第46話 王都が見えた。面倒事まで見えてきた気がする
翌日の午後、小高い丘を越えた先に巨大な城壁が見えた。王都グランセルだ。遠目でも分かるほど大きく、幾重もの城壁の内側には塔や建物が密集し、そのさらに奥、高台の上には王城らしい白い建物が見えている。ここまで本当に長かった。
俺としては、王都から呼び出しが来た時点で報告書を送りつけて寝る予定だったのに、どうして二百人近い避難民を引き連れて歩いているのか。人生とはかくも理不尽である。
「でっかぁぁぁぁい! 陸、見ろ! 壁じゃ! すごい壁じゃぞ! あの中には飯屋が何軒あるのじゃ!?」
隣でモグが両手を上げて歓声を上げた。
「王都を見た第一声が飯屋の件数なの、お前くらいだと思うぞ」
「王都なのであろう? 人がたくさん住んでおる。ならば飯屋もたくさんある。わらわは今、とても論理的な話をしておるぞ」
「腹の虫を論理って言葉で包むな。あとさっき干し肉食ってただろが」
「歩いたから減ったのじゃ! 腹の中の干し肉が!」
「消化を戦果報告みたいに言うな!」
リリアが黒いゴシックローブを揺らしながら後ろから走ってくる。
「陸ー! 人数、百九十一人になったよ! 途中の村で親戚がいる人が抜けて、そのあと別の人が合流して、今はこれで確定!」
「お前、本当に全員追跡してんのか。俺よりこの集団に詳しくなってるだろ」
「だって暇なんだもん! 寝なくていいし疲れないし、数えるの楽しくなってきた!」
「三百年以上生きてるアーク・リッチが、遠足の点呼係に生き甲斐見つけるな」
「死んでるから、生き甲斐じゃなくて死に甲斐かなあ?」
「その一言だけで会話を面倒にするな!」
「でも陸、わたし、食費ほぼゼロ、睡眠不要、点呼もできる。かなり維持費の安い女だよ?」
「自分から家計簿の欄みたいな売り込み方する女、初めて見たわ」
「お嫁さん候補として強いでしょ?」
「死んでるってとこだけで全部台無しだわ!」
「死んでちゃいけないのぉぉぉぉぉっ!?」
ティアナが後ろから呆れた顔を向ける。
「何で王都が見えた途端、婚活と家計簿の話になってるのよ。あんたたち、緊張感って言葉知ってる?」
「知ってる。できれば関わりたくない」
「アンタ、言葉との付き合い方まで怠惰なの!?」
モグが俺の袖を引いた。
「ところで陸。昨日、ルヴィアだけ特別鍋を食った。わらわはまだ納得しておらぬぞ」
「まだ根に持ってんのかよ、デブ根性やべえぞ」
「当然じゃ! あやつだけ肉が増え、香草まで追加され、『庶民料理にしては悪くありませんわね』などと言いながら五杯も食ったのじゃぞ! 古竜として許せぬ!」
「古竜の誇りじゃなくて食欲の恨みだろ、それ」
「わらわも払う!」
モグが得意げに掌を開くと、昨日と同じ小石と木の実などのゴミに加え、今日は銅貨が三枚載っていた。俺とモグはしばらく無言でそれを見つめ合った。
「……おお?金がある」
「うむ!」
「モグ、頑張ったな」
「うむ! では特別鍋じゃな!」
「ぜーんぜん足りねえ」
「なぜじゃああああああっ! 褒めた流れで特別鍋になるところじゃろうが!」
「昨日の客は百金貨払ったんだよ。お前の全財産、木の実込みでも届かねえ」
「百!? あやつ、飯一回に百金貨も払ったのか!?」
「炊き出し支援込みな。だから俺の中では『財布』から『上客』に昇格した」
「くっそおおおおっ、わらわも古竜なのに! 何で古竜同士でそんな経済格差があるのじゃ!」
「古竜格差じゃなくて資産格差だ。現実を受け入れろ」
「嫌じゃ! わらわも金持ちになる! そして肉を増やす!」
「目標が小さいんだかデカいんだか分からねえよ!」
ティアナが額を押さえた。
「アンタたち、もう王都が目の前なんだから、少しくらい静かに歩けないの?」
「無理だろ。この面子見ろや」
「それをまとめてるの、あんたでしょうが」
「俺はまとめてない。勝手についてきてるだけだ」
「その台詞、避難民百九十一人にも言ってみなさいよ」
「……言うと責任が増えそうだからやめとく」
「もう十分増えてるわよ!」
その時、街道脇にいた集団が目に入った。王都を目前にしているのに城門へ向かわず、道端で休んでいる。衣服は泥だらけで荷物も少なく、何人かは荷車の上へ寝かされていた。ティアナが足を止めた。
「あの人たち、東側から来てない?」
「たぶんな」
さっきまで騒いでいた俺たちの空気が、少し変わった。俺はモグの手から小石を返し、街道脇へ向かう。
「ちょっと、話聞いてくるわ」
ティアナが目を丸くした。
「珍しく動きが早いわね」
「王都で話がこじれる前に材料集めといた方が早く帰れる」
「全部『早く帰る』に繋がるのね、あんた」
「ふ、俺は労働時間短縮の努力を怠らない男なんだよ」
