第110話 移動式宿屋、初出勤でいきなり襲われる
移動式やどり木の初試験は、王都西の避難集積地で行うことになった。
大きな荷車を連結し、炊事区画、寝台、救護場所、保存庫を積む。豪華さはないが、ミャオは朝から妙に機嫌がよかった。
「怪我人は右、飯は中央、寝床は奥にゃ! 酒は治ってからにゃ!」
「お前、宿の中だと軍曹みたいだな」
「誰のせいで慣れたと思ってるにゃ!」
今日のゼニスは、紺色の作業服に白い反射帯、腰にはポーチ。髪も高い位置でまとめ、珍しく実用一点張りだった。
「黒田さん、今日は衣装に何も言わないんですね。いつもなら一言くらい余計なことを言うでしょう」
「作業服は普通に似合ってる。前線で動くなら、今日みたいなのが一番まともだろ」
「……そうですか。では、業務上の装備適合評価として受け取っておきます」
いつもならぴーちくぱーちくうるさい女神が、妙に静かになった。
「何だよ。服褒めただけで、なんで急に処理落ちしてんのよ」
「処理落ちしてません! たまに普通のこと言われると調子が狂うだけです!」
なぜ怒る。
レグリアは逆に真っ白な監査服のまま来た。
当然、入口でミャオに止められた。
「レグリア、そこで止まるにゃ。靴の泥、落としてから入るにゃ」
「私は神ですけど? しかも世界整合管理局所属の監査官で――」
「神でも監査官でも、床汚したら掃除するのはミャオにゃ。落とすにゃ!」
「……はい」
「神界の規則より宿屋の床規則に弱いじゃん。魔王より攻略早かったぞ」
「黒田さんは、自分も禁煙で追い出される予定なの忘れないでくださいね」
俺が笑った直後だった。
外周からフェンナの声が飛んだ。
「ボス! 臭い変わったワン! 林からいっぱい来る!」
笑っていた空気が一枚剥がれた。
俺は荷車の外へ出た。
未精算獣。灰色の輪郭が低い丘の向こうから次々に出てくる。距離が近い。避難民もいる。
「こりゃ、砲の展開は無理だな」
俺は、89式5.56mm小銃を手に取る。
退官してかなりたつのに、この銃が手に馴染む感覚だけは、異世界へ来ても変わらなかった。
「アレクシス、正面の群れを全部倒そうとすんな。宿から離せればいい。追いすぎるな。ロイドは荷車の横を抜ける奴だけ見ろ。シェリア、魔法は人の列と逆へ流せ。ティアナは大きいのを二発残せ。あとで嫌なのが来るかもしれん」
「黒田さんは?」
「俺は抜けた奴だけ見る。ここは射線が狭いから、味方が前へ出すぎると撃てん」
勇者アレクシスが聖剣を抜く。
「じゃあ正面は押し返します。倒しきらなくていいんですね」
「それでいい。今日の勝ちは魔物の死体の数じゃない。店と人間が残れば勝ちだ」
土を蹴る音が重なった。
ザザッ、ガッ、ドォン――!
アレクシスが一体を斜面へ押し返し、その横から二体が抜ける。ロイドが片方の脚を払った。
「もう一体、荷車方向に行くぞ!」
「わかってる」と、言いかけてやめ、俺は位置を変えた。避難民の背中が射線に入ったため、まだ撃てない。
「ミャオ! 中の人間、奥へ寄せられないか! 銃が撃てねぇ!!」
「三十秒ほしいにゃ!」
「ロイド、三十秒だけ荷車側を閉じろ! 倒さなくていい、近づけるな!」
「お前なあ!注文が無茶なんだよ!」
「知ってるけど、なんとか頼むぜ!」
ロイドが土壁を立てる。
灰色の獣がぶつかり、土塊が砕けた。破片が雨のように飛ぶ。
俺は低い姿勢のまま別の角度へ回る。今度は射線が開いた。
乾いた銃声が数発、連続して林際へ走る。
獣の動きが止まり、アレクシスがそこへ踏み込んだ。
「これなら押せます!」
「いいぞ押せ。だが、追うな!」
その時、救護区画から悲鳴。
兵士が一人、血を流して運び込まれていた。
ミルネは耳を震わせながらも、声は別人みたいに強く、てきぱきと動き始めた。
「さあ、そこへ寝かせて! 服を切って治療します! 水は一気に飲ませるとショック状態になるから、最初は口を湿らせるだけですよ!」
さっきまで砲声で泣いていた兎と同じとは思えない。
「……さっきまで砲声で耳押さえてたのに、怪我人入った瞬間は別人だな。ちゃんと仕事できんじゃん」
「褒めるならあとでお願いします! 黒田さんは外を見て、次が来ないか確認してください!」
「はいはい邪魔して悪かった。現場入ったら一番強いの、こいつかもしれんなあ」
悪気はなかったが、怒られた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
最後の一体が林へ引いた時、追う者はいなかった。
宿は残り、飯の鍋も倒れていない。
負傷兵も寝台で息をしている。戦果としては十分な出来だ。
「よしよし、今日は89式もちゃんと使ったし、昨日までの維持費を少しくらい回収した気分になっていいだろー」
俺が言うと、ゼニスとレグリアが同時にこちらを見た。
「何も取れてません。弾薬も使っていますし、使用したから維持費が返金される制度はありませんよ?」
「そもそも兵器で『元を取った』って考える時点で家計感覚が壊れてますぅ♡ 感覚ざっこぉ♡」
「昨日まで一発も撃ってねえのに金だけ取られてたんだぞ! せめて気持ちくらい黒字にさせやがれ!」
「だからって撃てば黒字になる仕組みじゃありません! 赤字です!!」
俺はイライラして煙草を出した。
「陸、外いくにゃ」
ミャオ。
「もう外じゃんか」
「客の風上にゃぞ」
ミルネも来る。
「もう少し離れてください!」
「戦ったあとくらい吸わせろよ!」
「戦ったあとだから肺を休ませてください!」
レグリアがにやにやした。
「ぷぷぷ、ざまあですぅ♡」
俺はレグリアの足元を見る。
「お前さ、泥落とした?」
「……」
白い靴にまだ泥が残っている。ミャオが指差した。
「レグリア、もう一回外にゃ」
「私もですか!? 女神なのに!?!?」
「ざまあみやがれ」
「黒田さぁぁぁん!」
【神界・追加ご請求】
・移動式やどり木試験運用適合費 金貨5,000枚
・避難民保護領域因果安定化費 金貨4,000枚
・89式小銃戦闘使用精算費 金貨3,500枚
・認識阻害継続維持費 金貨2,500枚
・救護区画緊急拡張費 金貨3,000枚
・未精算獣近接戦闘補正費 金貨6,000枚
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今回加算 金貨24,000枚
今回加算・日本円換算 120,000,000円相当
前回繰越残高 金貨96,000枚
前回繰越残高・日本円換算 480,000,000円相当
暫定合計残高 金貨120,000枚
暫定合計・日本円換算 600,000,000円相当
※移動式やどり木は戦闘兵器として登録されていません。
※店内禁煙規則は神界管轄外です。
「六億……」
「陸、帳簿の話は外でやるにゃ。客が寝てるにゃ」
「はい」
ゼニスもレグリアも黙って外へ出た。
ここでは、神より宿屋の店主が強かった。




