第28話 神様の契約書は読め。特に小さい字を読め
翌朝。
俺は王都外縁部の冒険者ギルドの隅で、昨日の黒い契約書を机いっぱいに広げていた。
やどり木で読もうとしたのだが、三ページ目で寝た。酒のせいではない。文字が多い方が悪い。
「リゼット。これ読んで」
「できません」
「まだ内容説明してないぞ」
「黒田さんがご自分で持ち込まれた、ギルド管轄外の契約書ですよね。神界契約について当ギルドが法的判断を行う権限はございません」
「何で俺が頼む前から全部分かるんだよ」
「黒田さんの場合、先にお断りした方が業務時間を短縮できますので」
「成長したなあ、お前」
「ありがとうございます。黒田さん対応だけ異常に経験値が入りました」
営業スマイルのまま刺してくる受付嬢は今日も強い。
後ろから元気な声が飛んできた。
「師匠ゥゥゥ! 新しい依頼ですか!?」
「違う。そして師匠と呼ぶな」
冒険者アンディ、ポーレン、タンナーの三人だ。こいつら、あれから本当に朝から訓練しているらしい。俺が一度も教えてないのに弟子だけ勝手に育っている。効率はいいが後の責任を考えると怖い。
ポーレンが契約書を覗き込む。
「これは……高度な神界契約。師匠、まさか敵勢力へ潜入するため、自ら契約対象になる二重工作を?」
「普通に借金肩代わりしてもらうか迷ってるだけだ」
「そこまで日常的な動機に偽装しているとは」
「違う。お前は今日も話を深読みしすぎだ」
タンナーはもう手帳を開いていた。
「師匠が所属変更する場合、我々の訓練予定はどうしましょう。先方の拠点位置を確認して、通いやすい場所へ――」
「何で俺についてくる前提なんだよ! 弟子契約すら成立してねえのに神界契約より拘束力強いなお前ら!」
アンディは拳を握る。
「師匠がどこへ行っても俺は鍛えます!」
「そこだけは偉い。俺がいなくても勝手に鍛えろ。そして俺を追い越したら師匠卒業な」
「分かりました!」
「簡単に卒業条件飲むな。いや飲め。むしろ今日卒業してくれ」
騒ぎを聞きつけて、ガロンが奥から出てきた。
「朝から何をやってる」
「俺の人生が売りに出されてる」
「物騒な言い方をするな。……む、その契約か」
昨日コレットから聞き取りを受けたらしく、事情はある程度知っているようだった。
「条件だけ見れば悪くない」
「だろ?」
「だからこそ、自分で最後まで読め。ギルドの契約も同じだ。報酬が高い仕事ほど、何を求められるか確認しろ」
「まともなこと言うなあ。もっと『黒田は我々の仲間だ』とか熱い引き止めないの?」
「お前にそれを言うと逃げるだろ」
「いやはや、理解が深いことで」
入口近くでは、バルガスが大盾の縁を布で拭いていた。俺が契約書を見せると、ざっと目を通してから一か所を指で叩く。
「俺は契約に詳しくない。ただ、帰り道まで相手に握られるなら嫌だな」
「帰り道って?」
「途中で嫌になった時、やめられるのかって話だ。逃げ道は二本以上。俺は仕事でも契約でも、その方が好きだ」
「おっさん、何でも退路から考えるんだな」
「お前に言われたくない」
そこへ淡い桜色の髪が割って入る。
「ねえ黒田。これ、本気で迷ってるの?」
「ティアナ。お前も読んでみる?」
「神界契約なんて専門外。でも『永久優先使用権』って文字くらい読める。あんた、ただでさえ働きたくないって毎日言ってるのに、自分から永久で働かされる権利渡す気?」
「だから全部読む前に結論出すなって。俺は今、無料という強敵と必死に戦ってる」
「無料に負けそうな顔してるのが腹立つのよ!」
ジークフリードも依頼帰りらしく、剣を背負ったままこちらへ寄ってきた。
「黒田。リボルヴのところへ行けば、本当に戦う必要もないのか?」
「必要な時だけ使う、みたいなことらしい」
「それなら楽そうだな」
「あら?お前、意外と肯定派?」
