第84話 勇者だからって無料残業すると思うなよ
翌朝、やどり木の食堂へ降りると、アレクシスが一枚の召集文書を前に固まっていた。
朝飯は冷めかけている。聖剣ルクシオンは椅子の横へ立てかけられ、ロイドとシェリア、エルミナまで揃っていた。本来なら勇者パーティの方が場の中心なのだろうが、全員の視線だけは俺へ集まっている。
「何だよ、その紙。見せる前に言っとくけど、召集だの出動だの書いてあるなら九割方ろくな仕事じゃねえぞ」
「その偏見込みで聞きます。黒田さん、これをどう思います?」
「まだ一行も読んでねえけど、嫌な仕事だと思う」
「そこはせめて読んでから嫌がってください」
「召集って書いてある。俺の中ではもうアウト」
アレクシスが文書を差し出した。王国からの前線協力要請。帝国軍の動きに備え、勇者として国境近くへ出てほしいらしい。
「報酬は?」
「そこですか?」
「そこだろ。仕事だぞ」
「王国危機への協力と……名誉ある役目、と」
「金額は」
「書いてません」
「治療費」
「ありません」
「期間」
「情勢が安定するまで」
「撤退条件」
「……ありません」
俺は文書を机へ戻した。
「行くな、以上」
「即答ですね!?」
「こんなもん仕事じゃねえ。『いつまでか分かりません、危なくても帰れる条件ありません、金は後で考えます』って言われて出勤する奴は勇者じゃなくて便利屋だろ」
ルクシオンが低く唸った。
『黒田。貴様の言い方には大いに問題があるが、条件確認そのものは間違っていない。アレクシス、お前は王国を守る意思と、無条件に使い潰されることを混同するな』
「ルクシオンまで黒田さん側!?」
『誰がこやつ側だ! 我は常識側だ!!』
ロイドはもう文書の裏まで見ている。
「俺も条件は詰めた方がいいと思う。勇者様一人ならともかく、俺たち四人分の装備損耗と補給もある。タダ働きで武器壊したら誰が直すんだよ」
「ほら、シーフは話が早い」
「黒田と意見が合うのは少し嫌だけどな」
「なんでだよ!」
「金の話をしてる時のお前、目が生き生きしすぎる」
シェリアがパンをちぎりながら肩をすくめた。
「私は行くこと自体はいいよ。国境で人が死ぬのを遠くから見てる趣味はないし。でも撤退条件くらい欲しい。『勇者だから最後まで』って言われたら、本当に最後まで残らされそう」
「私も解析役で同行できます。ただし、帝国側が契約魔術を使っているなら調査時間が必要です。戦闘だけ命じられても困ります」とエルミナ。
アレクシスはしばらく黙ってから、俺へ目を向けた。
「黒田さん。昔の僕なら、そのまま行ってたと思います」
「今は?」
「報酬と目的と撤退条件を確認してから行きます」
「成長したな」
『汚染だ!!』
「ルクシオン!?」
『王道勇者だった男が、朝食の席で手当と撤退条件を確認している! 必要なことではある! 必要なことではあるが、発生源が黒田なのが我慢ならん!!』
俺は鼻で笑った。
「じゃあ仕上げだな。前払いもあるか聞いとけ」
「そこまでしないとですか!?」
「前線行ってから『予算ありません』って言われたらどうすんだ。あと休日はどーなってるかとか」
「戦争前ですよ?」
「戦争前だから休むんだよ。疲れてから休んでも遅ぇ」
アレクシスは返事を急がず、紙を見直した。以前なら「王国のためですから」で終わっていた男が、今は仲間の欄まで指で追っている。
「僕一人なら、無茶でも引き受けていたかもしれません。でもロイドたちまで一緒に来る以上、僕が勝手に『勇者だから』で決めるのは違いますね」
「やっと気づいたか。勇者様が格好つけてタダ働きすると、隣の奴までタダ働きになる。そういう善意は本人だけで完結してねえんだよ」
ロイドが俺を横目で見た。
