第42話【衝突】
正直、自分の家の前にまでいた時は恐怖を感じた。
クラスメイトの兄だから――という理由から、一応他の人よりは気を遣った対応を心がけていたけど、それが変な誤解を生んでしまったんだろうか。
「美咲、私今度から勉強会パスする」
「へ!?」
放課後、そう宣言した私に対し、美咲は目を丸くして驚いていた。
「……あ、もしかして瀬戸に何か言われた?」
意外と勘がいい美咲は、瀬戸のお兄さんが私を気にかけていることにも気が付いている。
それはいいんだけど……
「なんで瀬戸だと思ったの?」
「前あいつに言われたの。鈴音が自分のお兄ちゃんを悪く言ってて気分が悪いーって。どうせ嘘でしょ?」
「……干渉して来ないで、みたいな感じのことは言ったかも。結構キツめに」
「へー。ま、鈴音がそう言うってことは相手が悪いんだろうけど」
詳しい事情は知らないはずなのに、美咲は全面的に私を信用してくれているらしい。
そのことに感謝していると、後ろから声がかけられた。
「美咲、篠塚さん、行こ」
振り返ると、いつも一緒に勉強会をしているクラスメイトが立っていた。
美咲相手にはハッキリ「行かない」と言えるけど、流石に他の子に事情を話すのは気が引けるな……。
「あ、鈴音はちょっと用事があるからパスだって」
そう思っていたら、美咲が助け舟を出してくれた。
私に向かって目配せした後、彼女たちと共に教室を出て行く美咲。
それに続くように、瀬戸たち男子も廊下へと歩いて行く。……教室を出る直前、瀬戸が睨みつけてきたのはイラっとしたけど、無視。
「……どうしよっかな」
あの調子だと、瀬戸は先輩に話をしてないと思う。
私に言ってくる分にはスルーしてればいいけど、啓太にまで言ってくるのが厄介だ。恋愛に関しては自己肯定感低めな彼にこれ以上変なことを吹き込まれたくない。
「瀬戸が頼りにならないとなると……自分で言うしかないか」
あまりに気が重くて、思わず溜息が出た。
◆ ◆
平日の放課後はみんなで勉強会をしているから、自然と話せる機会は土曜日か日曜日に絞られる。
嫌なことはさっさと済ませたいタイプなので、その週の土曜日、瀬戸の家を尋ねることにした。
「あれ? 鈴音、どこか出かけるの?」
「うん」
「啓太とデート?」
……そうだとしたらどれほど良いことか。
「いや、野暮用」
「? よく分からないけど、気を付けてね」
お兄ちゃんに見送られて、家を出る。
嫌過ぎて、ちょっと顔に出ちゃったかもしれない。
お兄ちゃんは変に鋭いところがあるから、察せられてなきゃいいけど。
「それにしても驚いたな。まさか篠塚さんの方から俺に会いに来てくれるなんて」
事実だけど嫌な言い方だな……と思いながら、歩を進める。
瀬戸たちは外出中だったらしく、家に一人だった先輩は「話がある」と言ったら、すぐについて来てくれた。
「さっきファミレスで話そうって言ってたけど、場所変えてもいいかな? 二人きりで話してる時、知人に会ったら気まずいしさ」
「……どこですか?」
「そこら辺とか」
先輩が指さしたのは、川沿いの遊歩道。辺りに他の人の姿はなく、確かに周囲を気にせず話せる気がした。
「なら、そこで話しましょう」
「うん。あ、お茶とか買って来ようか?」
「結構です」
キッパリ断りつつ遊歩道へと降りていく。
先輩もその後に続いたんだけど……なんかさっきから妙にニコニコしていて気味が悪い。
「それで、話っていうのは?」
「……私の彼氏のことです」
啓太――と言おうとして、あえて彼氏という言葉を使った。
彼氏持ちなことをピールして諦めてもらおうという考えだったんだけど、よく考えたらこの人はクリスマスの日に合コンじみたことをしていた。私のことはとっくに吹っ切れてるんだと思う。
「もしかして彼に話に行ったこと?」
「はい。進路のことは啓太には関係ないことなので、その話をするために近付くのはやめてください」
「でも篠塚さんがあの高校に決めたのは、彼がいるからでしょ? だったら完全に無関係とはいえないんじゃないかな」
「啓太じゃなくて、私は友達と一緒のところに行きたいだけです」
心の中で美咲に謝りつつ、そう答えた。
