第109話 耳が終わりましたぁぁぁぁ!!
移動式やどり木に必要なのは、飯と寝床だけではなかった。
昨日の戦場を思えば、救護担当が要る。
というわけで、ミャオが連れてきたのがミルネ・ラピスだった。
年齢は十九歳。小柄な兎人族。白い十字の入った看護帽から長い耳が伸び、腰の後ろでは丸い尻尾が落ち着かなさそうに揺れている。
「は、初めまして……ミルネです。救護と衛生管理を勉強しています!」
「黒田です。よろしく。……採用でいいんじゃね?」
「まだ名前を言っただけですけど!? 資格も得意分野も、何も確認してませんよね?」
「第一声でちゃんと挨拶できて、救護やりたいって自分から来た時点で、今のうちには貴重な人材だろ」
「陸、人を見る基準が雑なのか現場が人手不足なのか分からないにゃ」
ミャオが言う。
ミルネは俺の前へ座ると、まず脈を取り、それから顔を上げた。
「陸さん、でしたね。まず煙草、減らしてください。それから睡眠時間も。脈は今のところ問題ありませんけど、元気だから放置していい身体ではありません」
「……採用反対。思想が俺と合わないわ」
「判断早すぎません!? 健康指導を思想扱いしないでください!」
「俺にとって煙草は宗教上の――」
「健康の話です! 信仰で肺は綺麗になりませんよ!」
そこへ今日のゼニスが現れた。
白いスポーツウェア風の上着に黒い細身パンツ、首にはホイッスル。腰には健康管理用らしい神界端末。
「本日は健康管理体制の査定です。移動拠点を運用するなら、戦闘だけでなく休養と衛生も評価対象になります」
「お前その格好、どう見ても体育教師なんだけど。首の笛まで本当に必要なのか?」
「健康指導担当らしいでしょう。緊急時には合図にも使えます!」
「最後に『雰囲気が出る』って顔してるぞ。もうコスプレって認めてもいいんだぞ?」
「業務衣装です! 私が楽しんでいることと業務上必要なことは両立します!」
「楽しんでるって、お前、ほぼ自白してるじゃねえか」
ミルネはゼニスを見上げた。
「神様も健康管理するんですか?」
「全員ではありませんが、私は主に黒田さんの契約継続可能性を見ています。煙草、飲酒、睡眠不足、不規則な食事、戦闘後の自己管理放棄……確認項目が多すぎるので」
「契約継続可能性って、生命保険の査定みたいに言うな。俺こうして普通に元気じゃん」
「その『元気だから何しても平気』が一番危ないんです! 年齢的にもそろそろいろいろと来る頃ですし.....あなたは特に、.壊れてから「ああ、もっとこうしておけばよかった。神様なんとかして」って反省する人の典型ですよ!」
ミルネが珍しく強い声を出した。
長い耳がぴんと立っている。
「――それに聞きました。現代の銃を毎日お金払って置いてるって」
「誰から」
「ゼニスさん、です」
「おいクソ女神!患者の財布まで告げ口すんな」
「財務も健康に入ります」
「違うだろっ!」
ティアナが裏庭から顔を出す。
「黒田ー。診察終わったなら魔法訓練だよ。昨日、煙しか出なかったから、取り戻すまでやるわよ」
「今ちょうど再診が始まるところだな」
「始まってないじゃない。ミルネ、もう終わったわよね?」
「え、ええ。次は生活記録を――」
「ほら終わってる。――逃げる気でしょ」
俺は立った。
「いや便所。これは人権だから止めるな」
「そっち裏庭よ。便所と逆方向ですけど?」
「外周から回る近道があるらしいから」
「そんな遠回りを近道って言うの、逃走犯だけでしょ!」
89式を肩へ掛け、そのまま荷車の陰へ回る。
「黒田ァァァ!」
ティアナの声が飛んできたので、反射的に身を低くした。立ったまま見つかるより、車輪と地面の隙間に入った方が視線が切れる。
腹と頭を土へつけ、じわじわ横へ移動する。
昔なら何とも思わなかった動きなのに、三十二歳の腹には地面が妙に近い。
「陸さん!何で匍匐で逃げてるんですかぁぁぁ!」
ミルネの声だった。
「立つと見つかるだろ!」
「自衛隊の技能を魔法訓練から逃げるために使わないでください!」
「技能は使ってこそだぞ」
「用途が最低すぎなんですって!」
フェンナが嬉しそうに隣へ伏せた。
「ボス、上手いワン!」
「お前まで来んな」
「匂いで追えるから隠れても無駄ワン」
「最悪の追跡者だな!」
ティアナが仁王立ちしているところへ、遠くから砲声が響いた。
ズゥゥゥン……!
空気が腹へ届くほど低い音だった。
ミルネの耳が一直線に立つ。
「ひゃぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「どうした!?」
「耳が! 耳が終わりましたぁぁぁぁ!!」
「世界じゃなくて耳だけ?」
「私にとっては世界の半分が耳なんですぅ!」
しゃがみ込んだミルネをフェンナが覗き込む。
「大丈夫ワン?」
「近いです! フェンナさんの声も大きいです!」
「小さく喋るワン」
「語尾だけ小さくしても駄目です!」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
数分後。
リリアが診察台へ座った。
ミルネが手首へ指を当てる。
「ええっ……脈がありません。体温も低いというより、ほとんどなくて、呼吸も確認できませんが――」
「私、死んでるからね。そこ三つは毎回引っかかるやつだもーん」
「で、でも痛みは感じるんですよね?」
「感じるよー。食事もできるし、疲れた感じもある。怪我はだいたい戻るけど、痛くないわけじゃないよぉ」
「生体反応はないのに、本人の感覚と活動は普通に残ってる……ど、どこを基準に診ればいいんですかぁぁぁぁ!?」
ミルネの耳が左右へ開いた。目がぐるぐる回っている。相当混乱しているのだろう。
「わ、わたし、一体どうしたらぁぁぁ!」
「笑えるだろ、こいつ死んでるんだぜ。医療泣かせの死体なんだよ」
「死体って言わないで。陸のお嫁さん候補って言って♡」
「言うわけねえだろ!」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
【神界・追加ご請求】
・救護担当適性照合費 金貨1,500枚
・小火器認識阻害継続費 金貨1,800枚
・健康監査補助処理費 金貨900枚
・不死個体診察情報整合費 金貨1,000枚
・移動式救護区画追加適合費 金貨800枚
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今回加算 金貨6,000枚
今回加算・日本円換算 30,000,000円相当
前回繰越残高 金貨90,000枚
前回繰越残高・日本円換算 450,000,000円相当
暫定合計残高 金貨96,000枚
暫定合計・日本円換算 480,000,000円相当
※黒田陸の魔法訓練逃走行為は請求対象外。
※匍匐による衣服汚損も神界補償対象外。
「そこ記録する必要ある?」
ゼニスがホイッスルを吹いた。
「黒田さん、魔法訓練へ戻ってください」
「お前、笛吹きたかっただけだろ!」
ミルネも立ち上がった。
「その前に煙草の本数決めますよ!」
ティアナが腕を組む。
「そのあとは魔法ね」
フェンナが尻尾を振る。
「逃げたら追うワン!」
俺は三人を見る。
「……移動式やどり木って、俺を逃がさないなんか牢獄みたいな施設なの?」
ミャオが帳簿から顔も上げずに言った。
「そう考えると便利にゃ。にゃははははは!」