「たまに普通のこと言うよな、お前」
「たまにじゃねえ。俺は常時まともだ」
「その台詞を借金二億超えの無職が言ってる」
「資産状況と人格を結びつけるのは偏見だぞ」
シェリアが笑った。
「人格の方にも別件が山ほどあるから大丈夫」
「何が大丈夫なんだよ」
話しているうちに、アレクシスの視線が俺の手元へ落ちた。俺は何も持っていない。
「……黒田さん」
「何だよ」
「ファミチキは?」
「今日はねえよ」
「僕、条件交渉するんですよね」
「仕事の報酬を俺に請求すんな」
『勇者ァァァァァァ!! 交渉術の使い先が違う!!』
そこへゼニスが現れた。今日は黒いタイトスカートに白いブラウス、その上から紺のベスト。保険会社か人事担当みたいな格好で、胸元に小さな名札まで付いている。
「勇者パーティの契約条件確認、神界側でも支援できます」
「何その人事部みたいな服。労務条件の話だからって、わざわざベストまで着る必要ある?」
「当事者に安心感を与えるための業務上の演出です。私自身が楽しんでいるわけではありません」
「言い訳まで人事部っぽくなってるぞ。もうコスプレへの没入だろ、それ」
ゼニスは俺を無視してアレクシスへ向き直った。
「報酬、期間、危険手当、負傷時の補償、撤退条件。この五点は最低限確認してください。勇者という称号は、契約条項を省略していい理由にはなりません」
「ほらな」
「黒田さんは黙ってください。あなたの場合、条件確認のあと仕事そのものから逃げます」
「俺は条件が悪いから逃げてるだけだ。報酬高くて、危なくなくて、すぐ終わって、寝ながらできるなら考える」
「それは『条件がいい仕事』ではなく『ほぼ仕事ではない何か』です! 普通の好条件でもあなたは逃げるでしょう!」
「そこまで俺を理解してるなら話早いじゃん」
「理解が深まるほど腹が立つんですよ!!」
午後、王宮側と交渉した結果、アレクシスたちには前線協力の正式な期間、補給、負傷時の治療、撤退判断の権限が明記された。報酬も出る。王国側も渋ったというより、誰も勇者がそこまで確認してくると思っていなかったらしい。
「聞けば出る条件を、聞かずに捨ててたってことか」
「言い方は悪いですけど……そうなりますね」
「世の中、大声で要求した奴が全部得するとは言わん。ただ、黙ってる奴へ勝手に手当を追加してくれるほど親切でもねえよ」
ゼニスが横から口を挟む。
「黒田さんの場合、要求の半分は酒代と帰宅許可ですけどね」
「要求する自由はあるだろ」
「却下する自由もあります」
「神界、自由の使い方が一方的なんだよな!」
アレクシスは文書を受け取ると、張っていた口元をようやく緩めた。
「黒田さん。ありがとうございます」
「礼は現金でいいぞ」
「感謝を返してください」
「じゃあファミチキ二個で」
『結局そこへ戻るのかぁぁぁぁぁ!!』
夕方、俺だけ現代へ戻った。コンビニの前まで来てから、ポケットの小銭を数える。
(勇者に条件交渉させた俺が、ファミチキ代を自腹で持つの何か違くね?)
結局一個だけ買い、自分で食った。
【神界・追加ご請求】
・勇者契約条件保全照合費 金貨40枚
・危険役務条件神界監督費 金貨45枚
・現代側帰還/再召喚処理費 金貨55枚
─────────────────
今回加算 金貨140枚
今回加算・日本円換算 700,000円相当
前回繰越残高 金貨48,894枚
前回繰越残高・日本円換算 244,470,000円相当
合計残高 金貨49,034枚
合計残高・日本円換算 245,170,000円相当
「ファミチキ一個食った日に七十万増えてんだけど」
「ファミチキ代は請求に含まれてません」
「そこだけ良心的に言われても借金増えてるだろうがぁぁぁ!!」




