王家の血
『建国血統との一致、なし』
十二回目の判定が消えても、誰も口を開かなかった。
銀色の文字が床へ沈み、石室には低い駆動音だけが残る。古代術式の光に照らされた全員の顔は、揃って死人のようだった。もっとも、ここには十五年間ほとんど死人だった人もいるので、あまり上手い喩えではない。
国王も、王妃も、王子も王女も、王家の血を引いていない。
冗談なら出来が悪い。王都にはもっと笑えるものがある。たとえば、魔力のない俺を何年も魔術院の写本係として雇い、役立たずだと追放した人事制度だ。あれは国を挙げた長編喜劇だった。笑っていなかったのは、薄給で古文書の埃を吸い続けた俺だけだが。
「故障ではないのか」
リゼが言った。
疑いたくなる気持ちはわかる。俺だって、古代術式より先に自分の目を疑った。だが床の文字列は安定している。欠落も、焼け焦げも、余計な上書きもない。十二の名は同じ手順で読み取られ、同じ基準で退けられた。
「少なくとも、読み取り部分は正常だ」
「では、王宮にいる者たちは……」
「王族ではある。国がそう登録している。ただし、建国王の血はない」
口にすると、矛盾がますます露骨になった。王冠と血筋は別物だと教えるには、少々規模の大きすぎる教材である。
「羊を馬と登録すれば、馬になるのら?」
ピピが俺の肩で首を傾げた。文字で組み上がった小さな体が、ぱらぱらと紙をめくるような音を立てる。
「役所ではなる」
「役所はこわいところなのら」
「覚えておけ。文字でできたお前にとっては、熊より危険だ。窓口で三枚ほど書類を出されれば、親戚にされるかもしれない」
「ノエルの親戚はいやなのら」
「そこは少し迷ってから言え」
冗談を言っても、石室の冷たさは薄れなかった。湿った岩と古い金属、それに長く閉ざされていた場所特有の、土の底のような臭いが鼻につく。
リゼの隣には、十五年ぶりに生者の側へ戻ってきた父親が立っている。まだ足元は覚束ない。長く王体の内側へ縫い留められていたせいで、頬は痩せ、顔色は石壁とよい勝負だった。
それでも彼は、娘の肩を支えようとしていた。実際にはリゼのほうが腰へ腕を回し、体重の大半を受け止めている。親というものは、体が動かなくても親をやめる方法を知らないらしい。
「フォグレス家は、建国時に王家から分かれた」
リゼの父が掠れた声で言った。一言ごとに喉が痛むのか、小さく息を継いでいる。
「兄上も、私も、そう教えられて育った。だが証明するものは家の古文書だけだ。王都では、辺境貴族の箔付けだと笑う者もいた」
「古文書など、燃やせば終わりだ」
俺は床の国土図を見下ろした。
「血は燃やしにくい。本人ごと燃やす必要がある」
口にしてから、ずいぶん嫌な言い方だと気づいた。だがリゼの父は怒らなかった。十五年前、遺跡で死んだことにされ、この地下へ運ばれた人だ。俺よりずっと、その意味を知っている。
王体が彼を選んだのは偶然ではない。
建国術式を動かすため、王血を持つ生きた体が必要だった。
地上の王族に血がないなら、地下で代わりを務めさせる者が要る。だから彼は殺されず、十五年間も埋葬されていた。息をし、血を流しながら、人ではなく術式の部品として。
「十二人に血がないことと、あなたが王体へ入れられたことは、同じ綴りの中にある」
俺は言った。
「誰かが地上の王家を偽物へ替え、地下には本物の血を置いた。王宮には王族がいるように見せながら、国の術式だけは動かし続けるために」
リゼの爪が石床を引っ掻いた。甲高い音が石室を走り、細い傷の中へ銀光が溜まる。
「父を、部品にしたのか」
「そうだ」
慰めになる言い換えはしなかった。被害を柔らかい言葉で包むのは、傷口へ綺麗な布を被せるだけだ。腐る場所が見えなくなる。
金色の目が細くなり、獣の耳が後ろへ伏せられた。怒りに応じて指先の爪が伸び、唇の隙間から鋭い犬歯が覗く。リゼのまとう獣臭がわずかに濃くなった。
父親の手が、その拳へ重なった。痩せた指は震えていたが、娘から離れなかった。
「私はここにいる」
「十五年も奪われた」
「ああ」
「そんな一言で――」
「済ませる気はない。だから、残りを取り返す」
リゼは唇を噛んだ。やがて爪が引っ込み、父の手を壊れ物に触れるように握り返す。
怒りは消えていない。ただ、向ける先を選んだのだ。
剣より難しいことを、彼女はいつも平然とやる。俺なら怒りに任せて何かを蹴り、足の指を折ったうえで後悔するところだ。
「問題は、誰が本物かだ」
俺は床へ膝をついた。
国土図の中央には、まだ王宮の十二の名が残っている。その外周を囲む命令文を、指で触れずに目だけで追った。一文字読み違えれば、人の一生どころか国の形まで変わる。古代語を読む仕事は、給金に対して責任が重すぎる。
『王名欠落時、王宮登録者より建国血統を検索する』
「狭すぎる」
「王宮に王族がいるなら、普通ではないのか」
「普通ならな。だが今の王宮には一人もいない。なのに、術式は同じ箱の中だけを探し続けている」
なくした鍵を、鍵のない引き出しだけ探し続けるようなものだ。しかも千年間。古代文明の術式は壮大だが、ときどき俺より融通が利かない。俺と違って、それでも国に雇われ続けるのだから腹立たしい。
「外を探させるのら?」
「ああ。ちょうど一語、直せる」
俺は『王宮』の二文字へ触れた。
