第17話 安全な依頼を選んだ俺の前に、どうして魔狼がいる
山間街道へ入ってから二時間ほど。
安全な運搬依頼のはずだった俺は、荷車の横で煙草の残り本数を数えていた。
「五本......いや、四本半か。朝の一本を途中で消したから、あれを再利用すれば実質五本。帰還まで持つな」
ゼニスが隣で呆れた顔をする。
今日はずっと山岳ガイド風の格好だ。帽子まで被ってるくせに、土の上を歩いても裾が妙に綺麗なのが腹立つ。
「命の危険より煙草の在庫を先に計算するの、やめません?」
「命の危険はいつ発生するか分からん。ヤニ切れは在庫がゼロになったら確実に発生する。確定リスクから管理するのが基本だ」
「ヤニ切れを災害みたいに扱わないでください」
「精神災害だぞ。俺の機嫌が悪くなる」
「それは周囲への災害ですね」
「うまいこと言った顔すんな」
俺は一本だけ取り出して眺め、結局戻した。
「昼までは温存する。ここで吸ったら帰りの在庫が危ない」
「煙草に関しては珍しく計画的ですね。装備購入の時にも同じ慎重さが欲しいです」
「一億九千万近く借金あったら誰でも倹約家になる」
「装備を買う時にもその感覚を思い出してください」
「装備は必要経費。煙草は精神維持費。酒は睡眠導入費。ギャンブルは資産運用」
「最後だけ明確に嘘です」
「資産運用にはリスクがある。結果だけ見てギャンブル扱いするのは早計だ」
「あなたの場合、リスクしかないでしょう!」
荷車を引く商人が笑った。
「黒田さん、女房みたいに怒られてますね」
「やめろ。こいつが女房だったら婚姻届の横に請求書ついてくるんだぜ?」
「あなたと結婚するぐらいなら神界の監査部へ異動願い出します!」
「ほらな」
くだらない会話をしながら進んでいたが、山道の空気は少しずつ変わっていた。
最初に見つけたのは折れた枝だった。
次に、道脇の泥へ深く残った靴跡。
さらに少し先で、木の幹へ黒い焦げ跡がある。
俺は荷車を止めた。
「......待て。荷車を一回止めろ。この先、何かおかしい」
商人が振り返る。
「どうしました? 道に何か見つけましたか?」
「この先、ちょっと変だ。枝の折れ方も足跡も、普通の通行じゃない」
俺は焦げた幹へ近づく。
表面だけじゃない。樹皮が一方向へ弾け、内側まで焼けている。
ゼニスも顔つきを変えた。
「この焦げ方、魔法痕でしょうか。自然に焼けた感じではありません」
「多分な。少なくとも山火事の跡じゃない。狙って撃った形だ」
「もしかしてティアナさんの魔法ですか? 痕跡だけで区別できます?」
「似てる。あいつの火は収束が綺麗だから、焼け方に癖がある」
「分かるんですか?」
「前に散々、俺の初級火球を馬鹿にされたからな。あいつのは収束が綺麗で、余計な焼けが少ない。俺のはもっと雑に散る」
「そこまで分析できるのに、比較対象が自分の下手な魔法なのが悲しいですね」
「うっせぇわ!!下手は下手なりに教材になるんだよ」
そこから十数メートル先。
草が踏み荒らされている。
土に血。
壊れた革製の肩当て。
俺はしゃがみ、指で土を触った。
「血痕が新しい。半日も経ってない」
商人の顔が青くなる。
「この先に救援班がいる可能性がありますか? 進んで確認するんですか?」
「分からん。だから今から確認する。あんたらはここで待て。いや、待つのも危ないな。少し戻って、さっきの分岐手前まで下がれ」
「黒田さんはどうします? まさか一人で先へ行くつもりじゃありませんよね」
「俺は見てくるだけ。依頼の荷物は持ってけ。運搬失敗扱いにされたら困る」
「こんな時まで運搬報酬の心配をするんですか。普通は負傷者が先でしょう」
