第5話 金はない。でも装備は要る。つまり借金だ
翌朝。
王都近郊の集落、その外れにある宿屋兼万屋「やどり木」の食堂で、俺は昨日買った装備一式を前にして朝飯を食っていた。
新品の革手袋。ロープ三本。砥石二個。防水布。革ポーチ三つ。小型ランタン。それから用途不明の金属製留め具。
そして財布の中身は――当然、金貨0枚。
「陸。確認するにゃ。今日は“買い物”に行くんじゃないにゃ。昨日買った物を、必要な物と今はいらない物に仕分けしてもらうだけにゃ」
「分かってる。俺だって金貨0枚で買い物できるほど錬金術師じゃねえよ。見るだけ。話を聞くだけ。専門家の意見を尊重する、極めて理性的な外出だ」
「昨日も“見るだけ”って言って店に入って、十二枚全部使ったにゃ」
「昨日の俺は昨日の俺だ。今日の俺まで同一人物扱いして責任を連帯させるのは乱暴だろ」
「同一人物だにゃ! 寝ただけで債務者が更新される制度はないにゃ!」
ミャオは帳簿を片手で抱え、もう片方の指で卓上の装備を一つずつ数えた。猫耳は朝からぴんと立っている。
「昨日の報酬十二枚は全部これになった。私への返済は0枚。登録料の立替も、宿代も食費もそのまま。さらに今日の生活費まで増える。ここまでは認識してるにゃ?」
「認識はしている。もちろん納得はしてない」
「どこに納得してないにゃ」
「モグの食費だよ。あいつ本人に請求しろ。竜だぞ。山ぐらい掘れば金銀財宝が出てくるだろ」
「わらわの財宝は食料じゃ!」
隣の卓からモグが胸を張った。銀髪の頭には小さな角が覗き、朝からすでに俺の二倍は食っている。
「ほらな。本人が資産持ってるって自白してる」
「食料を売って飯代にするのは嫌じゃ。食料が減るではないか」
「お前の理屈、俺よりひどくね?」
「陸にだけは言われたくないにゃ」
その時、食堂の隅に金色の光が広がった。
嫌な予感しかしない色である。
現れたゼニスは、濃紺の軍務ジャケットに白手袋、胸には金色の監査章。脇にはいつもの金縁バインダーを抱えていた。神界の兵站監査官、とでも言いたげな格好だ。
「おい女神。なんだそのカッコは」
「おはようございます、黒田さん。現金保有、金貨0枚。前日収入、全額装備化。本日は武具商へ向かわれるそうですね」
「買わねえよ。見るだけだ。専門家の査定を受けて、装備を整理する。むしろ節約だろ」
「購入能力がない人に購買意欲だけあるのが一番危険です」
「購買意欲まで資産査定すんな。あと朝から人を事故物件みたいに読むな」
「昨日の実績を読み上げただけです。私は忠告しましたからね」
「何だその言い方。保険会社が免責事項を確認する時みてえで怖いんだけど」
「では、良識ある査定をお楽しみください」
ゼニスは営業スマイルのまま消えた。
「......あいつ、絶対あとで何か請求する気だろ」
「その前に自分で何か増やさないようにするにゃ」
ミャオは深々と息を吐き、昨日の装備を大きな布袋へ詰め始めた。
「とにかく行くにゃ。知り合いのゲインさんは武具商として長いにゃ。陸が“必要”って言い張ってる物を、本当に必要か見てもらうにゃ。いらない物なら売る。少しでも現金に戻して、まず生活費を確保するにゃ」
「売るのは反対だ。せっかく買った物を翌日に売るとか損失確定じゃねえか。含み損のまま持っとけば心はまだ自由だろ」
「武具を株みたいに言うなにゃ。ロープは値上がり待ちしないにゃ」
「分からんぞ。ロープ不足の世界情勢が来るかもしれんだろ?」
「ぜぇぇぇぇったい来ないにゃ!」
ミャオに袋を背負わされ、俺は立ち上がった。
金はない。買う気もない。今日は本当に見るだけだ。
――たぶん。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
集落から王都南門へ続く街道を一時間ほど歩き、俺たちは城壁沿いの商業区へ入った。
ミャオが連れてきた武具店は、昨日俺が十二枚を溶かした店とは別の場所にあった。店先には剣や鎧だけでなく、背嚢、野営道具、補修材、革紐まで整然と並べられている。
「お、ミャオじゃねえか。朝から珍しいな。そっちの兄ちゃんが例の“金が入ると装備になる奴”か?」
「紹介前から悪評が届いてるじゃねえか。誰だ余計な通信網を構築したやつは」
「商人仲間は情報が早いんだよ。俺はゲイン。武具と旅道具ならだいたい扱う。で、今日は何を売りつければいい?」
