第34話【夜中の会話】
「前にも言ったと思うけど、何度か弟に頼まれて勉強を見てるんだ。篠塚さんも含めて」
「はい、妹たちがお世話になってます」
「それで、その時に思ったんだけど」
一拍置いて、瀬戸先輩はハッキリと言った。
「篠塚さんのレベルはずば抜けてると思う」
「それは……まあ、分かります」
テストの点とか見たことあるし、美咲もしょっちゅう褒めてるし。
「でもそこまでなんですか?」
「うん。このまま順調にいけば、黒ノ藤でも上位狙えると思う」
「黒ノ藤で?」
思わず聞き返してしまった。
県内でもトップクラスの偏差値を誇る高校で上位って、軽く言ってるけど相当じゃないだろうか。
……というか、
「こんな話をどうして俺に?」
「柊君は篠塚さんの志望校を知ってるよね。君と同じ高校なんでしょ?」
「……そうですけど」
なんとなく素直に頷くのが嫌で、少しだけぶっきらぼうな返事になってしまった。
瀬戸先輩はそれに気付いているのかいないのか、そのまま続けた。
「正直に言うとね、もったいないと思う」
「……」
話の流れ的に、そういうことを言われるんだろうなと分かってはいたけど、実際に言われるとちょっとキツい。
「篠塚さんの成績なら、もっと上を目指せる。環境も周りのレベルも、全部含めて」
「……」
「あの子は黒ノ藤に来た方がいいと思う」
はっきりと断言された。こちらを見る瀬戸先輩は、いたって真面目な顔をしている。
「……あ、柊君たちの高校がダメって言いたいわけじゃないよ。ただ、彼女がそこしか見てないのはちょっともったいないなって思って」
「言いたいことは分かるんですけど……鈴音がどこに行くかって、俺たちがどうこう言えることじゃないと思うんですけど」
我ながらちょっと棘のある言い方だと思ったが、先輩は特に気にしていないらしい。
「けど、君は篠塚さんと付き合ってるんでしょ?」
「え、な、なんで知ってるんですか?」
「君の妹さんから聞いたよ」
あいつ、勝手なことを……と思ったけど、美咲なりの先輩に対する牽制だったのかもしれない。
「……多分だけど、俺は柊さんに快く思われてないと思うんだ」
「そんなことは……」
「いいよ、無理に庇わなくて。隠さずに言うと、俺、篠塚さんが誰かと付き合ってるって聞いても、彼女のこと普通に好きなままだから」
「――」
一瞬絶句してしまった。
以前美咲が言っていた”恋人持ちでもちょっかいかけてくる人はいる”っていうのは、もしかして瀬戸先輩のことだったんだろうか。
「これは俺の身勝手なお節介だけど……でも篠塚さんのためにもなると思う。だから柊君からも彼女に提案してみてくれないかな。黒ノ藤を受験すること」
「……えっと」
上手く言葉が出なかった。
俺が返さないせいで、しばらくの間沈黙が落ちる。足音だけがやけに大きく聞こえた。
――もったいない。
さっきの先輩の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
確かにそうなのかもしれない。
鈴音なら、もっと上に行ける。
もっとすごい環境で、もっとすごい人たちと過ごした方が、将来のためなのかもしれない。でも。
「鈴音は友達と一緒のとこがいいらしいので」
「友達ね……。まあ、これはあくまで外野の意見だから、最終的に決めるのは本人だけど」
瀬戸先輩は難しい顔でそう言った後、少し声のトーンを落として続けた。
「その友達の中に君が含まれているなら、あまり関心しないな」
「どういう意味ですか?」
「ハッキリ言うと、俺は柊君と篠塚さんは釣り合ってないと思ってる」
……本当に滅茶苦茶ハッキリ言うな、この人。
「君たち、幼馴染なんでしょ? 昔から一緒だったから他の人が見えなくなってるだけなんじゃないかな」