実際は二人がいるからなんだけど……正直に答えたら面倒なことが続きそうだし。
「というか、私の進路に口出しされること自体、あまり嬉しくないんですけど」
「俺は君のためを思って言ってるんだよ」
「自分のことは自分で決められるので」
こちらをジッと見た後、やれやれと言いたそうに大仰な仕草をする先輩。
なんか腹立つ動きだなと思っていたら、真っ直ぐにこちらを射抜くように見てきた。
「もう一度改めて言うけど……俺は篠塚さんのこと割と本気で好きなんだよ」
は? ――という言葉を咄嗟に飲み込んだ。
「あの……私、クリスマスの日、ショッピングセンターで先輩を見かけたんですけど」
「ああ、見られちゃったか。あれはただ友達と遊んでただけだよ」
「……その割には随分と距離が近かった気がしますけど」
「まだ中学生だから分からないかもしれないけど、高校生なんてみんなあんなものだよ」
明らかな嘘だった。
少なくとも啓太やお兄ちゃんが、クラスの女の子たちとあんな風にベタベタしている姿は全く想像出来ない。
「俺が好きなのは篠塚さんだけだよ」
「私は好きじゃないので、ごめんなさい」
「はは、即答か……ちょっとは真面目に考えてみてよ。確かに俺も柊君は良い子だと思うよ。話をしに行った時だって、結構酷いことを言っちゃったのに、俺の話をちゃんと聞いてくれたし。きっと篠塚さんのことを大事にしてるんだと思う」
そんなこと、この人に言われなくたって分かってるし。
ハッキリ断ってるのに食い下がってくるし、話していてだんだんイライラしてきた。
「でも、俺と付き合った方が篠塚さんにとって絶対得になるって。だって、将来は編集者になりたいんでしょ?」
前は笑われるのが嫌で、ずっとみんなには黙っていた将来の夢。
啓太に話した日から、無理に隠すことはやめ、みんなの前でも普通に言えるようになった。
ただ先輩には話したことないはずなんだけど……クラスメイトの誰かから聞いたんだろうか。
「叔父さんが大手の出版社で働いてるんだ。コネって言うと聞こえが悪いけど……俺が頼めば、きっと融通を利かせてくれると思うよ。どうかな?」
先輩はどこか誇らしげな顔で問いかけてきた。
その姿を見て、この人は本当に私とは合わないんだなって、改めて思った。
「私は誰と付き合ったって、どの高校に行ったって、自分の力で編集者になる予定なので」
「……それがどれだけ難しい事か分からないほど馬鹿じゃないだろ?」
「分かってますし、無理かもしれませんけど……その時はまたその時に考えます」
これで話を切り上げたくて、私は軽く頭を下げた。
「とりあえず、啓太にはもう私のことで話しかけたりしないでください。話はこれだけなので」
そう言った時、先輩が思い切り地面を蹴った。
大きな音が鳴り、驚いてその方向を見ると、さっきまで浮かべていた笑顔は消え去っていた。
「……篠塚さんさ、ぶっちゃけクラスで浮いてるでしょ」
「……それが先輩に関係あるんですか?」
「可愛いのに性格悪かったら大変そうだね」
私の性格が悪いのは自覚しているけど、今そんなことを言うのはただの八つ当たりにしか聞こえない。
「失礼します」
だからきっとこれ以上なにを話したって無駄だ。
そう思い、さっさと立ち去ろうとした――が、腕を掴まれてしまい、それは叶わなかった。
「人が話してる最中に帰ろうとするなよ。ちょっと可愛いからって、男を馬鹿にし過ぎじゃないの?」
「……放してください」
「聞けって言ってんだろ!」
「っ……」
ギリッと、手首を強く捻られて痛みが走る。
無理やり手を引こうとしても力の差があって上手くいかない。
鋭い視線で睨みつけられ、一気に恐怖が込み上げてきた。
とにかく早くここから逃げるか、誰かに助けを求めないと……
「やめろよ!!」
その時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
見ると、こちらに駆け寄ってくる啓太の姿。
私たちの近くに来るなり、先輩の手を強引に振り払ってくれた。
「大丈夫か!?」
「あ、うん……、……なんで啓太がこんな所に?」
「怜央に呼び出された」
「お兄ちゃんに……」
