第31話 飯がまずい日は、だいたい昔のせいだ
リボルヴからの契約を断った翌日。
俺はやどり木の食堂で、朝飯を前にして煙草だけ吸っていた。
目の前にはパンと卵、昨日の煮込みの残り。普段ならモグに取られる前に自分の分だけ確保するところだが、今日はどうにも箸が進まない。
「のう陸」
「何だよ」
「おぬし、飯を食わぬのか?」
「後で」
「熱いうちが美味いのじゃぞ」
「知ってるわ」
モグが本気で不思議そうな顔をした。
こいつにとって、目の前に飯があるのに食わないのは病気と同じらしい。
リリアが顔を覗き込む。
「陸ぅ、生きてるのー? 私は死んでるよー」
「お前に生存確認されたくねえ」
「今日の陸、死んでる私より顔色悪いよ? 大丈夫ー?」
「死人基準で健康診断すんな」
いつもの返しは出る。
だが、昨日の言葉がまだ頭に残っていた。
責任から逃げ続ける自由。
「――何か、嫌なこと思い出してる?」
リリアが急に普通の声で言った。
俺は煙を吐く。
「別にぃ」
「そっか。なら無理に話さなくていいけどさ。死んでも忘れられないことって、普通にあるからね」
俺は横を見る。
リリアは一瞬だけ、三百年という時間を本当に持っている顔をしていた。
「……何その顔! 私だってたまにはいいこと言うよ! もう!」
「自分で台無しにすんな」
「空気が重くなると耐えられないの!」
「お前、死んでる癖にメンタルは妙に生々しいんだよなぁ」
少しだけ笑えた。
昼前、逃げるようにギルドへ行った。
別に依頼を受けたいわけではない。やどり木でぼーっとしていると、考えたくないことまで考えるからだ。
入口では三馬鹿がまた訓練していた。
「師匠! 今日は見てくれますか!」
「見ないって。勝手にやれ」
「分かりました!」
「素直だな」
アンディは本当に剣を振り始める。ポーレンも魔法の練習を続ける。タンナーは記録を取る。
俺が何もしなくても、こいつらは前へ進む。
ティアナが依頼票を片手に横を通った。
「ねぇあんた、顔、死んでるけど」
「リリアにも同じこと言われた」
「じゃあ相当ね。……酒のせい?」
「今日はまだ飲んでない」
「“まだ”って付けるな!後で飲むのかよ!!」
ジークフリードも装備を整えながら、ちらりと俺を見る。
「黒田。昨日の契約、断ったんだってな」
「情報早いな」
「ガロンから聞いた。で、今日は仕事するのか?」
「しない」
「そこは変わらないんだな」
「契約断ったくらいで人格まで改善してたまるか」
リゼットが受付から営業スマイルを向ける。
「黒田さん。本日は依頼を受けないのでしたら、受付前を長時間の休憩所として使用しないようお願いいたします」
「居場所がないだろ」
「どうぞやどり木へお帰りください」
「追い出された」
仕方なく外へ出た。どんどん逃げ場所が減ってきている気がする。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
午後、ゼニスに頼んで日本へ戻った。
もちろん無料ではないと言われた。知っている。知っているからこそ余計腹が立つ。
四畳半の部屋へ戻ると、空き缶、競馬新聞、吸い殻、脱ぎっぱなしの服が俺を迎えた。少し前に掃除してもらったのに、しばらくすると元のごみ屋敷に戻っている。
異世界側のやどり木が妙に整って見える理由の大半は、比較対象がここだからだろう。
「……はぁ、やっぱ落ち着くわ」
冷蔵庫を開ける。
缶チューハイが二本。
一本目を開けた。
テレビは点けない。動画も見ない。競馬新聞を開く気にもならない。普段なら嫌なことほど別のくだらないことで上書きするのに、今日は何をしても頭の隅に同じ言葉が残る。
「責任から逃げ続ける自由、ねえ……」
口にすると余計腹が立った。
「他人の人生に勝手に名前つけんなよ。こっちはこっちで、働かないために毎日ちゃんと努力してんだぞ」
我ながら意味不明だった。
缶を半分飲んでも、笑えなかった。
煙草へ火をつけようとして、ライターが見つからない。
引き出しを漁る。
馬券。古い乾電池。予備のライター。ひなたが以前置いていったメモ。
『ちゃんと食べてください』
『訓練日、確認してください』
『連絡ください』
「……捨ててなかったのかよ」
自分でしまったくせに、他人事のように言った。
紙の下から、古い日付の書かれたメモが出た。
その数字を見ただけで、腹の奥が冷えた。
音が戻る。
乾いた声。
誰かが位置を読み上げる。
土埃。
距離。
方向。
俺が見て、俺が判断した。
必要なものだけを拾った。
あの時も、そうした。
――その後に起きたものだけが、俺の見ていた範囲の外にあった。
「……っ」
缶を一気に飲んだ。
二本目を開ける。
「ま、〇〇(ピー)して寝りゃ忘れるか」
忘れたことなんて、一度もない。
布団へ横になってみる。
目を閉じると、今度は音だけが鮮明になる。誰かが走る音。短い報告。俺が返した声。そこまでは、今でも順番まで覚えている。
俺は起き上がった。
「ち......寝れねえじゃん」
酒を飲めば鈍くなると思った頭は、嫌なところだけ妙に冴えていた。
煙草を一本。灰皿へ押しつける。すぐ二本目を出しかけてやめた。
「煙草代まで使って思い出すとか最悪だろ」
誰に文句を言っているのか、自分でも分からなかった。
その時、玄関が乱暴に二回叩かれた。
「おい陸ぅ! 生きてるかい!」
大家のキヨ婆だ。
「生きてる!」
「じゃあゴミ出しな! 廊下まで煙草臭いよ!」
「明日やるって!」
「その明日はいつ来るんだい!」
現実は過去に浸る時間までくれない。
少し助かった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
その夜。
スマホが鳴った。
ひなた。
いつもなら切るが、今日は出た。
「……何」
『......出るんですね』
「出たら悪いか」
『いいえ。珍しいだけです。……声、変ですけど。飲んでました?』
「昨日の俺に言え。今日の俺は被害者だ」
『今も今日ですよ』
「細かいな」
ひなたは小さく息を吐いた。
『次の訓練のこともあるんですけど、それより……秋葉さんが、陸さんと一度話したいそうです』
俺の手が止まった。
「誰だっけ」
『そういうの、やめてください』
「覚えてねえ」
『陸さん』
「……覚えてるよ」
長い沈黙。秋葉隆司、四十四歳。現役の陸上自衛官で、階級は陸曹長。俺がまだ制服を着ていた頃には、散々世話になった上官だ。
『連絡先、まだ変わってません。秋葉さんから送るって言ってました』
「余計なことすんな」
『もうしました』
「お前、最近強制力が女神に似てきたぞ」
『女神?』
「忘れろ、ゲームの話だ」
電話が切れて数分後、メッセージが一通届いた。
『暇なら飯でも食おう。秋葉』
「暇じゃねえよ」
無職の部屋で呟いた。
返信欄を開く。
何度か閉じる。
結局、二文字だけ打った。
『いつ』
【神界・追加ご請求】
・契約者現代側送還費 金貨25枚
・異世界間滞在切替処理費 金貨15枚
・契約者精神状態臨時監督費 金貨10枚
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今回加算 金貨50枚
日本円換算 250,000円相当
前回繰越残高 金貨41,650枚
合計残高 金貨41,700枚
日本円換算 208,500,000円相当
※ミャオ管理債務は別口。




