第119話 六大元帥なのに五人しか名前がない
魔王軍の最高幹部は、正式には「六大元帥」と呼ばれている。六という数字が付いている以上、そこには六人いるはずで、三大何とかと言いながら四人いた、みたいなふざけた数え方をしていない限り、子供でも分かる計算だった。
ところが翌朝、移動式やどり木の奥にある小さな会議室へ資料を並べてみると、その当たり前が最初から崩れていた。昨夜、南東異常核を砲撃したあとに回収した識別断片、魔王軍側が持ち込んだ古い人事名簿、ゼニスが神界から引っ張ってきた索引、さらにレグリアが監査用端末から開いた世界整合管理局の旧い参照記録。出所も年代も書式も違うのに、六人目に当たる場所だけが揃って欠けている。
魔王軍の羊皮紙には乾いたインクと革の匂いが残り、神界側の資料は薄青い光の板になって机の上へ重なっていた。窓の外では朝日が荷車の屋根を照らし、ミャオが朝飯の皿を抱えて行き来している。鍋の蓋が鳴り、少し離れた食堂からはモグの「おかわり!」まで聞こえてきた。いつものやどり木の朝が続いているだけに、机の中央に残った空白は余計に気味が悪かった。
「じゃ、一人ずつ確認するぞ。途中で『それ誰だっけ』が出たら、その時点で止めよう」
俺は椅子へ深く座り直し、魔王軍側の名簿を手前へ引き寄せた。アルヴィナは向かい側で菓子皿を抱え、セラフィナは壁際に立って腕を組んでいる。ゼニスとレグリアも神界資料を開いたまま黙ってこちらを見ていた。
「第一元帥【命】――灰鉄元帥ローディス・ヴァルガン」
「いる。ローディスは忘れない」
アルヴィナの返事には迷いがなかった。
ローディス・ヴァルガンは、見た目なら五十から六十代ほどの老将で、灰色の重装甲をまとい、地上軍と重装歩兵をまとめる。防衛戦、負傷兵の回収、戦線維持まで見る男で、派手に勝つというより「軍を崩さない」ことに長けた元帥だ。以前会った時も、威圧しようとして立っているというより、そこにいるだけで地面へ根でも生えているような安定感があった。
敵か味方かより先に「軍人としてどう動くか」を見るところがあり、俺のことも元自衛官としては一定の評価をしているらしい。ただし「働けるのに働かない」という一点だけは、最後まで理解できない顔をしていた。
「第一は問題なし。次」
指を一段下へ滑らせる。
「第二元帥【間】――紅蓮元帥セラフィナ・ヴェスペル」
「いる」
「いるわよ。ここに」
アルヴィナより先に、壁際の本人が低い声を返した。
セラフィナ・ヴェスペルは、長距離魔術、魔導砲、攻城砲撃を担当する魔王軍側の砲兵屋だ。赤を基調にした軍装と長い魔導具が目印で、初対面の頃は俺の魔法技量を見て露骨に低く評価していたくせに、弾着、観測、射線、危険区域の話になった途端に会話が早くなった。昨日も十九式、FH-70、魔導砲という世界観の違う三種類を同じ作戦へ放り込んだのに、役割分担だけは誰より真面目に合わせてきた。
「こいつは昨日まで一緒に大砲撃ってたからな。今日いきなり名簿から消えてたら、さすがに俺でも神界へ殴り込み考える」
「勝手に消さないでくれる?」
「確認だよ。怒るな砲兵」
「誰が砲兵よ。元帥よ」
「砲兵元帥だろ」
セラフィナは言い返しかけ、そこでわずかに眉を動かした。
「……そこは否定しづらいわね」
「専門で括ると急に素直になるな」
アルヴィナが小さく笑ったので、そのまま三人目へ進む。
「第三元帥【時】――断牙元帥ヴォルク・グラディオ」
「いる! ヴォルクはうるさいのだ!」
「存在確認と悪口が同時に来たな」
ヴォルク・グラディオは、高速機動軍、騎兵、飛行魔獣、快速部隊をまとめる突破戦の専門家だ。豪胆で戦うこと自体が好きな男で、一騎打ちだの正面勝負だのを好み、俺を見るたびに「今度こそ真正面からやろう」と誘ってくる。
当然、毎回断っている。
「一騎打ちしたいなら勇者んとこ行け。俺は遠くから撃ちたい」
「陸、ヴォルクのこと嫌いか?」
「嫌いっていうより、近づいてくる思想が嫌。砲兵に一騎打ち要求する奴、大体話通じねえだろ」