避難民の一人は、東側の街道沿いで商売をしていた男だった。喉が渇いていたので水を渡す。さらに昨日の炊き出し用に残していた乾燥果実を一つ渡すと、男は少しずつ話し始めた。
「魔物が来たんじゃない。魔物も逃げてたんだ」
「どっちからだ?」
「東だ。森の向こうから西へ向かって、一斉にだ」
「何から逃げてた?」
「分からない。ただ、夜に東の空が何度か光った。雷とも違う。少し遅れて、腹に響くような音がした」
俺は眉を寄せる。
「一回か?」
「いや。何度かだ」
「軍は見た?」
「国境の向こうはヴァルディスだ。向こうでも軍が動いたとか、魔導兵器の事故があったとか、色んな噂がある。でも俺は見てない。分かるのは、魔物が人間なんか見もしないで逃げてきたことだけだ」
「普段、人を襲う奴も?」
「ああ。荷車のすぐ横を大型魔獣が走り抜けた。俺たちを食う余裕すらなかったんだろう」
俺は東へ目を向けた。山と森が連なり、そのさらに向こうにヴァルディス魔導帝国がある。ティアナが腕を組んだ。
「やっぱり変よね」
「変だな」
「何か心当たりある?」
「ない。だから怖い」
ティアナが少し意外そうな顔をする。
「分からないって素直に言うのね」
「分からんものを分かったふりしておく奴が一番怖えんだよ」
横で記録していたゼニスの手が一瞬だけ止まった。今日は濃茶色の旅装に革の鞄、細縁眼鏡。俺は眼鏡を見る。
「で、今日は学者さんかい?」
ゼニスが顔を上げた。
「情報収集及び関係者聞き取りを行うため、記録官として信頼感を得やすい服装へ調整しています。視線誘導を抑え、筆記時の実務性も考慮した結果です」
「つまりコスプレだよな?」
「違います」
「昨日は添乗員、今日は記録官。絶対ちょっと楽しんでるだろ」
「業務上必要です」
「楽しんでる?」
「仕事です」
「楽しんでる?」
ゼニスのこめかみがぴくりと動く。
「仕事です!」
リリアが横から眼鏡を覗き込む。
「私も欲しい! それ掛けたら三百年生きてる大魔導師っぽく見える?」
「あなたは視力補助が必要ないでしょう。それに今の言動で三百年の威厳はほぼ消滅しています」
「ひどい! 死んでるのに威厳まで殺された!」
「二回も死ぬな」
「陸は私にだけ雑じゃない?」
「維持費安いから気楽なんだよねお前」
「それ褒めてるの!? もっと女として褒めてよ!」
「家計的には最高な女」
「お願い、家計簿から離れてぇぇぇぇっ!」
ゼニスは咳払いし、帳面へ視線を戻した。
「話を続けますよ、少なくとも複数の避難民証言で、『東方から西への魔物逃走』『発光』『複数回の轟音』が一致しています。現段階では原因を断定できませんが、王都へ提出する情報としては十分価値があります。確認事実と推測は分けて記録します」
「完璧。じゃあその帳面だけ王様に渡して、俺は書面審査でお願いします」
「駄目です」
「今お前、自分で完璧な資料作っただろ!」
「資料が完璧でも、当事者確認は別です」
「本人確認文化なんか滅びてしまえ」
「文明人を名乗った直後に行政手続きを滅ぼそうとしないでください!」
「俺が好きなのは便利な文明であって手続きじゃねえ!」
「都合よすぎるんだよぉぉぉぉぉぉっ!!」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
その頃、遥か東にあるヴァルディス魔導帝国の帝都では、別の話が進んでいた。魔導宰相ベルトラム・ハーケンの前には一冊の契約書が置かれ、その向かいには、いつもの穏やかな微笑を崩さない金融神リボルヴが座っていた。
「復興費を先払い。魔石購入については専用信用枠を設定。軍需拡大分についても、初年度の利息は不要です」
ベルトラムは書類から目を上げた。
「慈善事業にしては条件が良すぎる」
「もちろん慈善ではありません。私は金融を扱う者ですから。ただ、苦しい時に金を出す。それが最も価値のある融資でしょう?」
「担保は国境鉱山の採掘権か」
「一部です。帝国が立て直されれば、大した負担にはなりません」
ベルトラムは黙った。不作に加え、魔石価格の上昇、魔物被害、復旧費、国境軍の維持費が重くのしかかっている。数字は感情では消えず、必要な金額を揃えられなければ帝国軍は動かず、復旧も止まり、地方領主の不満まで膨らむ。
そうした現実を前にすると、目の前の契約条件は驚くほど魅力的だった。リボルヴはその沈黙を急かさず、穏やかな微笑を保っていた。
「急ぐ必要はありません。戦争をしてください、とお願いしているわけでもない」
その言葉だけは本当だった。彼は一度も戦えとは言わず、ただ帝国が戦えるだけの金を、静かに机の上へ置いていった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
そんなことを俺が知るはずもなく、王都目前で取った休憩の最中、俺はまた現代へ帰っていた。四畳半へ戻るなり、真っ先に灰皿を引き寄せて中を漁る。
