第107話 客が来ないなら店ごと行くにゃ
大規模な避難戦の翌日、やどり木本店は静かだった。
静かと言っても、平和になったわけじゃない。街道が切れ、商隊が減り、旅人も王都へ近づかなくなったせいで、単純に客が来ないだけだ。
昼前だというのに空いている卓が目立つ。俺はそのうち一つを贅沢に使って、酒瓶を置き、椅子へ深く沈んでいた。
「……いっやあ~、まじ最高だな。昼前なのに客がいねえ。静かだし、席は選び放題だし、酒まで落ち着いて飲める!ういっ」
「暇して困ってる店主の前でそれを言える神経だけは大したものにゃ。静かなのは店じゃなくて売上の方にゃ。このままなら帳簿ごと墓へ入るにゃぞ!」
帳簿を抱えたミャオが、低い声で返した。
「縁起でもねえこと言うなよ。酒がまずくなるだろ。俺の一杯くらい未来の俺につけとけ」
「未来の陸が払う保証がどこにもないから、今の陸に請求するしかないにゃ。むしろ無職の未来へ信用を回す方が怖いにゃ」
「店主が客の信用情報まで刺してくる時代かよ、世知辛いわ」
「当たり前の話にゃ!!」
逃げ道を塞がれたところで、神界の光が卓の横へ落ちた。
今日のゼニスは、白いブラウスに濃緑の細身ベスト、膝丈のタイトスカート。胸元には金色の名札、片手には分厚い事業計画書。どう見ても商業施設の出店コンサルタントだった。
「おはようございます、黒田さん。本日は移動事業設備の査定です。こちら、神界側の初期確認項目と事業計画書です」
「しっしっ、帰れ。その格好で分厚い書類持ってくる女は、だいたい話が長い」
「挨拶より先に人を追い返すな! 業務内容に合わせた最適な服装です。知的で、実務的で、ちゃんと似合ってるでしょう?」
「服で会議時間が半分になるなら褒める。ならねえならすぐ着替えてこい」
「服に会議短縮機能を求める人、初めて見ましたよ!」
ゼニスが資料の角で俺の頭を叩こうとした瞬間、ミャオが帳簿を開いた。
「ふたりとも、その前に聞くにゃ。あたし、客が来ないなら、店が客のいるところへ行けばいいと思うにゃ」
「……店がって?」
「避難地には飯がない。怪我人には寝床がない。兵士は酒も雑貨も買えない。ここには在庫も鍋も寝具もあるのに、街道が切れて持っていけないにゃよ」
ミャオは帳簿の余白へ車輪のついた箱を描いた。絵はあまり上手くなかったが、言いたいことは分かった。
「宿屋に車輪でも生やす気か?」
「そう、生やすにゃ!!」
即答だった。
「お客様は神様にゃ。飯、簡易宿泊、雑貨、救護、水。全部積むにゃ。客が来られないなら、やどり木の方から行くにゃ!」
俺は酒瓶を置いた。
その瞬間だけ、頭の中に昨日の避難列が戻った。泥だらけで歩いていた子供。荷車の横で座り込んだ兵士。怪我人を抱えて、どこへ運べばいいか分からず怒鳴っていた男。
「……水は二系統にしとけよ」
ミャオの耳がぴくりと動いた。
「飲む水と炊事の水を一緒にすると、片方使い切った時にはい、さよならだ。あと濡れた奴を寝かせる前に乾かす場所もだな。寝具は床へ直置きするな。冷気、水、泥が入るから何でもいい。低いローベッド――はないか、木製とかで作れ。こんな感じのやつな」
俺はへったくそなイラストでみゃおにローベッドの概念図を渡したが、どうやら理解してくれたようだ。
「陸、さっきまで『俺は関係ない』って顔してたのに、もう水、乾燥場所、寝具配置の三つ増えてるにゃ」
「現場で困るのが見えてんのに黙ってたら、あとで俺まで巻き込まれるだろ。これは出資じゃなくて自衛だ。金は出さんがな」
「陸はそもそも金ないにゃろ? 口だけ出して責任から下がろうとするところまで、いつもの陸にゃねえ」
扉が勢いよくバーン!!と開いた。
「おーっほっほっほっほ!! 投資なら、わたくしがいたしますわ!」
赤金の髪を大胆に揺らし、古竜お嬢様・ルヴィアが入ってきた。
「お前は呼んでねえし、嫌な予感しかしないんだけど」
「ミャオから聞きましたのよ。移動する宿泊施設でしょう? でしたら客室の縁へ金細工、照明には宝石をちりばめて――」
「前線へ何しに行く施設か思い出してくれ。寝床と飯と救護だ。シャンデリアぶら下げて避難民迎える気か!お貴族様専用じゃねえんだぞ」
「では銀細工程度に抑えますわ!」
「ちっがあああう!!高級化の方向を微調整すんな。ゼロにして実用性にシフトだ!」
「陸の美的感覚、借金と一緒に差し押さえられましたの!?」
その後ろからモグが顔を出す。
「それならば飯をいっぱい積むのじゃ! どうせ移動するなら、途中で腹が減っても困らぬようにな!」
「デブ竜さんや、避難民と怪我人の食料だ。お前の遠足じゃねえ」
「では全体の半分をわらわ用に――」
「それを譲歩みたいな顔で言うな。お前一匹で兵站計画壊す気か!!」
話が勝手に膨らみ始めた。
俺は椅子から立ち、壁際に置いていた89式へ目を向けた。
昨日みたいな距離で人が入り乱れると、FH-70なんぞ呼べない。呼んだところで使い道がない。街道を動く拠点なら、なおさらだ。
「……やっぱ、小銃くらいはないと不安だわな、こんな状態だと」
ティアナが飲んでいた茶を置いた。
