第103話 普通科は前へ。俺は後ろへ。完璧な職種分担だ
空の未精算獣が減った翌朝、今度は森が動いた。王都西の避難所から北へ二キロほど離れた林縁で、木々の隙間を灰色の影が走っている。一体一体は飛行型ほど大きくない。犬ほどの個体から馬ほどの個体までまちまちだが、数だけは多い。枝を折り、泥を跳ね、崩れた街道と畑の境を縫うように進んでいた。
「……空が終わったと思ったら地面から増えるの、嫌がらせとして完成度高くない?」
俺は簡易見張り台の上から双眼鏡を外した。
「ボス、いっぱい来るワン!」
「見えてるよ。もう数えたくない」
「数えるの仕事じゃないの?」
「ノエルがいるだろ」
少し離れた位置で、ノエルが魔力図へ光点を落としている。
「現在確認できるだけで五十三。森の奥は未確認です」
「ほら。俺が数えなくても世の中回るもんだ」
「胸を張る理由が違うでしょ」
ティアナが杖で俺の脛を軽く叩いた。避難所側は人が多い。治療所、炊き出し場、仮設寝床、補給荷車。地上を走る敵が一匹でも中へ入れば、空の敵より厄介になる。
遠くなら撃てても、人のすぐ近くまで入り込まれれば同じ火力は使えない。相手だけを都合よく吹き飛ばす爆発なんてない以上、人間と敵が混ざるほど選択肢は減っていく。
「こりゃ普通科案件だな」
「また専門外ですぅ♡? よわよわ♡♡」
背後でちび女神レグリアが楽しそうに言った。今日は白と濃紺の監査制服へ、なぜか蛍光色の細い腕章を追加している。
「地上まで専門外♡ 空も人の近くも苦手♡ 元自衛官なのに守備範囲せまぁい♡」
「俺は野戦特科だ。遠くへ届かせる火力と、落とす場所を考える側で飯を食ってきた。建物の角から誰が出るとか、避難民の列へ敵が混じった時に誰が前へ出るとか、そこまで全部俺の専門だったら普通科が怒るだろ。専門外ってのは逃げじゃなくて、分からん場所で偉そうにしないための線引きだ。……まあ俺の場合、逃げにも使うけど」
「言い訳だけ統合運用♡」
「そのハンコ鼻に詰めるぞクソメスガキ女神が」
「そんなおっきいの、入りませぇん♡」
「真面目に返すな!」
ゼニスが横へ出た。今日は黄緑色の反射ベストに白い腕章、手には誘導旗まで持っている。
「黒田さん。以前、普通科の佐伯さんにも地上で人が近い場合の一般論を聞いていましたよね」
「聞いた。『目の前が説明と違うなら確認しろ』とか、『人が近いから面倒』とか」
「後半はあなたの感想です」
「じゃあ答えはもう出てる。佐伯を呼べ」
「本人をですか?」
「俺の代わりに」
「もっと高額になります」
「じゃあ電話かな」
ゼニスが端末を開いた。
「現代側照合費が――」
「金額言う前に繋げ。聞くと腹痛くなってくんだよ!」
数十秒後、スマホ画面に佐伯圭吾の顔が出た。
『またお前かよ、なんだ』
「旧友への第一声として愛が足りないぞ!」
『前に飲んだ時も変な地上戦の話してたろ。今度は何だっての』
「その続きだ。敵が人の近くまで入ってくる。遠くから全部吹っ飛ばせない。だったら普通科が前で人と敵を分けて、特科は後ろから届く場所だけ見る。俺としては美しい職種分担だと思うんだが、問題は現地に普通科がいないことなんだよ。だから相談だけして、俺は後ろへ戻りたいんだけど」
『お前が64式でも持って前線に行け』
「なんで旧式なんだよ、そこまでが職種分担だろ!」
『前に言っただろ。人に近いところは、前で見ないと分からんことがある。避難誘導、死角、建物の中、味方と敵が近い場所。遠くから見た地図が合ってても、目の前で子供が転んだらその瞬間に条件は変わる。お前が現地にいて人の流れまで見えてるなら、後ろで寝てる理由にはならん。全部やれとは言わん。前でしか拾えない情報だけ拾ってこい』
「俺、砲兵なんですけど?」
『知ってるわ』
「退職済み」
『もっと知ってる』
「無職」
『だから何だよ』
「働かない根拠を三段で出した」
『全部却下だ、行け』
レグリアが画面の横から顔を出した。
「論証ざぁこ♡」
「お前どこから入ってきた!」
『誰だ、そのちっこいの?』
レグリアの笑顔が消えた。
「…………誰がちっこいですって?」
『いや、画面だとそう見えただけだけど』
「佐伯。お前、初対面三秒で地雷踏み抜いたぞ」
「地雷じゃありません! 神格と体格、監査能力には何の相関もありませんし、そもそも私は小柄なだけで――」
『黒田。めちゃくちゃ効いてるじゃん』
「俺に振るな。今回俺、一言も言ってねえぞ」
「黒田陸ぅぅぅ! あなたの知り合いどうなってるんですかぁ!」
「なんで俺の責任なんだよ!」
『いや、なんかごめん』
「謝られる方が腹立ちますぅぅぅ!!」
『黒田、お前また変なのに絡まれてんの?』
「俺は被害者だ」
「加害記録の方が多いです!」
ゼニスが即座に否定した。俺はそこで腹を押さえた。
「悪い。戦術的排便」
『何だそれ』
「前へ出る前の健康管理。五分くれ」
「そんな用語ありません!」
俺は仮設便所へ向かった。後ろから佐伯の声が飛ぶ。
『五分で出てこなかったら便所ごと現場へ運ばせるぞ』
「普通科って人権まで前進させるの!?」
「逃げ足だけ機動力たかぁい♡ やぁい、前進意欲ざぁこ♡」
「今は腸が前進中なんだよ!」
ぷっ、ぷすーと、俺の下から情けない男が出る。
「変な音で最低の反論をしないでください!」
便所へ入って扉を閉める。静かだ。ここだけは敵も神もいない。と思った三秒後、扉の向こうでレグリアの印が鳴った。
バンッ!
