈夫よ。もし殺されたら私の仲間になれるよ」
「あほかてめえ。安心材料が死後なのやめれ」
そんな時、砦の奥から、小柄な少女が歩いてきた。
年のころは十二、三歳ほどにしか見えない。黒に近い濃紫の長髪、小さな角、頭には黒い冠状の魔具。背は低いのに、歩く速度を誰も急かさない。元帥たちが自然に道を空けたことで、俺もようやく理解した。
「……まさか――」
少女が椅子へ座り、脚を組む。
「わたしがアルヴィナ・ヴェル=ノクス。魔王だよっ☆」
「げ、ただの子供じゃん」
「魔王だってば!」
「いや、どう見ても中学生くらい――」
「ま・お・う・で・す!!!!」
「はいはい 子供は帰って宿題して寝ようねー」
「はいはいじゃないわ!! 子供扱いするなぁぁぁぁぁ!!」
元帥たちが微動だにしないのが逆に怖い。
アレクシスは額を押さえ、ゼニスは俺の脇腹を肘で小突いた。
「国家元首ですよ。態度ちゃんとしてください!」
「うちの国王にもこんな丁寧にしねえぞ俺は」
「それを自慢するな!」
アルヴィナは頬を膨らませたまま、机へ広げられた地図を指した。そこにはアルヴェリアとの境界だけでなく、ヴァルディス魔導帝国へ続く北東側にも兵の印が並んでいる。
「先に言っとくけど、わたしたちはアルヴェリアを攻めたいわけじゃない。ヴァルディスとも本気で戦争したくない。でも、こっちには『アルヴェリアとヴァルディスが一度休戦して、魔王軍討伐のため共同軍を作る』って情報が何度も入ってる。その一方でヴァルディス兵は、うちが先に攻めると思って北東へ出てきてる。意味分かんないでしょ?」
「こっちも分かってねえよ。俺ら、昨日までヴァルディスの砲撃止めてた側だからな」
「だから直接聞いてやってんの!」
幼い口調なのに、指示する位置は細かかった。
「ローディス。北東の第三軍は二十里下げたままでいい。セラフィナは砲列を前へ出さない。人間側が越境しなければ撃つな。エルネ、七日分の補給だけ前へ。余分に積んだらまた腐らせるでしょ」
「承知です、魔王様」
「分かりました、魔王様」
俺はそこだけは普通に感心した。
「まだ全然信じられねえけど……ちゃんと魔王なんだな」
「最初からそう言ってるでしょお!」
そこから話は笑えなくなった。
魔王軍側には「人類二国の共同討伐軍が来る」という噂が流れ、同じ頃、ヴァルディス魔導帝国側には「魔王軍が北東から侵攻する」という命令根拠が出回っている。方向は逆なのに、流れ始めた時期だけ妙に近い。
「誰から?」
「複数。商人、捕虜、国境の密偵、匿名の書簡。全部同じじゃないから厄介なの」
「一個の嘘じゃねえのか」
「違う形で何本も来るから厄介なの。だから会って確かめることにした。わたし、基本的に人間嫌いだけど、無駄に兵を死なせる方がもっと嫌い」
「その点だけは同意だ。働くのも嫌だが、勘違いで砲弾飛んでくるのはもっと嫌だ」
「基準が最後まで自分なの、アンタ何なの?」
ローディスが静かに続けた。
「我らの兵に、神界の蘇生はない。死ねば戻らぬ。剣も鎧も、壊れれば直す。魔石も使えば減る。ゆえに、根拠の薄い戦争へ兵を投げる趣味はない」
リリアの表情から笑いが消えた。
「……そっちも、死んだら終わりなんだ」
「原則はな」
「私みたいなの、珍しい?」
ローディスは彼女を見て、目を細めた。
「極めて珍しいな」
「そっか......」
その短いやり取りだけは、誰も茶化さなかった。
会談が一度休憩に入ると、俺はすぐ現代へ戻った。煙草を一本吸って頭を切り替えるつもりだったのだが、二口目でゼニスが現れた。
「急いで!魔王を待たせています」
「休憩って言ったろ」
「十五分です」
「まだ五分じゃねえか、せわしねえな」
「移動時間込みです」
「異世界転送に移動時間概念持ち込むなよ!」
【神界・追加ご請求】
・魔王軍停戦会談因果安定費 金貨55枚
・査定不能勢力接触安全監査費 金貨50枚
・現代側休憩帰還/再召喚費 金貨45枚
─────────────────
今回加算 金貨150枚
今回加算・日本円換算 750,000円相当
前回繰越残高 金貨49,249枚
前回繰越残高・日本円換算 246,245,000円相当
合計残高 金貨49,399枚
合計残高・日本円換算 246,995,000円相当
「休憩しただけで七十五万も!?」
「魔王軍は神界決済網の外側です。接触安定化が高いんです!」
「向こう無料で、俺だけ会う料金取られてんのかよぉぉぉぉ!!この鬼女神!!」




