表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

57/63

十五年ぶんのただいま

 リゼの手から落ちた剣が、石床を三度跳ねた。


 甲高い音が広間を駆け、縦穴の奥へ吸い込まれていく。


 父親のほうは、縦穴の縁に両手をかけたまま動かない。擦り切れた指先から血がにじみ、銀色の壁に赤い筋を引いていた。


 十五年ぶんの再会とは、もっと劇的なものだと思っていた。抱き合うとか、泣くとか、互いの名を叫ぶとか。


 実際に起きたのは、親子そろって固まることだった。


 血筋というものは、妙なところで似るらしい。


「リゼ」


 男がもう一度、娘の名を呼んだ。


 掠れてはいたが、迷いのない声だった。


 その声でリゼの肩が震えた。獣化した耳がぴくりと立ち、次いで、怯えるように伏せられる。


「……本物、なのか」


「できればそうでありたい。十五年かけて穴を登った挙げ句、偽物扱いでは報われん」


 口調まで親子だった。


 俺が少し安心した、そのときだ。


 縦穴の内壁に赤い文字が走った。


『棄却対象の停滞を検知』


『棄却処理を再開』


 男の身体が沈んだ。


 爪が銀の縁を引っ掻き、耳障りな音を立てる。


「父上!」


 リゼが床へ滑り込み、男の右腕を掴む。だが下から引く力は強い。彼女の爪が石床を削り、獣化した腕の毛が逆立った。


 男の肩が縁へぶつかる。外套の布が裂け、その下に、古い傷と新しい傷が幾重にも重なっているのが見えた。


 十五年ぶりに会った父親を、王墓は十五秒で返却させる気らしい。役所仕事というものは、千年前から融通が利かない。


「ピピ、インク!」


「父上をお持ち帰りするのら!」


 ピピが俺の肩から飛び降りた。小さな身体を作る青い文字がほどけ、俺の指へまとわりつく。冷たいはずの文字が、今は妙に熱かった。


 俺は腹ばいになって縦穴を覗いた。


 下から吹き上がる空気は、乾いているのに生臭い。銀色の内壁を巡る命令文は速い。男を底へ戻すたび、文字列も元の位置へ戻る構造だ。消せない。止めても戻る。恒久的に直す時間もない。


