第66話 競馬場行く前に戦争始めんな
翌朝、風呂と炊き出しで少しだけ空気の良くなった野営地へ、東側から斥候が戻ってきた。先頭はタンナー、その少し後ろをリリアが飛行魔法でゆっくり降りてくる。昨日までなら「大砲で帰ってくれば速いぞ」と言うところだが、本人の視線が怖かったので黙っておいた。
「師匠、東へ二日ほど進んだ街道沿いで帝国軍の移動を確認しました。小規模な警戒隊ではありません。補給車列、魔導兵、砲兵らしき部隊も含まれています」
タンナーが地図へ複数の印を付ける。リリアもいつもの軽い調子を少し抑えた。
「死霊の方でも似た情報が拾えたよ。国境近くで死んだ旅人が、東から兵士と大きな魔導具がどんどん来るのを見てる。ただね、変なのよ。『戦争が始まる』って怖がってる記憶はあるのに、兵士たち自身も何か急かされてる感じがする」
「命令が急だったってことか?」
「たぶん。はっきりした言葉までは残ってない」
ノエルが地図を覗き込み、エドガーが顎へ手を当てる。
「昨日までの飛行魔獣、長距離砲撃。それに帝国軍の動員が同じ時期に重なったな」
「重なったからって全部同じ奴の仕業とは限らん。そこは分けて考えろ」
俺はそう言いながらも、胃の辺りが重くなるのを感じていた。嫌な材料だけが順番に揃っていく。こういう時は大抵、最後に「では黒田殿にも前線へ」と続く。
案の定、王都からの伝令が到着した。
「王太子ユリウス殿下より、国境警戒体制を第二段階へ移行。勇者アレクシス殿には前線救援部隊への合流要請。エドガー殿以下、魔導砲兵部隊は配置準備。黒田陸殿には――」
「ねえ、俺の名前が出る前に帰っていい?」
「最後まで聞いてください!」
「聞いたら成立する契約とかあるだろ。俺は知ってる。世の中にはクーリングオフできない罠がいっぱいあるんだ」
アレクシスが苦笑しながら前へ出た。
「黒田さん、僕は行きます。ただ、今回は命令だけで突っ込むつもりはありません。目的、救援対象、撤退条件、指揮系統を確認してから動きます」
俺は思わず目を細めた。
「……お前、本当に育ったな。ちょっと前なら『僕、勇者ですから!』で走ってっただろ」
「誰かさんから、全部一人で背負うなって散々言われましたからね」
『そして報酬額も確認するようになった』
「ルクシオン、その話は今いいでしょうが!」
「いや大事だ。危険手当は聞いとけ。あと食費別な」
『黒田は黙れい!!』
アンディが拳を握る。
「師匠! 俺たちも行きます。訓練の成果を見せる時です!」
「お前ら三人、レベルで俺超えたんだから俺の出番なくない? 勇者、聖剣、Lv30台の弟子三人、王国砲兵、天才魔術師、不死魔導師、古竜二匹。これだけ揃って無職一人追加する意味あるかね?」
ティアナが腕を組む。
「その中で一番、戦場全体見て逃げ道と砲撃の話できるの誰よ?」
「エドガーじゃん」
「異世界側の常識外の相手が出た時は?」
「アレクシスって勇者だよね」
「現代兵器や神術絡んだら?」
「ゼニス」
「全部人へ押しつける気!?」
「適材適所って昨日から言ってるだろ!」
ゼニスがため息をついた。今日はもう戦時事務官のような黒い制服で、金縁のバインダーを抱えている。
「黒田さん。あなたへは前線突撃を求めていません。現地の観測、情報整理、必要時の支援判断です」
「その『必要時』が毎回一千万円級なんだよ。俺にとって敵より怖い単語になってんだわ」
「だから今回は、勝手に現代装備を増やさず、まず既存戦力で動きます。ただ、王国防衛名義で既に登録済みの89式やMINIMI、それから比較訓練用のFH-70については、必要時に公費へ切り替えられるよう申請だけ進めています」
「そこ大事。俺の名前で申請すんなよ。国家防衛を三十二歳無職のリボ払いにするな」
「最初から王国名義です!」
「よし分かった。話は全部聞いた。では俺は一度現代へ戻って心を整える」
「どこへ行く気です?」
「競馬場だ」
