第39話【すれ違いの終わり】
「……はぁ……」
昨日からもう何度目の溜め息だろうか。
あの後、家に帰った俺はすぐに古谷さんに電話しようとして、流石に時間が時間なので諦めた。
そして今朝も、彼女の大学の授業を邪魔しちゃいけないと思って電話するのをやめ、今に至る。
とりあえず電話は明日にでもかけよう。大学生活について俺は全く詳しくないが、流石に土曜の朝なら大丈夫だろう。
「どう言えば丸く収まるか……いや、どう言ったって丸くはならないか」
彼女がいることは既に伝えてあるし、古谷さんはそれでも構わないと思って告白してきたわけだから、鈴音の存在を理由に断るのは変だろうか。
告白をすることには多少慣れているが、断るのは初めてなので難しい。
相手はお世話になった人だし、何とか傷つけずに断りたいものだが……
「……って、あれ?」
考えている間に、校門の前まで辿り着いていた。
しかし、いつもは先に来ているはずの鈴音の姿が見当たらない。校門を出て辺りを見回すと、中学のある方向から走って来る影が見えた。
「啓太、ごめん! 遅れた……」
「いや全然……いつもは俺が待たせてるし」
鈴音は二、三回深呼吸して、すぐに息を整えた。結構な速さで走っていたように見えたが、あまり疲れていなさそうなのは流石だ。
「にしても今日は珍しいな。授業が長引いたのか?」
「まあ……そんな感じ」
こちらを見ずに頷く鈴音を見て、一瞬違和感のようなものを覚えた。心なしか元気がないように見えるけど、何かあったんだろうか。
「鈴音、何か――」
「ちょっと公園寄りたいんだけど、いい?」
「あ、ああ、もちろん」
言葉が被ってしまって、俺の問いかけは消えてしまったけど、まあいいや。
元気がないように見えるだけかもしれないし、もし本当にないならまた後で理由を聞けばいい。
辿り着いた公園は、いつにも増して人の姿が見えなかった。今日は気温も低く、風も冷たいから、その影響かもしれない。
「ごめんね、寒い中付き合わせちゃって」
「俺は平気だけど……鈴音は大丈夫か? この時期に風邪でも引いたら大変だろ」
「確かに……。じゃ、ちょっと話すだけにしよ。それと、これ買っちゃおう」
言いながら自販機の方に近付いて行く。その後を追いかけると、二つの飲み物で悩んでいるらしかった。
「ココアとおしるこ……本当に甘いのが好きだな」
「糖分なんていくらあっても困らないから。よし、決めた、ココアにする」
「なるほど……じゃ、俺はこっち」
おしるこを購入した俺を見て、鈴音はキョトンとした後、笑った。
「もしかして分けてくれるの?」
「じゃなきゃ、こんな甘いもん買わねえよ」
「ふふ、優しいじゃん」
「まあな。ほら、このベンチならそんなに風当たらないから、ここにしようぜ」
からかわれるのが恥ずかしくて、さっさとベンチに腰を下ろした。鈴音もすぐにやって来て隣に座る。
「……啓太はさ、昔から誰にでも優しい……というか、平等だよね」
「そうか? 怜央の方がそんな感じだろ」
「お兄ちゃんは愛想がいいだけだよ。それに仲の良い相手を贔屓しまくりだし」
「あー……まあ、確かに美咲に甘いところはあるな」
おしるこの缶を開けて手渡すと、鈴音はそれを二口ほど飲んで返した。
「私もそうだから、小さい頃は啓太のこと理解出来なかった」
「何でだよ……」
「だって、昼休みになったらそこら辺の誰かに声かけて遊んでるし」
「それは色んな人と遊びたい年頃だったから……」
「私が誰かと喧嘩してても、私の肩持つより先に何があったか事情聞いてくるし」
「それは……何で喧嘩してるか分からない以上、先入観で肩入れするのはダメかと思って……」
鈴音が変なことをするはずないという信頼はあったけど、念のため――みたいな感じだ。
「昔は考え方が違いすぎて分からなかったけど……今はそういうところも割と好きだよ。友達だから、仲が良い相手だからって、他と態度を変えないところとか、すごいなって思う」
なんか改まって言われると照れるな……。
そう思っていたら、「だからね」と続いた鈴音の声が、やけに真剣なものに聞こえた。
「私は啓太のこと、友達としても尊敬してるし、好きなんだと思う」
「……どうしたんだよ。今日は俺を褒め殺しにする予定か?」
「というか……だから、友達でも大丈夫ってこと」
「友達でも……?」
鈴音が何を言いたいのか、イマイチよく分からない。
そんな思いが表情に出ていたのだろう。俺の顔を見た鈴音は、ココアの缶の縁を指でなぞりながら口を開いた。
