第86話 永久契約を無料って言うな
しばらくして俺の部屋に届いたリボルヴの契約書は、黒かった。
紙が黒いんじゃない。机の上へ置いた瞬間、周囲の光までわずかに沈んで見える。俺の四畳半には似合いすぎていて、それがまた自己嫌悪を加速させた。
今日は異世界へ呼び出される前に、向こうから来たらしい。
万年床の上で俺が半分寝たまま封を切ると、最初の頁には馬鹿みたいに魅力的な文言が並んでいた。
【既存神界債務 全額引受】
【即日レベルアップ 利用料ゼロ】
【物資転送 利用料ゼロ】
【高危険度戦闘時追加費用 ゼロ】
【返済期限 なし】
「……ゼニスさあ」
「はい」
「お前、今日でクビな!」
「もう!きちんと読み終えてから言ってください」
ゼニスは今日は黒いパンツスーツに細い赤のネクタイ、腕には契約監査端末。完全に企業法務担当の装いだった。俺の枕元へ立ったまま、笑っていない。
「いや常識的に考えろや。これ読んだら普通乗り換えるだろ。俺の借金二億四千万超えてんだぞ。無料、返済なし、即レベも無料。お前の会社が同条件出せるのか?」
「まずですね、会社ではありません。それと、同条件は出せません。ただし、それだけで乗り換え判断をするのは早すぎますよ」
「出せないなら比較終了、はい契約乗り換え!だろ。借金全額引受、即レベ無料、返済期限なし。俺の中じゃもうぶっちぎりで優勝だわ」
「優勝じゃない! だから最後まで読めぇぇぇぇ!!」
珍しく早い段階で声を荒らげたので、俺は仕方なく続きをめくった。
細かい字は嫌いだ。神様はどうして重要なことほど小さく書くのか。
「……優先召集権」
「はい」
「契約者の能力・労働力・将来収益に対する恒久的優先使用権」
「はい」
「契約者都合の役務拒否は、正当事由が認められない限り不可」
「はい」
俺は契約書を閉じた。
「無料じゃねえじゃねえか」
リボルヴの声が、机の上の黒い封蝋から静かに響いた。
『対価は貨幣ではありません。黒田陸、あなたが働けば働くほど価値は上がる。ならば、その価値を私が先に買うだけです。返済を考えず、必要な時だけ力を使えばいい。あなたが嫌う金銭的負担は消えますよ』
「嫌だね」
『理由を伺っても?』
「働きたくねえから」
『働かなくて済む契約です』
「違う。お前が呼んだ時は働かされる。しかも死ぬまで優先。そんなもん就職より悪い。定年も退職届もねえじゃん」
ワンテンポ、女神の返事が遅れた。
『債務は消えます』
「借金なくすために一生所有されるとか、一番割に合わねえだろ。俺は借金持ちの無職でいい。所有物の正社員になるくらいならな」
ゼニスが横で何とも言えない顔をした。
「そこ、格好いいこと言ってるのに最後の一言で全部台無しですね」
「うるせえ。あとお前、今ちょっと嬉しかっただろ」
「別に」
「顔に出てるぞ、金融女神」
「出てません!」
契約書を返そうとしたところで、異世界側から呼び出しが掛かった。
王都の応接室へ移ると、そこにはルヴィア、リリア、ティアナ、モグまで揃っていた。何で契約の話に竜二匹と死人がいるのかは知らない。たぶん俺が逃げないようにゼニスが人数を増やした。
事情を聞いたルヴィアが、深紅の髪を揺らして扇子を開く。
「でしたら、そんな契約など結ぶ必要ありませんわ。以前も申し上げましたでしょう? その程度の借金なら、わたくしがまとめて――」
俺は反射的に背筋を伸ばした。
「ルヴィア様ああっ!」
「またその呼び方!?」
「以前の婚姻申請についてですが、前向きに再審査を――」
「ちょ、ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁ!!」
リリアが机を滑る勢いで割り込んできた。
「何でまたルヴィアなの!? 私、ずっと嫁候補で待機してるんだけど! 三百年以上待つの得意だけど、これは待ち時間長すぎない!?」
「お前、だから金貨五万枚出せんのかって?」
「結局そこなのぉぉぉぉ!!」
ティアナは本気で呆れた顔をルヴィアへ向けた。
「あんた、ほんとにこんなやつと結婚したいの? 前に金額聞いた瞬間、人生で一番いい姿勢になってた男よ。今も目が完全に資産評価してるじゃない」
「し、資産も魅力の一つではありますでしょう?」
「ええっ、自分で援護しちゃった!」
ゼニスまで腕を組んだ。
「ルヴィアさん、念のため申し上げますけど、それ愛情より資産流動性を見られてます。ぶっちゃけ金づるですよ。ものすごく丁寧に言っても金づるです!」
「人を最低みたいに言うなよ、愛にはお金が必要なんだぜ?」
「最低寄りなんですよ!」
その時、モグが椅子の上へ立った。
「なら、わらわと結婚するのじゃ!」
俺は数秒、本気で意味が分からなかった。
「はあ?デブ竜……お前は自分が何言ってるかわかってんの?」
