第43話【精一杯の解決】
痛い。
何度も蹴られて、体はもう悲鳴を上げているし、実際俺の口からも嗚咽のようなものは漏れ出ているかもしれない。
でもこれでいい。鈴音が何かされるくらいなら俺がボコられた方が遥かにマシだ。
だから、後ろにいた鈴音が立ち上がったことに気が付いた時、叫ぶように言った。
「こんな事して大丈夫なんですか先輩!」
俺の声に、瀬戸先輩は足を止めた。これ幸いと言葉を続ける。
「進学校の優等生が、他校の後輩に暴力振るったなんて知られたらどうなるんでしょうね」
「……何それ? 脅してるつもり?」
頷くと、先輩はおかしくて仕方ないという風に高笑いした。
「馬鹿だなー。大人は俺の言うことを信じるんだよ。他校の生徒が急に殴りかかろうとして来た、だから正当防衛で殴り返してしまった……反省した顔でそう言えば何の問題もないよ」
「……見てる人がいてもですか?」
先輩は鈴音を指差し、また笑った。
「中学生一人の言うことなんてアテにならないさ。それに君と彼女は親しい間柄なんだから、君の肩を持つのは当然だと判断されると思うよ」
「蹴り方も随分手慣れてましたけど……もしかして似たようなことたくさんしてるんですか?」
「こんなこと何度もやってたら流石に信頼が落ちるでしょ。ただ、友人がやってるのをそばで見てたことは何度かあるね」
この自信溢れる感じからして、きっとその友人たちはお咎めなしだったんだろう。
実際、俺と鈴音がどれだけ言ったところで大人たちは先輩を信じるのかもしれない。
「でもあんまりやり過ぎると怪しまれるかもしれないから、これくらいにしとくけどさ。……篠塚さん、最後に謝ってくれないかな」
そう言いながら先輩が鈴音に近付こうとしたので、体を起こして二人の間に割り込んだ。全身が痛んで一瞬転びそうになったけど、何とか踏ん張る。
「鈴音があんたに対して謝ることなんて何もない」
「君がそんな目に遭ったのだって彼女のせいなんだよ? ちょっと可愛いからって男を馬鹿にするし、こんな性格の悪い子、なかなかいないって」
「黙れ」
語気を強めて言うと、先輩は呆れたように溜息をついた。
「事実を言われて怒らないでほしいな。こんな女にも媚びなきゃいけないなんて、モテない奴は可哀想だね」
「あんただって鈴音のこと好きだったのに、フラれたからってその子を馬鹿にするようなダサい真似するなよ」
先輩の表情が、目に見えて不機嫌なものに変わっていった。睨むようにこちらを見ながら近付いて来る。
「君もなかなか鬱陶しいな……もう一発くらい殴っとこうか」
俺の方に振り向いた先輩が拳を振り上げた。
殴られる――そう思って目を瞑った瞬間だった。
「そこまでにしといた方がいいですよ」
後ろから声が聞こえてきた。同時に、足音が近付いて来る。
先輩は拳を下ろして振り返り、その人物を見て怪訝そうな顔をした。
「篠塚君……何をしてるのかな?」
「動画を撮ってるんです。これなら、大人たちに信じてもらえますよね?」
飄々と答えた怜央は、片手に構えるようにスマホを持っていた。
俺と怜央はさっきまで少し離れた場所から二人の様子を伺っていて、俺は鈴音が腕を掴まれたのを見て飛び出していった。だから怜央がまさかスマホで俺たちを撮っているなんて、思いもしなかった。
「これを見たら、明らかに先輩から手を出してますよね」
「っ……そ、そんな動画があっても、教師たちは俺を信じるに決まってる!」
「ならもっと味方をつけた方がいいかな……西園寺麗香さんとか」
「西園寺!?」
先輩の声がひっくり返り、みるみる内に顔が青ざめていく。
「な、なんで……うちの高校の会長の名前を……」
「僕、女の子の知り合い多いのでその繋がりで。そこまで仲良しってわけではないですけど、この動画を見せたら、正義感が強い彼女はどちらの肩を持ってくれますかね?」
「ぐ……、や、やめて、くれ……」
唸るように言葉を漏らした先輩に対し、怜央はひらひらとスマホを持った手を振った。
「分かりました。ただ、鈴音に何かしたらすぐに相談しますから忘れないでくださいね。あ、ついでに啓太や僕にも」
微笑んでいるのに明らかな圧を感じる怜央を前に、先輩は後ずさった。
「わ、分かった…………もう君たちの前には現れないから……」
それだけ言って、走り去って行く。
あまりに唐突な幕切れに、俺も鈴音もしばらく放心状態のようになってしまった。先に我に返ったのは鈴音の方で、俺に駆け寄って来た。
「啓太、大丈夫!? 怪我は!?」
「あ、ああ……大したことない。擦り傷くらいだから」
本当は蹴られた背中や腹の辺りもジクジクと痛いんだが、心配をかけるのは嫌だった。
「ごめん……私のせいで、こんな……」
「鈴音はただ話をしていただけだろ? いきなり手を出してきた先輩が悪いんだ」
「ま、僕はこんなところで二人きりで話す判断をした鈴音もどうかと思うけど」
「ごめんなさい……」
怜央の言葉は容赦なかったが、それだけ心配していたということだろう。
「啓太も啓太だよ。何の策も無しに飛び出して行って……僕がカメラ回してなかったら、一方的に悪者にされてたかもしれないよ」
「それについては本当に申し訳ない……」
項垂れる俺たちを見て、怜央は軽く肩をすくめた。
「ま、おかげで脅すネタが出来たから助かったけど。ごめんね、蹴られてたのにすぐ助けに来なくて」
