第113話 ああ、もうダメ……落ちちゃいます……
シルフィアが飛べる程度まで回復したのは、その翌日だった。
前日の夜、シルフィアが気になることを言っていた。
「南東の方だけ、魔力の流れが少し変なんです。地上からだと山に隠れて、どこまで続いているのか分からなくて……」
だったら、上から見てもらうしかない。
ただし、まだ本調子じゃない。今日やるのは南東方面の短時間観測と、シルフィア自身が何分くらい飛べるのかの確認だけだ。
少し見て、疲れたら降りる。それだけの予定だった。
――後から考えれば、その「少し」が一番怪しかった。
今日のゼニスは紺色の細身フライトスーツ。腰から脚にかけて身体の線が出る作りで、胸元には金色の翼章まで付いている。
「本日は航空観測支援担当です。南東方面の簡易観測と、シルフィアさんの飛行可能時間、安全限界を確認します」
「最初からそう言えよ。お前の格好だけ見たら航空祭でも始まるのかと思ったわ。どーせ飛ばないんだろ?」
「飛べますよ! 神ですから!」
「じゃあ横飛んで支えてやれよ」
「私は地上監査があります!」
「都合悪くなると全部『監査』で地上へ残れるの、便利だな女神」
ゼニスが頬を膨らませた。お前女神だろ。
シルフィアは竜形態になると、淡青の翼を広げた。
「お前、普通に飛べるじゃん」
『はい。短時間なら大丈夫です……』
数分後。
『黒田さん……少し高度を下げてもいいですか。思ったより風が強くて……』
「もちろんいいぞ。高度記録会じゃねえんだから、見えるところまで下げろ」
さらに数分。
『ああ……もう翼が重いです……』
「早いな。まあ今日は限界時間を測るのも目的だ。無理すんな」
リリアが両手を振る。
「シルフィアあああ! 生きて帰ってきて!」
『リリアさん……死んでますよね……?』
「だから死にそうな気持ちは分かる!」
「死んでる奴が言うと説得力ゼロなんだよ!」
フェンナが鼻を上げる。
「疲れた臭いが濃くなってるワン!」
『それ聞いたら余計に疲れてきました……』
ミルネが叫ぶ。
「応援する人、減らしてください! 患者の気力が削れてます!」
その時、林側で枝が折れた。
バキバキッ――ガサァッ!
未精算獣が二体、観測地点へ出てくる。俺は89式5.56mm小銃を取った。
「ティアナ、大きい魔法は残せ。シルフィアの降下場所を潰すな。フェンナは追わなくていい、増援の臭いだけ見ろ。リリアは上を――」
「落ちてきたら私が受ける!」
「嬉しそうに言うな!」
一体目が倒木を越える。
89式を構えた瞬間、視界の端へ嫌な表示が浮かんだ。
【特性即応:戦闘判定成立】
【即日レベルアップ:小規模起動】
「おい! 二匹を銃で追っ払うだけだぞ!」
「黒田さん自身が敵性個体へ直接射撃する時点で戦闘扱いです!」
「まだ距離あるじゃん!」
「距離は関係ありません!」
「融通利かねえな、このクソシステムがよおお!」
灰色の光が横へ走った。反射的に腹を地面へ落として匍匐前進の姿勢を取る。伏せ撃ちがいつでもできるようになったが、土臭い。草が頬へ刺さる。
「はぁ……退職してまでこれやんのかよ」
文句を言いながら、身体は勝手に低い方へ動いていた。倒木の陰まで匍匐で移る。
「風、右から。補助魔法でも分かるでしょ」
「分かる。昨日より楽だ」
「戦闘になると急に上達するの腹立つわ!」
「褒めてる?」
「違う!」
射線から味方が外れる。乾いた銃声。
獣が横へ逸れ、フェンナが押し返した。
「倒し切らなくていい! 降下場所から外せ!」
上空からシルフィアの声が落ちる。
『黒田さん……もう、落ちるかもしれません……』
「観測中止だ。降りてこい」
『でも、南東がまだ全部――』
「要らん。今日取れた分で十分だ。無理して落ちて明日の観測まで潰す方が面倒だろ」
少し間があった。
『……はい』
降りてきたシルフィアをモグとルヴィアが支えた。
「……すみません。あまり役に立てなくて」
「何言ってんだ。途中で限界来るって分かったのも情報だ。次はその前提で組めばいい」
「怒らないんですね」
「怒鳴って翼が軽くなるなら怒るけど、ならんだろ。弱いところまで含めて戦力だ」
シルフィアは少し驚き、それから笑った。
「黒田さんって変な人ですね。適当なのに、そういうところだけ優しいです」
「前半だけで評価止めてくれ。後半は慣れてない」
後ろでティアナがじっと見ていた。
「何だよ?」
「別に。たまにはまともなこと言うんだなって」
「なら褒めろ」
「嫌。あんた褒めたら一週間威張るでしょ」
「信用ねえな」
「積み上げた実績よ、認めなさい」
意味が分からん。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
戻ってから、匍匐したせいで泥だらけの89式を見た。
「これ、そのまま返すと高い?よな」
「状態復元まで神界側へ任せれば、その分は掛かります」
「じゃあ俺が泥落として、普段やる範囲の点検まで済ませたら?」
「原状復帰処理が軽くなるので減額できますね」
俺は無言で89式を持ち上げた。
「黒田さんが自分から働いた!?」
「三千枚安くなるならやるしかねえよ、面倒だけどな」
「動機が全部金かい!!」
しばらくして、清掃と点検を済ませた89式と64式を並べる。
「これで返しとけ」
「はい。状態確認……問題ありません。【原状復帰】します」
【神界・追加ご請求】
・竜眼広域観測初回補助費 金貨8,000枚
・小火器再転送及び認識阻害費 金貨6,000枚
・観測地点近接防護補正費 金貨7,000枚
・蒼晶古竜緊急降下安全補正費 金貨9,000枚
・即日レベルアップ小規模起動費 金貨4,000枚
・小火器原状復帰処理費 金貨4,000枚
・自前清掃・状態整備減額 -金貨3,000枚
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今回加算 金貨35,000枚
今回加算・日本円換算 175,000,000円相当
前回繰越残高 金貨150,000枚
前回繰越残高・日本円換算 750,000,000円相当
暫定合計残高 金貨185,000枚
暫定合計・日本円換算 925,000,000円相当
「九億二千五百万……でも三千枚減った」
「そこで喜べるようになったら末期ですよ」
レグリアが端末を覗く。
「借金生活への適応力だけ上がってますねぇ♡」
「うるせえ。三千枚は千五百万だぞ」
寝台で休んでいたシルフィアが南東へ顔を向けた。
「……今日見えた範囲だけでも、魔力の流れが等間隔で曲がっていました。明日、距離まで測れればもう少し分かると思います」
「じゃあ明日は短時間でそこだけ見る。今日みたいに欲張るなよ」
「はい」
明日の仕事が決まった。俺の休みは決まらなかった。




