第八話 欠けたピースの答え合わせ
闇の奥から聞こえた「衣擦れの音」に、5人は息を呑んで立ちすくんだ。
ピキピキと音を立てて割れていく階段の上の窓から、漆黒の闇が館内へと流れ込み、5人の足元をじわじわと光の粒子に変えて削っていく。
自分たちの身体が透き通り、消えかけていた。
「誰だ……! そこに誰かいるのか!?」
1番が消えかける右手を握りしめ、暗闇の奥に向かって鋭く叫んだ。
静かに、その影が光の下へと這い出てくる。
現れたのは、自分たちと同じ紺色のブレザーを着た、一人の少年だった。
少年は力なく、もう一つの古い木製の机に突っ伏していた。
ゆっくりと顔を上げたその瞳には、世界のすべてに絶望したような、深い、深い痛みが宿っている。少年は何かを訴えかけるように唇を震わせる。
しかし――彼の喉からは、掠れた空気の抜ける音しか聞こえなかった。
少年は、一切の言葉を出すことができない状態だった。
「声が……出ないの?」
4番が痛ましそうに呟く。
5番は、その少年の手元を見てハッと目を見開いた。
少年の右手には、さっきまで自分がポケットに入っていたはずの、あの深い青色をした『万年筆』のキャップが、まるで命綱のように固く握りしめられていたからだ。
「おい、これを見ろ」
1番が、少年の足元に落ちていたプラスチックのカードを拾い上げる。
それは学校の学生証だった。
そこには、はっきりと彼の苗字が記されていた。
『夜野』
「夜野……くん?」
3番がその名前を呼んだ瞬間、少年の目から、大粒の涙がぽろぽろと溢れ落ちた。
それと同時に、さっきのノートの言葉が、タクミの頭の中で激しくフラッシュバックする。
『大好きだったサッカーも、走ることも、全部奪われてしまった。現実から消えてしまいたい。僕の名前は――』
「パズル、なんだ……」
5番が、眼鏡の奥の目を丸くして、呆然と呟いた。
「僕たちがなんとなく頭に浮かんだと言って選んだあの数字は、ただの番号じゃない。このノートに書かれた、僕たちの名前の『頭文字』の順番だったんだよ」
5番の言葉に、2番は弾かれたように自分たちの名前の頭文字を思い浮かべた。
1番目の椅子に座った、「ヤ」マト。
2番目の椅子に座った、「ノ」ゾム。
3番目の椅子に座った、「カ」エデ。
4番目の椅子に座った、「ナ」ギ。
5番目の椅子に座った、「タ」クミ。
「ヤ、ノ、カ、ナ、タ……」
4番がその文字を順番に口に含み、目の前の少年を見つめた。
「夜野、奏多……」
2番がその名前を呟いた瞬間、5人の脳内に、濁流のような「本当の記憶」が流れ込んできた。
そうだ。
学校に行けなくて部屋から出られなかったのは、大怪我で動けなくなった奏多の絶望だ。
周囲の期待が重くて名前を捨てたかったのは、天才ともてはやされた奏多のプレッシャーだ。
誰にも信じてもらえないと心を閉ざしたのは、哀れみの目を向ける周囲を拒絶した奏多の孤独だ。
笑顔を貼り付けて心を空っぽにしていたのは、周囲の応援に無理に応えようとしていた奏多の限界だ。
「そうか……俺たちは全員、こいつだったんだな」
1番が、自嘲気味に、けれどどこか愛おしそうに微笑んだ。
彼らは全員、心がバラバラに壊れてしまった夜野奏多が、自分の痛みを少しずつ切り離して作り出した、5つの心の破片だったのだ。
ゴゴゴゴゴ。
激しい地響きが鳴り響き、ついに地下室の天井が大きく崩落を始めた。
目の前の奏多は、恐怖に顔を歪め、耳を塞いで小さく丸まっていた。
現実に戻る恐怖。
すべてを失った世界で生きる絶望。
彼はまだ、目覚めることを拒んでいる。
「奏多」
身体が胸のあたりまで消えかけた2番が、静かに奏多の前に跪き、その怯える手を両手で包み込んだ。今度はすり抜けなかった。
彼らの心が、完全に一つに重なったからだ。
「もう、怖がらなくていいよ。君の苦しみは、全部僕たちが知ってる」
3番が、奏多の背中にそっと手を添える。
「名前が重いなら、私たちが一緒に背負うから。だから、自分を消さないで」
「そうだ。俺たちの居場所は、あの冷たい教室だけじゃない」
1番が拳を突き出す。
|4番ナギも、涙を流しながら「完璧な笑顔」ではない、本当の等身大の笑顔で頷いた。
「私たちはみんな、君の中にいる。ひとりじゃないよ。……だから、行こう?」
5番が、奏多の手にあの深い青色の万年筆を握らせる。
5人の身体が、眩い光の奔流となって、一気に奏多の小さな身体へと還り、溶けていく。
「――現実に、戻ろう」
最後のノゾムの声が響いた瞬間、図書館の世界は完全に砕け散り、視界は圧倒的な純白の光に包まれた。
奏多が創り出した世界――『十時十五分の図書館』は消え去った。