私が出かける時、何かしらを察せられたんだろう。
お兄ちゃんの性格なら、心配で私の後をつけて来るくらいのことはしそうだ。
「良いタイミングで来るね。流石彼氏君」
「……人の腕を捻りあげるなんて、どうかと思いますよ」
「そんな怖い顔しないでよ。元々は彼女の態度が原因なんだから」
啓太は私を庇うようにして先輩の前に立ち塞がった。
「悪いけど話は聞いてました。鈴音の態度は確かにそっけなかったかもしれませんが、そこまで責められるものじゃないと思います」
「庇うねぇ……いや、そりゃ庇うか。彼女、君には不釣り合いの優良物件だもんね。冴えないくせに、幼馴染だからってだけで好かれてよかったね」
その暴言に苛立って言い返そうとしたら、啓太に手で制された。
「そうですね、よかったです。おかげであんたみたいな奴に鈴音を渡さなくて済みそうですから」
「……何だよ、その言い方。俺を馬鹿にしてんの?」
「してますよ。拒絶してる相手にしつこく食い下がって、腕捻りあげるような人間ですから――」
啓太の言葉は途中で途切れた。
代わりに、鈍い音が響いた。
視界の先で、先輩の膝が啓太の腹部にめり込んでいた。
「……っ!」
声にならない息が漏れるのが、ここまで聞こえてきた。
啓太の体がくの字に折れ、そのまま崩れるように床に膝をつく。
止めないと。
頭ではそう思っているのに、足が動かない。まるで床に縫い付けられたみたいに、ただ見ていることしか出来なかった。
先輩は躊躇いなく足を振り上げた。
うずくまったまま動かない啓太目掛けて、蹴るようにそれが振り下ろされる。
「や、やめて!」
ようやく出た声は酷く上擦っていた。
「はは、酷い顔だね。さっきまであんな生意気なこと言ってたくせに……もしかして手を出されることはないって思ってた? んなわけないじゃん」
先輩は嫌な笑顔を浮かべ、こちらに歩いて来ようとしたが、途中で動きを止めた。
いや、正確には止まった。
倒れている啓太が、先輩の足を抱きしめるようにして静止させていた。
「鈴音に、近付くな……腰抜け野郎」
「腰抜け?」
「暴力でしか相手を従わせることが出来ない腰抜けじゃないですか。無防備な相手に一発くらわすくらい、馬鹿だって出来ますよ」
「……馬鹿はお前だろ!」
鈍い音がして、再び啓太の体に足が振り下ろされた。
「カッコつけて出て来たくせに無様にやられてるだけじゃないか! 負け惜しみ言ってる暇があればやり返してみろよ!」
「俺は……っ、暴力なんて、ダサいことはしない」
「だからダサいのは今のお前だろ!」
「やめて!」
蹴られた啓太の呻き声に、もう我慢が出来なくて止めに入った。
「啓太は関係ないでしょ、私が――」
言い切る前に、視界がぐらりと揺れた。
強い力で肩を押される。
「邪魔だよ」
短く吐き捨てられた声と同時に、体が後ろに弾かれた。
受け身も取れず、地面に叩きつけられる。鈍い衝撃が背中を走って、息が詰まった。
「っ……」
――私のせいだ。
自分で上手く解決できなかったから。
お兄ちゃんに勘付かれたから、啓太にまでバレて、こんな目に遭わせてしまった。
考えている間にも、乾いた音がもう一度響いた。
「……やめて……」
かすれた声で呟いた瞬間。
倒れていた啓太が、ゆっくりと体を起こすのが見えた。ふらつきながら、それでも前に出る。
「……鈴音には手出すなって言っただろ」
低く押し殺したような声。
次の瞬間、啓太の手が先輩の胸ぐらを掴んでいた。
ぐい、と自分の方へ強く引き寄せる。
「これ以上何かするなら、俺はあんたを絶対許さない」
息は乱れているのに、声だけは不思議と揺れていなかった。
どうしよう。起き上がって助けを呼びに行きたくても、その間に啓太が酷い目に遭ったらと思うと、不安で足が動かない。
「っ……、調子に乗るなよ!」
先輩が力任せに啓太の頬を殴ったことにより、彼の体が後ろに吹き飛ばされた。
「何が許さないだよ! お前が俺に許しを請う立場だろうが!」
頭に血が上ったように、何度も足を振り下ろす先輩。
止めないと。
そう思い、フラフラと立ち上がった時、啓太の叫ぶような声が聞こえてきた。
続く




