第30話 こんな好条件、受けない理由なんかない。……ないはずなんだが
翌朝。
ルヴィアは食堂の端で、いつもの縦巻きロールとお嬢様口調を完全復旧させていた。
ただし目だけが死んだ魚の目のようだった。
「おぇっぷ......昨日のことを一言でも口にした者は、竜の炎で焼きますわ」
「何のことだい?」
「黒田陸。急に理解が良くなりましたわね」
「俺は何も覚えてない。スポンサー様の秘密を守るのは当然だ」
「スポンサーではありませんわ!」
モグが無邪気に手を上げた。
「昨日ルヴィアは、“モグばっかり陸に飯作ってもらってずるい”と――」
「モグ黙れぇぇ!!」
お嬢様言葉が一秒で消えた。
「今また崩れたぞ」
「崩れてませんわぁぁぁぁぁ!!」
リリアが全部覚えている顔でニヤニヤしている。
「私、死んでるから記憶力いいよ!」
「死人は忘れなさい!!」
ミャオが帳簿を俺へ差し出した。
「昨日の酒代と追加食費にゃ」
「俺そんな飲んでないじゃん」
「モグの分にゃ」
「本人へ請求しろ!」
「モグは金を持っておらんぞ!」
「知ってるって昨日も言ったぁぁぁぁ!!」
朝から騒いだせいで、少しだけ気が楽になった。
だが今日はリボルヴへの返答期限だ。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
昼前、俺は一度ギルドへ顔を出した。
別に相談するつもりではない。ガロンが来いと言ったから仕方なく来ただけだ。
入口横ではアンディが木剣を振り、ポーレンが初級魔法を繰り返し、タンナーが二人の時間を記録していた。
「師匠! 今日は訓練見てくれますか!?」
「見ない。俺はこれから人生の契約を断るか結ぶか決める。お前らの面倒まで抱える余裕はない」
「師匠ほどの方でも迷うことがあるんですね」
「あるよ。むしろ毎日迷ってる。働くか寝るか、煙草買うか飯買うか、酒買うか借金返すか」
「最後だけ答え決まってません?」
「タン、余計なことに気づくな」
リゼットが受付から声をかける。
「黒田さん。ガロンさんからは、『自分で決めたなら報告だけでいい』とのことです」
「呼び出しといて会わねえの?」
「現在、緊急依頼の調整中です」
「仕事してる人は大変だな」
「黒田さんも一応冒険者です」
「一応を強調するな」
奥を通りかかったジークフリードが足を止めた。
「黒田。決めたのか?」
「今からな」
「そうか。……戻ってくるなら、また依頼で会おう」
「俺が戻る前提で言わないところ、ちょっと成長したな」
「前なら『絶対戻れ』って言ってたかもな」
それだけだった。
バルガスもドーガンも、俺の人生を代わりに決める気はないらしい。
そんな奴らが、妙にありがたかった。
帰り際、三馬鹿トリオがまた追いかけてきた。
「師匠! もし別の契約に移っても、俺たちは弟子を続けますよ!」
「だから弟子じゃねえって。あと俺が所有物になった場合、お前らまで付属品扱いされたらどうすんだ」
「そこは契約書に明記してもらいます!」
「タン、真面目な顔で加入条件詰めるな。俺が一番怖がってるのそこだから」
ポーレンが眼鏡を押し上げる。
「しかし師匠。永久優先使用権ということは、師匠の隠された戦略資産価値がそれほど――」
「隠されてないし、価値を上げるな。俺は今から自分を安売りしないために断りに行くんだよ」
口にしてから、自分で少しだけ変な気分になった。
安売りしない。
自分にそんな言葉を使う日が来るとは思わなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
やどり木へ戻ると、リボルヴとコレットはすでに来ていた。
ゼニスは今日は白いシャツに黒いジャケット、胸元に神界監査章。余計な衣装ギャグを挟まないあたり、どうやら本気モードらしい。
俺は酒へ手を伸ばしかけ、止めた。
「……今日は素面で決めるか」
「当たり前でしょうが!」
「褒めろよ」
「人生の重大契約を素面で判断するだけで褒められると思わないでください」
リボルヴが契約書を開く。
「決まりましたか?」
「一応な」
俺は指を一本ずつ立てた。
「借金全額引受。最高。利息ゼロ。最高。即レベ優遇。最高。転送も原状復帰も安い。最高。生活保障まで付く。正直、お前んとこの料金表だけコピーアンドペーストしてゼニスへ値下げ交渉に使いたい」
「黒田さん、では――」