「私は啓太と友達でも、きっと十分幸せだって意味なんだけど……伝わる?」
「いや……全く分からん」
地面の方に視線を彷徨わせる鈴音をジッと見ていると、やがてその視線が俺を捉えた。
「……啓太、明るくてよく笑う人が好きでしょ」
「え……ああ、そうらしいな」
自覚はなかったけど、この間怜央に言われたことを思い出して頷く。
「そういう人がいたら、好きになっていいからね」
「……?」
鈴音の言っている意味は分かるが、何故今そんなことを言うのかが分からない。
「俺は不義理は嫌いだ。鈴音がいるのに、他の人を好きになったりはしない」
「なら、私がいなかったら……というか、私と付き合ってない状態だったら? あの告白、受けてたんじゃないの?」
「……お前……見てたのか?」
流石にこのタイミングで告白の話をされるのは、昨日のことを知っているとしか思えない。
「バイト最後の日だから、お疲れ様って言いに行こうかなって思って……そしたら二人で出て来たから声かけ辛くて……。ごめん、盗み見る形になっちゃって」
「それよりさっきのはどういう意味だよ。今付き合ってるんだから、付き合ってない状態の話をしたって意味ないだろ」
「付き合ってない状態にすることは出来るでしょ」
付き合ってない状態にするって……それはつまり、別れるって意味か……?
「何でそんな話になるんだ? ……俺、気に障るようなことしたか?」
尋ねると、鈴音は首を振って否定した。
「啓太のせいじゃなくて、ずっと考えてたの。私の気持ちの方が重くて、啓太は優しいから、それに付き合ってくれてるだけかもしれないって」
「……俺が鈴音と付き合ってるのは、同情したからだって思ってるのか?」
「まあ……同情って言い方はアレだけど……」
頷いた鈴音を見て、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
ショックだった。
自分の気持ちが本気だと思われていなかったことも、鈴音にそんなことを思わせてしまっていたことも。
「あ、これは私の問題で、本当に啓太が悪いとかじゃないから……」
今の俺の顔は恐らく相当酷いものだったんだろう。鈴音は慌ててそう付け加えた。
「悪くないわけないだろ。俺は今まで鈴音がそんなこと考えてるなんて思いもしなかったんだから」
「……普通は思うわけないって。付き合って恋人として過ごしてる間も、相手は本気じゃないんじゃないかなんて考えるのは、相当捻くれてる奴だけだよ」
「それは確かにそうだな」
本当にその通りだと思ったので頷いたら、鈴音が項垂れたので今度は俺がちょっと慌てた。
「大体、俺は鈴音が言うような……優しい奴じゃないし」
そもそも本当に優しい人は、同情で人と付き合ったりはしないと思うけど。それはこの際置いておこう。
「自分が好きだと思えない相手と付き合ったりしない」
「……でも、私のことは好きだったでしょ? 恋愛的な意味じゃなくて、普通に友達として」
「……幼馴染を傷つけたくないから、ギクシャクした関係になりたくないから、なあなあで鈴音と付き合ったって言いたいのか?」
俺の問いかけに、鈴音は頷かなかった。けど否定もしないのが答えだろう。
確かに告白された時、鈴音との関係が崩れることを恐れたし、彼女を傷つけないようにしたいというのも考えた。
けど、そんなのは当たり前のことだ。
「それで言うなら、俺は誰にだってそうだ。鈴音じゃなくて……例えば他の女友達から告白されたって、同じことを考えると思う。友達を傷つけたくないのも、ギクシャクしたくないのも当然だ」
実際、今だって古谷さんを傷つけたくないと思っているし、どうやったら丸く収まるか考えていた。
「でもだからって、そうならないために付き合うなんて間違ってる。相手の想いが真剣であればあるほど、中途半端な気持ちで付き合っちゃいけないって思うから……あー、なんか上手く言えないけど、とにかく! 俺は同情とかそんなので付き合う相手を決めたりしない!」
立ち上がって叫ぶように発言した後、ハッとなって周囲を見回した。幸い、辺りには人の気配はないままだった。
「あんまり人に聞かれたくないから今の内に言わせてもらうけど、鈴音が考えてる以上に俺は鈴音のことが好きだ。伝え足りなくて信じてもらえないなら何度だって言う。大好きだから絶対に別れたくない!」
俺を見上げていた鈴音は、目をぱちくりさせて黙り込んでしまった。
……せめて何か言ってほしい。
も、もしかして、今までの会話は、単に俺と別れたいがための言い訳だったりするんだろうか?