「こんな時だからだ。危険に首突っ込んで運搬報酬まで失ったら完全赤字だろ。命張るならせめて帳簿上は黒字にしろ」
ゼニスが小さくため息をつく。
「そういう言い方をする時ほど、帰らないんですよね」
「帰る。確認したら帰る。俺は昨日ちゃんと学習した」
「では、その言葉も記録しておきます」
「お前、記録魔かよ」
商人たちを下がらせ、俺とゼニスだけで先へ進む。
焦げ跡は一つじゃない。
岩肌に浅い亀裂。
矢が一本。
血痕。
足跡は複数。
人間の靴跡に混じって、獣のものがある。
「獣の足跡、思ったより数が多いな。一匹二匹の襲撃じゃない」
「重なっていて読みにくいですね。何体くらいだと思います?」
「分からん。重なってる。ただ、一匹二匹じゃねえ」
俺は視線を道の端へ移す。
「こっちは人間側。走ってる。こっちは獣側。追ってる。途中で分かれて......」
少し先の岩陰に、誰かが倒れていた。
「おい!」
駆け寄る。
若い男。商隊の護衛らしい。肩から血を流しているが、息はある。
「聞こえるか。おい、目開けろ」
「......う......」
「水飲めるか? 無理なら無理に起きなくていい。まず呼吸整えろ」
「くろ......だ......?」
「俺を知ってんのか」
「ギルドで......見た......」
ゼニスが応急処置用の包帯を出す。神術ではない、普通の物だ。
「誰にやられた。ジークフリードたちは?」
男は苦しそうに息を整えた。
「商隊は......先に逃がした......若い剣士と、ピンク髪の魔術師が......残って......群れを止めるって......」
「馬鹿か、あいつら。商隊逃がした後まで自分らだけ残るなよ」
「谷の方へ......狼みたいな魔獣が......何十......」
「何十って、そんな群れ相手に二人で残ったのか。ほんと馬鹿だな」
嫌な数字だ。
「大きいのが......一匹......指示してる......」
俺は立ち上がった。
「ゼニス。こいつ、さっきの商人らに引き渡せるか」
「可能です。ここからなら私の補助で安全な位置まで誘導できます。神術としての治療は――」
「いらん。今は生きてる。普通の手当てで運べる」
「分かりました」
ゼニスは男へ肩を貸しながら、俺を見る。
「黒田さんは?」
「俺は痕跡だけ見て戻る。位置と状況が分かれば後続へ渡せる」
「また“見るだけ”ですか。そう言って前も最後まで残りましたよね」
「今回は本当だ。俺だって毎回危険へ突っ込むほど善人じゃない」
遠くで、ゴォンッ――と低い音がした。
続いて、山肌の向こうが一瞬だけ赤く光る。
俺は目を細めた。
「......あいつ魔力無駄遣いしてんな」
「ティアナさんですか?」
「多分。あんな出力を連発してたら長く持たねえ」
「救援依頼へ切り替えますか?」
ゼニスは業務的な口調に戻った。
「現在の運搬依頼とは別件になりますが、ギルド側へ緊急救援として事後申請できます。追加報酬の対象になる可能性もあります」
「いくら」
「確定はできません。ただ、危険度次第では金貨百枚以上」
「百枚以上か......命張る金額として高いのか安いのか、微妙な線だな」
一瞬だけ心が揺れた。
「いや待て。そこから手数料、ミャオ、ゲイン、神界。俺の手元に残るの何枚だ」
「今その場で手取り計算します? まだ助けるかどうかの場面ですよ」
「一番大事だろ。人命救助で赤字になったら、次から救助する人間がいなくなる。持続可能性ってやつだ」
「あなたは自分が働きたくないだけでしょう」
「それも持続可能性の一部だ」
もう一度、赤い光。
今度は近い。
俺は煙草を一本出した。
火をつける。
一吸い。
吐く。
