王墓は生者を埋葬する
飛び乗った円盤は、俺たちを乗せたまま落ちた。
下降ではない。落下だ。
腹の底だけが先に取り残され、耳元では風が獣のように唸っている。円盤の縁に刻まれた古代文字が青白く明滅していたが、乗客を安心させる文言は一文字もなかった。
「聞いていた話と違う!」
「誰から何を聞いた!」
「俺の足からだ! まだ地面についていると言っていた!」
「信用できない証言者だな!」
リゼが俺の襟を掴む。直後、円盤が乱暴に停止し、膝と胃袋が別々の方向へ行こうとした。
魔力があれば、こういうとき優雅に浮いたりできるのだろう。俺にあるのは胃の中身を守る根性だけだ。しかも昼食を抜いていたので、守る対象すらなかった。
「着いたのら……」
俺の胸元に潜り込んでいたピピが、文字の耳をへたらせて顔を出した。輪郭を作る文字列まで波打っている。文字にも乗り物酔いがあるとは知らなかった。知識は増えたが、何の役にも立たない。
王墓最下層は、墓というより巨大な印刷機の腹の中だった。
円形の部屋を何重もの青銅環が囲み、それぞれに古代文字が刻まれている。床には細い溝が無数に走り、中央の円盤から八方へ伸びていた。油と冷えた石、それに古い鉄を水に浸したような臭いが鼻につく。壁際には人ひとりが収まる大きさの石箱が並んでいる。
棺だ。
数えるのはやめた。数えて減るものでもないし、自分の分が空いているか確かめる趣味もない。
『封鎖処理を開始』
頭上で石床が閉じた。
逃げ道が消えると同時に、青銅環が回転を始める。低い振動が靴底から骨へ伝わり、古代文字が次々と俺たちの足元を通り過ぎた。墓のくせに、ずいぶん勤勉だ。
『王血反応、一』
『第二校正者の系譜を確認』
リゼの足元に銀色の輪が浮かんだ。
彼女の獣化した右腕が震える。怯えではない。床の文字に引かれていた。銀毛の一本一本が、見えない糸で下へ縫いつけられていく。爪が石床を掻き、耳障りな音を立てた。
「下がれ、リゼ!」
「もう遅い!」
床の溝から黒い帯が噴き出した。
布ではない。文字だ。
細かな古代文字が連なり、葬送用の布の形を取っている。それがリゼの脚へ巻きつき、腰、胸へと這い上がった。重なった文字が擦れ合うたび、弔いの祈りが何十人分も囁かれる。
リゼは剣を抜き、一閃した。
帯は断ち切られたが、床へ落ちた文字がすぐに繋がる。文章というものは、剣で斬っても意味までは死なない。写本係には嬉しい性質だが、襲われる側になると腹立たしい。
「読めるか!」
「いま読んでる! せめて同じ速さで回れ!」
「誰に命令している!」
「墓だ!」
回転する青銅環を目で追う。
『王血を持ち、王墓へ降りた者を――』
続きが裏側へ回った。
俺は円盤から飛び降り、青銅環へ走る。途端に床が盛り上がり、石箱の蓋が一斉に開いた。冷え切った空気が吐き出され、首筋を撫でる。
余韻だけでなく、歓迎という概念もないらしい。
石箱の中から白い腕が伸びた。
骨ではない。石で作られた人形の腕だ。肘も肩もないまま宙を滑り、手首から先にびっしりと文字が刻まれている。
『納める』
『整える』
『閉じる』
葬送のための作業腕。敵意がないぶん、なお悪い。こいつらは親切に、手順どおり俺たちを埋めるつもりだ。善意から棺へ押し込まれるのは、悪意で刺されるより抗議先に困る。
「ノエル、伏せろ!」
俺の頭を掴もうとした石腕を、リゼの剣が肘から落とした。砕けた石片が頬を掠める。
だが彼女自身は黒い文字帯に両腕まで巻かれている。銀の爪が帯を引き裂くたび、床から新しい一文が補われた。
