第35話 魔物が大挙して来た。なのに一匹もこっちを見ていない
日本でひなたと秋葉さんに会った翌朝。
俺としては、昨日の話を布団の底へ埋めて、そのまま昼まで寝ている予定だった。
昔のことを話したからって、急に真人間へ戻れるわけじゃない。胸の奥に引っ掛かっていたものが少しだけ動いた。それだけだ。なのに朝っぱらから枕元へ現れやがったクソ女神ゼニスは、俺の予定表なんぞ最初から存在しないみたいな顔で指を鳴らした。
「黒田さん、異世界側で緊急連絡です! 昨日まで現代側に長居した分は十分休まれたでしょうから、起きてください」
「あーうっせ。人が珍しく過去と向き合った翌朝くらい休ませろよ。精神的労災って言葉を神界の辞書に追加してこい!」
「昨日の面談を労働扱いして休暇申請しないでください。しかも緊急ですから、今回は却下です」
光に飲まれ、次に足が床へ着いた時には異世界側の宿「やどり木」だった。
最初の違和感は、妙に静かなことだった。
朝なら聞こえる荷車の音も、宿の前を行き交う冒険者の声も少ない。代わりに遠くで鐘が何度も鳴り、ミャオが入口で旅人から何かを聞き取っていた。
「北の街道で魔物を見たって話が増えてるにゃ。最初は十匹、二十匹だったのに、さっき来た商人は百を超えてたって」
「盛ってんじゃねえの。逃げ帰った奴の目撃数なんて、だいたい三割増しくらいで聞いとけ」
「それならいいんだけど、別の村から来た人も同じことを言ってるにゃ。それに、種類が変なんだって。ゴブリンと獣型が同じ方向へ走ってるらしいにゃ」
そこへ冒険者ギルドの使いが駆け込み、今度は北西の村から避難民が出たと告げた。
一報なら誤報で済む。二報なら偶然もある。三つ、四つと別々の場所から同じ話が来れば、さすがに寝直す理由には使えない。
「黒田さん、顔が完全に『聞かなかったことにしたい』になっていますけど、行きますよ」
「分かってるよ。分かってるから、せめて朝飯くらい持たせろ。緊急だからって空腹まで無料で我慢する義理はねえ」
それから半日も経たないうちに、俺たちは王都北西、やどり木から馬車で半日ほどの街道沿いへ出ていた。
冒険者ギルドの臨時詰所が急造され、避難民を乗せた荷車が南へ流れていく。俺はミャオに包んでもらった朝飯の残りの固いパンを咥えたまま、詰所前で空を見上げた。
鳥が飛んでいない。
その代わり、地面がずっと鳴っている。
ドドドドドドドド......。
遠雷みたいな音が、森の奥から途切れず続いていた。
「黒田さん! 北側の第三村から追加報告です!」
リゼットが机いっぱいの紙を抱えて走ってくる。いつもの営業スマイルは残っているが、額には汗が浮いていた。
「ゴブリン群およそ百、獣型魔物多数、さらに小型亜竜まで南下しています。東街道でも同様の報告が――」
「百とか数えなくていい。どうせ後ろから増える」
「増える前提で言わないでください!」
前方ではガロンが怒鳴っていた。
「避難民を南へ回せ! 冒険者は勝手に追うな、村へ入る群れだけ止めろ! バルガス、お前は西門を頼む!」
「分かった。追い返すだけでいいんだな?」
「ああ。無理に討つな!」
鉄壁バルガス・レインは大盾を担いで、西側へ走っていく。派手さはないが、あのおっさんが立った場所は不思議と人の流れが落ち着く。
反対側では銀の槍が閃いた。
「ジークフリード、深追いするな! 切り込んだら必ず戻れ!」
「分かっています、カイゼルさん!」
Aランク、白銀槍カイゼル・アルベルトが、若手をまとめながら街道へ出る。
さらにその前。
ズガァンッ!!
地面が丸ごと跳ねた。
飛び込んできた大型獣が、何かに正面から殴られて地面へ沈む。
「次ィィィィィィッ!」
Sランク、破城グレン・ヴァルハルト。
人間サイズのくせに、やってることが攻城兵器だ。
「おっさん、壁壊す仕事の方が向いてね?」
「誰がおっさんだ。お前よりは働いてるぞ、無職が」
「急所刺すなよ」
その時、俺の横を白っぽい尻尾が横切った。
「お前、黒田か! 変だワン、ものすっごく変! 鼻の奥がむずむずするくらい、いつもの群れと臭いが違うワン!」
犬人族のフェンナ・ベルクが四つん這いになりそうな勢いで地面の臭いを嗅いでいる。
「何が変なんだよ。臭いか、群れの動きか、それとも後ろから別の何かが来てるのか」
「魔物の臭いだワン! 怒ってないし、狩りでもない。みんな怖がってるワン。尻尾がある奴なんか、ほとんど巻いたまま走ってる!」
「怖がってるって、あの魔物全部がか? 種類までバラバラなのに、同じ理由で逃げてるように見えるぞ」
「そうだワン! しかも後ろから、もっと怖い臭いが来てる。鼻が『近づくな』って叫んでるワオーン!」
俺はパンを口から外した。
街道の向こうから駆けてくるゴブリンを見る。
武器を振り上げていない。こっちを見てもいない。ただ前へ、前へと走っている。
獣型も同じだ。
互いに食い合う種類が、横並びで逃げている。
「......なるほどな。こっちを見もしねえ理由がやっと分かった」
「一人で納得しないで。何が分かったのか、こっちにも説明しなさいよ」
ティアナが杖を握ったまま振り返る。
「こいつらは俺らを襲いに来てんじゃねえ。後ろから来る何かに追われて、必死に逃げてるだけだ」
「だったら余計に嫌なんだけど。この数の魔物をまとめて追い立てるなんて、いったい何が来てるってのよ」
答える前に、森の向こうで木々が沈んだ。
一本じゃない。
二本でもない。
地平線そのものが、ゆっくりこちらへ近づいてくるように見えた。
ズズズズズズズズ......。
次の瞬間、森から巨大な黒い頭部が持ち上がった。
大きい。モグの竜形態よりさらに上だ。
全身を覆う黒灰色の殻には、金色の線が幾重にも走っている。鎖と帳簿の文字を無理やり生き物へ焼き付けたみたいで、見ているだけで胸糞が悪い。
ゼニスが俺の横へ現れた。
今日は白い軍務官風の制服に、なぜか制帽まで被っている。
「確認しました。リボルヴ側の契約執行個体です!」
「てめぇその格好なんだよ。緊急事態になるたびに衣装だけ妙に本気出すのやめろ。こっちは朝から強制出勤なんだぞ!」
「緊急時ですので現地指揮官仕様です。服装から業務意識を整えるのは大切なんです」
「似合ってるのが余計むかつくんだよ。仕事できる女みたいな顔しやがって、ポンコツ女神が!」
「みたいじゃなくて仕事してるんです! そこ今どうでもいいでしょう!」
ゼニスが巨大個体を指す。
「債権執行巨獣。周囲の生物へ強制的な契約圧を与え、逃走・服従・資産差押えに近い現象を発生させます」
「生き物に差押えとかやめろよ。金融神、戦い方まで嫌すぎるわ」
巨獣が一歩踏み出す。
ドォォォンッ――!!