「今さら常備するの? 今まで必要な時しか出してなかったじゃないアンタ」
「まあな、必要な時だけ呼んだ方が安かったんだよ。小銃一丁でも、こっちへ置いてる間は現代側の違和感を誤魔化す処理が要る。撃たなくても金が減る。だから砲ほどじゃなくても、持ちっぱなしは普通に財布へ効いてた」
ゼニスが待ってましたとばかりに端末を開く。
「そこです。ここで説明しておきます。89式一丁程度、小火器数丁までなら、現代側へ【認識阻害】の神術を掛けて所在の違和感を一時的にぼかせます」
「要するに、なくなってても気づきにくくするってことなの?」
「ざっくり言えばそうですが、完ぺきではないですし、もちろん無料ではありません。阻害を維持している時間そのものに継続料金が掛かります。最後は必ず【原状復帰】して元の状態へ戻します」
「一丁そこに置いてるだけで、時間課金されるにゃ?」
「はい。現物が異世界側にある事実は消えませんから、現代側の認識だけをぼかす処理を維持します。その時間分、継続料金です」
「下手な悪徳ホテルよりたち悪いな。泊まってる本人は銃なのに、請求だけ俺へ来る。んで、一晩いくらだよ?」
「そこを聞いてから持つか決めるんですか? 安全性や必要性より先に?」
「当たり前だろ。安全も借金も両方こっちの問題なんだよ、それとも何か、おめーが払ってくれんのか?」
「なんで私が払わなくちゃいけないんですか!! 兵器運用を宿泊料金みたいに比較するのやめてください!」
ティアナが額へ手を当てた。
「あんたさ。ずっと聞いてて思ったんだけど、その維持費を毎日払うくらいなら、魔法修行すればいいじゃないの! 火力全部を魔法にしろとは言わないけど、護身とか近距離くらい自分で何とかできれば、銃を置く日を減らせるんじゃないの?」
店内が一瞬静かになった。
「う……その発想、なかった」
「黒田、異世界に何ヶ月いるのよ!? 普通、一週間目くらいで思いつくでしょうが!!」
「俺、砲兵だぞ。魔法学校卒じゃねえし、三十二歳から『今日から魔法使いです』はいろいろと大人としてダメだろ」
「いつも子供以下のアンタが何言ってんの! 三十二歳から異世界で無職やって大砲撃って、神様に借金してる時点で、今さら気にする立場じゃないでしょう!」
「そこまで並べられると俺の人生、だいぶ変だな」
「それも今さら気づいたの!?」
フェンナが尻尾を振った。
「ボス、私でも魔力で身体強化ちょっとできるワン」
「フェンナでも身体強化使えるのか……俺、犬に魔法で負けてんじゃん」
「彼女は犬人族! そこ省略しないでよ!」
「私はボスからなら犬呼びでも別にいいワン。走るの速いし鼻も利くワン!ワオーン!」
「おい本人が許したぞ。ティアナ、もう諦めろや」
「種族名称の話じゃなくて、あんたが魔法を覚える話をしてるの!」
ゼニスが咳払いした。
「とにかく、少数なら認識阻害でしばらく維持できます。ただし大規模に装備を持ち出す場合は別です。砲、車両、大量弾薬まで『なんとなく気づきません』では押し切れません」
「そこさぁ、神様なら頑張れよ、あと無料でやれよ」
「世界と神に無茶を言うな!!」
ミャオが図面へ大きく書いた。
【移動式やどり木】
「決まりにゃ。移動式やどり木の装備担当は陸にするにゃ」
「待て。俺、事業参加に同意した覚えないぞ。勝手に役職生やすな」
「水、防護、寝床、小銃まで四つ提案して、今さら見学者は無理にゃ。ゼニス、議事録に入ってるにゃ?」
「もちろんです。黒田さんの発言だけ、妙に具体的なので目立っています」
「消せ。『酔った無職の独り言』に分類し直せ」
「正式な事業会議で、その分類は存在しません」
「俺の人生、消せない記録増えすぎだろ!」
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【神界・追加ご請求】
・移動式拠点初期因果設計費 金貨3,000枚
・89式小銃継続転送基本費 金貨1,800枚
・認識阻害維持初日費 金貨2,200枚
・事業設備世界間適合予備査定費 金貨3,000枚
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今回加算 金貨10,000枚
今回加算・日本円換算 50,000,000円相当
前回繰越残高 金貨60,000枚
前回繰越残高・日本円換算 300,000,000円相当
暫定合計残高 金貨70,000枚
暫定合計・日本円換算 350,000,000円相当
※89式小銃は現代側認識阻害処理中。
※長期維持時は追加費用及び不整合値増加の可能性があります。
「あのさぁ、五千万……店の相談してただけだよな?」
「相談の途中で銃を残すって決めたの黒田さんですよ」
ミャオが肉まん試作用の生地をこねながら言う。
「陸、自分で事業費増やしてるにゃ」
俺は89式を見る。
「……明日使うかもしれんし、ぶつぶつ......」
ティアナが即座に返した。
「だから魔法覚えろって言ってんのよ!」
「明日の俺に期待しようか」
「今日からやるのよ!!」
俺は、働きたくないのに、とうとう魔法の宿題まで増えたようだ。