「それは……」
あまりに失礼な言い方に、カチンときた。けど、それはずっと思っていたことでもあった。
鈴音は多分、幼馴染だから俺を好きになってくれた。
たとえば鈴音の家がもっと遠くて、単なる美咲の友達だった場合、俺なんかには興味も抱かなかっただろう。もちろん、たらればの話なんてしたって仕方ないことは分かっているけど。
「俺が言ったところでただの嫉妬にしか思えないだろうけど……篠塚さんの将来を考えての提案だってことは信じて欲しい」
「……分かってます」
「たかが高校って思うかもしれないけど、環境で人は変わるんだよ、良くも悪くもね」
思わず俯いてしまったら、瀬戸先輩はしばらく黙り込んだ後「ごめん」と謝ってきた。
「直接言っても彼女は聞いてくれなかったから、つい君の方にも言いに来ちゃったけど……別にイジメたいわけじゃないんだ」
「はい。……俺も少し考えてみます」
「そう言ってくれると助かるよ」
多分瀬戸先輩はそこまで悪い人じゃない。本当に鈴音のためを思って助言してくれているんだと思う。
――ただ、鈴音だって馬鹿じゃないし、そこまで子供じゃない。
きちんと自分で決めた進路に他人が必要以上に口出しするのはどうなのか。
そう思っているのに、何も言い返せない自分が情けなかった。
◆ ◆
バイトから帰って、夕飯を食べて、少し考えた後、メッセージで鈴音を外に呼び出すことにした。
「啓太から来てほしいなんて珍しいね」
「ああ、ちょっとな……勉強の邪魔してたらごめん」
「全然。息抜きも大事だし」
玄関から出てきた鈴音は俺の方に駆け寄って来て、手を握ってきた。
「せっかくだし、ちょっと歩きながら話そうよ」
「……分かった」
俺が頷くと、手を繋いだまま歩き出す。隣を歩く鈴音の表情は見るからにご機嫌で、いきなり呼び出したことは全く気にしていないようだった。
そのことに安堵しつつ、言葉を選んでから口を開いた。
「鈴音って、将来は編集者になりたいんだったよな」
「うん」
「俺、詳しいことはよく分かんないんだけど……それってやっぱり学歴とか大切なのか?」
「学歴もだけど、他の力も色々必要だろうね。それこそコミュ力とか、文章力とか。……どうしたの急に?」
そういえば、編集者は選ばれしエリートだって、何かの漫画のあとがきにも書いてあった気がする。
やっぱり、そういう職業に就くためには高校選びから慎重になるべきなんだろうか。
「……正直、美咲はうちの高校に受かりそうか?」
「え? まあ……よほどのことがない限りは大丈夫だと思うけど」
「なら黒ノ藤は?」
「は?」
あまりに突飛な質問に、鈴音は怪訝そうな表情になった。
「なんで? 美咲が行きたいって言ったの?」
「いや……学力的にはどうなのかなと気になって……」
「ふーん……。……今から死ぬ気で頑張れば何とか、くらいかな」
死ぬ気で頑張ればか……俺が頼んだところで、美咲がやってくれるとは思えないな。それにもし失敗した場合、あいつに無駄な傷を負わせることになってしまう。
「……もしかして瀬戸先輩に何か言われた?」
「いっいや!?」
「……分かりやすすぎでしょ」
よく考えれば、黒ノ藤の名前を出した時点で察せられるのも無理ないか……我ながらなんて情けない。
「あの人、啓太にまで言ってくるなんて……しつこすぎ」
「鈴音のこと心配してるんだと思う」
「だとしても余計なお世話。……というか、まさか啓太、美咲ごと私を黒ノ藤に行かせようとしてる?」
「それもアリなのかなって……」
美咲と一緒なら鈴音も通いやすいと思ったんだが、浅はかな考えだっただろうか。
「バカじゃないの」
キッパリ言い切った鈴音は、繋いでいない方の手で俺を指さした。
