第29話 二億円より面倒くさいものが、いつの間にか増えていた
リボルヴへの返答期限の前日。
俺は朝からやどり木の厨房で鍋をかき回していた。
別に心境の変化があったわけではない。モグが腹減ったと騒ぎ、リリアまで「わぁ、ご飯の匂いするー!」と寄ってきて、ミャオから「食材を駄目にする前に使ってほしいにゃ」と頼まれた結果である。
「陸。肉をもっと増やぬか」
「デブは野菜を食え。お前、竜のくせに食生活が偏ってんだよ」
「おぬしも人の事いえないじゃろうが!わらわは、肉を食えば元気になる」
「肉だけ食って元気なのは財布以外だ」
干し肉を水で戻し、根菜と一緒に煮込む。塩気は肉から出る。足りない分だけ現代の調味料を少し足した。
「言っとくが、こんなの料理じゃねえぞ。残り物を食える形にしてるだけだからな」
「陸のその言い方、毎回料理できる人が言うやつだよねー!」とリリアが言う。
「死人は黙って皿でも出しとけ」
「扱い雑ぅぅぅ!」
そこへ、外から聞き慣れた高笑いが響いた。
「おーっほっほっほっほっ!! 庶民の厨房から、また妙に食欲を刺激する匂いがしておりますわね!」
「巣に帰れ」
「まだ入ってもいませんわよ!?」
紅玉古竜のルヴィアが大きな箱と細長い酒瓶を抱えた従者を連れて入ってきた。
「今日は陸の料理の改善指導に参りましたの。これは竜族の宝物庫で二百年ほど寝かせた古酒。あなたの庶民料理で味を損なわないか、わたくしが監督して差し上げますわ」
「今日から友達になろう」
「酒一本で態度変わりすぎですわよ!!」
「酒を持ってくる奴に悪い奴はいない!」
ミャオが呆れながら食器を並べる。
「昨日まで人生の契約で悩んでた人とは思えないにゃ」
「悩む時ほど飯と酒は大事だ。空腹で重大判断すると全部悪い方向へ考える。これは危機管理」
「酒は判断力を落とすにゃ」
「そこは量で調整する」
昼前、バルガスがギルドからの伝言を持ってきた。俺が今日は依頼を受けないと伝えると、案の定だったという顔をする。
「ガロンからだ。返答が終わったら一度顔を出せとよ」
「仕事?」
「知らん」
「じゃあ伝言聞かなかったことにして」
「俺に共犯を頼むな」
バルガスは鍋を見て鼻を鳴らした。
「いい匂いだな」
「食うなら酒持ってこい」
「人に飯を勧める態度じゃねえな」
「じゃあ酒だけ置いて帰れ」
「もっと悪化したぞ」
結局、おっさんは近所で買った安い麦酒を一本置き、一杯だけ付き合った。
「で。決めたか?」
「まだ。条件だけなら向こうの圧勝だぞ。借金ゼロ、即レベ優遇、転送も安い。酒も飯も生活保障に入れられるかもしれん」
「そうか」
「止めないの?」
「俺が決めることじゃない」
バルガスは杯を置く。
「俺なら帰り道のない契約は嫌だ。それだけだ。お前が何を嫌うかは、お前が決めろ」
「おっさん、たまにいいこと言うな」
「たまには余計だぞ」
仕事へ戻ると言って、バルガスはすぐ帰った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
昼飯が始まると、問題は酒だった。
最初にモグが俺の杯へ鼻を近づけた。
「陸。それを飲ませろ」
「やめとけ。お前、酒まで覚えたら食費が怖い」
「一杯だけじゃ。一杯でよいのじゃあ」
「お前の“一杯だけ”は干し肉の“一切れだけ”と同じ信用度なんだよ」
「ドケチ!」
ルヴィアが扇子を広げる。
「まあ、モグ。お酒の味も分かりませんの? これは香りを楽しみ、料理との調和を――」
「美味いのか?」
「当然ですわ。高貴なる竜の嗜みですもの」
モグへ小さな杯を渡した。
一息で消えた。
「美味い! もっと!」
「ほーら始まったぞ」
二杯。三杯。五杯。