「......行って見るだけだ。状況確認して、無理ならそのまま戻る」
「戻るんですよね?」
「危なかったらな」
「では、同行します」
「お前はまず患者を安全圏へ運べ。俺への監視はその後でいい」
「安全圏まで送ったら追いつきます。勝手に高額オプション使わないでくださいね」
「高額神術は使わんって言ってんだろ。今日は財布を守る日だ」
「信用が」
「ゼロなのは知ってる!」
俺は谷の方へ走った。
道は途中から細くなり、岩場へ変わる。
血痕が増える。
その先で、一匹目が出た。
黒い毛並み。
犬より遥かに大きい。
低い姿勢で岩陰を縫うように走り、こちらを見た瞬間、左右へ細かく進路を変える。
影走魔狼。
ギルド資料で名前だけ見たことがある。
「うわ、想像より速えな。こういう細かく動く奴、本当に嫌いだ」
俺は剣へ手を掛けた。
魔狼は正面から来ない。
岩を使って視界を切り、俺の横を取ろうとする。
「そういう頭使うタイプが一番面倒なんだよ」
右へフェイント。
左へ来る。
俺は半歩下がり、突っ込んできた鼻先を剣の腹で逸らした。
魔狼が着地した瞬間に蹴りを入れる。
「一匹ならいい。群れで来るなよ」
言った直後、岩陰から三匹出た。
「一匹ならいいって言ったそばから三匹で来んな! 会話を聞いてたのかお前ら!」
剣だけじゃ面倒だ。
小さな火球を作る。
「ほら、俺の魔法を見ろ。ティアナより安いぞ!」
放つ。
魔狼の横を抜ける。
「......風だな」
後ろから声。
「無風です」
「患者送ったばっかだろ。追いつくの早えよ、少しは俺を信用して遅れて来い!」
ゼニスが立っていた。
俺は剣で一匹を牽制し、岩の隙間へ走る。
「こいつら正面から相手するな。狭いとこ通せ。三匹同時に来られる方が面倒だ」
「了解しました。では私は後方で状況確認と必要時の支援に徹します」
「お前は戦わなくていい。俺が見る」
「戦闘に入ると急に指示が具体的になりますね。普段からその半分くらい真面目なら楽なんですが」
「後で言え!」
岩場を抜ける。
その先で、景色が開けた。
谷底へ続く斜面。
折れた木。
焼けた地面。
そして、遠くに人影。
ジークフリードが片膝をついている。
鎧の肩が裂け、剣を地面へ支えにして立とうとしている。
ティアナはその前で杖を構えていた。
桜色の髪が汗で頬へ貼りつき、呼吸が荒い。
周囲を十数匹の影走魔狼が囲んでいる。
さらに奥。
普通の魔狼より一回り、いや二回り大きい黒い個体がいた。
額から首筋へ銀灰色の筋が入り、他の個体がそいつの動きに合わせて位置を変えている。
黒月狼王。
群れの指揮個体。
「......いるじゃねえか、面倒の親玉が」
俺は斜面を下りながら声を張った。
「お前らさあ!」
ティアナが振り返る。
「黒田!?」
「何でわざわざ、俺が通る道で遭難してんだよ! 安全依頼だった俺まで危険手当の対象になるだろうが!」
ジークフリードが苦笑した。
「本当に来ると思ってなかったぞ。お前、別の運搬依頼だっただろ」
「俺も来ると思ってなかったよ! 今から帰っていいか?」
「帰れるならな!」
影走魔狼が一斉に低く唸る。
俺は剣を抜き、煙草を地面へ落とした。
「......チッ。一本無駄になっちまったじゃねえか」
【神界・追加ご請求】
・危険区域同行監督費 金貨40枚
・緊急救援対象位置照合費 金貨35枚
・戦闘状況記録/危険度再査定費 金貨45枚
─────────────────
今回加算 金貨120枚
日本円換算 600,000円相当
前回繰越残高 金貨38,360枚
合計残高 金貨38,480枚
日本円換算 192,400,000円相当
※ゲイン装備ローン・ミャオ管理債務は別口。




