第32話 後輩と元上官に挟まれた。逃げ道がない
翌日の昼過ぎ。
俺は駅前の定食屋で、冷たい水を飲みながらひなたを待っていた。
酒は飲んでいない。煙草も店内では吸えない。逃げ道が少ない。
「はぁ、やっぱり酒飲んでから来ればよかった」
独り言を言ったところで、入口からひなたが入ってきた。
制服ではない。休日らしい地味な私服。それでも姿勢だけは現役そのものだった。
「大事な話なので素面でお願いします」
「聞いてたの?」
「顔に書いてありました」
「俺、素面の方が性格悪いぞ」
「知ってます」
「即答すんなよ」
向かいへ座ったひなたが、メニューを開く。
「何か食べました?」
「朝は食った」
「何を?」
「煙草を2本」
「食べ物じゃないです」
「水も飲んだ」
「何か注文しますね」
「勝手に俺の健康管理始めるな」
結局、生姜焼き定食を頼まれた。
待っている間、ひなたは最近の訓練の話をした。20式がどうとか、装具の更新がどうとか。俺は聞きながら箸袋をいじる。
「ニーマルはやめたとき入ってきたくらいで、ほぼ知らん。退職者へ勝手にアップデート要求すんなよ」
「だから訓練に来てくださいって言ってるんです。現役の頃の感覚だけで全部分かった顔される方が困ります」
「ハチキュウなら分かるけどな」
「それは知ってます。陸さん、そういう話になると急にちゃんと喋りますよね」
「専門分野だからな。知らんことを知ってる顔するほど若くない」
「普段は知らないことでも適当に誤魔化しますけどね」
「そこは生活の知恵だ」
少しだけ普通に話せた。
料理が来て、半分ほど食べた頃、ひなたが箸を置いた。
「ずっと聞きたかったんですけど」
来た。
「どうして、私たちから逃げたんですか」
俺は味噌汁を飲んだ。
「逃げてねえよ。辞めただけ」
「辞めたあと、連絡も取らなくなりました」
「忙しかった」
「今、無職ですよね」
「心が忙しい」
「そうやって、また話をずらすんですね」
ひなたは笑わなかった。
「私、陸さんを責めたことありますか?」
答えなかった。
「連絡を返さなくなった頃、私、何度もメッセージ送りましたよね。最初は訓練のこと。次は体調。返事がないから食べ物も置きました。陸さん、全部迷惑だったんですか?」
「……飯は助かった」
「そこだけですか?」
「保存利くの選んでたし、量も邪魔にならない程度だった。あれは助かった」
「褒めてほしいわけじゃありません」
「じゃあ何て言えばいいんだよ」
「そうやって、具体的な話に逃げるのをやめてほしいんです」
俺は口を閉じた。
食料の種類ならいくらでも話せる。誰が何を思っていたかになると、急に言葉が減る。自覚はあった。
「秋葉さんも、他の人も。少なくとも私が知る限り、陸さんに『お前のせいだ』って言った人はいません」
「言われなきゃ責任ないのかよ」
「そういう話じゃありません」
俺は箸を置いた。
「あの日、俺が見た。俺が判断した。俺が口にした。結果として、人が怪我した。それは変わらん」
ひなたの眉が少し動く。
「判断が間違っていたんですか?」
「結果が悪かった」
「質問に答えてください」
「同じだろ」
「違います」
ひなたの声は大きくない。
だから逃げにくい。
「陸さんが見ていた範囲で、何を確認して、何を判断したか。私は全部知っているわけじゃありません。でも、後から何度も説明を聞きました。陸さんの判断そのものが原因だった、とは聞いていません」
「結果は変わらん」
「だからって、私たちの気持ちまで勝手に決めていいんですか?」
言葉が詰まった。
「私は事故のことより、その後の方に怒ってます」
「……何」
「勝手にいなくなったことです」
「陸さんが辞めるって聞いた時、最初は何か事情があると思いました。少し休めば戻ってくるかもしれないとも思った。でも、その後は電話も出ない。会えば『忙しい』『寝てた』『今度』で終わる。こっちが事故の話をしようとすると、急にもっとどうでもいい話を始める」
「どうでもいいは失礼だろ。煙草の値上げは生活に関わる」
「今それです!」
「ほら、怒った。だから事故の話は空気悪くなるんだよ」
「空気を悪くしたくないんじゃなくて、自分が聞きたくないだけでしょう!」
店内で少し声が大きくなった。
ひなたは一度口を閉じ、水を飲んだ。
「……すみません。でも、ずっと言いたかったんです」
「俺も今のは悪かった。そこは認める。で、声は少し落とせ。隣の席がこっち見てる」
「そういう時だけ周囲を観測するの早いですね」
「過去の職業病だよ」
「だったら私たちの顔も、もう少し見てください」
言い返せなかった。
ひなたは一度息を整えた。
「私たちが何を思っていたか聞かない。連絡しても返さない。会おうとしても逃げる。自分が悪いって決めて、それを訂正される場所から全部いなくなった。陸さん、それって私たちのためじゃないですよね」
俺は水を飲んだ。
冷たすぎた。
「……悪かったな」
「軽いです」
「じゃあ重く言えばいいのかよ。申し訳ございませんでした、これで満足?」
「そういうところです」
「難しいなあ、お前」
「陸さんが面倒なんです」
少しだけ、いつもの空気が戻った。
ひなたは続ける。
「私は、陸さんがあの時どういう判断をしたかより、その後ずっと一人で答えを固定してることの方が嫌です。誰も陸さんを責めていないって言っても、陸さんは『気を遣ってるだけだ』って決める。感謝してるって言っても、『結果が悪かった』で終わらせる。そうやって何を言われても、自分の結論だけが正しいことにしてきたでしょう」
「……悪いかよ」
「悪いです。少なくとも、私たちの気持ちを勝手に使って自分を罰するのはやめてください」
真正面から言われると、逃げ道がない。
「秋葉さんに会ってください」
「やだ」
「もう明日で約束取ってあります」
「何で俺より俺の予定把握してんだよ」
「陸さんが返信したからです」
「『いつ』って送っただけだぞ」
「それを了承として秋葉さんが受け取りました」
「なんじゃそれ、完全に罠だろ」
ひなたが初めて少し笑った。
「逃げないでください」
「努力目標な」
「また逃げ道残す」
「人間は退路が必要なんだよ」
その言葉を口にした瞬間、異世界のバルガスの顔が少し浮かんだ。
退路は二本以上。
あのおっさんなら、逃げることと帰ることは違うと言うだろう。
店を出る前、ひなたがスマホを見せる。
「明日、十四時ですよ」
「朝じゃないだけ評価する」
「秋葉さんが『あいつは午前中だと逃げる』って」
「ちぇ、理解されてんなあ」
「昔からですよ」
外へ出た。
煙草を一本咥える。
「ひなた」
「はい」
「……今日は、ありがと」
ひなたが一瞬固まった。
「何」
「いえ。普通にお礼言えるんだなって」
「失礼だなお前」
「その言い方で安心しました」
俺は煙を吐いた。
明日会う。
まだ逃げる余地はある。
でも今は、帰らなかった。
【神界・追加ご請求】
・現代側契約者位置確認費 金貨15枚
・契約保全遠隔監督費 金貨15枚
・異世界接続維持基本料 金貨10枚
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今回加算 金貨40枚
日本円換算 200,000円相当
前回繰越残高 金貨41,700枚
合計残高 金貨41,740枚
日本円換算 208,700,000円相当
※現代側飲食費は黒田本人負担。ミャオ管理債務は別口。




