第106話 俺は働きたくない。だが死なせたいとは言ってない
翌日の昼前、地上型の未精算獣反応が一気に増えた。王都西から南西へ伸びる避難路。両側は低い丘と林で、中央を荷車と避難民が長い列になって進んでいる。前日まで散発的だった灰色の点は、ノエルの魔力図を埋めるほど増えていた。
「北から六十以上来ています! 西側も増えています!」
「南はどうだ?」
「未確認反応多数。正確な数が出せません!」
ノエルの額に汗が浮いている。俺は地図を見る。地図の上には王国兵と勇者一行、フェンナ、ティアナ、不死魔導師リリアの位置が重なり、そのすぐ後ろを避難民の列が動いている。人が多すぎて、広い範囲をまとめて叩く余地がほとんど残っていなかった。
「今日もう十分働いたんだけどな……」
「ボス、まだ昼だワン」
「時間の問題じゃない。俺の労働許容量の問題」
「午前で満タンになるんですかぁ♡ 勤労容量ちっちゃ♡ しょぼおじ♡」
レグリアが横で笑う。
「うるせえチビ。お前はハンコ押してるだけだろ」
「判断してますぅ♡」
「俺だって今判断してる。帰りたい」
「却下♡」
「勝手に俺の意思決定へ印鑑押すな!」
ゼニスの端末が警告音を出した。
「黒田さん。これ以上、【即日レベルアップ】と広域因果補正を追加すれば、費用がさらに――」
「分かってる」
避難民の列の後方で荷車が一台横転し、人の流れが詰まった。子供を抱いた女が足を取られて転び、その隙へ林から灰色の獣が躍り出る。さっきまで地図上の点だった脅威が、もう人の顔を見分けられる距離まで来ていた。
「……知るか」
「黒田さん?」
俺は煙草を地面へ落とし、靴で火を消した。
「俺は働きたくない。でも、死なせたいとは言ってない」
(働けば請求が増える。頑張れば頑張るほど数字が膨らむ。だから逃げたいって理屈は、俺の中では今でも正しい。けど、その計算へ目の前の人間を入れて「高いから見捨てる」まで行ったら、たぶん俺は二度と四畳半で気持ちよく屁こいて寝られない。それはもっと嫌だ)
そこから先、金の話は頭から消した。避難経路を一本の線として見直し、倒す数ではなく、どこを越えさせないか、どこを残せば味方と避難民が戻れるかだけを拾っていく。
「アレクシス、右の林縁を持て! ロイドは避難列へ入る道を潰せ! シェリアは抜ける奴だけ! エルミナ、核の動きは全員へ流せ!」
「了解です!」
「フェンナ!」
「はいボス!いるワン!」
「負傷者と隠れてる奴を優先。敵を追いすぎるな」
「分かったワン!」
「リリア!」
「陸、今度はどこ見ればいいのー?」
「上と左側面。無理に突っ込むな。戻って報告までが仕事だ」
「……うん。ちゃんと戻るからぁ!」
リリアが黒い霧をまとって飛び上がる。俺はゼニスへ向く。
「開けた場所へ出た後続だけ火力を入れる。近い奴には使わん。前にいる連中が止められるなら任せる。俺が欲しいのは撃破数じゃなくて、避難列へ一匹も入れない時間だ。撃てるから撃つんじゃなく、撃っても人を巻き込まない場所だけ寄越してくれ」
「因果補正、開きます」
「頼んだ」
遠方に、FH-70 155mmりゅう弾砲の重い輪郭が転送光の中へ現れた。細かな手順を口へ出す必要はない。俺が見るのは地図と人の位置、敵が人のいない開けた場所へ出る瞬間だけだ。
―――――......
ドォォォォン――ッ!
腹へ響く砲声から少し遅れて丘の向こうで土煙が膨れ、避難路から外れた後続の群れだけが崩れた。
「次、同じ場所へ寄ります!」
「視認良好――見えてる!」
ノエルが読んだ流れへエルミナの核情報を重ね、フェンナが拾う死角と勇者一行の前線位置まで頭の中で一本へ繋ぐ。
「――弾着、今。」
ズドォォォォォン――!!