「バカっ! 売りつけるなにゃ! 逆に仕分けしてほしいにゃ。昨日、この人が依頼報酬を全部使って買った物だにゃ」
「全部?」
「全部にゃ」
「十二枚?」
「十二枚にゃ」
ゲインは俺を見た。
俺も見返した。
「旦那、気前いいな!」
「話が分かるな、お前」
「分かり合うなにゃああああああっ!」
第一印象は悪くない。
ゲインは髭面の大男で、腕には古い火傷跡がある。陽気だが、卓へ並べた装備へ触れる手つきは丁寧だった。
「革手袋。悪くねえ。棘や擦り傷を考えるなら持っといていい。ロープ三本......品質は並。三本も持つかは用途次第だな。砥石二個は片方を宿へ置いとけ。防水布は使える。ポーチ三つも配置を決めるならあり。ランタンも普通だ」
「ほら見てみやがれ。全部必要じゃねえか」
「まだ終わってないにゃ」
「で、この金属の留め具は......なんで買った?」
「安かった」
「用途は?」
「将来の俺が発見する。はずだ」
「そこだけ完全にダメだな」
ゲインは即答し、留め具を卓の端へ寄せた。
「ただしな、旦那。買った物そのものより、持ち方が悪い。ロープ三本を別々に腰へ下げて、ポーチを空いてる場所へ足して、ランタンまで外にぶら下げたら歩くたびに引っ掛かる。予備を増やして移動不能になったら意味ねえぞ」
「......そこは分かるんだけどな」
「お、認めた」
「俺も悪いところは認める。だが俺だけのせいじゃない。昨日の店が“一緒にどうです?”って順番に出してきたのも悪い。商品配置も良すぎた。あと金貨が十二枚もあった。条件が揃いすぎてた」
「最後のはただの所持金だにゃ! いや、ただのじゃないにゃ。返済に回すはずの金まで入ってたにゃああ!」
ゲインが腹を抱えて笑う。
「いやあ、気に入った。こういう客は商売人として大事にしたい」
「大事にしなくていいにゃ! 今日は更生させに来たにゃぞ!」
「更生は無理だろ。この旦那、目がもう棚の奥の装備見てるぞ」
ばれた。
俺の視線の先には、革と木で組まれた背負子式のフレームがあった。背嚢の荷重を腰と肩へ分散するためのものらしい。
「......あれ、何」
「陸」
「聞いただけだ。質問は無料だろ」
「背嚢用の荷重分散フレームだ。重い物を持つなら楽になる。旦那みたいに予備を山ほど持ちたがる奴には――」
「でさ、いくら?」
「陸ぅぅぅぅぅぅ!」
俺は両手を上げた。
「待て待て。金貨0枚だぞ。買えない。俺もそこまで現実を無視してねえ」
「現金がないなら【装備分割契約】があるぞ」
ゲインは笑顔で一枚の紙を出した。
ミャオの顔が固まった。
「ゲインさん?」
「いや、普通の分割だぞ。冒険者は装備が商売道具だからな。審査はギルド登録と依頼実績。総額を何回かに分けて、次の報酬から払う方式だ」
「おい待て。その話、詳しく頼む」
「聞くなにゃ!」
ゲインは俺の前へ、荷重分散フレーム、体に沿う細身の予備水筒、刃物を固定する革製ホルダー、野営用の薄い寝布を並べた。
「今の装備を捨てる必要はない。持ち運びを整えればいい。フレームと固定具、それから背嚢の加工。旦那が欲しがるなら薄い防刃インナーも付ける。全部合わせて金貨48枚。四回払いで一回12枚」
「一回12枚」
「そうだ。今日の支払いは0。次にギルド報酬が入った時、最初の12枚を俺へ回す」
「今日0......」
甘美な響きだった。
ミャオが俺と契約書の間へ体を滑り込ませる。
「ダメにゃ。今日0だからって借金が0なわけじゃないにゃ。むしろ48枚増えるにゃ。陸、昨日の自分が何したか思い出すにゃ」
「覚えてる。十二枚を全部使った。反省もしてる。反省した結果、現金で一括購入するのは危険だと学んだ。分割なら一回の負担が減るんだ」
「お前、学び方が最悪だにゃ!」
「しかも今回は専門家の推奨だぞ。昨日みたいな衝動買いじゃない。な、ゲイン?」
「商人としては強く推奨する」
「商人側の意見を中立の専門家評価みたいに使うなにゃ!」
俺は契約書へ目を落とした。
一回12枚。四回。
今払う金は0。
「ねえねえ、ここに署名すればいい?」
「おいこらぁぁぁ! ちょっと待つにゃ!」
ミャオが契約書を奪い、上から下まで読み始めた。俺はこういう細かい文字を見ると眠くなる。ミャオの尻尾が途中で一度、ぴたりと止まった。
