第65話 混浴は断る。俺はコンプラを守る男だ
白飯と味噌汁の炊き出しが安定すると、次に問題になったのは飯ではなく臭いだった。避難民が増え、同じ場所で何日も寝起きし、子供は泥だらけ、老人は身体を拭く水さえ遠慮する。病人が増えてから対処する方が面倒なのは、俺でも分かる。
「風呂を作るか」
朝の打ち合わせで俺が言うと、ティアナが不審そうに眉を寄せた。
「昨日まで『飯が回れば俺の仕事終わり』って言ってた人が、今度は風呂? あんた、急に人道支援へ目覚めたの?」
「違うわ。臭い、皮膚荒れる、衛生崩れる、病人増える、看病増える、仕事増える。俺は仕事を増やしたくないから先に洗う。動機は一貫してる」
「最低の動機から正解へ行くの、本当に腹立つわね」
ドーガンはすでに湯を張るための大桶と排水路の位置を見ていた。王国側にも簡易入浴設備はあるが、避難民全員を一度に入れるようなものではない。男女と時間帯を分け、子供や介助が必要な者は別枠にして、少しずつ回すしかない。
「水は川から引けるが、温める手段はどうする」
「おいティアナ。出番だぞ」
「嫌よ。私を巨大湯沸かし器みたいに見ないでくんない?」
「お前、魔法使いだろ」
「魔法使いは便利家電じゃないの!」
「じゃあ薪増やすか。薪運びは三馬鹿で」
「師匠、任せてください!」
アンディが即答し、ポーレンまで感動した顔で頷いた。
「生活支援に戦闘員を投入することで、実戦以外の総合力を鍛える……さすが師匠」
「違うわ。若くて体力余ってる奴へ力仕事押しつけてるだけだ。何でも修行に変換すんな」
タンナーだけはすでに薪の必要量と交代時間を書き始めていた。
「では三班に分けます。アンディが運搬、ポーレンが乾燥補助、僕が在庫管理を」
「お前だけ妙に仕事できるから余計逃げにくいよなぁ……」
昼前、野営地へ一台の荷車が到着した。荷台には石鹸、布、油、乾燥豆、それから宿屋で使うような大きな洗濯籠まで積まれている。御者台から猫耳がひょこりと現れた。
「陸ー! 聞いてたより人数多いにゃあ。これじゃ王都で仕入れた分だけじゃ足りないにゃ」
「ミャオ? なんでここまで来た」
「やどり木の周りにも避難民が増えてるから、王国の救援物資便に荷をまとめて乗せてもらったにゃ。宿は近所の人と手伝いの子に任せて、私は帳簿と追加仕入れの確認に一泊だけだにゃ。あと陸のツケが増えてないか直接確認に来たにゃ」
「最後の目的が一番強いやつじゃねえか?」
「当然だにゃ」
ミャオは俺の顔を見たあと、炊き出し場、野外炊具、大桶、薪の山と順番に見渡した。
「……陸、また仕事増やしてるにゃ」
「俺が増やしてるんじゃない。仕事が勝手に繁殖してる。雑草と同じ」
「陸が首突っ込むたび増えてるにゃ」
「俺は抜こうとしてるんだよ。抜こうとすると根っこから国家案件が付いてくる」
ミャオは笑いながら石鹸の箱を下ろし、そのまま女性側の入浴準備へ加わった。夕方には仮囲いと簡易の更衣場所もでき、最初の組が湯へ入る。成人女性組ではティアナ、ルヴィア、ミャオ、それにリリアが一緒になったらしい。モグは子供たちと別の時間帯へ回されている。
俺は男側の設備を確認した後、入口から十分以上離れた場所で煙草を吸っていた。そこへ湯上がり前のリリアが、仕切りの向こうから大声を飛ばす。
「陸ー! 一緒に入ろうよー! 私、死んでるから男女区分とかもう細かいこと気にしないよー!」
「俺が気にするわ! お前が死亡済みでも俺は生存中なんだよ。しかも周りに王国兵、避難民、王女の関係者、女神までいる。ここで『死人だからノーカン』で混浴したら、後世の記録に俺だけ変態として残るだろ!」
ミャオの笑い声が聞こえた。
「陸がそこまで世間体を気にするの珍しいにゃあ。普段は半ケツで寝てるくせに」
「自宅の半ケツと公衆浴場の混浴を同列にすんな。俺には守るべき一線がある。こう見えてコンプラを守る男だぞ」
ティアナまで仕切り越しに口を挟む。
「酒、煙草、ギャンブル、借金、仕事放棄、女神への暴言、勝手に現代へ帰る。そこまで揃ってて、混浴しないってだけでコンプラ代表みたいな顔するのやめてくれる?」
「全部合法の範囲でやってるだろが」
「仕事放棄は合法とか以前の問題でしょうが!」
リリアがさらに追撃する。
「大丈夫だよ陸! もし問題になったら私が死後まで責任取るから!」
