第126話 クソ女神との契約、意外と便利だった
翌朝、移動式やどり木の会議室は昨日の騒ぎが嘘みたいに静かだった。長机に残っているのはネレイス、ゼニス、レグリア、ティアナ、それに俺だけ。厨房から焼きたてのおいしそうなパンの匂いが流れてくる一方、机の上では三つの神界端末が青白く光っている。
昨日の測定については、衣装試作費だの高速更衣神術だのが請求書へ並んだ時点で、それ以上聞く気をなくした。
「結論から言おう。第一帰属点は現代世界。第二帰属点は移動式やどり木になる」
ネレイスが宙へ二つの光点を浮かべた。一つは日本、もう一つは今いる宿を示しているらしい。
「やどり木が、二軒目の家みたいになってんじゃん。これ、まさか住宅ローンみたいな請求まで生えたりしないよな?」
「黒田さん、自分から新しい課金項目の名前を提案しないでください。神界会計が本当に拾ったら、私は止めませんよ?」
ゼニスは今日は白を基調にした神界標準服で、昨日の攻めた格好とは別人みたいに落ち着いている。
「おい、今日の方が普通に似合ってんじゃんか、お前」
「……え? えっ?」
ゼニスの指が止まった。レグリアが待ってましたとばかりに横から覗き込む。
「先輩、昨日あれだけ神力使って着替えたのに、普通の服で褒められてますぅ♡ 費用対効果よわよわ――」
「お前も最後のワンピースが一番マシだったぞ」
「…………」
今度はレグリアが止まった。青紫の目が一度だけ泳ぎ、口元に出しかけた笑みが消える。
「何だよ。監査端末と一緒に固まったのか?」
「処理中です。ちょっと黙っててください」
「まったく。褒められ慣れてない女神が二人並ぶと、朝から面倒ねえ」
ティアナが椅子の背へ体重を預けた。契約再構築は驚くほど地味だった。ネレイスが切断箇所を洗い出し、レグリアが世界整合側から監査し、ゼニスが送還と即応系統を繋ぎ直す。薄い文字列が端末上を忙しく流れていった。
「こうして見ると、お前らちゃんと神様の仕事もするんだな、なんか普段の行動見てると信じられないわ」
「普段からしてますよ!」
「私は最初から超優秀ですけどぉ♡」
「お前ら、昨日は服を十一着近く生成してたじゃん」
「ふん、監査に必要な比較試験ですぅ」
「今その理屈で自分から傷口開くのやめなさいよ?余計ひどくなるわよ」
ティアナに止められたところで扉が開き、ミルネがリリアを連れて入ってきた。ミルネは診療用の薄い板を抱えているが、リリアは見るからに納得していない顔で頬を膨らませている。
「黒田さん、少し確認したいことがあります」
「健康系なら嫌なんだけど」
「今日はリリアさんの方です」
「私も嫌よ!」
二人分の拒否が綺麗に重なり、ミルネだけが慣れた顔で診療板を操作し始めた。
「昨日から魂位相の変動を見ていたんですけど、リリアさん、陸さんに強く言われた後の方が安定値が高いんです」
「ほらぁ! 言い方! それじゃ私が罵られて喜んでるみたいじゃん!」
「え、お前、違うの?」
「違うよー!」
俺が返すと、リリアが机を叩いた。
「陸まで乗らないでよ! 私は痛いのが好きなんじゃなくて、陸が『リリアなら戻ってくる』『お前なら任せられる』って言ってくると、その……ちょっとだけ……」
そこまで言ったところでリリアの声は急に細くなり、さっきまで机を叩いていた勢いも消えた。当然、その変化をティアナが見逃すはずもなかった。
「はぁ。嬉しいのね」
「本人に言わせないでよ!」
「なるほど」
ミルネが真面目な顔で記録する。
「信頼された感覚が精神状態を安定させて、その影響が魂位相へ出ているんだと思います。少なくとも『ドM死霊術師』という診断ではありません」
「そのひどい名称、診断候補に入れてたの!?」
「仮称ですけどね」
「仮でもやめてよ!なんか私が変態みたいじゃんか!!」
俺は椅子へ深く座り直した。
「じゃあ今後も危ない偵察はリリア優先で――」
「そこまで都合よく解釈するなぁぁぁぁ!!」
リリアの声が天井を叩き、ミルネの長い耳がぺたりと伏せた。ティアナは俺を見ただけで何も言わない。その視線が十分責任を押しつけてきたので、俺は何も見なかったことにして契約端末へ顔を戻す。昼を少し過ぎた頃、ようやくネレイスが手を止めた。
「接続する。今回は現代側と異世界側の二重帰属を前提に経路を固定した。以前より切断時の逸脱は起きにくい」
「で、その安全化は無料だろうな?」
「有料だ」
「くっそお、聞いた俺が馬鹿だった」
「ですが、今度は帰還機能だけ落ちて黒田さんが騒ぐ可能性も減っています。安全性へ払う費用だと思ってください」
「二億とか言わなきゃ考えるんだけどな、最近何かにつけて桁がおかしいから」
ネレイスが最後の処理を通すと、淡い光が視界を横切った。
【異世界送還:AVAILABLE】
【即応:STANDBY】
【即日レベルアップ:STANDBY】
見慣れた表示が戻った瞬間、胸の奥に引っ掛かっていたものが少しだけ外れた。
「……よし、どうやら戻ったみたいだな、喜ぶべきか、悲しむべきか。なんとも複雑な気持ちになるもんだが。とりあえず俺は帰る。そして酒飲んで寝る」
確かめるように右手を握り、そのまま現代へ帰った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