大地が腹の底まで震えた。林から出ようとしていた群れが爆煙の向こうで止まり、アレクシスたちが近い個体だけを押し返す。その時、南西側で別の爆発が上がった。
「陸! あっちに魔王軍よ!」
ティアナが叫ぶ。南西側に上がった黒い旗の下、灰色の甲冑を着た兵が未精算獣へ向き直っている。先頭で剣を振るう大柄な男には見覚えがあった。灰鉄元帥ローディス・ヴァルガンだ。王国兵の一部が武器を向ける。
「待て、撃つな!」
「しかし魔王軍です!」
「見りゃ分かる! 今あいつらが撃ってる方向見ろ!」
ローディスの部隊は、人類側へ進んでいなかった。自分たちの後ろへ逃げる魔族の民間人を庇い、同じ未精算獣を押し返している。ローディスもこちらに気づいた。距離を取ったまま剣を上げる。
「黒田陸! 我らは北西群を受け持つ! 貴様らの線へは越えぬ!」
「こっちもそっちへ撃たん! 灰色だけ見てろ!」
「承知つかまつった!」
王国兵が戸惑う。
「信用するのですか」
「信用してねえ。ローディスが昨日まで何をしてたかも、魔王軍がこっちと完全に仲良しじゃないことも忘れてない。ただ、今あいつらは自分の避難民を背にして、俺らと同じ灰色を殴ってる。そこでこっちから撃てば、敵を一個増やして退路を一個減らすだけだ。そんな働き方は嫌だし、何より面倒が増える。だから、今は撃たない」
敵味方の境界も停戦線も消えない。それでも今だけ、灰色の群れを挟んで押し返す方向だけは一致した。ローディス隊が北西から未精算群を押し返し、東では勇者一行が抜け道を塞ぐ。その間を王国兵が避難路として維持し、俺は人から離れた後続だけを削った。
戦場では剣の衝突音へ魔法の破裂が被さり、その向こうから砲声と土砂の崩れる音、未精算獣の叫びが押し寄せた。耳の奥がじんじんするほど騒がしいのに、その中央を通る避難民の列だけは少しずつ後ろへ抜けていく。最後の荷車が安全域へ入った。
「避難完了!」
その声を聞いて初めて、肩の力が抜けた。煙草を一本出す。指が少し震えて、一度火を外した。
「陸~!」
戻ってきたリリアが横へ降りる。
「左側面、もう大きい反応ない。私、ちゃんと戻って報告したよ♡」
「見れば分かるわ」
「ね、褒めてよ?」
「今か?」
「今っ!」
「……よく戻ったな、リリア」
「へへヘ、でしょでしょー!」
その短い言葉だけで、リリアはとても満足そうに笑った。周囲では王国兵と魔王兵が距離を取り、互いを警戒したまま武器を下げている。鎧が擦れる音と荒い呼吸だけが残り、誰も先に口を開こうとしなかった。
ぷぅ。
その静けさの真ん中で、俺の尻から間の抜けた音が出た。今度こそ、本当に誰も喋らなかった。アルヴィナの通信映像がちょうど開いたところだった。
『……今の、攻撃か?』
ローディスが真顔で答えた。
「我が軍の既知兵器には該当しません」
「魔王!! これは――ただの生理現象です! 兵器識別しないでください!!!」
ゼニスの絶叫が戦場へ響いた。
「戦闘終わって腹の力抜けたんだよ。人間にはそういう日もある」
「音圧よわよわ♡ 臭気だけ高性能♡」
「誰の屁を査定してんだ、このクソメスガキ女神ぇぇぇぇぇ!!」
王国兵の一人が顔を背けた。魔王兵の一人も鼻を押さえた。
「停戦後最初の共同被害が俺の屁になるのだけはやめろ!」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
日が傾く頃、停戦維持の確認を兼ねてアルヴィナとの短い会談が開かれた。場所は避難所脇の大きな天幕。俺が机へ置いたのは、現代から持ち込んだたい焼きと団子だった。
「これ食べてから会議ね!」
黒髪の一部を跳ねさせた幼い姿の魔王が、開始一秒でたい焼きを取った。
「食いながらやれ。今日は時間ないんだ」
「ええっ、いいの?」
「どうせ止めても食うだろ?」
「陸、わたしのこと分かってきたね!」
アルヴィナはたい焼きの頭からかじりつき、そのまま地図を指した。
「西側補給線は二本のうち一本止まってる。ローディスの第三軍が避難民を北へ逃がしてる。南の元帥隊はまだ接触なし。未精算の黒いのは、魔王国側でも西から東へ寄るのと、途中で南へ曲がるのがいる。こっちの兵士だけで今日十二人負傷。死者は二人」
アルヴィナはそこで食べかけのたい焼きを皿へ置いた。
「二人か」
「うん。名前は確認してある。家族への補償もローディスが手配してる。負傷者十二人のうち三人は復帰まで長いから、部隊の穴も別で埋める」
報告を終えてから、アルヴィナはたい焼きを持ち直した。幼い見た目で頬に餡を付けていても、兵士を数としてだけ扱っているわけではない。
「お前、お菓子食ってても俺より仕事してるよなぁ」
「黒田って戦争の時だけ急に働くよね。平和になるとすぐ寝るのに」