「デブではないわぁぁぁぁぁ!! 細いわらわのどこがデブなのじゃ! 見よ、このプロポーション!」
確かにモグの身体は細い――が、あまりにも背が小さすぎた。くねくねとポーズをとっているが、色気の一つもありゃしない。
「だから見ねえってのガキンチョなんざ。前から、おめえの食欲がデブすぎだっつってるだろ!!」
「き、きっさまぁあ!! 陸の腹だってやばいじゃろうがあああっ!!」
「今俺の腹は関係ねえだろ!」
モグは腹を立てたまま、さらに胸を張った。
「結婚すれば陸はわらわの飯係になるのじゃろ! なら毎日肉を焼け! 朝は温かい飯、昼も飯、夜はもっと飯! 風呂も沸かせ! 菓子も切らすな!」
「それ結婚じゃなくて飼育契約だろ!おめーと結婚なんかしたら、食費で三秒で破産するっての」
「わらわは飼われぬ! 陸が世話をするのじゃ! 世話係じゃ!!」
「あんた何いってんのよ!! それを飼われるって言うのよ!」
ティアナが両手で頭を抱えた。
リリアも負けじと手を挙げる。
「はいはーい!! 私は食費ほぼゼロ! 老後費用ゼロ! 死んでるから生命保険も不要! 偵察できます、飛べます、肉壁できます、死後も長期保証つきっ!」
「婚活で耐久性能出すなっての」
「ルヴィアだけずるい!」
「何がずるいんですの! そもそも最初にプロポーズしてきたのは陸ですわ!」
「金貨五万枚あげるって聞いた直後でしょ!」
「そこを蒸し返さないでくださいます!? 陸は私と、その、人と竜でも愛し合えると......(ぽっ)」
頬を赤らめているルヴィアの横で、話の中心だったはずのリボルヴの契約書が、机の端で完全に忘れられていた。
多分ここに聖剣ルクシオンがいれば絶対怒鳴っていたと思う。
俺は耳をほじりながら黒い契約書を拾った。
「まあ、結論。リボルヴとは結婚しねえ」
「話がおかしくなってます!! 契約です!!」
ゼニスの我慢がついに切れた。
「てか、さっきから何なんですかこの婚姻相談会はぁぁぁぁぁ!! 永久契約の危険性を話してたんでしょうがああああっ!!」
「永久契約と結婚って似てるだろ? そりゃ似てくるわな」
「似てません!」
「解約条件とか財産分与とか」
「そこから先は神界法務の担当外ですぅぅぅぅ!!」
黒い封蝋から、リボルヴの声だけが最後まで静かだった。
『今回は保留としておきましょう。戦争が始まれば、数字はまた変わります』
契約書が消える。妙に引っ掛かる言い方だったが、考え込むより先に応接室の扉が叩かれた。入ってきたのはノエルとタンナーで、二人ともさっきまでの婚姻騒ぎへ付き合う顔ではない。
「黒田さん。東へ流れていたヴァルディス魔導帝国の補給列、やっぱり全部こちら向けじゃありません。北東へ分かれています」
「北東って……魔王軍の方じゃねえか」
「はい。捕虜の帝国兵からも『魔王軍が侵攻準備中だから備えろ』と聞いていた、という証言が出ました」
さっきまで椅子の上で結婚だ飯だと騒いでいたモグまで口を閉じる。ゼニスが別の封書を机へ置いた。黒い契約書とは違う、重い赤紫の封蝋が押されている。
「そして、こちらは魔王軍からです。内容は事実確認。『アルヴェリア王国とヴァルディス魔導帝国が休戦し、共同で魔王軍討伐を準備しているとの情報を得た。真偽を回答せよ』」
「……待て。俺ら今、そのヴァルディスと殺し合いになりかけてるんだぞ」
「ええ」
「なのに向こうでは、俺らが仲良く手ぇ組んで魔王を殴りに行くことになってんの?」
「そういう情報が流れています」
俺は耳へ突っ込んでいた指を抜き、地図を引き寄せた。王国には『ヴァルディスが来る』。ヴァルディスには『王国と魔王軍が来る』。魔王軍には『人間二国が一緒に来る』。並べてみると、どこも隣が先に殴ってくる話ばかりだ。
「……全員、自分以外が戦争始めることになってんじゃねえか」
「ですから、魔王軍側が直接話したいと」
「嫌だ。国際関係を無職へ持ってくんな。俺はさっき永久就職断ったばっかなんだぞ!」
「そこへ戻るなってのおおおおおっ!!」
【神界・追加ご請求】
・敵対永久契約危険条項精査費 金貨45枚
・契約乗換阻止保全処理費 金貨30枚
・異世界側緊急協議接続費 金貨20枚
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今回加算 金貨95枚
今回加算・日本円換算 475,000円相当
前回繰越残高 金貨49,154枚
前回繰越残高・日本円換算 245,770,000円相当
合計残高 金貨49,249枚
合計残高・日本円換算 246,245,000円相当
「俺、契約断ったのに金増えるの?」
「守る側にも処理はあります!」
「じゃあやっぱルヴィアと結婚する――」
「また面倒な方向に話を戻すなぁぁぁぁぁぁ!!」




