第4話 薬草を摘んだ。金が入った。金が消えた。以上
翌朝、王都南門を出てから一時間弱。
俺とモグは街道脇の林縁で、地面を眺めながら薬草を摘んでいた。ミャオは宿の仕事があるので同行していない。つまり監視役が一人減った。
「陸。草ばかりでつまらん。敵はおらぬのか」
「簡単な依頼なんだから、いない方がいいんだよ。敵が出たら戦う、戦ったら疲れる、疲れたら飯を食う、飯を食ったら金が減る。敵というのは経済的に害悪の極みだぞ」
「では草は経済的に美味いのか?」
「おい食うなよ。腹壊すかもしれんぞ」
「まだ何も言っておらん」
「お前の場合、顔に『食えるか試したい』って書いてあるんだって」
モグは摘んだ葉を一枚だけ口へ入れ、二回噛んでから盛大に顔をしかめた。
「う、ぺっぺっ。まずい」
「やっぱ食ったじゃねえかあああっ!」
依頼そのものは驚くほど順調だった。
昨日ガロンから聞いた通り、目的の薬草は浅い沢の近く、直射日光が当たりにくい斜面にまとまって生えている。人の踏み跡が多い場所は先に採られているので、街道から少し外し、水が溜まりすぎない高さを選ぶ。
モグは細かい作業が苦手だったが、鼻だけは妙に利いた。
「こっちじゃ。さっきの草と同じ匂いがする」
「お前、飯以外にも鼻使えるんだな」
「失礼な。わらわは古竜ぞ。肉の匂いなら山ひとつ向こうでも分かる」
「結局飯の話じゃねえか」
二袋ぶん集め終わった頃、太陽はまだ頭上へ来る前だった。
俺は袋の口を縛り、重量を左右で分けて持つ。モグに片方を渡そうとも思ったが、途中で中身を味見される可能性を考えて自分で持った。
「よし、帰るぞ」
「もう終わりか? もっと取ればもっと金が増えるのではないか?」
「依頼は二袋。三袋目からは善意の労働になる。俺は善意を安売りしない」
「陸は働くことにだけ妙な哲学があるな」
「働かず生きるには理論武装が必要なんだよ」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
昼過ぎには冒険者ギルドへ戻れた。
受付へ二袋を置くと、亜麻色の髪をまとめたリゼットが中身を確認し、少し驚いたように緑の瞳を上げた。
「もう戻られたんですか。量も問題ありませんし、葉の傷みも少ないですね」
「効率よく生えてる場所だけ回った。余計に歩くと疲れるから」
「そこまで徹底して楽をする方、初めて見ました」
笑顔と敬語は昨日のままだが、俺を見る目だけは早くも少し慣れてきている気がする。
奥にいたガロンもこちらへ来て、袋の中身を一度覗いた。
「初仕事にしては上出来だ。雑に根まで抜いてくる新人も多いが、必要な葉だけ取ってある。採集場所を荒らしてないのもいい」
「来月も生えててもらわないと、また楽な依頼ができないだろ」
「理由が徹底して自分本位だな」
「結果が良ければいいじゃん」
ガロンは鼻で笑い、リゼットへ顎をしゃくった。
革袋に入った金貨12枚が、俺の前へ置かれる。
ちゃりん。
その音を聞いた瞬間、俺の中で何かが変わった。
労働は嫌いだ。しかし労働の結果として手元に現れる金は好きだ。ここは断固として分けて考えたい。
「......十二枚」
「黒田さん。昨日の返済のお約束はお忘れではありませんよね?」
「いや、まだ何も言ってないんだけど」
「昨日のお話を拝見した限り、受領時に確認した方がよいかと思いまして」
「受付二日目でもう俺への対応だけ成長してない?」
「気のせいです」
横からガロンが口を挟む。
「ミャオへの宿代と食費、それに登録料の立替もあるんだろ」
「ガロンさん、人の生活債務にまで首突っ込むの?」
「俺の目の前で話してただろう。忘れたふりが早すぎる」
「大丈夫。ちゃんと返す。俺は金には誠実な男だぜ?」
「その台詞だけで不安になるのはなぜだろうな」
俺は革袋を懐へしまった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
ギルドを出て、宿へ戻る。
本来ならそうなるはずだった。
ところが王都の商店街を通り抜ける途中、俺の足は一軒の武具店の前で止まった。
店先に、厚手の革手袋、携帯用の砥石、丈夫そうなロープ、防水布、小型の革ポーチが並んでいる。
俺は立ち止まっただけだ。
見るだけなら無料だ。
「陸、まっすぐ帰らぬのか?」
「帰るよ。ちょっと見るだけだ」
「ミャオが変な物を買うなと言っておったぞ」
「これは変な物じゃない。実用品だ」
「買うのか?」
「だから見るだけだって」
店内へ入った。
五分後。
