第34話 今日は逃げるのを、あとにする
翌朝。
俺の四畳半は、過去と向き合った程度では一ミリも綺麗になっていなかった。
空き缶。煙草の箱。外れ馬券。脱ぎっぱなしのジャージ。昨日までの俺と今日の俺の間に、生活環境上の差はない。
「人生の問題一個片付けたら、部屋も自動で片付くシステムとかないのかね?」
金色の光が弾けた。
ゼニスが現れる。
今日は珍しく、白いブラウスに紺のスカートという地味な事務服だった。
「ありません。むしろ問題が増殖しています。空き缶を捨ててください!」
「今日地味だな」
「毎回衣装から入ると思わないでください!」
「最近金融屋、監査官、山岳案内、料理人までやってたから期待するだろーが」
「期待の方向がおかしいんですよ!」
ゼニスは机の上の空き缶を避けて座る。
「リボルヴに言われたこと、まだ気にしてるんですか?」
「別にぃ」
「そうですか」
追及しない。
そこが少し助かった。
昼前、玄関が鳴った。
「居留守」
「私に言ってどうするんです」
「神力で『不在』って札出せない?」
「出せません、出せたとしても費用いただきますよ」
「使えねぇなぁ......」
扉の向こうから声がした。
「陸さん。いますよね」
ひなた。
ゼニスが俺を見る。
「現代側の方には、まだ私の存在を説明していないんですよね」
「してない。説明すると絶対長くなるし」
「では私は一度戻ります。終わった頃に再確認しますから」
「そのまま帰って二度と来なくていいぞ」
「請求処理が残っています」
「帰れやクソ女神」
光が消える。
「何で全員、俺がいる前提で来るんだよ」
いつもなら息を殺すところだ。
今日は自分でドアを開けた。
ひなたが少し驚いた。
「今日は開けるんですね」
「ここ、俺ん家だからな」
「いつも自分の家で居留守してる人が言います?」
俺は灰皿を端へ寄せ、ひなたの座る場所を作る。
「秋葉さんと話したんですね」
「話した」
「どうでした?」
「なんか老けてた」
「そこじゃなくて」
「分かってるって」
しばらく黙る。
「事故のこと、悪かったとはまだ思ってる」
「はい」
「そこ否定しろよ」
「否定しても陸さん聞かないでしょう」
「まあな」
俺は頭を掻いた。
「でも、お前らが俺を恨んでるって勝手に決めてたのは……俺が悪かったよ」
ひなたは少しだけ目を見開いた。
「はい......はい」
「二回言うなよ」
「大事なので」
「調子乗んな!」
口に出したら、思ったより軽かった。
何年も言えなかったくせに、言葉自体は短い。
ひなたが鞄から一枚の紙を出す。
「次の訓練予定です」
「急に現実的な追撃してくるな」
「今度は来れます?」
「善処する」
「それ、来ない人の言葉です」
「検討する」
「もっと来ない人です」
「じゃあ体調と相談」
「逃げ道を増やさないでください」
ひなたは紙を机へ置いた。
「一つだけ、約束してください」
「金以外なら聞く」
「また何かあっても、今度は勝手に全部抱えて消えないでください」
部屋の音が消えたように感じた。
「私たちが何を思ってるか、勝手に決めないでください。話すのが嫌なら嫌って言ってもいいです。逃げたいなら、それも言ってください。でも、何も言わずに全部切らないでください」
昔の俺なら、期待すんなと言った。
できたらやる、と逃げ道を作った。
知らん、寝る、と終わらせた。
煙草へ手を伸ばしかけて、やめた。
「……分かった」
「本当に?」
ひなたを見る。
喉の奥に引っかかる言葉があった。
ずっと避けていた言葉だ。
「――任せろ。」
言ってから、自分で少し驚いた。
ひなたも驚いた顔をして、それから笑った。
「何だよ」
「いえ」
「気持ち悪い顔すんな」
「笑ってるだけです!」
ひなたが帰って、玄関の音が完全に消えてから数秒。
金色の光が、何事もなかったように部屋の隅へ戻ってきた。
「……いい話でしたね」
「お前、聞いてたの?」
「契約者監督中ですので、状態確認は継続していました」
「盗み聞きじゃねえか!」
「現代側へ姿を見せないよう配慮しただけです!」
ゼニスが神界タブレットを操作する。
「待て。その動き嫌な予感しかしない」
【神界・追加ご請求】
・契約者精神状態臨時監督費 金貨25枚
・現代側長時間滞在監査費 金貨25枚
・契約保全経過観察費 金貨20枚
・異世界帰還処理費 金貨20枚
─────────────────
今回加算 金貨90枚
日本円換算 450,000円相当
前回繰越残高 金貨41,770枚
合計残高 金貨41,860枚
日本円換算 209,300,000円相当