「それはそうね」
横からセラフィナが当然のように同意した。
「お前が納得するんかい!」
「砲兵へ正面決闘を要求する方がおかしいでしょう」
「ほらな。世界が違ってもそこは共通認識なんだよ」
四人目の欄へ移ると、さっきまでより室内の笑いが少しだけ薄くなった。
「第四元帥【契】――蒼冥元帥ネレイス・モルティア」
「いる」
アルヴィナは答えたが、ヴォルクの時ほど声を張らなかった。
ネレイス・モルティアは、諜報、潜入、特殊工作、暗殺、それに契約破壊工作まで扱う元帥だ。必要以上に長く喋らず、人の顔より行動を見ているような女で、気づくと視界の端に立っている。以前、俺をしばらく観察したあとに報告書へ「行動原理解析不能」と書いたらしい。
失礼な話だと思う。
「酒飲んで寝たい、金払いたくない、危ない時だけ仕方なく動く。めちゃくちゃ分かりやすいだろ俺」
「自分で説明すると余計ひどいですね」
ゼニスが資料から目も上げずに刺してきた。
「お前にだけは日々分析されてる気がする」
「債務者の行動傾向把握は業務です」
「人を返済行動AIみたいに見るな」
「返済してくれるなら分析精度は問いません」
「目的が露骨!」
ネレイスの欄には諜報部門の識別印が幾重にも重なり、他の元帥より参照制限も多い。それでも名前、役職、所属、担当は全部残っている。今回問題になっている「最初から存在しなかったような空白」とは違った。
俺は五人目へ視線を落とした。
「第五元帥【貨】――白骨元帥エルネ・カーミラ」
「いる。エルネも忘れない」
細身、眼鏡、白灰色の髪。エルネ・カーミラは、戦場へ出ても敵の数より先に荷物と補給車列を見るような兵站総監だ。食料、魔石、武器、薬、予備品、倉庫、輸送、補給路まで一括して面倒を見る。魔王軍は神界の転送網を自由に使えない以上、人と物を普通に運び続けるだけでも相当な手間がかかる。その条件で軍を動かし続けている時点で、俺は六大元帥の中でもこいつをかなり危険な人材だと思っていた。
「エルネが消えたら、魔王軍は敵と戦う前に飯から困るだろうな」
「そんなに?」
「飯、弾、薬、予備品。前線で強い奴より、後ろでそれを切らさない奴の方が怖い時は普通にあるぞ?」
アルヴィナが自分を褒められたみたいに胸を張った。
「エルネ、すごいでしょ!」
「何でお前が得意そうなんだよ」
「わたしの元帥だから!」
「……そこは国家元首として正しいんだけどな」
五人目までは、名前を読むだけで顔も役割も出てくる。アルヴィナの反応も自然で、神界側と魔王軍側の資料も大筋で一致していた。
だからこそ、その下に残っている最後の一枠だけが異様だった。
本来なら六人目の異名、氏名、担当、所属部隊、備考まで並ぶはずなのに、魔王軍側の名簿には枠線しか残っていない。神界側の管理コードも同じで、第一から第五まで続いていた識別欄の末尾に、【零】という一文字だけが取り残されていた。
――第六元帥【零】。
そこまでは読める。
その先に続くはずの異名も、氏名も、性別も、軍事担当もない。消し墨で塗った跡も、紙を削った跡も、神界側で削除済みを示す記号もなかった。文字を消されたというより、最初からその場所に何も書かれていなかったように見える。
「……第六元帥【零】。残ってるのはここまでだな」
俺が名簿を机へ置くと、ゼニスが身を乗り出した。
「異名欄は?」
「空欄。氏名も担当も全部ない。なのに第六って枠と【零】だけ残ってる」
「欠番処理でもないんですね」
「そう見えるが」
アルヴィナが名簿を覗き込み、しばらく動かなかった。さっきまでローディスやヴォルクの名前へ即答していたのに、六番目の空白を前にすると、眉間へ小さなしわが寄る。
「……違う」
「何が?」
「もう一人いる。ここ、空っぽじゃなかったのだ」
俺は名簿から顔を上げた。
「名前は?」
アルヴィナは答えようとして口を開いたが、声が出ない。何かが喉まで上がっているのに、そこから先だけきれいに抜け落ちているような顔をして、二度ほど唇を動かしたあと、握っていた袖を強く掴んだ。