「ゲインさん。この“報酬受領時優先振分”って何にゃ」
「踏み倒し防止だ。ギルドで依頼報酬を受け取ったら、まず一回分の12枚を俺へ。残りは本人へ渡る」
「それなら私への生活費ツケも、支払い順だけ書面にできるかにゃ? 債務自体は別口のままでいいにゃ」
「できるぞ。俺の12枚を振り分けた後、ミャオへの未払分を最大18枚まで。残りが旦那の取り分。足りなきゃそれぞれ次へ繰り越しだ」
「おい待て。なんで自然に債権者同士で俺の報酬を解体してんだ」
「今ある私への未払分、登録料の立替まで入れれば十八枚じゃ足りないくらいにゃ」
「聞きたくなかった情報を具体化すんな!」
ゲインが契約書へ追記する。
「これで借金そのものは別々。支払いの順番だけ一枚にまとめた。金貨30枚の依頼なら、俺に12、ミャオに最大18。旦那の取り分は――」
「ゼロじゃねえか」
「なんだ、計算できるじゃないにゃ」
「できるから反対してんだよ!」
「じゃあローンは諦めるにゃ」
ミャオが契約書を引いた。
俺はフレームを見た。
背中へ掛かる重さが分散される。
ロープ三本もまとめられる。ランタンも固定できる。ポーチも整理できる。
「......いや待て。金貨30枚ぴったりの依頼を受けなきゃいい。31枚以上なら俺にも残る」
「そういう抜け道を探す速さだけ軍用犬みたいだにゃ!」
「金貨40枚なら10枚残る。50枚なら20枚。むしろ高額依頼を受ける動機になる。ミャオ、お前は俺に働いてほしいんだろ? これは労働意欲向上施策だぞ」
「装備を買うために危ない仕事を増やすの、本末転倒にゃ!」
「働かない俺が自発的に高額依頼を検討してる。奇跡だぞ。女神なら課金するレベルの奇跡だ」
最後の一言で、ミャオが額を押さえた。
ゲインは笑いながら羽根ペンを差し出す。
「で、どうするよ、旦那?」
俺は署名した。
「毎度あり!」
「おい陸ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
夕方。
俺は朝より軽く感じる背嚢を背負い、「やどり木」へ戻った。
中身は減っていない。むしろ増えた。だが荷重分散フレームのおかげで持ちやすい。技術は素晴らしい。借金で買ったという一点を除けば。
「陸。今日の目的、覚えてるかにゃ」
「装備の仕分け」
「結果は?」
「全部使えることが専門家の確認で判明した。さらに不足していた運搬能力を補強した」
「現金0枚のまま、借金48枚増えたにゃ」
「細かいこと言うな。装備が増えたのは事実だ」
「それを問題にしてるにゃ!」
モグが俺の背嚢を触りながら目を輝かせる。
「陸、その新しい布は寝床か?」
「そうだ。野営用の薄い寝布」
「おお! では今夜、試しに食堂で寝よう!」
「宿に帰ってきて野営すんな。普通に部屋で寝てろ」
ミャオが帳簿へ何かを書き足す音がした。
「陸。今月、ちゃんと働くにゃ」
「分かってる。借金返すために働く」
「偉いにゃ。やっと分かったにゃ」
「働いた報酬で装備ローン返して、空いた枠で次の装備を――」
「やっぱりこいつ、何も分かってないにゃああああああっ!」
俺は耳を塞いだ。
金はない。借金は増えた。装備は増えた。
昨日より状況が悪化している気もするが、背中は昨日より楽だった。
なら今日は勝ちでいい。寝よう。
【今月のご請求】
・異世界滞在契約維持費 金貨120枚
・装備登録点数更新事務費 金貨180枚
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今回加算 金貨300枚
日本円換算 1,500,000円相当
前回繰越残高 金貨22,000枚
合計残高 金貨22,300枚
日本円換算 111,500,000円相当
【ゲイン装備ローン・別口】
・【装備分割契約】新規契約 金貨48枚
・本日支払 金貨0枚
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残債 金貨48枚
【ミャオ帳簿・別口】
・宿代未払い 金貨1枚
・黒田食費 金貨1枚
・モグ食費追加分 金貨5枚
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本日追加 金貨7枚
※神界債務・ゲイン装備ローン・ミャオ管理債務はすべて別口。