「ない……ない。昨日まだ一本あっただろ」
吸い殻をひっくり返し、比較的長いものを探す。
「黒田さん」
「今忙しい」
「何をしてるんです?」
「発掘調査だ」
「それ、灰皿ですよね」
「文明の痕跡を調べてる。現代考古学だ」
「煙草の吸い殻です! しかも昨日のあなた自身の生活痕跡です!」
「まだ吸える物を捨てる方が環境に悪いだろ。物価高の時代だぞ。節約と環境保護を同時達成してる俺を褒めろ」
ゼニスが眼鏡を外した。営業スマイルは残っているが、目は笑っていない。
「昨日は二百人以上の炊き出しを仕切り、今日は東方避難民から重要証言を集めた。その合間にわざわざ世界を跨いで帰宅し、あなたが真っ先にすることが灰皿をひっくり返して吸い殻探しなんですか?」
「オンとオフの切り替えができる男なんだよ、俺は」
「オフ側が酷すぎると言っているんです!」
「仕事中ずっと立派な人間でいたら疲れるだろ」
「あなた、仕事中も大して立派ではありません!」
「失礼だな。今日は百九十一人も無事に歩かせたぞ」
「それを誇るなら、まず『俺はただの通行整理係』という主張を撤回してください!」
「別件だ」
「その便利な言葉を燃やしたい!」
ようやくタバコを一本見つけた。俺は勝ち誇ってうやうやしく掲げる。
「見ろ。文明は滅びていなかった」
「それ、昨日あなたが途中まで吸って落としたやつです」
「俺のなら衛生的だな」
「何を基準に安心してるんですか!? 落とした時点で床と接触してるでしょう!」
「俺の床だぞ」
「むしろ悪化したぁぁぁぁぁぁっ!!」
見つけた吸い殻へ火を点けて一口だけ吸う。味は最悪だったが、煙が肺へ入ると、頭の中に溜まっていたものが少しだけ並び直された。
「ゼニス」
「はい」
「東で何かあるぞ」
ゼニスの表情が変わる。
「……そう思いますか」
「魔物が人も食わず、縄張りも無視して同じ方向に逃げるって普通じゃねえ。弱い奴だけならまだしも、大型まで混じってる。しかも向こうから光と音。原因は分からんが、何かを怖がってる」
「王都へは、そのまま報告します」
「分からん部分は分からんで出せよ」
「もちろんです」
「よし。伝えたら俺帰っていい?」
「駄目です」
「そこは承知しろよ!」
「王都目前まで来て、なぜ今さら帰れると思うんですか!」
「家には帰れたぞ」
「そういう意味じゃ、なぁぁぁぁぁいっ!!」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
再び異世界へ戻ると、丘の向こうではグランセルが夕日に染まり、王城の尖塔までくっきり見えていた。俺は口の奥に残った煙草の味を吐き出すように息をつきながら呟いた。
「王都まで来たんだから、もう帰らせろよ……ここから先は王様と宰相が考えればいいだろ。俺は現場で見たこと喋った。十分働いた」
ティアナが聞きつけて鼻で笑う。
「まだ門をくぐってすらないでしょうが。『王都まで来た』じゃなくて『王都が見えるところまで来た』なの。勝手に任務完了地点を手前へずらさないで」
「厳密だな魔法女」
「都合の悪い時だけ雑になるあんたが悪いのよ」
リリアが元気よく手を上げた。
「私は王都初めて! 大きい街なら墓地も大きいかなあ!」
「観光ポイントが死人側なんだよ!」
「だって故郷感あるじゃん!」
「王都入って最初に墓地探すな。警戒されるだろ」
モグも両手を上げた。
「飯! 串焼き! 菓子! 肉! パン! 」
「お前はまだ門の外なのにメニューを幻視するな!」
ゼニスが小さく笑った。
「黒田さんが一番旅行客みたいな頻度で自宅へ帰っていますけどね。皆さんは少なくとも同一世界内で移動しています」
「俺だけ宿泊先が別世界なんだよ。長距離出張だから仕方ない」
「言い方で正当化するな!」
「じゃあ異世界通勤」
「もっと悪いです!」
「交通費出る?」
ゼニスの笑顔が止まった。
「……出ません」
「じゃあ労基案件だな」
「異世界労基を捏造するなぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
【神界・追加ご請求】
・現代側短時間帰還処理費 金貨20枚
・東部事案情報照合費 金貨15枚
・王都入城前契約確認費 金貨10枚
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今回加算 金貨45枚
今回加算・日本円換算 225,000円相当
前回繰越残高 金貨28,180枚
前回繰越残高・日本円換算 140,900,000円相当
合計残高 金貨28,225枚
合計残高・日本円換算 141,125,000円相当
※ミャオ管理債務は別口。
※ルヴィア食事代残金は現地手持ち資金として管理。