「俺より自分を守れ!」
「お前を守らなければ、誰が私を直す!」
「もっと感動的な理由はないのか!」
「十分だろう!」
否定できないのが悔しかった。信頼という言葉は、ときどき脅迫とよく似た顔をする。
ピピが青銅環へ飛びついた。平たい身体を刻印の隙間へ挟んだものの、回転に巻き込まれ、半周して戻ってくる。
「焼けた文字があるのら! へくちっ!」
小さなくしゃみとともに、ピピの身体から文字が二つこぼれた。それらは慌てたように床を這い、足首から元の場所へ戻っていく。
「どこだ!」
「あっちのら!」
「あっちでは写本係は食えない!」
「ぐるぐるして分からないのら!」
もっともだった。俺にも分からない。
青銅環は三重に回り、刻文は途中で上下を入れ替えていた。目で追うだけでは間に合わない。焦れば文字は線になり、線は光になり、意味だけが指の間からこぼれていく。
俺は床へ膝をつき、指先を溝へ当てた。冷たさの奥に、脈のような振動がある。
文字は命令であると同時に、流れでもある。どこへ向かい、何を選び、何を結果とするか。全文を追えないなら、流れの出口で待てばいい。
床の溝へ淡い光が集まる。
王血を示す線がリゼから伸び、青銅環を三周し、壁際の石箱へ向かっていた。
その途中に、黒く焼けた箇所がある。火で壊したというより、意味だけを抉り取った傷だった。
「見つけた!」
俺は走った。
石腕が左右から伸びる。一本目をくぐり、二本目に肩を殴られた。息が潰れ、床へ転がりながら、どうにかインク壺を守る。
人間としての誇りよりインクを優先する。写本係としては正しい。人間としては今後の課題だ。
焼け跡は青銅環の内側にあった。
回転するたび、一瞬だけ露出する。顔を近づければ青銅の錆と焦げた油の臭いがした。縁は刃物のように鋭く、指を差し込める隙間は指一本分しかない。
『王血を持ち、王墓へ降りた者を――副葬する』
「副葬品扱いか!」
生者か死者かを確かめる言葉が焼かれている。
本来なら、死者だけを選り分ける条件文があったはずだ。それを誰かが焼いたせいで、王血を持って降りた者は全員、墓へ納められる。壊れた術式は怒りもしない。ただ壊れたまま、十五年でも百年でも命令を守り続ける。
リゼの父も、ここで捕まった。
十五年前、遺跡調査で命を落としたアルノー・フォグレスは、死後に王墓へ運ばれたのではない。生きてここへ降り、第二校正者として認められたあと、この壊れた命令に捕らえられたのだ。
だから退室できなかった。
手記に残された最後の行が脳裏に浮かぶ。あれは敗北の記録ではない。ここまで来た人間が、読めぬ文字の前で、それでも異常を後へ伝えようとした痕跡だ。
「リゼ! 君の父上は、ここまで生きて来た!」
黒い帯の中で、リゼの動きが止まった。
「記録に残っている! 王墓が父上を第二校正者として受け入れ、そのあと副葬対象へ変えた!」
「では、父は――」
「殺されたのは遺跡じゃない。この王墓だ!」
リゼの瞳に怒りが走る。だが言葉になるより先に、文字帯が彼女の口元を覆った。
石箱の一つが開き、彼女の身体を引き寄せた。鎧が床を擦り、剣先から火花が散る。
怒る時間も、悲しむ時間もなかった。
俺は回転する青銅環へ腕を突っ込んだ。
縁が手首を削る。熱い痛みが肘まで駆け上がり、指が開きかける。それでも露出した一語へ、インクまみれの指を押しつけた。
削除はできない。
失われた条件文を、いま恒久的に補う時間も材料もない。俺にできるのは、術式の中の一語を替えることだけだ。