「戦争を俺の就労支援に使うな。平和なら寝てていいだろが」
「じゃあずっと平和にする?」
「ああ、それが一番だ。俺の長期休暇のために世界平和を達成してくれ!」
「理由が最低だね!」
ローディスが真顔のまま口を挟む。
「我が軍の停戦理由に『黒田陸の昼寝確保』とは記録できん」
「真面目か! 誰が公文書に書けと言った!」
リリアが手を挙げた。
「陸、私は今日も上見た、横見た、護衛した、ちゃんと戻った。帰還率また上がった。ほら、やっぱり私が一番、嫁にふさわしいでしょ?」
「戦果報告書の最終項目に婚姻希望を入れるなっての」
「最重要事項だよ!」
「婚姻適合審査は別料金でーす♡」
「増やすなぁぁぁぁ!!」
「じゃあ審査なしで結婚しよ!すぐしよ!!」
「制度を抜け道に使う方向だけ俺に似てくんなって!」
アルヴィナが団子を口へ入れながら首を傾げる。
「ねえ黒田、結婚するの?」
「しない」
「私、式のお菓子用意するから。何を買おうかなぁ? うふふっ」
「開催前提で発注すんな!」
レグリアが大きな印を三つ並べた。
【個人暫定】
【公共再分類候補】
【共同負担審査】
「その三枚、全部公共費用として押せや」
「押しません♡ 個人利用分まで公共勘定へ混ぜたら不正査定ですぅ」
「一枚くらい気分で押せよ。さっき人助けしただろ」
「監査にサービス判定はありません」
「融通利かねえな、ハンコ女」
「融通と不正は別です」
「……お前、煽りはクソなのに職業倫理だけ妙に硬いよな」
「“だけ”って何ですか!」
「そこ否定するんだ」
「仕事まで一緒に貶されるのは違いますぅ!」
「じゃあ仕事はちゃんとしてる。口が最悪」
「評価を一勝一敗みたいに分けないでください!」
そこへ新しい報告が届いた。セレネア聖王国の聖騎士団が、聖晶回廊沿いの砦へ入った。名目は救援拠点の確保。周辺住民の保護。巡礼路の安全維持。
理由だけを見れば、間違っていない。
だがヴァルディス側は警戒を強め、国境付近の魔導部隊を動かし始めたという。
俺は地図を見る。
「怪物だけ相手にしてりゃいい時に、人間まで配置で揉め始めたか」
アルヴィナがたい焼きを置いた。幼い顔から、少しだけ甘さが消える。
「人間も魔族も、怖い時ほど場所取りするからね」
「お前が言うと一気に重くなるな」
「わたし、魔王だから」
低い声で言った、その数秒後。
「ね、団子もう一本いいよね? お話終わったし! あっみたらしってのもあるんだね? 三色お団子もとってもきれい! 迷っちゃう!!」
「子供に戻るの早いな!」
【神界・追加ご請求】
・大規模地上群体戦闘因果補正費 金貨2,800枚
・避難民退路緊急安定化費 金貨2,200枚
・即日レベルアップ追加稼働費 金貨2,400枚
・魔王軍接触安全監査費 金貨1,000枚
・臨時停戦通信維持費 金貨900枚
・現代甘味少量搬送費 金貨700枚
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今回加算 金貨10,000枚
今回加算・日本円換算 50,000,000円相当
前回繰越残高 金貨50,000枚
前回繰越残高・日本円換算 250,000,000円相当
暫定合計残高 金貨60,000枚
暫定合計・日本円換算 300,000,000円相当
※公共災害、避難民保護及び魔王軍共同対処関連費は再分類審査対象。
※たい焼き、団子等の本体代は黒田陸私費。世界間搬送のみ神界処理。
※戦場内で発生した黒田陸の生理現象は請求対象外。
「三億……まで来たのに、俺が最初に気になるの一番下なんだけど。たい焼きと団子運ぶだけで七百枚、三百五十万円?」
「世界間搬送ですから」
「じゃあ次から私が取りに行けば安くなる?」
アルヴィナが真顔で聞いた。
「魔王陛下の現代世界接続は比較にならないほど高額になります!」
「じゃあ黒田の家に住もっかなあ、おいしいお菓子一杯食べさせてくれそうだし」
「四畳半に魔王を追加するな。今でも俺とゴキブリで定員ぎりぎりだ!」
リリアがすぐ乗ってくる。
「私は壁抜けできるから場所取らないよ! 嫁向き!」
「居住面積の話から求婚へ入るな!」
「四畳半、魔王、幽霊嫁候補、無職のおっさん♡ 生活環境ざぁこ♡」
「俺の家族構成を勝手に事故物件へ寄せんなぁぁぁぁ!」
その時、ミャオから通信が入った。
『陸ー! 帰るなら移動式やどり木の見積もり相談するにゃ! ルヴィアも待ってるにゃ!』
俺は請求書を見た。アルヴィナを見た。リリアを見た。レグリアを見た。通信端末を見た。
鼻を一度ほじる。
「……未精算獣の方が話早かったな」
「比較対象がおかしいです!」
ゼニスの声を聞きながら、俺は三億円の請求書をそっと裏返した。