「最後まで言わせろ。……今でもちょっと迷ってる。二億消えるって言われたら、そりゃ迷う。俺は聖人じゃねえし、金に綺麗でもない」
リボルヴは静かに待った。
「でも、永久優先使用権は駄目だ」
空気が変わった。
「俺は働きたくねえ」
「存じています」
「借金も嫌だ。強制召喚も嫌だ。仕事も嫌だ。ゼニスの請求書も嫌だ。朝早い依頼はもっと嫌だ。全部嫌だ」
「私まで並べないでください!」
「今いいところだから黙ってろバカ女神」
ゼニスが口を閉じた。
「だから余計に、いつ働くか、誰のために動くか、いつ逃げるか、いつサボるかくらいは俺が決める。そこまで他人に渡したら、働かなくていいんじゃなくて、働くかどうかを決める権利がないだけだろ」
リボルヴの微笑みは消えない。
「借金を返せなくても?」
「嫌だけどな」
「今後も高額な費用を負担し続けても?」
「死ぬほど嫌だけどな」
「それでも?」
俺は契約書を閉じた。
「俺が俺のままサボる権利まで売ったら終わりだ。だから契約しねえ」
コレットがすぐ書類を回収する。
「承知いたしました。契約前ですので違約金はございません」
「本当? 敵なのに良心的じゃん!」
「おい黒田、比較するなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ゼニスの絶叫が戻った。
リボルヴは立ち上がり、俺へ一礼する。
「残念です。しかし、あなたの判断は尊重しましょう」
「もう勧誘しない?」
「今日のところは」
「含み持たせんなよ」
扉へ向かったリボルヴが、最後に振り返った。
「黒田さん。一つだけ」
「何」
「あなたは自由を選んだ、と仰いましたね」
「そうだよ」
「では、その自由を何に使っているのでしょう」
俺は黙った。
「働かない自由ですか。それとも――結果を背負わず、責任から逃げ続ける自由でしょうか」
煙草を咥えていなくてよかった。
たぶん、落としていた。
リボルヴはそれ以上何も言わず、コレットと一緒に出ていった。
ゼニスも、ミャオも、茶化さなかった。
「……帰る」
「日本へですか?」
「寝るわ」
俺は長椅子へ倒れ込んだ。
「今日は勝ったから飲む」
「契約を断っただけでしょう、仕事してませんよね?」
「負けてても飲むけどな」
「じゃあ理由関係ないじゃないですか!」
「やっと気づいたか!」
いつもの言い訳は口から出た。
だが酒を一口飲んでも、さっきの言葉だけは消えなかった。
責任から逃げ続ける自由。
「……余計なこと言いやがって」
モグが隣へ座る。
「陸」
「なんだ。飯なら後だ」
「明日もここにおるのか?」
俺は少しだけ間を置いた。
「契約しなかったんだから、いるだろ」
「ならよい。飯を待っておるぞ」
「結局お前は飯の心配かよ」
その単純さが、今だけはありがたかった。
【神界・追加ご請求】
・敵対契約最終意思確認立会費 金貨35枚
・契約保全処理費 金貨25枚
・契約譲渡拒否記録登録費 金貨20枚
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今回加算 金貨80枚
日本円換算 400,000円相当
前回繰越残高 金貨41,570枚
合計残高 金貨41,650枚
日本円換算 208,250,000円相当
※ミャオ管理債務は別口。
【登場キャラクター紹介】
今回は新規人物の追加よりも、これまで登場した人物同士の関係が大きく動きました。
【◆主要登場 リボルヴ】
黒田へ直接「より良い条件」を提示する金融神。
借金、労働、自由――黒田が欲しがっているものを正確に理解したうえで話を持ちかけてきます。
露骨な悪人ではないからこそ、断るのが難しい相手です。
【◆主要登場 黒田 陸】
働きたくない。
借金もなくしたい。
ゼニスの取り立てからも逃げたい。
そんな黒田にとって、リボルヴの条件は無視できないものでした。
それでも最後に何を選ぶかは、金額だけでは決まりませんでした。
【◆主要登場 ゼニス】
いつもは黒田を働かせる側。
しかし今回ばかりは、「自分との契約を続けろ」と言わなければならない側へ。
取り立て女神としてだけではない一面が見え始めます。
【◆主要登場 ミャオ/モグ】
大げさな契約条件を提示するわけでもなく、いつも通り飯と宿と借金の話をしている二人。
その「いつも通り」が、黒田にとって思った以上に大きなものになっていました。