「そこは心を整える場所ではないでしょうが!」
「昨日パチンコとスロットで負けたから、競馬で取り返せば収支は戻る。損失の分散だ!」
「それを世間では傷口を広げると言います!」
俺はすでに現代帰還の光へ半身を突っ込んでいた。
「いいかゼニス。よく聞け。昨日の負けを昨日のままにすると『損失』だ。でも今日勝てば『途中経過』になる。会計は締め日が大事なんだよ」
「金融用語っぽく言えば正しく聞こえると思うなぁぁぁぁぁぁ!!」
なんだかんだ現代へ戻る。時計を見る。競馬場へ向かうにはぎりぎり間に合う。俺はジャージの上着を引っかけ、財布を確認し、玄関へ向かった。
そこでスマートフォンが鳴った。風間からだった。
『お前、昨日聞いてきた飛ぶやつの話、マジで創作だよな?』
「うわ、めんどくせ……既読つけない方がいいな」
画面を伏せ、靴を履く。
もう一度光った。
今度はひなたからのメッセージだった。
『陸さん、最近また連絡遅いですけど大丈夫ですか。秋葉曹長も気にしてました。ちゃんと食べてます?』
少しだけ指が止まる。
(ちゃんと食ってるって。むしろ異世界で白飯炊いてる。言えるわけねえけどさ)
『生きてる』
それだけ返して玄関を開けた。
次の瞬間、目の前にゼニスが立っていた。
「早かったな。まだ馬券買ってないぞ」
「戻りますよ」
「いや待て。せめて一レースだけ。ここまで靴履いた。準備費用が発生してるんだ」
「異世界側で追加報告です。帝国軍前方で大規模魔力反応。長距離砲撃準備の可能性があります」
ふざけた言葉が喉で止まった。
「場所はどこだ――?」
「ノエルが確認中です」
「戻すなら、早くしろ」
ゼニスが一瞬だけ目を細め、そのまま転送を開始した。
異世界へ戻ると、野営地の空気は変わっていた。ノエルが東を見たまま魔導具を握り、エドガーは砲兵へ移動準備を命じている。アレクシスはすでにルクシオンを背負い直し、三馬鹿も装備を整えていた。
「師匠、競馬はどうしたんです?」
アンディが聞く。
「中止だ。戦争の方が先に発走しやがったわ」
「発走って言い方やめてくださいよ」
タンナーが真顔で返した。
リリアが俺の横へ来る。
「陸。東から嫌な感じするよ。死者が増える前の空気っていうか……うまく言えないけど」
「縁起でもねえ。でも覚えとくわ」
遠く、東の空が一度だけ白く光った。
音はまだ来ない。
俺は反射的に時間を数えかけ、途中でやめた。距離を断定する材料が足りない。
「エドガー。全員、今日から『撃たれたら撃ち返す』は禁止だ。誰が撃ったか分かるまで、勝手に戦争始めんなよ」
「承知した」
「アレクシス。前へ出るなら人を守る方優先。敵軍見えたからって一人で突っ込むな」
「分かっています」
「三馬鹿はタンナーの言うこと聞け。アンは走りすぎるな。ポンは俺の失敗を高等戦術扱いするな」
「さ、三バカ!?今言います!?」
「今だから言うんだよ」
少し遅れて、腹へ響くような低い音が届いた。
ドォォォン……。
誰も笑わなかった。
「……来るぞ」
【神界・追加ご請求】
・現代側私的帰還処理費 金貨20枚
・緊急再召喚処理費 金貨20枚
・国境戦時情報照合費 金貨15枚
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今回加算 金貨55枚
今回加算・日本円換算 275,000円相当
前回繰越残高 金貨35,754枚
前回繰越残高・日本円換算 178,770,000円相当
合計残高 金貨35,809枚
合計残高・日本円換算 179,045,000円相当
※競馬投票は未実施。
※ヴァルディス魔導帝国軍の長距離攻撃主体は現時点で未確定。
「……二十七万五千円」
「はい」
「馬券一枚も買ってないのに?」
「帰還と再召喚はしましたので」
「今日の俺、ギャンブル負けてないのに金だけ減ってんじゃねえか」
「そこを基準に生きるのやめてください」