俺は革手袋を試着していた。
「この縫い目、悪くないな。掌の補強も入ってる。採集なら素手でもいいけど、棘のある植物とか出た時に困るんだよな」
十分後。
ロープを引っ張って強度を確かめていた。
「十メートル一本より五メートル二本の方が用途を分けられる。いや待て、一本切れた時の予備を考えたら三本か......」
二十分後。
俺は店主から小型ポーチを三つ受け取っていた。
「腰回りに分散させた方が取り出しやすい。傷薬、食料、火口道具。用途別に分ける。ひとつにまとめると必要な時に底を漁ることになるからな」
モグが横で首を傾げた。
「陸。さっきから、買う理由を自分で作りながら買っておらぬか?」
「違う。必要性を確認してるだけだ」
「金貨はあと何枚じゃ?」
俺は革袋を振った。
音がしなかった。
「......ゼロだな」
静寂。
「全部使ったのか?」
「結果的には」
「ミャオへ返す金は?」
「装備になった」
「飯は?」
「ミャオがいる」
「なるほど!」
「納得すんな」
店主は満面の笑みで俺たちを見送ってくれた。
商売人というのは、客の破滅に対して驚くほど寛容だ。くそったれが。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
夕方、「やどり木」の食堂。
俺の前には、新品の革手袋、ロープ三本、砥石二個、防水布、革ポーチ三つ、小型ランタン、それから用途のよく分からない金属製の留め具が並んでいた。
向かいにはミャオ。その手には帳簿。
モグは少し離れた席で夕飯を食べている。普段ならこちらの話へ首を突っ込むのに、今日は妙に静かだった。野生動物は危険を察知する能力が高い。
「陸」
「はい」
「今日の依頼報酬、金貨12枚だったにゃ?」
「そう聞いているなあ」
「なんで他人事みたいに言うにゃ。自分で受け取ったにゃ?」
「受領した事実は認める」
「じゃあ、ここにある物はいくらだったにゃ?」
「合計で12枚くらいかな。あれ、どうだったかな」
「くらいじゃないにゃ。領収書を見たにゃ。きっちり12枚だにゃ」
ミャオは一度、ゆっくり目を閉じた。
まだ怒鳴らない。ここが一番怖い。
「昨日、私は何て言ったにゃ?」
「いろいろ言ってたな。健康に気をつけろとか、早寝早起きしろとか」
「言ってないにゃ。『報酬を受け取ったら、まず宿代と食費の返済について話す』『登録料の立替も忘れない』『変な物を買わない』。ここまで確認したにゃ」
「変な物は買ってないから」
「そこだけ拾うなにゃ!」
俺は机の上の装備を順番に指した。
「まず手袋。今日みたいな採集で棘があったら手を傷める。手を傷めたら仕事効率が落ちる。ロープは何にでも使える。二本だと一本切れた時に不安だから三本。砥石は刃物の整備。ポーチは物品の分類。防水布は雨対策。ランタンは夜間行動。全部、生存率と作業効率を上げる装備だぞ」
「今日の依頼、昼過ぎに終わってるにゃ。雨も降ってない、夜にもなってない、棘もなかった。今すぐ必要だった物が一個もないにゃ」
「必要になってから買いに行って間に合う保証がないだろ。装備ってのは必要になる前に持つもんなんだよ」
「じゃあなんでロープ三本にゃ!」
「予備」
「砥石二個!」
「予備」
「ポーチ三つ!」
「分類別だ」
「その金属の留め具は!?」
「......安かったからな」
ミャオの猫耳が、ぴくりと動いた。
「今、初めて必要性すら説明できなかったにゃ?」
「将来必要になる可能性はあるだろ」
「何に使うか分からない物を、将来必要になる可能性だけで買うなにゃ!」
俺もここは引けない。
財布は空だが、理屈ならまだ残っている。
「いや、聞けミャオ。使わなかった装備を無駄って言うのは結果論だ。必要な時に持ってなかったら、その時点で終わることもある。ロープ一本で足りると思って一本だけ持っていって、途中で切れたらどうする。砥石が割れたら。灯りが消えたら。雨が降ったら。『今日は起きませんでした』で済んだ危険は、備えてた側から見れば成功なんだよ」
言葉が少しだけ速くなった。
自分でも気づいて、俺は鼻を掻くふりをして視線を外した。
ミャオは一瞬だけ黙ったが、すぐ帳簿を開き直した。
「......分かったにゃ。備えが大事なのは分かった。私だって宿をやってるから、保存食も薪も予備を持つにゃ。けど陸は順番がおかしいにゃ。今日返すはずだった金まで使い切って、明日使うか分からない予備を買ったら、今夜の問題が増えるだけにゃ」
「そこはツケで頼むわ」