なら、行き先を変える。
『副葬する』
その一語を――
『送還する』
へ書き換えた。
青銅環が悲鳴のような音を立てた。歯車の奥で何かが激しく噛み合い、部屋全体が震える。
リゼを包んでいた文字帯がほどけ、逆向きに走り出す。彼女の身体は石箱の手前で止まり、今度は中央の円盤へ投げ返された。
俺も石腕に襟を掴まれる。
「待て、俺は王血じゃ――」
『校正者を送還する』
「融通が利くな!」
感心する暇もなく放り投げられた。
受け止めたのはリゼだった。甲冑の胸当てに鼻をぶつけ、目の奥に白い火花が散ったが、石箱へ丁寧に収納されるよりはましだ。
ピピも青銅環から剥がれ、俺の頭へ落ちてきた。
「目がぐるぐるなのら……」
「安心しろ。俺は人生がぐるぐるだ」
「安心できないのら」
青銅環の回転が止まる。
書き換えは長くもたない。黒いインクが薄れ、元の『副葬する』が下から浮かび始めていた。古代の命令は頑固だ。俺の筆跡など、石についた泥ほどにしか思っていない。
だが中央の円盤は上昇しなかった。
代わりに壁の一部が開き、細い通路が現れる。湿った冷気が流れ込み、暗闇の向こうに長い石段が見えた。
『送還経路を開放』
「走れ!」
三人で通路へ飛び込む。
背後で書き換えが元へ戻り、石箱の蓋が次々と閉じた。最後の蓋が落ちる音は、巨大な歯が噛み合ったようだった。
通路の扉が閉まり、葬送室の光が遮られる。
俺は壁にもたれて息を吐いた。冷たい石の感触で、ようやく自分がまだ立っていると分かる。手首から血が垂れ、床に小さな染みを作っていた。リゼはそれを見つけると、返事も待たずに布を巻いた。
「父は、ここまで来たのだな」
「ああ」
暗がりの中で、その声だけが妙に幼く聞こえた。
「逃げなかったのか」
「逃げ道を送還ではなく副葬にされた。あれを剣だけで抜けるのは無理だ」
「そうか」
リゼは強く結びすぎた布を、少しだけ緩めた。獣化した指先でも傷に触れないよう、ひどく慎重に結び直している。
「父は遺跡で何もできずに死んだのだと思っていた」
「違う。王墓は父上を校正者として認めた。ここまで辿り着き、国の間違いに触れたんだ」
「直せなかった」
「読めなかっただけだ」
俺は傷口に結ばれた布を見た。
「読めない者が間違いに気づくのは、読める者が直すより難しい。父上は十五年前に、ここが壊されていると見抜いた。それで十分だ。残してくれたものがなければ、俺たちも同じ棺に仲よく並んでいた」
「お前と同じ棺か」
「嫌そうに言うな。俺も狭いところで鎧と同居するのは断る」
リゼはわずかに息を漏らした。笑ったのか、泣くのを堪えたのかは聞かなかった。
やがて彼女は一度、深く息を吸った。
「なら、続きを頼む」
「引き受けた。手当てをもう少し優しくしてくれるなら」
「注文が多いな」
「弱者には誠実であれ。今の弱者は俺の手首だ」
布が少し緩んだ。
そのとき、通路の奥で灯りがともった。
一本、二本と青白い線が壁を走り、やがて壁一面に校正者の入退室記録が浮かぶ。整然と並ぶ名の多くには、退室を示す印がなかった。
アルノー・フォグレスの名の下に、俺の名があった。
『第一校正者ノエル・アルクム』
『生体反応――不一致』
意味を理解した瞬間、背筋を冷たいものが走った。
「待て。俺はさっきまで、嫌になるほど生きて――」
足元の石が割れ、黒い文字の手が俺の両足首を掴んだ。
『死亡を確認。埋葬処理を開始する』
(第55話へ続く)