「いや、気にするな……」
にこりと微笑んだ怜央は、内心滅茶苦茶キレているんだと思う。昔から、怒りが頂点に達した時は逆に笑顔になるタイプなのだ。
「あの……お兄ちゃん、ありがとう」
「うん。あの人、世間体を気にするタイプっぽいから多分大丈夫だろうけど、しばらくは帰り道とか気を付けなよ」
その言葉に鈴音が頷いたのを見て、怜央は笑顔を崩し、いつもの表情に戻った。
「じゃ、僕は先に戻ってるけど……怪我は大丈夫そう?」
「ああ。悪いな、心配かけて」
「鈴音、ちゃんと送って行ってあげなよ」
それだけ言って、怜央は立ち去って行った。その背中が小さくなった辺りで、俺はつくづく実感する。
「怜央ってほんとカッコいいよな」
「……頼りにはなるけど」
こんな状況でも、実の兄をカッコいいと評するのは気が引けるらしい。
「お兄ちゃんが撮ってたこと、啓太は知らなかったんだね」
「ああ。てっきりどこかに助けを呼びに行ってくれてるものだとばかり」
「ふーん……なら、その助けが来るまで蹴られ続けるつもりだったの?」
「……無計画で飛び出して悪かったな」
鈴音が危ないと思ったら体が勝手に動いてしまって、深いこと考えてる余裕なんてなかったんだ。まあ考えたところで、俺には良い案なんて思いつかなかっただろうけど。
「でもそのおかげで動画も撮れたわけだし。……悪いのは全部私だから」
「す、鈴音は悪くないって!」
「でも、お兄ちゃんも言ってたけど……もっと警戒すべきだったと思う。絶対に相手は暴力振るわないって考えが甘かった」
「それは……そうかもしれないけど、でも鈴音は話をしようとしただけだし……やっぱり手を出す方が悪いよ」
本当は怜央みたいに注意すべきなのかもしれない。けど、微かに震えている鈴音を見ていると、そんな気持ちは吹き飛んでしまった。怜央に言われて相当反省している中、俺が追撃のように言うこともないだろう。
「それに元々、先輩が俺に近付かないようにってやってくれたことなんだろ。ごめんな、一人で怖い思いさせて」
俺がもっと頼れる人間だったら、鈴音は二人で話をする前に俺に相談してくれたかもしれない。そう考えると、最も悪いのは俺の頼りなさなのだ。
「……別に、怖かったわけじゃないけど。二人を巻き込んじゃったのが嫌だっただけ……啓太にも怪我させて。……私も一発くらい殴り返したらよかった」
言いながら俺の腕を掴む鈴音の手は、やっぱり微かに震えていた。それをなんとか止めたくて、彼女の体を引き寄せて抱きしめた。
「暴力なんて振るう奴は馬鹿なんだし、同じ土俵に立つ必要なんてないって」
まあ、俺は苛立って先輩の胸ぐらを掴んでしまったけど……殴ってはいないので大目に見てもらいたい。
「……啓太は大人だね」
「ただの綺麗事とも言う。本音では、殴り飛ばしたかったとも思ってるし」
「でもそうしたら先輩はもっと逆上してたかもしれないし、先生たちに動画見せた時に啓太も悪くなっちゃうかもしれないから……やっぱり正しいんだと思う」
暴力はよくない。けど、正論をかざしてばかりじゃ何かを守り抜くことは難しいかもしれない。
……考えれば考えるほど難しい話だと思った。
「ともあれ、鈴音が無事でよかったよ……っていうか、無事だよな? どこか痛むとことかあるか? 怪我とか」
「ないよ。私はね」
「だぁっ!?」
鈴音が俺の背中を撫でた瞬間、痛みが走り、思わず声が出てしまった。
「……え、もしかして骨とか折れてる?」
「さ、流石に折れてたらこんな普通に歩けないと思うから……ただの打撲だ」
「とりあえずちゃんと手当てしないと。啓太の家……だと美咲に会っちゃいそうだから、うちに来て」
「ああ」
強めに手を引かれ、大人しくついていく。
鈴音はしばらく黙って歩いていたけど、その背中は妙に落ち込んでいるように見えた。
「えっと……大丈夫か? あんまり気にし過ぎるなよ」
「うん。ただ、ちょっと色々凹んでるだけ」
色々というのは、どういう色々なんだろうか。
自分で解決出来なかったこと、俺や怜央に目撃されてしまったこと。
あと思いつくのは……
”こんな性格の悪い子、なかなかいないって”
「……クソ」
改めて思い返してもイライラして、つい俺も汚い言葉がこぼれてしまった。
「なに、急にキレだして」
「あ、いや、ちょっと思い出しイラ立ち。……前に高岡先輩が俺のことを悪く言ってた時に、鈴音が言い返してくれたことがあったけど。その時の鈴音の気持ちが今やっと分かった気がする」
鈴音からの返事はなかったけど、構わず続けた。
「好きな人のこと悪く言われると、めっちゃ腹立つんだな」
「……あの人が言ったことは少し正しいけどね。私、結構性格悪いから」
「鈴音が自分のことどう思ってようと、俺から見た鈴音は可愛い普通の女の子だよ」
「――」
一瞬、鈴音が俺の足を蹴ろうとして、怪我のことを思い出したのかやめた。
「なんで蹴るんだよ」
「啓太のくせに生意気だったから」
「どこぞのガキ大将みたいなこと言うなよ……」
まあ、蹴るくらいの元気が出たようで何よりだけど。
くいっと手を引っ張られ、何かと思っていると、ぽつりと小さな声が聞こえてきた。
「……ありがとう」
どういたしまして、と言うほど俺は何か出来た自負はない。
どう返してもなんだかしっくりこない気がして、悩んだ結果、俺は繋いでいた手にグッと力を込めた。
続く