四畳半の畳へ足裏が触れた途端、古い煙草と酒の残り香が鼻へ入った。見慣れた天井、空き缶、灰皿、冷蔵庫。人に見せれば眉をひそめられる部屋なのに、数日ぶりだと妙に肩の力が抜ける。
「無事に帰れたか――」
冷蔵庫から缶ビールを一本抜き、布団へ転がる。プシュッ、と缶を開けたところでスマホが震えた。ひなたから三件。
『昨日、変な夢見たんですけど』
『ゼニスさんとレグリアさんが出てきました』
『陸さん、異世界で何やってるんですか?』
俺はしばらく画面を見てから、
『変な夢見てただけだろ』
とだけ返した。数秒で既読。
『今度会ったら詳しく聞きますよ』
「帰れた初日に現実側の追及増やすなよ……」
スマホを伏せ、ビールを一口飲む。苦味が喉へ落ちて、ようやく現代へ戻れた気がした。
その夜、今度は自分の意思で異世界へ戻った。夜道の向こうに移動式やどり木の灯りが見えた。扉を開けると煮込み料理の匂いと食器の音が迎え、厨房からミャオが顔を出す。
「おかえりにゃ。ちゃんと自分の家に帰れたかにゃ?」
「ああ。俺の飯ある?」
「あるにゃ。帰って最初に聞くことがそれなの、昨日の測定結果そのままだにゃあ」
「結果が正しかったってことでいいじゃん」
「ま、今回はそういうことにしておくにゃ」
食後、腹が落ち着いた頃にゼニスが金縁のバインダーを抱えて俺の向かいへ座った。
「黒田さん。契約、正式に復旧しました」
「知ってる。往復できた」
「その……何かないんですか?」
「何かって何だよ」
「昨日まで『クソ女神』『勝手に切るな』『金取るな』って散々言っていたでしょう。戻った感想くらいあってもいいじゃないですか?」
いつもの請求説明ならもっと押しが強いくせに、今日に限って妙に歯切れが悪い。俺は少し考え、珍しく素直に口にした。
「まあ、ありがとな。切れて初めて分かったけど、お前との契約って結構便利だったわ。往復できて、即応も使えて、面倒な処理までそっちでやる。請求書しか見てなかったから忘れてたよ」
ゼニスは予想していなかったのか、目を丸くしたまま一拍返事を忘れた。
「……そう、ですか」
「便利だな、お前」
「......褒め方が家電扱いなんですよぉぉぉぉ!!」
怒鳴ったわりに、口元は少し緩んでいた。少し照れくさくなったので、それ以上言葉を足す代わりに俺は右手を差し出した。
「何ですか、その手は――」
「握手だよ。復旧記念にな」
「本当に普通の握手ですか?」
「今日は普通だ」
「今日は、って付ける時点で嫌なんですけど……」
以前のにぎりっ屁を思い出したらしく、ゼニスは掌を睨んでから渋々握り返した。
「……本当に普通ですね」
「俺を何だと思ってんだよ」
ぷぅ。静かな食堂へ、気の抜けた音が落ちた。ゼニスの手から力が消える。
「……黒田さん」
「普通の握手とは言った。が、屁をしないとは言ってない」
「今、一瞬でも感謝した私の気持ち、全部返してくださいぃぃぃぃぃ!!」
厨房からミャオが顔だけ出した。
「陸ー。窓開けるにゃー」
「何でそっちはそんなに慣れてるんですかぁぁぁ!!」
夜が更け、やどり木の灯りが一つずつ消えた頃。世界整合管理局の監査画面を見ていたレグリアだけは、笑っていなかった。
【対象:黒田陸】
【世界間不整合対処候補】
【契約断絶】
【異世界渡航権停止】
執行決定ではない。だが、本人の意思と関係なく日本側へ固定する選択肢が、正式な処分候補として並んでいる。レグリアは指先を止めた。
「……ゼニス先輩、これ見たら絶対怒るでしょうね」
いつもの♡は付かなかった。帰れたことに安心し、それでも夜には当然のようにこちらへ戻ってきた黒田の姿が頭をよぎる。それと規則上の危険性は別問題だと、自分へ言い聞かせるように画面を閉じた。
【神界・追加ご請求】
・神界契約再構築処理費 金貨12,000枚
・二重帰属点接続補正費 金貨8,000枚
・現代帰還機能再起動費 金貨7,000枚
・異世界再転送系統復旧費 金貨5,000枚
・世界間因果位相再調整費 金貨6,000枚
・世界整合管理局復旧監査費 金貨4,000枚
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今回加算 金貨42,000枚
今回加算・日本円換算 210,000,000円相当
前回繰越残高 金貨838,000枚
前回繰越残高・日本円換算 4,190,000,000円相当
暫定合計残高 金貨880,000枚
暫定合計・日本円換算 4,400,000,000円相当
翌朝、請求書を見た俺は昨日の感謝を半分ほど撤回した。
「おいてめぇ、復旧に二億一千万だって? 待てよ。一回切らなきゃ、これゼロ円だったよな?」
「安全に再構築した結果です」
「質問へ答えろ、ゼニス!!」
「検査上、必要な工程でしたぁ♡」
横からレグリアが割り込んだが、語尾へ♡を付けるまで一拍あった。
「おい監査官。今、誤魔化すためにハート後付けしただろ」
「してませんけどぉ♡」
そう言って、レグリアは俺から目をそらした。ゼニスもだ。
「クソ女神ども、二人とも目ぇ逸らしてんじゃねえ!」
ネレイスだけが平然と端末へ追記する。
「なお、今回の再構築により安全性は向上した」
「二億一千万払えばな!」
「安心は有料だ」
「俺の借金だぞ、神界の標語みたいに言うなぁぁぁぁ!!」