「……分かんない。でも、いたの。絶対いた」
さっきまで菓子の話で笑っていた幼い魔王の声から、急に軽さが消えた。
俺もそこで初めて、これは単なる古文書の欠損ではないのかもしれないと思った。人の名前を忘れることはある。顔が曖昧になることだってある。だが、組織の最高幹部を五人全員が思い出せて、六人目だけ役目も異名も名前もまとめて消えるのは、忘れ方としてあまりに都合がよすぎる。
重くなった空気から目を逸らすように机の端を見ると、昨日の残りの菓子が六枚の小皿へ分けて置かれていた。羊羹、カステラ、煎餅、饅頭、飴。最後の一枚だけは何も載っていない。
「……この皿、何?」
「六大元帥の分」
「菓子で最高幹部を管理すんなよ」
「分かりやすいもん!」
アルヴィナは少しむっとしながら、五枚の皿を順番に指差した。
「ローディスは羊羹。渋いから」
「老将の人物評が味覚で終わったぞ」
「セラフィナはカステラ。怒るけど甘いの好きだから」
壁際のセラフィナの眉がぴくっと動いた。
「魔王様、その情報は作戦資料に不要です」
「でも好きでしょ?」
「……嫌いではありません」
「認めんのかよ」
「味の好みと軍事能力は無関係よ」
「誰もそこ結びつけてないから安心しろ」
アルヴィナは気にせず次へ進んだ。
「ヴォルクは煎餅。うるさいから。ネレイスは饅頭。静かだから。エルネは飴。長く持つから」
「最後だけ妙に職務と一致してんな。兵站総監へ『長持ちする菓子』を割り当てるの、変なところで解像度高いぞ」
「エルネ、食べ物を長持ちさせるの好き」
「職業病が菓子選びにまで出てるじゃん」
五人分までは、ふざけた基準でもアルヴィナの中で誰かへ繋がっていた。好きな物、性格、仕事ぶり、どうでもいい癖まで、名前を呼べば何かしら思い出せる。
それなのに六枚目の小皿だけは、空っぽのまま残っている。
アルヴィナがその皿へ指を伸ばし、縁をゆっくりなぞった。
「これ、六人分にしたのは覚えてる」
「何を載せるつもりだった?」
「分かんない」
「好きな菓子は?」
「……分かんない」
「甘いのが好きだったか、しょっぱいのが好きだったかも?」
しばらく考えたあと、アルヴィナは首を振った。
「それも分かんない。でも、この皿は必要だと思ったの。五枚じゃ足りないって」
そこまで聞くと、さすがに笑えなかった。名前や顔が消えても、六人で食卓を囲んだ時の「席が一つ足りない」という感覚だけが残ったのなら、生活の癖の方が記録よりしぶとかったことになる。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
朝食の騒ぎが一段落すると、今度は神界側の記録を本格的に洗い直すことになった。
今日のゼニスは古書館の司書みたいな長いスカートに細い眼鏡を合わせ、昨日の十九式清掃で水着みたいな洗浄衣装を泥まみれにした反省なのか、肌の露出がほとんどない。レグリアも珍しく大人しい監査服で、巨大承認印すら出していなかった。昨日まで衣装で張り合っていた二人とは思えないが、こっちは静かな方が助かる。
「神界側でも、個人識別まで確認できるのは五名です」
ゼニスが空中へ一覧を開くと、先ほど読み上げた五人の正式名称が上から順に並んだ。
第一元帥【命】――灰鉄元帥ローディス・ヴァルガン。第二元帥【間】――紅蓮元帥セラフィナ・ヴェスペル。第三元帥【時】――断牙元帥ヴォルク・グラディオ。第四元帥【契】――蒼冥元帥ネレイス・モルティア。第五元帥【貨】――白骨元帥エルネ・カーミラ。
そこまでは所属、権限、記録参照先まできっちり揃っている。そして末尾には第六元帥【零】の管理枠だけがあり、個人識別欄だけが空白だった。
「表題は六大元帥、管理枠も六つ。なのに中身だけ五人。会社の人事システムでこれやったら普通に怒られるぞ」
「だから今調べてるんです!」
「お前が怒る側?」
「今日は怒られる側じゃありません!」