もしそうだとしたら、素直に別れない俺はかなり厄介な奴ということになってしまうけど。
「……私、明るくないし、人と話すのも下手なのに」
「そういうところも、卑屈なところもひっくるめて全部好きだ」
鈴音の意思を確認したくて、手を差し出した。
その意図は伝わったみたいだけど、彼女の手が伸ばされる気配はない。
「啓太には……私よりもっと良い人がいるよ」
「いるわけないだろ。俺のダサいとこもカッコ悪いとこも、ずっと昔から近くで見てたのに、ずっと俺のことを好きでいてくれる女の子なんて、鈴音以外にいない」
「それは別に……好きでいただけだし」
「俺にとってはそれが嬉しかったんだよ。それこそ、俺よりももっと良い奴はたくさんいただろうに」
「……たった今自分も言ったことなのに、相手に言われると否定したくなるね」
そう言って、鈴音は俺の目を見て笑った。
「私、啓太のことずっと誤解してたみたい」
そっと、指先に触れる感触があった。
反射的に視線を落とすと、鈴音の手が俺の手を軽く掴んでいた。ぎゅっと握るでもなく、ただ、逃げない程度に。
「俺は鈴音が思うより遥かに自分勝手だから。心の底から可愛いと思った人のことしか好きにならないし、付き合ったりもしない」
「……遠回しな言い方じゃ分かんない」
「ぐ……」
さっきあれだけ素直に言ったんだから、勘弁してほしいんだが……そろそろ羞恥心で心が爆発しそうだ。
しかし、こちらを見る瞳の奥にはまだ少し不安が残っているような気がして、逃げるという選択肢は失われた。
「俺にとっては鈴音が一番可愛い……ので、別れるとか考えるだけで嫌だ、です」
「なんで敬語が入り混じってるの」
「めっちゃ恥ずかしいんだよ……! 好きとか可愛いとか、普段全然言わない言葉だし……鈴音も言ってみたらこの恥ずかしさが分かるはずだ!」
「啓太が好きだよ。カッコ良くて、優しくて、大好き」
なんでそんなアッサリと言ってのけられるんだよ……!!
逆に言われたこっちが恥ずかしくなってしまって、ダブルパンチを食らった気分だった。
「……まぁ、私は言われる方が恥ずかしい派だから」
「え? でも全然照れてなかったじゃないか」
「照れてるよ。顔に出ないだけ」
「出なさすぎだろ……」
「逆に啓太が出過ぎなの。コロコロ表情変わって、百面相だったよ」
「し、仕方ないだろ……俺の表情筋は素直なんだ」
全然良い事ではないんだけど、なんか妙に悔しかったので威張って言ってみた。
「そうだね。それが啓太の良いところだと思う」
「……素直に認められると逆に恥ずかしいな」
「もう何しても恥ずかしがってるじゃん」
「いや、だって……さっきまでフラれるかもしれない恐怖で緊張してたから、その反動で……」
恐怖の反動で照れるってなんだ――と、心の中でセルフツッコミを入れていると、突然鈴音が立ち上がった。
それから握ったままの俺の手を確認するように見て、再び俺の方に視線を戻す。
「私、これでも今すごい舞い上がってるから……もうこれから何があっても啓太のこと諦めてあげられなさそうだけど。大丈夫?」
「むしろ愛想尽かされないように尽力してるくらいだから、普通に大歓迎だが」
「その台詞、忘れないでね」
「……少年漫画みたいなこと言うなよ」
笑い飛ばそうとしたけど、普通に恥ずかしくて上手く笑えなかった。
「そっちこそ忘れるなよ。俺のカッコ悪い姿見て冷めそうになった時も」
「啓太のそういう姿はとっくの昔に見慣れてるから大丈夫」
……見慣れられてるのも、なんか複雑だな。
続く