術式を新しく作ることはできない。魔力の一滴もない俺が床へ立派な命令を書いたところで、石の落書きが増えるだけだ。
だが、すでに動いている文なら、一語だけ流れを変えられる。
王宮ではなく、この国すべてを検索させる。
指先で銀文字をなぞる。硬い光が爪の下へ潜り込み、焼けるような痛みが腕を駆け上がった。息が詰まり、視界の端が白くなる。戻ったばかりの名が手首で脈打ち、こちらの存在を術式へ押し込んでいく。
「『王宮』を――『王国』へ」
最後の一画を書き換えた。
『王名欠落時、王国登録者より建国血統を検索する』
床の国土図が白く燃え上がった。
吹き上がった光に目を細める。銀光が王都から街道へ走る。北の山地、南の穀倉、西の港、そして東のフォグレス領へ。川筋を越え、城壁を抜け、無数の名が浮かんでは消えた。
生きている者だけではない。
墓地の記録、出生簿、婚姻簿、領主家の系図。書庫で鼠に囓られた名も、雨に滲んだ墓碑の名も、国の底へ千年間積み重なった名を、術式が猛烈な速さで辿っていく。人間なら百人が一生かけても終わらない調査だ。古代術式にだけは残業手当が不要らしい。
「うっ、くしゅんのら!」
ピピが盛大にくしゃみをし、俺の頬へインクを飛ばした。
「汚染か?」
「古い文字が多すぎて、鼻がむずむずするのら!」
「鼻があったのか」
「今つくったのら」
顔を見ると、確かに文字一本ぶんの鼻が増えていた。便利な体で羨ましい。俺も必要なときだけ魔力袋を作れれば、もう少し立派な人生だっただろう。
光が三か所で止まった。
一つは、東方のフォグレス領主館。
一つは、この下部校正室に立つリゼの父。
最後の一つは、その隣にいるリゼだった。
『建国血統一致』
『ガルド・フォグレス』
『フォグレス家前当主弟』
『リゼ・フォグレス』
三つの名を、一本の銀線が結んだ。
リゼが息を呑む。父親も、眩しそうに娘の名を見つめていた。
「伯父上も……」
「フォグレス家の古文書は正しかった」
俺は答えた。
「王家から分かれた血は、辺境で残っていた。王宮からは消えたがな」
「ではリゼが女王になるのら?」
「ならない」
俺とリゼの声が重なった。
彼女はこちらを見た。獣の耳まで不服そうに俺へ向く。
「なぜお前が答える」
「騎士団長代理の仕事すら人に押し付けたがる君が、国王の書類仕事に耐えられるとは思えない」
「押し付けていない。適切に配分している」
「世間ではそれを押し付けると言う」
「では最初に、お前を王宮の写本係へ適切に配分しよう」
「謹んで辞退する。一度追い出された職場へ戻るほど、俺の自尊心は安くない」
「値がついたことがあるのか?」
「今の発言でさらに下がった」
少しだけ、石室の空気が緩んだ。リゼの父の口元にも、疲れた笑みが浮かぶ。
血があるから王になる。それでは、名があるから部品にする術式と何も変わらない。
リゼにも、父親にも、ガルドにも選ぶ権利がある。
そして血がなかった十二人にもだ。
「現在の王族は、このことを知っているのか」
リゼの父が尋ねた。
「わからない。生まれたときから王子と呼ばれた者に、祖父の罪まで見抜けとは言えない」
「庇うのか」
「会ったこともない相手だ。庇うほど親切ではない。ただ、血がないというだけで罪人にはできない」
王冠を被っていることと、王冠を盗んだことは同じではない。そこを一緒にすれば、真相ではなく都合のよい処刑台が出来上がる。
まず、十五年前に何が起きたかを読む必要がある。
床の銀線を遡ると、王宮の系譜が途中で不自然に切れていた。古い布を刃物で断ったように、その先だけ血の繋がりがない。
断絶したのは、きっかり十五年前。
同じ日に、当時の王と三人の王族が死亡扱いになっている。
死因の記録はない。葬送も、病名も、事故の場所もない。人の死を記したというより、帳簿から不要な行を消した跡だった。
代わりに、別の一文が系譜へ縫い込まれていた。
『王統空白につき、登録王族を正統として運用する』
署名は焼かれている。
だが焼け跡の形を、俺は知っていた。文字の中心だけを抉り、命令の効力を残したまま書き手を隠す、執拗で嫌らしい焼き方だ。
井戸を壊し、リゼの守護術式を獣化へ歪め、眠る石碑から十五年を奪ったものと同じ焼き方。
「モルグの主だ」
俺が告げると、ピピの新しい鼻が震えた。リゼの父を支える腕にも力が入る。
十五年前、祈祷師の残響を使う何者かが王統を切った。
そして本物の王血を持つリゼの父をさらい、地下で国を支える王体へ変えた。
これで十二人に血がない理由はわかった。
だが、理解はいつも一歩遅い。古代術式は人間が納得するまで待ってくれない。
書き換えた検索命令の下で、赤い警告文が点灯した。
『非血統者による王宮占有を確認』
『建国防衛規定を起動』
『王宮内の排除対象、十二名』
赤い光が石室を染め、低い駆動音が地鳴りへ変わった。床の奥深くで、巨大な何かが目を覚ますような震動が靴底へ伝わる。
床に、残り時間が刻まれる。
『排除完了まで、六百秒』
一秒減るたび、赤い文字が脈打った。
「排除とは何をするのら?」
「古代術式が丁寧な退去勧告を出すと思うか?」
俺は立ち上がった。膝が痺れてよろめいたが、格好を気にしている時間はない。王宮へ続く階段へ走る。
「血のない王族を、国そのものが殺しに行くぞ!」
(第60話へ続く)




