第18話 俺は働きたくない。死なせたいとは言ってない
俺が谷底へ降りた瞬間、影走魔狼の群れが動いた。
十数匹が一斉に飛びかかってくるわけじゃない。
前へ出る個体、左右へ広がる個体、岩陰へ消える個体。こちらの視線と足をばらけさせながら、確実に弱ったところを狙う。
「こいつら頭いいな。嫌いだわ、こういうの」
「感想言ってる場合!?」
ティアナが叫ぶ。
俺は彼女の横へ入り、左から来た一匹を剣で弾いた。刃が毛皮を浅く裂く。致命傷には遠い。
「ティアナ、残り魔力どれくらいだ」
「大きいの二発。中くらいなら五、六。細かいのはもう数えてない」
「ずいぶん無駄撃ちしたな」
「誰の救援だと思ってるのよ!」
「説教は帰ってから聞く。ジーク、脚の具合はどうだ?」
「動く。右肩は少しやられた」
「剣振れそう?」
「片手ならな」
「じゃあ無理すんな。俺が全部何とかするとは言わねえ。帰る道だけなんとかするわ。そこから先は自分で走れ」
「相変わらず、言い方が逃げ腰だな」
「逃げ腰で帰れるならそれが一番だろ。死に腰よりマシだ」
黒月狼王が低く唸った。
群れが半歩ずつ位置を変える。俺は地形を見る。
谷底は広いが、北側に倒木が重なっている。西側は岩壁。東へ細い登り道。今来た南側は斜面が急で、負傷者を抱えて戻るには遅い。
「ティアナ。東の登り道、入口の右を一発焼けるか」
「何で?」
「いいから。地面じゃなく、あの岩の下」
「理由ぐらい言いなさいよ!」
「魔狼がそこを回り込む。俺が説明してる間に来るぞ」
ティアナが振り向く。
本当に一匹、岩陰へ消えた。
「......分かった!」
杖の先に火が集まる。
「【収束火槍】!」
赤い光が走った。
ズガァンッ――!!
岩の下で火が弾け、回り込もうとしていた影走魔狼が跳ね飛ばされる。熱風が谷の底を舐め、焦げた毛の匂いが遅れて流れてきた。
「なんで分かったのよ!」
「群れで動く奴は、空いてる道があると使う。今はそれでいい。次、左の倒木の隙間を見ろ。二匹来る」
「また!?」
「来るから準備しろ!」
数秒後、黒い影が二つ走った。
ティアナが今度は小さな火弾を二発。
一匹が転び、もう一匹が進路を変える。
そこへジークの剣が入った。
「一匹!」
「数えるな。まだ多い」
「少しぐらい達成感を寄越せ!」
「帰ったら酒でも飲め。今は前見ろ」
影走魔狼が距離を取る。
黒月狼王がこちらを観察している。
「黒田」
ゼニスが俺の後ろへ来た。
「何だ」
「現在、【|即日レベルアップシステム《インスタント・レベリング》】は未使用です。念のため確認ですが、通常戦力のまま継続しますか?」
「する。今回は料金内で処理する」
「人命救助を通信プランみたいに言わないでください」
「一億九千万背負ったら誰でも料金プランに敏感になるんだよ。今の俺でも動けてる。なら使わん」
「分かりました。ただし、状況悪化時は――」
「分かってる」
俺はジークの脇へ回る。
「立てるなら東へ。ティアナ、お前は後ろ向きに下がるな。足元見えなくなる。横向きで動け」
「分かってるわよ」
「分かってる奴がさっき崖際まで下がったの見たぞ」
「見てたの!?」
「見てるのが仕事だって前も言ったろ」
「こんな時だけ説得力出すの腹立つ!」
俺たちは少しずつ東の登り道へ寄る。
影走魔狼は飛び込んでこない。
黒月狼王が待たせている。
「妙だな」
「何が?」
「俺らが狭い道へ入るのを待ってる」
ジークが顔をしかめる。
「狭い方が奴らに不利じゃないのか?」
「普通ならな。でも上から回れる道があるんだろ。俺らが入口に固まったところで挟む気だ」
「じゃあどうするのよ」
「逆に使う」
俺は倒木を見る。
「ティアナ。さっき“大きいの二発”って言ったな」
「今ので一発分近く使った。最大出力ならあと一発」
「それを狼王に残せ。小さいのは俺とジークで止める」
「黒田、今のレベルで?」
「やるしかねえだろ。できる範囲だけやる」
ジークが笑う。
「さっきまで料金の話をしていた男とは思えないな」
「料金の話しながら死ねるほど器用じゃない。あとでまとめて絶叫でもしてやるさ」
黒月狼王が吠えた。
空気が震える。
影走魔狼が動いた。
今度は四匹。
ドドドッと爪が地面を叩き、左右から砂と小石が弾ける。
「ジーク、右二匹! 深追いすんな!」
「分かってる!」
「ティアナ、左奥だけ焼け! 手前は俺が取る!」
「外したら知らないからね!」
「お前が外したら俺より下手になるぞ!」
「死んでも嫌!」
火弾が飛ぶ。
俺は一匹目の飛び込みを避け、腹の下へ剣を滑らせる。二匹目が肩へ噛みつこうとした瞬間、身体を沈めて柄で顎を打つ。
ゴッ、と鈍い音。
腕が痺れる。
「重っ......!」
だが止めた。
ジークも右側を押し返す。
ここまではいける。
そう思った瞬間だった。
黒月狼王が消えた。
「......っ!」
視線を振る。
速い。
普通の影走魔狼とは比べものにならない。
狙いは俺じゃない。
ジーク。
右肩を負傷して、剣を振り切った直後。
「ジーク、下がれ!」
遅い。
黒い巨体が地面を蹴る。
その瞬間だけ、谷の景色が別の何かと重なった。