 いつものことである。


 俺の人生には、だいたい時間と魔力と立場がない。ついでに腕力もないので、頼れるものは指一本と悪あがきだけだ。


「あと少し耐えろ!」


「誰に言っている!」


「腕が抜けそうな父親と、娘のほう!」


「範囲が広い!」


 怒鳴り返す余裕があるなら、リゼはまだもつ。


 とはいえ、石床へ食い込んだ彼女の爪は、一本ずつ浅くなっている。余裕など、俺が勝手にそう呼んでいるだけだった。


 俺は内壁へ腕を突っ込んだ。銀の光が皮膚を焼く。歯の奥まで響く痛みを噛み殺し、流れてくる文字へ指を押しつけ、目的地を示す一語を探す。


『棄却者を底へ戻せ』


 底。


 この王墓は、人間を穴へ捨てるくせに、捨てたあとまで律儀に管理している。


 だったら管理先を変えてやればいい。


 俺には大層な奇跡は起こせない。できるのは、古代の命令に紛れ込み、一語だけ行き先を間違えさせることだ。


 赤い文字が指の下へ来た瞬間、青いインクを叩き込む。


『棄却者を縁へ戻せ』


 縦穴が轟いた。


 引きずり込む力が反転する。


 男の身体が穴から勢いよく飛び出し、リゼを押し倒した。ついでに後ろにいた俺も巻き込まれた。


 後頭部が石床へ当たり、視界に星が散る。その上へ鎧と外套と、十五年ぶんの執念が降ってきた。


 親子二人の下敷きになる。


 魔力ゼロの写本係に求められる身体能力としては、いささか過酷ではなかろうか。


「重い……」


「すまない」


「父上に言ったのではない!」


 リゼが俺を睨んだ。


 十五年ぶりの父親より先に、俺へ怒る元気を取り戻したらしい。結構なことである。俺の肺には結構ではないが。


 男は起き上がろうとして、肘をついたまま崩れた。


 リゼがその身体を抱き止める。


 古びた革と汗、血、それに銀の焦げた匂いが混じった。リゼの濡れた獣毛と革鎧の匂いが重なる。石と灰しかなかった王墓に、急に生きた人間の匂いが満ちた。


「怪我を見せろ」


 リゼの声が騎士のものに戻る。そうでもしなければ、震えを隠せないのだろう。


「指先が少し削れただけだ」


「爪が三枚ない。左肩も外れている。少しではない」


「お前も昔、膝を擦りむいて骨が出ていないから無傷だと言った」


「七歳の話をするな」


「俺にとっては、つい昨日だ」


 その一言で、リゼの手が止まった。


 男は娘の顔を見上げた。十五年を数えた目が、十五年を生きた娘を確かめるように細められる。


「下では、腹も減らず、眠っても目覚めれば同じ場所だった。墓が棄却したものを壊さぬよう、保存していたらしい。上の鐘だけが、一日ごとに聞こえた」


「では、十五年を……」


「数えた。五千日を越えたあたりで、正確な数は諦めたがな」


 冗談めかした声だったが、その日々を想像すると、縦穴の底より胸の内のほうが暗くなった。


 男は自分の胸元に触れた。そこには指輪を通していた白い跡だけがある。


「王体へ変えられる直前、あの指輪を命令文の継ぎ目へ挟んだ。処理は止まったが、俺は棄却路へ落とされた。登れば落とされ、登れば落とされた」


 爪が剥がれても、肩が外れても。同じ銀の壁へ手をかけ、同じ高さを登り、同じ命令に底へ戻されたのだ。


「なぜ、登り続けた」


 リゼの問いに、男は不思議そうな顔をした。


「娘が待っているからだ」


 今度こそ、リゼは何も言えなくなった。


 強い女だ。


 剣を振れば騎士を三人まとめて壁へ送る。獣化すれば銀の爪で術式すら引き裂く。俺が死にかけるたび、命を預けろと言って前に立つ。


 その彼女が、父親の外套を握ったまま震えていた。噛み締めた牙の隙間から、細い息が漏れている。


「私は……待てなかった」


 絞り出すような声だった。


「墓で死んだと決めた。父上の指輪を持って、仇を取ることばかり考えた。顔も、声も、忘れかけていた」


「それでいい」


「よくない!」


 叫びが広間に響いた。


「忘れたくなかった。帰ってくるかもしれないと、信じていたかった。だが十五年だ。私は……」


「リゼ」


 男の左手が上がった。


 擦り切れた指が、娘の髪に触れる。銀の獣毛が混じる髪を、子供の寝癖でも直すように撫でた。


「待つために十五年を使わせたのは、俺だ。お前の罪ではない」


 リゼは唇を噛んだ。


「父上は、私がこうなった理由を知らない」


「狼の耳なら見えている」


「耳だけではない」


「爪も便利そうだ」


「便利で済ませるな」


「では、格好いい」


 リゼの喉から、泣き声とも笑い声ともつかない音が漏れた。


 男は娘の背へ腕を回した。外れた肩をかばう、不格好な抱擁だった。


「ただいま、リゼ」


 その言葉を聞いた途端、彼女の獣化した腕から力が抜けた。


 銀の毛が少しずつ肌へ沈み、爪が人の指へ戻っていく。それでも父親の外套だけは離さなかった。


「……遅い」


「ああ」


「遅すぎる」


「すまなかった」


「おかえりなさい、父上」


 十五年分の返事は、それだけだった。


 俺は顔を背けた。


 他人の再会を覗く趣味はない。まして、少し目に灰が入った程度で泣いたと誤解されては、元写本係の冷静な評判に傷がつく。そんな評判が存在した記憶はないが。


「ノエル、鼻が赤いのら」


「王墓の空気が悪い」


「ピピも泣いているのら」


「お前はインクが漏れているだけだ」


「感動漏れなのら」


 ピピは青い雫を垂らしながら、父親の肩へ飛び乗った。


「リゼの父上、インクを舐めるのら?」


「いきなり食事へ誘うな」


「娘の友人は変わっているな」


「片方は食い意地の張った文字で、片方は魔力のない無鉄砲だ」


 リゼが涙を拭いもせず答える。


「二人とも、私をここまで連れてきてくれた」


 男は俺へ向き直った。疲労に曇った目が、それでも騎士らしく真っ直ぐ俺を捉える。


「礼を言う。娘を守ってくれた」


「逆だ。俺は守られてばかりだ」


「では、娘に守るべき相手をくれたことに礼を言う」


「父上」


 低い声が飛んだ。


 俺は再び縦穴へ落ちたくなった。あそこなら保存までしてくれる。父親から娘をどう思っていると問われるより、多少は過ごしやすいだろう。


「帰ったら、兄上にも謝らねばならんな」


「伯父上は殴るぞ」


「だろうな」


「たぶん二発だ」


「一発で済むよう口添えしてくれ」


「十五年分だから無理だ」


 親子の会話が、ようやく同じ時間を歩き始める。


 失われた年月は戻らない。それでも、これから交わす言葉の置き場だけは残っている。


 だが、王墓はそれを長く許さなかった。


 石棺の灰が突然、真上へ舞い上がった。


 風はない。にもかかわらず灰は一本の柱となって天井へ昇り、広間の銀光を濁らせた。


 床一面に銀の線が走る。王墓だけではない。王都の街路、鐘楼、城壁、さらに遠く離れた河川と街道までを描いた巨大な国土図が、俺たちの足元へ広がった。


 細い光の脈が国土を巡り、七つの鐘楼へ集まっていく。


 その中央で、建国王を示す文字が消える。


 直後、地上から鐘が鳴った。


 一つではない。


 王都の七つの鐘すべてが、同時に喪失を告げていた。


 腹の底を揺らす鐘声が重なり、石棺の灰が震える。リゼと父親が同時に顔を上げた。


 足元の国土術式に、新しい一文が刻まれる。


『王体を喪失』


『第一校正者を暫定王名へ登録』


 嫌な予感というものは、だいたい当たる。良い予感は道に迷うくせに、こちらは最短距離でやって来る。


 俺の左手首が焼けた。


 皮膚の下から浮かび上がったのは、見間違えようのない俺自身の名だった。


『暫定王――ノエル・アルクム』


(第58話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