「それが一番怖えんだよ! 『混浴したので死後まで連行』って刑が重すぎるわ!」
ルヴィアの高笑いが湯気の向こうから響いた。
「おーっほっほっほっ! 意外と臆病ですのね黒田陸! わたくしたちと同じ湯へ入る程度で逃げますの?」
「煽っても行くわけねえだろ。俺はもう決めた。今日は現代へ帰る。女性陣が風呂入ってる間は自宅待機。これが一番安全だ」
「逃げる口実を急に倫理へ昇格させないでください!」
ゼニスの声を無視し、俺は現代へ戻った。
四畳半に着いた時点では、本当に自宅で煙草を吸って寝るつもりだった。少なくとも五分くらいはそう思っていた。ところが財布を見ると、昨日アレクシスから預かった買い物代の返金分とは別に、自分の現金が少し残っている。
(風呂が終わるまで一時間以上。家で寝てもいい。だが、寝るだけでは一円も増えない。むしろパチンコなら増える可能性がある。これは娯楽ではなく資産運用……いや、言ってて自分でも苦しいな)
十五分後、俺は近所のパチンコ店にいた。
自動扉が開き、光と音の洪水が迎えてくる。久しぶりでも何でもないのに、妙な安心感があった。異世界では魔導砲が鳴り、現代ではパチンコ台が鳴る。どっちも金が飛ぶという意味では似たようなものかもしれない。
「今日は遊びじゃない。短時間勝負だ。増やして帰るぞ」
誰に言うでもなく呟き、まずパチンコ台へ座った。
三千円。何も起きない。
さらに千円。
画面だけは世界が滅びそうな勢いでチカチカピカピカとうるさく光るのに、俺の財布だけが確実に滅びていく。
「……演出期待度と俺の期待が一致してないだろ。詐欺では?」
もちろん台は答えない。俺はハンドルから手を放し、席を立った。
「撤退判断は早い方がいい。元自衛官として正しい」
そのままスロットコーナーへ移る。さらに数千円が消えた。
「こっちは戦力の逐次投入じゃない。機種変更による戦線再編だ!」
背後から声がした。
「あなた、ただ負けを広げているだけでしょうが」
「うわっ!」
振り向くと、ゼニスが立っていた。今日はさすがに神々しい衣装ではなく、現代側で目立たない私服姿だが、顔だけは取り立て女神そのものだった。
「お前、パチンコ屋まで追ってくんなよ! 女神がギャンブル施設へ入っていいのか?」
「あなたを回収しに来ただけです! 『コンプラを守る』と言って女性風呂から逃げた人が、十五分後にパチンコとパチスロ両方打ってるってどういう倫理観なんですか!」
「混浴してない。約束は守っただろ」
「最低ラインだけ守って胸を張るなぁぁぁぁぁぁ!!」
「あと今、総額一万円くらい負けてるから優しくして」
「知りません!」
「神なら当たり引かせろよ」
「因果操作でギャンブル勝たせたら、それこそ規約違反です!」
「マジで使えねえ神だなぁぁぁぁぁぁ!!」
結局、風呂が終わるより先に異世界へ戻された。野営地へ着くと、湯上がりのミャオが髪を拭きながら俺の顔を見て鼻をひくつかせる。
「陸。煙草の匂いに混じって、なんか負けた人の匂いするにゃ」
「そんな匂いあるわけねえだろが」
「顔に書いてあるにゃ」
「それ、猫の嗅覚関係なくなってんじゃねえか!」
リリアがにやにやしながら寄ってくる。
「ねえ陸。私とお風呂入ってれば一万円減らなかったよ?」
「……お前なんで知ってんだよ!!」
「ゼニスが教えてくれたもん。混浴はしかも無料だよ!」
「うるせえ。今日の俺に正論を言うな」
「じゃあ次は一緒に――」
「コンプラは守るっての!」
「なんでそこだけ頑固なのぉぉぉぉぉ!!」
【神界・追加ご請求】
・現代側私的帰還処理費 金貨20枚
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今回加算 金貨20枚
今回加算・日本円換算 100,000円相当
前回繰越残高 金貨35,734枚
前回繰越残高・日本円換算 178,670,000円相当
合計残高 金貨35,754枚
合計残高・日本円換算 178,770,000円相当
※パチンコ・パチスロ遊技損失は黒田陸個人負担。
※野外風呂整備費は王国救援予算内で処理。
「異世界から逃げて一万円負けて、さらに神界へ十万円?」
「はい」
「風呂入ってた方が十一万円安かったの?」
「結果だけ見れば、ですけどね」
「人生の選択肢って後から見ると残酷だな……」
「今さら哲学に逃げないでくれます?」