【現場復帰待機】
「排便状況を神界監査に入れるなぁぁぁぁぁ!!」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
結局、七分後には林縁まで歩かされていた。佐伯へ言われたからではない。避難民の列が詰まり、荷車一台が泥にはまって、その横で子供が泣いていたからだ。
(地上は近い。双眼鏡の向こうなら点で済んだ相手が、ここまで来ると顔になる。泣いてる子供も、泥に足を取られた老人も、見えた以上は「普通科の仕事だから」で頭から消えてくれない。面倒だから後ろにいたいのに、見えてしまった方がもっと寝覚めが悪い。そういうところだけ、退職しても抜けきらない)
俺は旗を持って荷車を脇道へ寄せ、歩ける奴を先に南へ流す。
「走るな! 転ぶ方が詰まる! 子供は抱ける奴が抱け! 荷物は後だ!」
森の奥で枝が砕けた。
バキバキバキッ!
灰色の獣が三体、斜面を駆け下りる。アレクシスが前へ出た。
「ここは僕たちが止めます!」
「一体だけ右へ抜ける。シェリア、そっち!」
「見えてます!」
弦音が鋭く鳴り、矢が灰色の肩を弾く。俺は敵を倒すことより、避難の列が止まらない場所を探す。
「フェンナ、森の右奥にまだいる?」
「いるワン! でも真っ直ぐ来てない。土の下を避けてるみたいに曲がってるワン!」
「また避けてる?」
FH-70等の現代兵器で大火力を使えば早い。だが距離が近い。味方も住民も、敵の間へ入り始めている。撃たない方がいい時に撃たないのも仕事だった。
「ノエル、後ろの群れだけ位置出してくれ。近い奴は勇者組と王国兵へ任せる。遠い奴が開けた場所へ出たら教えろ」
「了解しました」
ティアナが横で笑う。
「ちゃんと前に来てるじゃん」
「後ろへ戻るために前へ来たんだよ」
「はあ?何言ってんの。マジで意味分かんない」
「退路確認だ」
フェンナが急に地面へ鼻を寄せた。
「ボス。ここ、変だワン」
「何」
「この下、普通の土の臭いじゃない。土はある。でも……真ん中だけ抜けてるワン」
獣の群れは、その細い場所を避けるように左右へ割れていた。俺はしゃがみ込み、泥の上へ手を置く。
「次は地下かよ。世界が俺を全方向勤務にしようとしてんな」
レグリアが後ろから覗く。
「全方向でも能力は増えませぇん♡」
「お前の煽りだけ全周射界なの腹立つな!」
【神界・追加ご請求】
・現代側普通科専門知識照合費 金貨700枚
・避難民近接防護因果補正費 金貨1,200枚
・地上群体広域観測費 金貨1,100枚
・緊急退路維持費 金貨1,000枚
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今回加算 金貨4,000枚
今回加算・日本円換算 20,000,000円相当
前回繰越残高 金貨37,000枚
前回繰越残高・日本円換算 185,000,000円相当
暫定合計残高 金貨41,000枚
暫定合計・日本円換算 205,000,000円相当
※現代側相談内容は一般的な地上防護概念に限定。
※仮設便所利用は神界請求対象外。
※現場復帰待機印は行政記録のみ。
「最後の二行いらねえだろ!」
「記録は記録ですぅ♡」
「便所から戻っただけで行政記録残す神界どこにあんだよ!」
佐伯へメッセージを送る。
『ちゃんと前出たか? 二千万』
すぐ返ってきた。
『それ、何の数字だよ』
『お前の指導料。払え』
『知らんわ』
俺はゼニスを見る。
「半分」
「払いません」
「レグリア」
「全額本人負担♡」
「普通科も女神も味方が一人もいねえぇぇぇぇ!!」