ただ足を置いただけで、遠くの地面が波打った。
逃げていた魔物の群れがさらに速度を上げる。
「モグ!」
「分かっておる!」
銀髪の小さな身体が光に包まれ、一気に膨れ上がった。
漆黒の翼が空を叩く。
「わらわが止めるのじゃ!」
「おーっほっほっほっほっ!! お待ちなさい! モグだけに格好をつけさせると思いまして!?」
今度はルヴィアだ。
深紅の髪とドレスが炎のような光に飲まれ、巨大な紅玉古竜へ姿を変える。
二頭が空へ舞い上がった。
直後。
ゴオオオオオオオオオッ!!
漆黒と深紅、二条のドラゴンブレスが地面を舐めた。
村へ直進していた魔物の群れが熱と光に驚き、左右へ大きく流れを変える。
「おい、無駄に焼き殺すなよ! 進路変えるだけでいいんだ!」
『分かっておる!』
『わたくしへ命令なさらないでくださる!?』
「なら勝手に被害出してんじゃねえ!」
二頭のブレスが今度は巨獣へ向いた。
ゴォォォォォォォンッ!!
炎が黒い殻を包む。
ティアナも杖を振るい、幾重もの魔法陣を展開した。
「【雷槍連界】!」
白紫の雷槍が雨のように降る。
グレンまで地面を蹴り、真正面から巨獣の前脚へ拳を叩き込んだ。
ズガァァァンッ!!
巨体がわずかに揺れる。
だが――倒れない。
「マジかよ。古竜二頭とSランクが殴って、それでも歩いてくるってどーいうことだよ......」
攻撃が当たる直前、黒い殻の表面に金色の膜が浮いている。
ティアナが魔力を練った瞬間には、もう防壁が厚くなっていた。
俺は目を細める。
「あー、そういうことか。アレ、魔力動いた時点で読まれてるな」
「何ですって?」
「お前らが撃つ前から守り始めてるのよ。魔法だから分かるんじゃねえの」
ティアナの眉が吊り上がった。
「だったらどうするのよ。魔力なしで、あんなのを止められる手段がこの世界にあるっていうの?」
「魔力を使わずに叩く手なら、あるにはある。ただし持ち出した瞬間から俺の借金が元気に育ち始める」
「そこまで嫌そうに言うなら、何を使うつもりなのよ」
「高いんだよ。名前を口にしただけでゼニスが営業スマイルになる程度にはな」
ゼニスが即座にこちらを見る。
「黒田さん、その言い回しで何を持ち出すつもりか、もうだいたい分かりましたよ」
「まだ使うって言ってねえからな。勝手に見積書を開くんじゃねえ」
「あなたが『高い』と言った時点で私には分かります。長い付き合いですので」
「そういうところだけ理解度上げんな。嫌な信頼関係を育てやがって」
ドーガンが俺の横へ来た。
遠くの巨獣を見ながら、無精髭を撫でる。
「そうか陸。前に使った、あの鉄の大砲だな」
「FH-70、155㎜りゅう弾砲だ」
「一発でもあれだけの威力だった。だが、あの装甲にも通るか?」
「魔力で防ぐなら、少なくとも反応は遅れるだろうけどよ――」
俺は巨大な敵を見た。
一門。
以前なら、それで何とかした。時間もあった。
だが今回は、後ろに村がある。
逃げる魔物がいる。
前には、古竜二頭のブレスを受けても歩いてくる化け物。
「......一門じゃ足りねえなあ」
ゼニスの営業スマイルが、ゆっくり深くなった。
「では、追加オプションをご案内しますね」
「うっざ!! その顔やめろ。絶対高い」
【神界・緊急ご請求】
・広域戦況緊急解析費 金貨120枚
・契約執行個体識別料 金貨80枚
・現地指揮支援オプション 金貨100枚
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今回加算 金貨300枚
日本円換算 1,500,000円相当
前回繰越残高 金貨41,860枚
合計残高 金貨42,160枚
日本円換算合計 210,800,000円相当
※ミャオ管理債務は別口。