横でレグリアが喉の奥だけで笑った。
「ゼニス先輩、書類不備に妙に敏感ですねぇ♡ 普段からちゃんとしてれば監査なんて怖くないですよぉ♡」
「毎回欄外まで見る人が言わないでください!」
「余白も記録です♡」
「怖っ」
俺が漏らすと、二人の視線が同時にこちらへ刺さった。
「黒田さんは一番ちゃんと書いてください」
「黒田さんこそ未記入欄多すぎですぅ♡」
「何で俺が怒られた?」
「日頃の実績です」
「積み上げた実績ですぅ♡」
「嫌なところだけ連携すんな」
レグリアは笑いながら神界資料へ手を伸ばしたものの、古い処理層を一段開いたところで表情が変わった。いつもの♡が消え、端末へ顔を寄せたまま数秒黙る。
「……これ、本当におかしいです」
「お前が真面目な声出すと嫌な予感しかしない」
「私だっていつも遊んでるわけじゃありません」
「普段の態度見直せ」
「黒田さんにだけは言われたくありません」
ゼニスも別系統の画面を開き、レグリアの横から覗き込んだ。
「古い処理コードがあります。ただ、私の権限では全部見られません」
「お前、神なのに?」
「神にも部署があります!」
「ゼニス先輩、その階層見られないんですかぁ♡」
レグリアが一瞬だけいつもの顔へ戻る。
「職掌が違うだけです!」
「後輩の方が権限上って♡」
「一時的にですよ!」
「じゃあ今日だけレグリアの方が偉い?」
「職掌上の閲覧権限が広いだけです!」
「今“偉い”に反応しましたぁ♡」
「してません!」
「顔がしてる」
「黒田さんまで乗らないでください!」
六大元帥の存在欠落という物騒な話をしているのに、閲覧権限の話へ入った途端、会議室が会社の社内システム相談みたいになった。
アルヴィナが二人を見比べ、心底面倒そうに首を傾げる。
「神様も上下関係あるの?」
「あります」
「めんどくさあ」
「魔王に言われたくありません!」
ゼニスの反論を聞き流しながら、レグリアはもう一段深い処理層を開いた。今度こそ完全にふざけた顔が消える。
「……世界整合管理局の古いコードです。見られるのは、処理名の一部、実施時期の断片、対象識別子の一部まで」
「実施者は?」
「欠損しています」
「理由」
「それも欠損」
「解除条件」
「同じです」
「何が残ってんだよ、その資料」
「だから異常なんです!」
レグリアまで苛立ちを隠さなくなった。普段は規約を盾に人を殴る側なのに、その規約の根拠になる記録そのものが抜けているせいで、自分の武器を半分奪われたような顔をしている。
ゼニスはそこで別の方向から切り込んだ。
「私の権限でも直接は見られませんが、関連請求と補正履歴なら辿れます。何か大きな処理をしたなら、どこかで費用か整合補正が動いているはずです」
「債権者の執念こわぁい♡」
「誰が債権者ですか!」
「黒田さんの」
「そこは否定できません!」
「認めるなよ!」
妙なところで二人の専門が噛み合っていた。レグリアは規約と監査記録から、ゼニスは課金と補正履歴から、同じ欠落へ別方向から迫れる。普段なら最悪の組み合わせにしか見えないが、消えた一人を探す時だけは頼もしい。
「で、その古いコードは何をする?」
俺が聞くと、レグリアは端末を見たまま少し間を置いた。
「現時点では断定できません。ただ、記録隔離系統に近いです」
「人を消したってことか?」
「その言葉はまだ使わないでください。記録を隔離したのか、存在認識へ干渉したのか、それとも別の処置なのか分かっていません」
「でも、普通の名簿ミスじゃないのは確定だな?」
「そこまでは言えます」
その答えを聞いたアルヴィナが、机へ両手をついた。小さな手なのに乾いた音が部屋の端まで響き、さっきまで残っていた笑いをまとめて止める。
「じゃあ探すのだ!」
「誰を?」
反射的に聞いた俺へ、アルヴィナが泣きそうな顔で睨み返した。
「……分かんない! でもいるの! いたの! 絶対だもん!」
