第32話【怪しい気配】
「お兄ちゃんさー、バイトもいいけど、ちゃんと鈴音と交流してる?」
飲んでいたコーラを吹き出しそうになったが、何とか堪えた。
「メッセージもしてるし電話もしてるけど……」
「ふーん。……最近さ、気になることがあるんだよね」
「鈴音についてか?」
「今日の夕飯、唐揚げらしいよ」
何で急に話題を変えるんだ……。
「一個くれたら教えてあげる」
「いくつでもやるから教えてくれ」
「最近クラスのみんなで勉強会してるの。で、結構な人数いるからいつも委員長のお家にお邪魔してるんだよね、広いから」
美咲は夕飯前だというのに戸棚からポテトチップスの袋を取り出しつつ、話を続けた。
「で、委員長のお兄さんが……確か高二だったかな? めっちゃ頭良い人で、たまに勉強教えてくれるの」
「それが鈴音とどう繋がるんだ?」
「あくまであたしの勘なんだけど……鈴音にだけ特別優しい気がするんだよね」
ポテチをパリパリ食べながら喋る美咲の言葉には、果たしてどれほどの信憑性があるんだろうか。
「信じるか信じないかはお兄ちゃん次第だけど、一応警告。流石のあたしも、実の兄が惨めにフラれるのは見たくないから」
「嫌なこと言わないでくれよ……まあ、一応気を付ける」
……とはいえ、この話が本当だったとして、俺に出来ることなんて何かあるんだろうか。
その頭のいいお兄さんとやらの代わりに勉強を教えてやることも出来ないし。
それにたとえ相手に好意があろうと、鈴音に勉強を教えてくれている人を嫉妬で遠ざけることなんて出来ない。
「あのお兄さんカッコ良かったし、取られないといいね」
ニヤニヤと俺の方を見る美咲が、少し憎たらしかった。
その夜、電話がかかってきたので出ると、いつもより少しだけ元気がない声で「今外に来れる?」と聞かれた。
一分も経たない内に外に出ると、ほぼ同時に鈴音も家から出て来た。
「ごめん、急に。今大丈夫だった?」
「ああ。……なんか疲れてないか?」
「疲れてる。勉強し過ぎたから休憩中」
それなら俺と話さず寝た方が体にはいいんじゃないだろうか、と思ったけど、なんとなく言えなかった。
「……美咲から聞いたんだが、最近クラスの人と勉強してるんだって?」
「うん、なんか成り行きで……大勢いた方が教え合えて楽だからとかなんとか」
答える鈴音の声は、いたっていつも通りだ。
例のお兄さんの件は、美咲の奴が煽ってきただけで、そんなに心配することでもない気がする……多分。
「でも私はああいう雰囲気ちょっと苦手だから、そろそろパスするかも」
「あ、そうなのか……」
これを聞いてホッとしてしまう俺は、人としては失格かもしれない。
「啓太が頭良ければ教えてもらえたのに」
「う……すまん……」
「冗談だって。啓太と二人きりっていうのも、それはそれで集中出来なさそうだし……あ」
鈴音は思い出したように言葉を止め、手にしていた袋を探り始めた。
「そうだ、これ渡そうと思ってたんだ。はい」
「……小説?」
「そ。前に話した私のおすすめ」
「あ、なら俺の漫画も持ってくるよ」
「いや、今はいいかも。勉強に集中したいし」
確かに受験勉強中に漫画なんて読み始めたら、色々と疎かになってしまいそうだ。
「受験が終わったら貸して」
「ああ。わざわざ届けてくれてありがとうな」
「わざわざって言っても隣だけど。それに、顔見たかったから。本はただの口実」
「……俺の顔なんか見たって体力回復はしないだろ」
「精神的には回復するよ。それに」
鈴音の手が俺の手を軽く掴み、握手のような形になった。
「こうしたらなんか元気出る気がする」
「こんなのでいいなら、ガンガン握ってくれ」
「んー……うん」
謎の間の後、鈴音の指がするりと俺の指の間に入り込んできて、そのまま絡められた。
驚いてる間に細い指が俺の手の甲をなぞるように触れてきて、なんか背筋の辺りがぞくりと震えた。