モグの顔色は一切変わらない。
「陸。この器、小さいぞ。瓶でよこせ」
「駄目だ。次に樽って言い出す顔してる」
「なら樽でよい!」
「ほらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
対してルヴィアは、二杯目の途中から頬が赤かった。
「お前、顔赤くね?」
「照明ですわ」
「まだ昼だぞ」
「じゃあ太陽が悪いんですわ!」
「古竜の癖に言い訳が雑になってきたな」
モグが楽しそうに杯を差し出す。
「よしルヴィア、勝負じゃ!」
「おーっほっほっほっ! 誰に向かって言っておりますの? 高貴なる古竜たるわたくしが、この程度のお酒で――」
三杯目。
「モグ、それあたしの肉でしょ!」
食卓が止まった。
モグが目を丸くする。
「今、“あたし”と言ったぞ」
「言ってないもん!」
「言った」
「黒田陸までうるさい!」
「ですわ、どこ行った?」
「知らない!」
「ダメだコイツ。完全に落ちてんじゃねえか」
リリアが腹を抱えて笑う。
「ルヴィアちゃん普通の女の子になってるぅぅぅ! 私、死んで三百年で今日が一番面白い!」
「死人は笑うなぁ!」
「死んでても笑えるよぉ!ゲラゲラゲラ」
その横でモグは平然と七杯目を飲み、鍋を指差した。
「陸! 酒を飲むと腹が減る! はやく肉を追加じゃ!」
「待て。お前、酒飲ませたら食欲まで増えるのか!?」
「うむ! 美味いぞ!」
「燃費どうなってんだよ、お前ぇぇぇぇぇ!!」
結局、ルヴィアは「ぜんっぜん酔ってないもん!」と言った数十秒後、テーブルへ突っ伏して寝た。
モグはほぼ素面のまま追加の煮込みを二皿食った。
リリアは酒が身体へどう作用しているのか本人にも分からず、「肝臓ってもう動いてないけど酔えるのかな?」と首を傾げている。あほか。
俺は空になった酒瓶と鍋を見て、頭を抱えた。
「酒って、こんな金かかる飲み物だったっけ……」
「黒田が飲んだ量は普通にゃ。主にモグにゃ」
「本人に請求して」
「モグ、金持ってないぞ!」
「知ってるわぁ!!」
夕方、ようやくゼニスが現れた。
今日は控えめな紺色の事務服。珍しくコスプレ感が薄い。
「返答、明日ですね」
「おう」
「私からは、契約するなとは言いません」
俺は意外で顔を上げた。
「言わねえの?」
「私が禁止して、あなたの選択権を取り上げたら、私が批判している契約と同じでしょう。私は条件の危険性を説明します。最終的に決めるのはあなたです」
俺はしばらく黙ってから、酔いつぶれたルヴィア、まだ食っているモグ、厨房で帳簿をつけるミャオ、床で「私は死んでるから寝なくて平気!」と騒いでいるリリアを見た。
「……やかましい場所だな」
「今さらですか」
ポケットの神具端末が震えた。
日本側のライソ通知が転送されている。
『次の訓練日、確認しましたか?』
ひなたからだった。
いつもなら放置するところを、今日は短く打った。
『見た』
すぐ返事が来る。
『来ます?』
そこには返せなかった。そのまま、端末の画面をそっと伏せる。
横でモグがまた言った。
「陸! 飯! 酒もじゃ!!」
「てめぇ、まだ飲んで食うのかよ!」
【神界・追加ご請求】
・契約者意思確認継続監督費 金貨30枚
・敵対契約勢力接触待機費 金貨30枚
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今回加算 金貨60枚
日本円換算 300,000円相当
前回繰越残高 金貨41,510枚
合計残高 金貨41,570枚
日本円換算 207,850,000円相当
※宴会酒代・モグ追加食費・宿泊費等はミャオ管理債務へ別途加算。