「いや。俺なら自分で受ける依頼を決めたい。前は無茶な依頼でも突っ込んだが、最近は選ぶようにしてる」
少し離れた工房受け渡し口から、ドーガンのおっさんが笑う。
「道具も同じだ。使う側が扱い方を決める。使われる側になったら、いくら性能が良くてもたまったもんじゃねえ」
「俺を攻城兵器みたいに言うな」
「お前、前に本物の大砲まで持ってきただろうが」
「それとこれは別だ」
結局、ギルドへ持ち込んでも契約書の文字は減らなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
夕方。
やどり木の食堂で、俺は契約書の後半を読んでいた。
ゼニスは今日、黒いスーツに赤い細身のネクタイ。完全に企業法務の人だった。俺が酒瓶へ手を伸ばすたび、無言で遠ざける。
「まだ飲んでねえ」
「昨日もその台詞から三杯飲みました」
「三杯は酒じゃねえ。夢への助走だ」
「契約判断の前に助走するんじゃねぇぇぇ!」
そこへリボルヴとコレットが来た。
俺は契約書の一文を指で叩く。
「聞きたい。永久優先使用権って何だ?」
リボルヴは隠す様子もなく答えた。
「契約期間中、あなたの労働力、固有特性即応、将来取得する能力、異世界間活動による収益について、私どもが優先的に利用を指定できる権利です」
「俺が嫌だって言ったら?」
「契約義務が優先されます」
「休みは?」
「必要な休養は保障します」
「誰が必要って決める?」
「当方です」
「仕事の種類は俺が選べる?」
「希望は伺います。ただし最終決定権は当方にあります」
俺は背もたれへ身体を預けた。
「……なるほどねえ」
リボルヴは穏やかなままだった。
「誤解なさらないでください。あなたへ毎日単純労働を課すつもりはありません。むしろ価値の低い状態で消耗させるのは非効率です。必要な時だけ、最も価値の高い形で働いていただく。それ以外の時間は自由に過ごして結構です」
「働かなくていい、じゃなくて、働く時を俺が決めなくていいってことか」
「そう表現することもできます」
コレットが書面を示す。
「債務は消えます。利息もありません。生活保障も付与可能です。しかし契約履行命令への拒否権は制限されます。ここは重要事項として明記しております」
「ちゃんと怖いこと書いてあるな」
「はい。隠して契約していただく意味がありませんので」
ゼニスが腕を組む。
「だから言ったでしょう。条件が良いから危ないんです」
「お前の条件が悪すぎるのも問題だけどな」
「今それ言います!?」
リボルヴは俺を見る。
「黒田さん。あなたは、働きたくないのでしょう?」
「おう」
「でしたら、その性格を直す必要はありません。借金も、浪費も、怠惰も。あなたは今のままでいい。面倒な管理はこちらで引き受けます」
それは、ゼニスが一度も言わなかった言葉だった。
ゼニスは働けと言う。返せと言う。鍛えろと言う。煙草を減らせ、酒を飲みすぎるな、部屋を片付けろとまで言う。
目の前の男は、何も直さなくていいと言う。
「……考える」
それしか言えなかった。
リボルヴが帰ったあと、ゼニスが何か言おうとしたので手を上げた。
「今日は説教すんな。マジで考えるから」
ゼニスは口を閉じた。
俺は日本から持ってきた保存食の袋を一つ開ける。中に、ひなたが以前置いていった小さなメモが挟まっていた。
『ちゃんと食べてください』
「……うるせえよ」
誰もいない相手へ小さく言って、紙を捨てずに畳んだ。
【神界・追加ご請求】
・敵対契約条件比較照合費 金貨35枚
・契約危険条項精査費 金貨40枚
・契約者意思確認立会費 金貨20枚
─────────────────
今回加算 金貨95枚
日本円換算 475,000円相当
前回繰越残高 金貨41,415枚
合計残高 金貨41,510枚
日本円換算 207,550,000円相当
※ミャオ管理債務は別口。