これはくすぐったいからなのか、それとも――
「ふふ、啓太の顔分かりやすくて面白い」
「な、なにがだよ」
「ドキドキしてるでしょ」
図星だったのでつい黙ると、鈴音はまたおかしそうに笑いやがった。
くっ……ダサ過ぎる……年下にいいようにされて、動揺してることまでバレバレなんて……。
「べ、別に、これくらい普通だろ……付き合ってんだから」
かろうじて絞り出した声は、自分でも情けないくらい上ずっていて、ちょっと死にたくなった。
「そうだね。じゃぁもう少しこのままで」
「…………おう」
鈴音は指を握り直して――ほんの少し、強く絡めてきた。
正直ドキドキし過ぎて手汗とか気になってきたけど、こっちを見て微笑む鈴音を見ていると、彼女が満足いくまで手を振り払う気にはならなかった。
◆ ◆
暇だったので、怜央を誘って町に出た。
いつも通り適当にブラついて、ゲーセンで欲しい景品を楽々ゲットする怜央と、破産寸前で何とかゲットする自分の落差に泣いた。
「怜央は何やっても上手くて羨ましいな」
「でも何とか取れたじゃん」
「二千円弱使ってこのザマだけどな……。昼どうする? どこかで食べてくか?」
「そうだね。とりあえず商店街にでも行って……って、あれ?」
怜央が足を止めて、どこかを見ていた。
視線の先を追いかけると、そこにあったのはファミレス。
窓際の席に男女が数人座っていたのだが、その中の二人は非常に見覚えがある。というか、鈴音と美咲だ。
「一緒にいるのはクラスの子かな?」
「そんな感じだな……」
怜央の問いかけに答えながら、俺の視線は完全に一人の人物に向いていた。
周囲と比べると明らかに年上に見える男――彼が美咲の言っていた”めっちゃ頭の良いお兄さん”なんだろうか。
私服だが身だしなみのきちんとした、いかにも優等生といった感じの見た目をしている。
見ていると、みんなに会話を振って場を盛り上げていた。けど、向かいに座っている鈴音に対しては話しかける回数が多い気が……いや、流石に気にし過ぎか。
「やけにジッと見てるけど……もしかして啓太でも嫉妬とかするの?」
「俺でもってなんだよ……世の中にしない奴なんているのか?」
「そういうのとは無縁だと思ってた」
なんでだよ……怜央くらいハイスぺならともかく、俺なんかいつ愛想尽かされたっておかしくないんだ。鈴音の交友関係が気になるのも当たり前だと思う。
「だって鈴音、啓太にベタ惚れでしょ」
「べ、ベタ惚れってほどじゃないだろ」
「そう? あいつ、昔から美咲ちゃんと啓太の話しかしないよ」
「……それを伝えられて俺はどう反応すればいいんだよ」
「喜べばいいんじゃないかな」
そりゃ嬉しいけど、流石に怜央の前では喜び辛い……。
「まあでも良かったよ。僕は常々、啓太はもっと独占欲を出すべきだと思ってたから」
「常々?」
「昔から自分のゲームとか玩具とか、友達に求められたら全部貸しちゃってたでしょ。それで何度借りパクされた?」
「借りパクってか、なくしたって言ってたぞ」
「そんなの嘘だと思うけど……事実だとしても、弁償すべきだよ」
そんな話をしていると、ふと窓の外に視線を向けた美咲と目が合ってしまった。
「やべ……早くどっか行こうぜ」
「混ざらなくていいの?」
「混ざれるわけないだろ! 友達と一緒にいる時に俺が声かけたら美咲が怒り狂う!」
「あー……じゃあ仕方ないね」
怜央の背中をグイグイ押して、さっさとファミレスの前を立ち去る。急げと言っているのに、怜央は呑気に美咲の方に手を振っていた。
「で、なに食べる? 僕はピザ希望」
「ならピザ食いに行こうぜ。……ゲーセンでほぼ全財産持ってかれたから奢ってくれ」
「ダメ。啓太を甘やかさないでっておばさんたちに言われてるから」
項垂れつつ、近くのイタリアンでも探そうとスマホを取り出そうとした時、後ろから肩を叩かれた。