「私の事情に美咲を巻き込むなんて論外。そもそも私が決めた進路に口出さないで」
「で、でもさ、将来のことを考えると少しでも良い環境で学んだ方が……」
「良い環境ってなに? 周囲に成績の良い人が多い環境のこと?」
問いに俺が答えられずにいると、鈴音は小さな溜息をついた。
「私は、どこに行くかよりもそこで何をするかが大事だと思ってるから」
それもそれで正論な気がして、また何も言い返せなかった。
しばらく気まずい沈黙が流れてしまったが、流石にこれは俺から断ち切らなくちゃいけない。
「ごめん。こんな時間に呼び出して変なこと言って」
「そんな深刻に謝られると反応に困るんだけど……。というか、啓太たちの高校だってそんなに偏差値低いわけじゃないじゃん」
「まあ普通って感じだけど……黒ノ藤と比べるとな」
そもそも比べること自体が間違っている気がしなくもないが。
「にしても、鈴音って俺の想像以上に頭いいんだな」
「どうなんだろ……黒ノ藤云々だってあの先輩が言ってるだけで、受験したら落ちる可能性だって普通にあるし」
本人はこう言っているが、瀬戸先輩はあんなことをわざわざ俺にまで言いに来たんだから、相当自信があるんだと思う。
「啓太にこれ以上余計なこと言わないように、瀬戸から注意してもらっとく」
「そんなことしたら鈴音たちが気まずくならないか?」
「別に。元々女子だけで勉強してたのに、気が付いたらクラスの男子が入って来て、他の女子がなんか受け入れちゃって流れで一緒に勉強してるだけだし。これで文句言われるなら、私は抜けるだけだから」
そう言う鈴音は、本当に気にしていない風だった。
俺が下手に関わったせいで残り少ない中学生活に陰りが出たら嫌だったんだが、どうもその心配はいらないらしい。
「……というか、啓太は私が黒ノ藤に行ってもいいって思ったの?」
「え? いや……将来のことを思うと」
「そういう学歴云々とか抜きで、啓太の気持ちだけで考えてよ」
鈴音が俺と同じ高校を受けると知った日のことはよく覚えている。色々誤解があって大変な日だったから。
あの時は美咲とも同じ学校になるというショックの方が大きくてマトモに考えていなかったけど、俺はどう思っていたのか。
もしも今、鈴音が進路を変えるという話をしたら、どう思ったのか。
「……嫌だと思う」
「ん? もっと大きい声じゃないと聞こえない」
「……」
絶対聞こえてて煽ってるだろ……と思ったけど、今回は明らかに俺が悪いので、逃げる権利はない。
「鈴音が違う高校に行ったら俺も嫌だ」
「うん、今度はちゃんと聞こえた」
ふと立ち止まった鈴音に合わせて足を止めると、俺の前に向かい合うように立った。
そのままこっちが何か言うより先に、距離が一気に縮まって。柔らかい感触が一瞬だけ唇に触れた。本当に一瞬だけで、何が起きたのか理解する前に離れていった鈴音は、再び歩き出してしまった。
――不意打ちは反則ではないだろうかと思いつつ、駆け足で追いつく。
「私も啓太と同じ学校に通いたいから頑張るね」
「じゃ、俺も勉強頑張るよ。鈴音が入学した時に成績悪いとダサいし」
「ダサくても可愛いよ」
「……人に可愛いって言うのはアリなのか」
「内面的なのはね」
にしても、ダサいののどこが可愛いのかさっぱり分からないんだが……。
「せっかくここまで来たし、コンビニで何か買って帰ろっか」
「そうだな」
視線を下ろすと、ふらふら揺れる手が見えた。それから自分の手を見て、少し迷った後、その手を握った。
「……」
珍しくビックリしたような顔でこちらを見る鈴音。
「えっと、ほら、さっき繋いでたから」
多分その声は自分が思うより上ずっていたんだろう。
鈴音は「そうだね」と答えた後、小さく微笑んだ。
続く