土煙。
叫び声。
倒れる人影。
足りない。
距離が。
時間が。
何かが。
俺の判断の外側で、何かが足りなくなる感覚。
胸の奥が冷たくなった。
「ゼニス」
声が自分でも分かるくらい低かった。
「はい」
「【|即日レベルアップシステム《インスタント・レベリング》】」
「利用料金が――」
「知ってる。起動しろ」
ゼニスが一瞬だけ俺を見る。
「......了解しました」
視界の端に数字が走った。
【即応 発動】
【レベル:9→14→21】
身体の中へ熱が流れ込む。
踏み込む。
間に合う。
俺はジークの鎧を横から掴み、引き倒すように地面へ転がした。
黒月狼王の爪が、俺の肩先を掠める。
布が裂ける。
皮膚が熱い。
でも、致命傷じゃない。
「黒田!」
「死んでねえ! 立て!」
【レベル:28→35→41】
「黒田さん、現在の利用料が――」
「数字読むな! 集中できねえだろ!」
「レベルですか、料金ですか!」
「レベルだけ!」
「料金も重要です!」
「今は人が死ぬ方が先だろ!」
黒月狼王が着地し、すぐ反転する。
俺は息を吸った。
さっきまでうるさかった音が、遠くなる。
消えたわけじゃない。
ティアナの詠唱。
ジークの荒い呼吸。
魔狼の爪。
谷を抜ける風。
必要なものだけが前へ出て、それ以外が後ろへ下がる。
「ティアナ」
「何!」
「最大火力、まだ撃つな」
「今撃たないでいつ撃つのよ!」
「狼王は俺を見てる。次、俺に来る。左三歩。そこで溜めろ」
「根拠は?」
「今説明してる暇ない。期待すんな。俺が見てる間だけ、言った位置にいろ」
ティアナの顔から反論が消えた。
「......分かった」
左へ三歩。
黒月狼王が動く。
俺へ来る。
「ジーク、右へ。追うな。退路だけ空けろ」
「了解!」
「ゼニス、料金実況やめろ」
「後でまとめてお伝えします」
「それも怖いけど今はいい」
黒月狼王が低く身体を沈める。
前脚。
肩。
視線。
踏み切る位置が見える。
俺は真正面へ一歩出た。
「黒田!?」
「動くな、ティアナ」
狼王が跳ぶ。
俺は直前で左へ抜けた。
狼王の身体が空中で向きを変えようとする。
無理だ。
そこだけは変えられない。
「今!」
ティアナの杖が光った。
「【爆裂火槍】――ッ!」
ズガァァンッ――!!
音というより、熱い壁が谷を押し抜けた。
火線が黒月狼王の側面へ食い込み、爆発と同時に地面が震える。砂礫が足首へぶつかり、焼けた毛と土の匂いが一気に広がった。
黒月狼王の巨体が横へ吹き飛び、岩へ激突する。
ドォンッ、と遅れて重い音。
「ジーク!」
「分かってる!」
ジークフリードが走る。
負傷していたはずの身体から最後の力を絞り、剣を両手で握った。
「これで――終わりだッ!」
刃が黒月狼王の首元へ入る。
深い。
狼王が暴れる。
俺も横から剣を押し込む。
「一人で格好つけんな。肩壊れてんだろ!」
「最後くらい言わせろ!」
「帰ってから言え!」
ティアナが残った小火力を撃ち込む。
三人分の攻撃が重なった。
黒月狼王の脚から力が抜ける。
巨体が傾く。
ズズズズッ......と土を削り、そのまま倒れた。
地面が揺れる。
一瞬、谷から音が消えたように感じた。
残った影走魔狼たちは、指揮個体が倒れたのを見て距離を取る。
やがて一匹、また一匹と岩陰へ消えていった。
追わない。
「追撃する?」
ティアナが息を切らして聞く。
「しない。帰る道が空いた。十分だ」
「珍しく賛成」
ジークが地面へ座り込む。
「俺も、もう無理だ」
「知ってる。右肩動かすなよ」
俺はそこでようやく肩の傷を見る。
浅い。
血は出てるが動く。
煙草を探す。
ない。
「......さっき落とした一本、拾えば吸えたかな」
「戦闘の後の第一声がそれ!?」
ティアナが叫ぶ。
「無事だったんだからいいだろ。煙草一本は戻ってこねえんだぞ」
「命と比べなさいよ!」
「命は戻った。煙草は戻らん」
「その理屈、本気で腹立つ!」
そこへゼニスが静かに端末を閉じた。
「黒田さん」
「今だけ黙れ」
「まだ何も言っていません」
「顔で分かる。料金だろ」
「はい」
「今だけ黙れ」
「分かりました」
数秒。
俺は安心した。
ゼニスが口を開く。
「では、十分ほど後に――」
「てめえ、黙れっつったろクソ女神ぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
「別に時間指定されてないでしょうがぁぁぁぁぁっ!!」
ティアナが両耳を塞いだ。
「アンタら、最後が一番うるさい!」
【神界・追加ご請求】
・【即日レベルアップシステム】緊急起動料 金貨300枚
・戦闘時急速成長利用料 金貨1,420枚
・高危険度因果安定化補助費 金貨200枚
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今回加算 金貨1,920枚
日本円換算 9,600,000円相当
前回繰越残高 金貨38,480枚
合計残高 金貨40,400枚
日本円換算 202,000,000円相当
※ゲイン装備ローン・ミャオ管理債務は別口。