「陸てめぇ、そこだにゃあああああああああああああっ!!!」
とうとう爆発した。
ミャオは帳簿を机へ叩きつけ、開いたページを俺の鼻先へ突き出した。
「宿代! 食費! 登録料の立替! 傷薬! 保存食! 防具補修! モグの朝飯! モグの昼飯! モグの夕飯! なんで一日三食なのに一食ごとの量が普通の客五人分あるにゃ! しかも陸は今日やっと12枚稼いできたと思ったら、一枚も返さず全部装備! 私の帳簿、陸の名前だけ毎日育ってるにゃ! こっちは二号店のために少しずつ貯めてるのに、あんたのツケだけ先に支店出せそうな勢いにゃあああああっ!」
「待て、モグの飯まで全部俺につけるのはおかしい」
「誰が連れてきたにゃ!」
「クソ女神のゼニス」
「元を辿るなにゃ!」
「森からここへ運んだのは実際あいつだぞ」
「責任の話をしてるにゃ!」
モグが恐る恐る手を挙げた。
「のう、わらわからも提案がある」
「何にゃ......?」
「明日、陸がもっと稼げばよい。今日12枚なら、明日は24枚。その次は48枚。いっぱい働けば、いっぱい食えるだろう?」
俺は椅子から立ち上がった。
「お、お前、俺を何だと思ってんだ!」
「飯を出す保護者」
「その認識を更新しろ!」
ミャオが帳簿をめくる。
「もういいにゃ。更新するのはこっちの残高にゃ。今日の宿代と食費、それからモグの分、全部ツケに追加するにゃ」
「ちょっと待て。今日働いたんだぞ? 普通、働いた日は借金が減るもんだろ」
「報酬を全部使った人が何言ってるにゃ」
「じゃあ俺は、何のために働いたんだよ!」
「それを今、私が聞いてるにゃあああああああっ!」
俺は頭を抱えた。ミャオも頭を抱えた。
「うわあああああああああああああああああっ! 働いたのに金がねえ! 昨日より装備だけ増えて借金も増えてる! おかしいだろこの世界!」
「世界のせいにするなにゃああああああっ!」
モグだけが、肉を頬張りながら満足そうに頷いた。
「うむ。陸が働くと飯が増える。良い世界じゃな」
「お前だけ一人勝ってんじゃねえか!」
その時、食堂の窓の外に吊られた武具屋の看板が、夕日に照らされて揺れた。
俺は無意識に目で追った。
ミャオは、それを見逃さなかった。
「陸」
「何だよ」
「明日、私の知り合いの武具商に一度ちゃんと見てもらうにゃ。必要な装備と、今いらない装備を仕分けしてもらうにゃ」
「専門家か」
「そうにゃ。少なくとも陸より金の使い方はまともにゃ」
専門家。
武具商。
必要な装備。
俺の頭の中で、その三語だけが妙に明るく光った。
「......見るだけなら行ってもいい」
「やれやれ。その台詞、今日も聞いたにゃ」
財布の中身は、きれいに金貨ゼロ。
それでも俺は、その時点では本当に「見るだけ」のつもりだった。
【今月のご請求】
・神界債務最低管理手数料 金貨60枚
・契約維持事務費 金貨40枚
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今回加算 金貨100枚
日本円換算 500,000円相当
前回繰越残高 金貨21,900枚
合計残高 金貨22,000枚
日本円換算 110,000,000円相当
【ミャオ帳簿・別口】
・宿代未払い 金貨1枚
・黒田食費 金貨1枚
・モグ食費追加分 金貨5枚
─────────────────
本日追加 金貨7枚
※冒険者登録料立替分その他の既存生活債務は別途継続。
※神界債務とは別口。踏み倒し不可。
【登場キャラクター紹介】
今回から、黒田の異世界生活を支える面々が一気に増えました。
【★初登場 ミャオ】
黒田が異世界で世話になっている宿「やどり木」の店主。
猫耳と尻尾を持つ世話焼きな女性で、宿代、食費、立替金を帳簿できっちり管理しています。
なんだかんだ黒田を放っておけない一方、ツケについては容赦なし。
ゼニスとは別口の債権者です。
【★初登場 リゼット・ベルナー】
冒険者ギルドの受付嬢。
亜麻色の髪と緑色の瞳を持つ、真面目で仕事のできる女性です。
基本的には笑顔と敬語を崩しませんが、黒田を担当したことで早くも専用対応能力が鍛えられつつあります。
【★初登場 ガロン】
冒険者ギルドを預かるギルドマスター。
元冒険者らしい鋭い観察眼を持つ大男で、黒田の怠け癖には呆れながらも、時折見せる妙な判断力には気づき始めています。
【◆主要登場 モグ】
黒田にくっついて宿へ転がり込んだ古竜。
宿の食料在庫を一晩で壊滅させ、早くもミャオの帳簿へ甚大な被害を与えました。