※ゲイン装備ローン・ミャオ管理債務は別口。
「人がせっかくちょっと前向きになった日に借金増やすなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「それとこれとは別です!!」
「このクソ女神がぁぁぁぁぁぁ!! 酒飲んで屁ぇこいて寝るわボケが!!」
「せめて今日くらい綺麗に終われないんですか!?」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
夕方。
ゼニスの異世界送還でやどり木へ戻ると、扉を開けた瞬間にモグが飛びついてきた。
「おお陸! 帰ったか!」
「重い。あと腹減った顔で感動的に迎えるな」
「腹は当然減っておる!」
「知ってる」
「おかえりいいいいいい!! 生きて帰ってきたぁぁぁぁ!!」
リリアまで両手を振る。
「日本行ってただけだよ。戦争帰りみたいに迎えるな」
さらに食堂の奥から、あの笑い声。
「おーっほっほっほっほっ!! ようやく戻りましたのね、黒田陸! 別にあなたを待っていたわけではありませんわ。モグがまた、わたくしの持ってきた菓子を勝手に――」
「ルヴィアも待っておったぞ」
「こらモグぅぅぅぅぅ!!」
その横には、なぜかギルド帰りの三馬鹿までいた。
「師匠! おかえりなさい!」
「何でお前ら宿まで来てんだよ」
「訓練報告です!」
「報告義務ねえだろ!」
リゼットからの伝言まで持ってきたらしい。
「『明日以降、通常通り依頼受付可能です。前払いは不可です』だそうです」
「最後の一文いらん」
入口の外ではバルガスが通りかかり、俺の顔を見て一言だけ言った。
「帰ってきたか」
「おう」
「ならよし」
それだけ言って歩いていく。
相変わらず余計なことは言わないおっさんだ。
ミャオが厨房から顔を出した。
「黒田。今日は飯作れるかにゃ?」
「何で帰って早々働くんだよ」
「モグが昼から待ってるにゃ」
「自分で作れ」
「今日は陸が作るニャ!」
モグが鍋を抱える。
「……仕方ねえな」
厨房へ入った。
残っていた肉と野菜を適当に切る。リリアが皿を運び、ミャオが火を見て、モグはつまみ食いして怒られる。
ルヴィアが得意げに一本の酒瓶を持ち上げた。
「本日は特別に、先日のものとは別の古酒を持参しましたの。もちろん、わたくしは前回のような失態など一切――」
「前回?」
「何でもありませんわ!!」
俺は瓶を見る。
「ルヴィア、友達になろう」
「またそれですの!?」
モグが杯を差し出す。
「モグも飲む!」
「お前は水。酒飲むと飯代まで増えることが判明した」
「陸のケチ!」
リリアが笑う。
「ルヴィアちゃん、今日は何杯で『あたし』になるかなー?」
「死人はお黙りなさい!!」
食堂がうるさい。
三馬鹿までいつの間にか飯の列に並んでいる。
「お前ら金払えよ」
「師匠の手料理!」
「こら聞け!」
俺は鍋をかき回しながら、ため息をついた。
「陸」
「なんだよ」
「帰ってきたの」
モグが笑う。
「……俺の飯代、まだ残ってんだろ」
「むしろ増えてるにゃ」
ミャオが即答した。
「じゃあ逃げられねえな」
「払えば逃げられるにゃ」
「知らん。飯作る」
湯気が上がる。
モグが待ちきれずに皿を持つ。
ルヴィアが酒の香りを語り始める。
リリアが死人とは思えない声量で笑う。
俺は相変わらず働きたくない。
借金も減っていない。
部屋も汚いし、煙草も酒もやめる気はない。
ただ、帰る場所を勝手に消すのだけは、もう少し後でもいいかと思った。
【登場キャラクター紹介】
今回は黒田の現在ではなく、彼が現役自衛官だった頃と、その後も残り続けていたものへ触れました。
【★本格登場 秋葉隆司】
44歳。現役陸上自衛官、陸曹長。
黒田の現役時代を近い位置で知る上級陸曹です。
黒田の技量も、事故以前の性格も、事故後に変わっていった様子も知っている人物。
ただ慰めるのではなく、黒田本人が逃げ続けてきた部分へ正面から言葉を返します。
【◆主要登場 望月ひなた】
21歳。現役陸上自衛官、陸士長。陸曹候補生。
黒田の元部下であり、事故当時から彼を知る人物の一人です。
心配している。
尊敬している。
それでも、何も言わず逃げたことには怒っている。
その全部を抱えたまま、黒田と向き合います。
【◆主要登場 黒田 陸】
過去を忘れたわけでも、完全に乗り越えたわけでもありません。
ただ、これまでのように逃げる以外の選択を、一度だけ自分で選びました。
それだけでも、本人にとってはかなり大きな一歩です。




