第64話 納豆とたくあんまで要求すんな元日本人
翌朝、野営地には炊きたてのおいしそうな米の匂いが広がっていた。異世界へ来てから肉だのパンだの煮込みだのは散々食べたが、大量に炊けた白飯の湯気はやはり別枠である。俺自身、そこまで故郷を恋しがる性格ではないつもりだったのに、蓋を開けた瞬間だけは妙に腹の奥から落ち着いた。
「よし。飯はこれで回るな。汁は味噌だ。具は現地の根菜と豆腐っぽいものでもいいけど、最初から欲張るなよ。避難民へ配る分を確保してから、俺らが食う」
モグが即座に手を挙げる。
「わらわは避難民の心を持つ竜じゃぞ!はよう食わせい!」
「昨日も聞いたぞその詐欺。お前は空腹から避難してきただけだろ」
ルヴィアが扇子で口元を隠しながら鼻を鳴らした。
「白い穀物と茶色い汁。見た目はずいぶん質素ですわね。もっと香草や肉を――」
「今日は足すな。こういうのは足せば偉いってもんじゃない。お前は金持ってるからってすぐ料理を貴族仕様にするから。まずは黙って一杯食え」
「誰が料理を貴族仕様にしていますの!?」
その騒ぎの横で、アレクシスだけが完全に止まっていた。椀に入った味噌汁と、湯気の立つ白飯を交互に見ている。普段は王道勇者そのものの顔をしている青年が、この時ばかりは日本の食卓を前にした元日本人の顔になっていた。
「……黒田さん――」
「なんだ。泣くなら飯食ってからにしろ。塩分足りなくなるぞ?」
「納豆、ありませんか?」
「はあ?」
「あと、たくあん。海苔も欲しいです。できれば冷ややっこも。味噌汁があるなら、朝食としてそこまで揃ったらもう完璧じゃないですか! 卵も欲しいですけど、生食できるものか分からないのでそこは我慢します!」
俺はしばらく無言で勇者を見た。
「お前、異世界の国境野営地で何を純和風朝定食完成させようとしてんだよ」
「だって白飯と味噌汁まで来たんですよ!? ここまで来たら納豆と海苔を欲しがるのが日本人でしょう!」
「お前は日本じゃない!異世界転生したんだからもうここの国の住人だろ!!納豆嫌いな日本人から苦情来るぞ」
『勇者よ。先ほどから話している食材の半分が我には分からぬのだが、そこまで重要なのか』
ルクシオンが腰から尋ねる。アレクシスは妙に真剣な顔で頷いた。
「重要です。特に白飯へ納豆、海苔、味噌汁。この組み合わせは……その、説明しにくいんですけど、帰れないと分かってるからこそ、急に食べたくなる時があるんですよ」
声の最後だけ少し静かになった。
俺は頭を掻く。
(こいつは俺みたいに気軽に現代へ帰れない。俺にはコンビニへ行く程度でも、アレクシスには二度と入れない場所だ。そう考えると、まあ……面倒だけど仕方ないのか)
「分かったよ。買ってきてやる」
アレクシスの顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか!?」
「ただし金よこせ」
「感動を返してください!!」
「感動でコンビニは会計してくれねえんだよ。俺は今、日本側でも異世界側でも金欠だ。納豆、たくあん、海苔、豆腐、それから転送費。全部込みで先払いだ」
「黒田さん、こういう時くらい格好よく『俺に任せろ』って言えないんですか!?」
「言ったら俺が払う流れになるだろ。言わん」
『実に黒田らしいな』
「褒めんなよ照れる」
『褒めていない』
アレクシスから金貨を受け取り、ゼニスへ現代帰還を申請する。ゼニスは今日は食品衛生担当らしい白衣に三角巾という謎の格好で現れ、俺の手の中の金貨と買い物メモを見比べた。
「念のため言っておきますが、アレクシスさんの購入費を黒田さんの返済へ勝手に回して、食材代を踏み倒すのは禁止ですからね」
「オマエなあ、俺を何だと思ってんだ」
「やりそうな人です」
「信用ねえな。ちゃんと買うわ。余ったら手数料として――」
「返してください」
「最後まで言わせろやああ!」
現代へ戻ると、俺は近所のコンビニへ直行した。ジャージ姿で納豆、味付け海苔、たくあん、小分けの豆腐をかごへ入れる。会計前、ホットスナックのケースが目に入り、俺の足が止まった。