「いだっ!? なん……、え? 美咲?」
一体いつの間に移動したのか、俺を突き飛ばす勢いで叩いたのは美咲だった。
叩くためだけに外に出てくるとは思えないので、何かよほどの用があるんだろうか。
「ごめんね、お兄ちゃん! わざわざ迎えに来てもらっちゃって」
「は? なに言って――」
言葉を遮るように、手で口を塞がれた。
見ると、美咲は少し申し訳なさそうな顔で口をパクパク動かしている。
――話を合わせて。
多分そう言っている気がする。
「というわけだから、すみません瀬戸先輩。あたしと鈴音はこの後パスで」
「そういうことなら仕方ないね」
聞き慣れない声に目を向けると、少し離れた場所に例のお兄さんと鈴音が並んで立っていた。
俺と視線が合うなり、お兄さん――瀬戸先輩というらしい――は頭を下げた。
「お兄さんがたはじめまして。俺の弟が柊さんたちと同じクラスで、最近一緒に勉強させてもらってるんです」
「あ、えっと、お話は常々……」
常々と言うほどではないけど、つい言ってしまった。
「勉強しっぱなしも疲れるから、今日はみんなで気晴らししてたんです。それでこの後はカラオケに行く流れになったんですけど……家族で予定があるんですよね?」
「あー……すみません。そうなんですよ」
「いえ、全然。じゃあ二人とも、またね」
「はーい。先輩お疲れ様でーす」
手を振る美咲と、無言で頭を下げる鈴音に笑顔で対応してから、瀬戸先輩はファミレスへと戻って行った。
「……今のはなんだったんだ?」
「いやー、カラオケ行きたくないから、家族で用事があるって嘘ついちゃった」
素直に「行きたくない」って言うのは気まずいだろうから、分からなくもない。ただ、遊ぶのが好きな美咲にしては珍しいと思った。
「じゃ、鈴音、他の子に見られたらマズいし、今日はうちで遊ぼ」
言いながら鈴音の元に駆け寄る美咲。
もしかしたらカラオケに行きたくなかったのは鈴音の方だったのかもしれない。で、それを察した美咲が一緒に抜けることにした……そう考えると自然だ。
「お兄ちゃんも話合わせてくれてありがと。たまには役に立つじゃん」
「たまには余計だろ。気を付けて帰れよ」
「はーい」
立ち去る美咲に続き、俺たちに向かってぺこりと頭を下げて立ち去ろうとした鈴音を、怜央が呼び止めた。
「鈴音、ついでにこれ持って帰っといて」
「……なにこの大きいぬいぐるみ。ゲーセン?」
「うん。可愛いでしょ、よかったらあげるよ」
「いらない」
両手いっぱいに犬のぬいぐるみを抱え、嫌そうな顔をする鈴音。
「啓太たちはこれからお昼?」
「ああ」
「私たち、夕方くらいまでは遊んでると思うから。また後でね」
そのまま立ち去っていく二人を見送っていると、隣の怜央が若干落胆したような声をあげた。
「僕に対する態度と啓太に対する態度があまりに違うと思わない?」
「そりゃ……逆に一緒だったら気持ち悪くないか?」
「それはそうだけどさ……」
怜央でもあんな扱いを受けるんだから、妹っていうのは難しい。
考えていたら、腹が鳴った。もう何でもいいから早く食べたいと思いつつ腹をさすると、妙な視線を感じた。
「……?」
周囲を見回したが、こちらを見ている人は誰もいない。
だったら誰が――と思って少し離れた場所を見ると、ファミレスの席に戻っていた瀬戸先輩とばっちり目が合ってしまった。
妙に気まずくなり、頭を下げると、にこやかに微笑まれた。
「れ、怜央、早くどっかの店入ろうぜ」
「うん。……啓太、顔色悪いけど大丈夫?」
「平気平気」
さっき目が合った瞬間、すごい顔で睨まれてたような気がするんだが……流石に気のせいだよな。
美咲たちに勉強を教えてくれる人をあまり悪く思うのはよくない。
――とはいえ、正直あまり関わりたくない人だと思ってしまった。
続く




