第123話 ゼニスとの契約切ったら全部無料じゃね?
第六元帥【零】イリス・ゼロスを谷から連れ帰った翌朝、移動式やどり木の会議室には、朝飯の匂いより先に神界端末の薄青い光が満ちていた。昨夜、レグリアが最後に見つけた【契約系統:異常】という一行が、寝て起きても消えてくれなかったからだ。
俺としては、世界整合管理局だか神界だか知らないが、朝から面倒な文字列を見るくらいなら、味噌汁飲んで煙草吸って二度寝したかった。
「で。契約がどうしたって?」
俺は面倒くさそうに欠伸をしながら聞くと、壁際に立っていた女が視線だけを寄越した。黒に近い青の外套、無駄のない細身の軍装、胸元には魔王軍第四元帥を示す紋章。第四元帥【契】――蒼冥元帥ネレイス・モルティアは、こっちが眠そうだろうが何だろうが気にする様子もなく、神界端末へ表示された複数の線を指先でなぞった。
「お前と神界の接続契約に、外部から触られた跡がある。イリスへ施された保全処置と同系統かどうかは、まだ分からないがな」
「なーんだ。分からないなら寝ていい?」
「駄目だ」
「少しは考えてくれてもよくね?」
今日のゼニスは、濃紺の長衣に銀糸を入れた法務官めいた格好だった。胸元まできっちり留めた服は珍しく実務一辺倒で、昨日まで衣装で遊んでいたアホ女神と同一人物とは思えない。
「ですから、一時的に黒田さんと神界の契約を遮断して、異常がどちら側に残るか確認します」
「ち、ちょっと待て」
俺が手を上げると、ゼニスが嫌そうな顔をした。
「何ですか、一体」
「それ、切ったらお前からの請求も止まるよな?」
「何でそこが最初なんですか!」
「大事だろ。俺にとっては世界の危機より大事だ」
「大事にしないでください!!」
横でレグリアが口元を押さえた。今日は白と黒の監査服。昨日あれだけ砂まみれになったからか、膝丈の実用的な服へ戻っている。
「契約を切っても、既に確定した債務は残りますよぉ♡」
「うるせえチビ女神。お前に聞いてない」
「聞かなくても教えてあげましたぁ♡」
「じゃあ存在消してくれない?」
「監査対象から直接言われるとムカつきますねぇ」
ネレイスが俺たちを無視して処理を続ける。
「よし、契約を遮断するぞ」
「いいぞー切って!」
「おいちょっと待てぇぇぇぇぇぇ!!」
ゼニスが机を叩いた。
「あなた、何でそんな即決なんですか!もう少しこう、あるでしょういろいろと!!」
「借金は残るらしいけど、お前から追加請求来なくなる可能性あるだろ?」
「私との契約ってその程度なんですか!?」
「その程度って何だよ。請求書運んでくる迷惑業者でしかないだろ」
「業者じゃありません!!め・が・みですっっ!!」
それ以上有無を言わさないかのように、ネレイスの指先が光った。
次の瞬間、いつも視界の端に薄く浮かんでいた神界表示が、音もなく消えた。
【即応】
【即日レベルアップ】
【異世界送還】
普段は邪魔だと思っていた表示が一枚ずつ落ち、最後には何も残らなかった。
その環境は、俺にとって妙に静かなものであった。
「......おお」
「どうですか?」
ゼニスが警戒しながら聞く。
「俺は――――自由だああああああ!!」
「まだ何も解決してませんけど!!」
椅子から立ち上がろうとした俺の肩をティアナが掴んだ。
「黒田、どこ行くのよ」
「酒だ、祝い酒。こんなこと祝わずにどうするよ!」
「あのね、あんたまだ朝よ」
「じゃあ煙草で祝杯を――」
「それはいつもでしょ!」
レグリアが端末を確認し、少しだけ口角を上げた。
「契約遮断、正常終了。ちなみに黒田さんの既存債務、金貨七十四万六千枚も正常に残ってますぅ♡」
「そこ異常起こせよ!!くそシステムがっ!!」
「債権記録は健全です♡」
「一番不健全な数字だろうが!」
ネレイスは神界表示の消えた俺を見て、何事もなかったように続けた。
「しばらくこの状態で観察する」
「どれくらい?」
「最低半日は必要だろう」
「半日何もしなくていい?」
「戦闘が起きれば普通に戦え」
「能力止まってるんだけど?」
「自前でなんとかするんだな」
「一番嫌な言葉出たなあ......」
ゼニスが深く息を吐き、銀の縁取りが入った袖を整えた。
「本当に......そんな簡単に切るんですね」
「何がよ?」
「私との契約です!」
「ま、実験だろ?」
「分かってます、分かってますけどぉ......」
分かっていると言いながら、妙にこの女神、機嫌が悪い。
レグリアがゼニスの横顔を見て、ニヤッとした。
「ゼニス先輩、男に捨てられた女みたいな顔してますよぉ♡」
「あのね!契約の話です!」
「でも『切って』って一秒でしたぁ♡」
「あんた、黙りなさい!」
「先輩、顔赤――」
「黙っててください!!」
ゼニスが本気でキレそうだったので、レグリアが一歩引いた。
「本気で怒るじゃないですかぁ......」
「お前が余計なこと言うからだろ、バーカ」
俺が笑うと、今度はゼニスの視線がこっちへ飛んできた。
「黒田さんもです」
「俺?」
「......何でもありません!」
ああ、神様って面倒くさい。いや女ってやつは......なのか。
【神界・追加ご請求】
・神界契約系統異常診断費 金貨5,000枚
・契約一時遮断処理費 金貨7,000枚
・世界間因果安全化処理費 金貨4,000枚
・旧契約履歴逆引き照合費 金貨3,000枚
・遮断後安定監視費 金貨5,000枚
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今回加算 金貨24,000枚
今回加算・日本円換算 120,000,000円相当
前回繰越残高 金貨746,000枚
前回繰越残高・日本円換算 3,730,000,000円相当
暫定合計残高 金貨770,000枚
暫定合計・日本円換算 3,850,000,000円相当
※契約遮断は債務免除を意味しません。
※黒田陸の期待だけが正常に切断されました。
「契約切っただけで一億二千万!?」
「神界系統の安全遮断ですから」
「無料解約じゃないの?」
「神界契約を携帯電話みたいに言わないでください!」
「解約手数料高すぎんだろ!」
「だから解約ではありません!」
俺は請求書を丸め、机の上へ置いた。
「もういい。帰って屁こいて寝るわ」
「どうぞ!ご勝手に!!」
ゼニスが投げやりに返した。
この時の俺はまだ、その「帰る」が使えなくなっていることに気づいていなかった。