名前も顔も役目も出てこない。それでも「いた」という感情だけは消えていない。理屈より先にそこを信じるなら、次に見るべきは神界の画面ではなく、当時そいつが実際に暮らした場所だった。
俺は椅子から立ち、六枚目の小皿を指した。
「じゃあ名前は後でいい。いた証拠から探すか。人が一人増えれば、寝る場所も食う量も荷物も変わる。名前を消せても、昔そいつが座った椅子まで全部消してるとは限らん。六人で飯食ってたなら皿が一枚多いし、六人で歩いたなら足跡も増える。野営してたなら寝床だって増える」
「神界記録なしでですか?」
「記録が信用できないなら現場見るしかねえだろ」
「ものすごく地味ですぅ♡」
「昨日、大砲で三十二億使ったからな。今日は地味に行く」
「戦術判断に借金が侵食してますね」
「今さらだろ」
レグリアが腕を組み、俺を上から下まで見た。
「黒田さん、こういう時だけ妙にまともですよね」
「こういう時“も”って言え」
「それは監査上ちょっと」
「真顔で否定すんな」
窓の外では朝の片付けが進み、椅子を引く音、皿を重ねる音、水桶を運ぶ音が途切れず聞こえている。そういうものは歴史書にも神界台帳にも残らない。だからこそ、誰か一人を完全に消そうとした側が見落としている可能性もある。
少なくとも、九千万円払って「名前は分かりません」と返してくる検索より、俺はそっちを信用したかった。
【神界・追加ご請求】
・六大元帥記録再索引処理費 金貨4,000枚
・世界整合管理局旧式コード閲覧費 金貨5,000枚
・二女神系統横断監査照合費 金貨4,000枚
・過去補正履歴逆引き検索費 金貨3,000枚
・欠落識別子探索処理費 金貨2,000枚
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今回加算 金貨18,000枚
今回加算・日本円換算 90,000,000円相当
前回繰越残高 金貨640,000枚
前回繰越残高・日本円換算 3,200,000,000円相当
暫定合計残高 金貨658,000枚
暫定合計・日本円換算 3,290,000,000円相当
※第六元帥【零】は管理枠のみ確認。氏名・異名・担当記録は欠落。
※世界整合管理局旧式コードは記録隔離系統の可能性あり。詳細未確定。
「九千万払って、検索結果が“名前不明”って何だよ!」
「結果はゼロ件ではありません。第六元帥【零】の管理枠と、記録隔離系統の旧コードまで確認できました」
「でも肝心の名前は?」
「不明です」
「検索結果『分かりません』に九千万払った気分なんだけど!」
「高性能検索ですねぇ♡」
「どこがだ!」
「六人目が実在した可能性は上がりました」
レグリアがそこでだけは茶化さずに言ったので、俺も請求書を睨んだまま黙るしかなかった。
「……そこだけは認める」
借金はまた増えたが、消えた一人の輪郭はほんの少しだけ濃くなった。名前があるから人がいたんじゃない。人がいたから、飯を食い、寝て、歩いて、誰かと同じ場所を使った。その生活まで全部きれいに消えているとは限らない。
アルヴィナは六枚目の小皿を両手で持ち上げた。
「これも持っていく。見てたら思い出すかもしれない」
「持ってくのはいいけど、割るなよ」
「割らない!」
言った直後、椅子の脚へ足を引っかけたアルヴィナの身体が前へ傾いた。小皿も一緒に傾き、横にいたセラフィナが無言で伸ばした手へ収まる。
「魔王様はこちらを持ってください」
セラフィナが代わりに渡したのは、さっきカステラが入っていた空の菓子袋だった。
「……空じゃん」
「落としても被害がありません」
「子供扱いしてない?」
「していません。事故防止です」
アルヴィナは明らかに納得していなかったが、さっき皿を落としかけた手前、強くは言い返せない。頬を膨らませたまま空の菓子袋だけは素直に受け取り、セラフィナは六枚目の小皿を壊れ物みたいに持ち直した。
名前はまだない。顔も思い出せない。それでも、六人目のために用意された場所だけは、確かにそこへ残っていた。