ファミチキ。
「……そういや、あいつこれ好きそうだったな」
俺は二個頼んだ。少し考えて、三個に増やす。
(勇者を動かす国家予算より、ファミチキの方が安い。これは悪用じゃない。資源の効率的運用だ)
異世界へ戻った時、アレクシスは炊き出し場の端で待っていた。納豆と海苔を見た時点でも十分嬉しそうだったが、俺がコンビニ袋の底から紙袋を一つ出した瞬間、その表情が変わる。
「……黒田さん」
「何も言ってないぞ」
「匂いでわかります!これは――ファミチキですよね」
「よく分かったなあ」
「その袋を見間違えるほど日本を忘れてません!!」
ルクシオンの声が低くなる。
『待て勇者。黒田の顔を見ろ。あれは善意だけで鶏肉を出す顔ではない』
「聖剣のくせに俺の表情分析うまくなってんな」
『貴様と付き合っていれば嫌でも鍛えられるわ!』
俺は紙袋をアレクシスの前で少し揺らした。
「食う?」
「食べます」
「じゃあ一個頼みが――」
「やっぱりぃぃぃぃぃ!! 分かってました! 分かってましたけど、聞く前に匂い嗅がせるのずるいでしょう!」
「まだ内容言ってねえだろ。悪いことじゃない。今日の夕方、俺の代わりにエドガーへ報告書届けて、ついでに避難区域の見回り一周してくれ。俺は炊事の片付けがある」
ティアナが横から即座に口を挟んだ。
「嘘。あんた片付け終わったら酒飲むってさっき言ってたじゃない」
「予定変更の可能性は常にある」
「ファミチキで勇者へ仕事押しつける方向に変更しただけでしょ!」
アレクシスは紙袋を見つめ、俺を見る。もう一度紙袋を見る。
「……二個なら、かなり前向きに検討します」
俺は感動して勇者の肩へ手を置いた。
「交渉を覚えたな。お前、立派になったぞ」
『勇者が鶏肉一個で買収されながら条件交渉だけ上達するなぁぁぁぁぁぁ!!』
「ルクシオン、違うんです。これは買収じゃなくて業務委託ですから」
『言葉だけ黒田に染まるるんじゃねえ!!』
「じゃ二個で成立な。報告書よろしく」
『おい黒田ァァァァァァァ!!』
その横では、リリアが納豆を不思議そうに覗き込んでいた。
「この豆、ゾンビみたいなんだけど、腐ってないの?」
「発酵、という現象だ」
「死体と腐敗には詳しいけど、この匂いはちょっと自信ないなぁ」
「お前基準で食品衛生判定するのやめろ」
モグは海苔を何枚も重ねて口へ入れ、ルヴィアはたくあんの歯応えを「うん、なかなか悪くありませんわ」と評価しながら三枚目へ手を伸ばしている。アレクシスは白飯、味噌汁、納豆、たくあん、海苔、冷ややっこを前にしばらく黙ってから、ゆっくり箸を動かした。
「……うまいです」
「そりゃよかった」
「日本へ帰りたいって意味じゃないんです。今の世界に家も仲間もあります。でも、こういう味は別ですね。忘れたくないというか。このなんとも健康に悪い感じの味がたまらないですよ」
「分かるよ。俺は帰れるから偉そうなこと言えんけどな」
そこで俺はファミチキを一つ口へ入れた。
「で、報告書は今日中な!」
「余韻を五秒くらい守ってくださいよ!」
『貴様は本当にそういうところだぞ黒田!!』
【神界・追加ご請求】
・現代側買出し帰還処理費 金貨20枚
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今回加算 金貨20枚
今回加算・日本円換算 100,000円相当
前回繰越残高 金貨35,714枚
前回繰越残高・日本円換算 178,570,000円相当
合計残高 金貨35,734枚
合計残高・日本円換算 178,670,000円相当
※納豆、たくあん、海苔、豆腐、ファミチキ等の購入費はアレクシス個人精算。
※食品転送関連費は今回アレクシス側預託金より処理。
※ファミチキを対価とする勇者への私的業務委託について神界は関与しません。
「最後の注意書きいる?」
「記録として必要でしょう」
「神界に『勇者をファミチキで買収』って永久保存されるんですか俺」
『されろ。そして反省しろ!』
「二個なら明日も見回り行きますよーっ!」
『おい勇者ァァァァァァァァァ!!』




