第77話 死人でも未来くらいある
夢の世界から次の朝。やどり木の裏庭で、俺は煙草を一本くわえながら、ゼニスの話を聞いていた。今日は濃紺のロングジャケットに細い金の飾り紐、黒髪はハーフアップ。いつもの金融屋より儀礼寄りで、葬儀屋と役所を同じ窓口へ押し込んだような格好に見える。
「何だその服。俺の契約を葬るから喪服か?」
「契約保全担当の正装です。縁起でもないこと言わないでください」
「お前が持ってくる書類、大体縁起悪いじゃねえか」
「否定しづらい言い方やめてください」
ゼニスは手元の書類を閉じ、いつもの請求説明より慎重な口調へ変えた。
「銭神様から、選択肢が提示されました。あなたとの接続規模を縮小する。即レベ、物資転送、現代帰還、強制召喚――すべてを段階的に減らして、神界側の負担を落とす案です」
「マジか、すげえいいじゃん」
「即答しないでください」
「俺が使わなきゃ金も増えねえ。お前も上から怒られない。俺も働かなくていい。三方よしだろ」
「三方目は誰になるんです?」
「世間様」
「てきとーすぎぃ!!」
俺は煙を吐き、壁へ背中を預けた。
「最悪、契約ごと切ればいいだろ。俺一人いなくなりゃ済む話なら、その方が安い」
俺が煙を吐き終える前に、リリアの声が割って入った。
「それ、簡単に言わないでよね」
リリアの声が、いつもよりずっと低かった。振り返ると、白銀の長髪を朝風に揺らして立っている。異常に白い肌、細すぎる手足、暗赤色の瞳。普段なら「今日も元気に死んでまーす!」と朝から叫ぶ女が、今日は笑っていない。
「契約を切るって、陸が思ってるほど『はい終わり』じゃないんでしょ?」
「可能性の話だ」
「知ってるよ。だから言ってるの。死んだら戻らないものって、あるから」
リリアは自分の細い手首を見た。
「私は残った。喋れるし、笑えるし、ご飯も味は分かる。痛いし、泣けるし、陸に大砲で飛ばされたら死んでても痛い。でも、これが普通じゃないのも知ってる。私みたいに残れる方が例外なの」
「……大砲の件は今いらんだろ」
「いる。痛かったんだもん!」
大砲の痛みを持ち出したところだけは、いつものリリアらしかった。けれど次に続いた言葉には、普段の嫁営業も大声も混じらなかった。
「陸は、生きてる側が自分を消す話を、死人の前で軽くしないでよ。こっちは三百年分、戻らなかった人たちを見てきてるんだから」
リリアはそこで一度笑おうとして、失敗した。
「私さ、死んでから『明日』って言葉を使えるようになるまで結構かかったんだよ。どうせ死んでるし、明日も同じだって思ってた時期もあった。でも今は、明日になったらまたご飯食べるとか、モグに取られるとか、陸に雑に使われるとか、そういうくだらない予定がある。だから、生きてる人が自分から予定を全部消すみたいに言うの、嫌い」
「最後の二つ、予定に入れなくていいだろ」
「そこは改善要求常に出しますぅ!」
いつもなら「死人が説教すんな」で逃げるところだが、今日は言葉が続かなかった。吸いかけの煙草だけが短くなり、灰が指先近くまで伸びている。ゼニスも横から割り込まず、リリアがこちらを見ている時間をそのまま残した。
「私も……契約を維持したいのは借金だけが理由ではありません。あなたが消えれば処理が軽くなる、と数字だけ見れば言える場面はあります。でも現場側の人間関係も、戦場も、もう契約一件で切り離せる状態ではない。そこまで広げた責任は、あなたにも私にもあります」
「お前まで真面目な話すんな。胃が痛くなってくるわ」
「胃が痛む程度には聞いてください」
裏口からミャオが出てきた。帳簿は持っていない。代わりに、朝の洗い物で濡れた手を前掛けで拭いている。
「陸。先に言っとくけど、ツケを残して勝手に消えるのは絶対駄目にゃ。宿代も食費も帳簿に残るし、誰が払うのかでまた揉める。……でも、それだけじゃないにゃ」
「最初に金の話したせいで後半の信用が薄いぞ」
「陸がそういう人間だから、現実的な話から始めただけにゃ。部屋を急に空けられても困るし、モグが『陸の飯』って厨房へ突っ込んでくるのを止める人も減る。毎回面倒事ばっかり持ち込むけど、昨日までいた人が理由も言わず消える方が、宿を預かる側はもっと困るにゃ。だから『俺一人なら安い』で勝手に話を終わらせるのはなしにゃよ?」
モグも裏口から顔を出した。口いっぱいにパンを詰めている。
「陸ぅ、わらわを置いて、いなくなるのか?」
「まだいなくならねえよ」
「ならよい。昼、肉焼いてくれ」
「感情の余韻を飯で潰すな、デブ竜!」
「余韻は食えぬ」
「名言みたいに言うなって」
ミャオがため息をついた。
「でも、モグのおかげで陸も変に沈みすぎないにゃ」
「俺が沈んでる前提やめろ」
「鼻ほじりながら強がっても説得力ないにゃ」
見れば、いつの間にか俺の右手人差し指は鼻へ入っていた。
「これは精神安定行為だ」
「きったないにゃ、最低のセルフケアにゃ」
さらにルヴィアまで庭へ来た。
「事情は聞きましたわ! 金銭が原因なら、わたくしが――」
「古竜よ、それは駄目じゃよ」
いつの間にか、銭神が縁側に座っていた。銭神の手には大きな”銭”と書かれた湯飲み。毎回出現が大家より自然で怖い。
「ルヴィアちゃんのお金で払える部分と、払えん部分があるんよ。世界を跨いで人を通すのは、金貨を右から左へ動かすだけじゃ済まん。黒田さん本人の因果を誰かへ丸ごと譲ることも、簡単にはできん」
「……じゃあ俺が消える案も簡単じゃないってこと?」
「最初からそう言ってるでしょうが!」
「それとね、リリアちゃんの言うことは大体合っとる。生き物の因果は、帳面の数字みたいに消して書き直せば元通り、とはいかん。死者が残ることもあるし、残らんことの方がずっと多い。黒田さんが今ここにおる状態も、奇跡を積み重ねて保ってる部分がある」
「俺、聞けば聞くほど高級な不良品みたいになってない?」
「不良品ではないよ。ただ、容易には返品できん商品と言えるじゃろうね」
「はは、商品扱いはするんだな」
銭神は湯飲みを口へ運びズズーとすすると、リリアへ目を向けた。
「三百年も残って、それでも明日の話ができるのは大したもんじゃ。死者だから未来がない、なんてどこにも書いてないからね」
目を丸くしたリリアは、次の瞬間には照れを隠すように口角を上げた。
「じゃあ未来の予定に陸との結婚入れていい?」
「落ち着いたらすぐ俺との結婚の話になるのなんでぇぇぇ!!」
ゼニスがついに叫んだ。
「黒田さん、あなたはいつも『俺一人切れば安い』とか『俺だけなら』とか、勝手に最低価格の商品みたいに自分を扱いますけどね! 契約者を一人外すだけで全部解決するなら、私はとっくにやってます! できないから頭抱えてるんですよ!」
「お前、俺を切りたかったの?」
「そこだけ拾うなぁぁぁぁぁぁ!!」
俺は耳をほじった。
「分かった分かった。勝手に切るな。切るならまず俺に言え」
「許可を求めてるんじゃありません!」
「じゃあ、まだ切らなくていい」
リリアが俺を見る。
「ほんと?」
「少なくとも今日じゃねえ。明日は知らんがな」
「じゃあ明日も確認するね!」
「また仕事増やすなよ」
リリアはそこで、ようやくいつもの笑顔になった。
「じゃあさ、契約残ってるうちに婚姻契約も追加しよ! 死んだ後まで安心の永久保証!」
「ほら一瞬で台無し。死後予約は保留だ」
「保留ってことは審査中!?」
「前向きに解釈すんなっての!」
ゼニスが額を押さえた。
「あなたたち、なんで三十秒も真面目な空気を維持できないんですかぁぁぁぁぁ!!」
【神界・追加ご請求】
・契約縮小案再査定費 金貨40枚
・接続維持保留処理費 金貨40枚
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今回加算 金貨80枚
今回加算・日本円換算 400,000円相当
前回繰越残高 金貨46,934枚
前回繰越残高・日本円換算 234,670,000円相当
合計残高 金貨47,014枚
合計残高・日本円換算 235,070,000円相当
「何で『切らない』だけで四十万円取られるんだよ!」
「維持する方にも処理があるんです!」
「じゃあ俺の人生、存在してるだけでサブスクじゃねえかぁぁぁぁぁ!!」




