第21話【未遂】
「あ、啓太」
いつもの通り、校門で俺を待っていた鈴音がパッと顔を上げた。
今日は金曜日じゃないけど、何となく来てくれるかもと思い、一人で帰ることにしたのは正解だったらしい。
「お疲れ様」
そう声をかけたのは、今日が中学の体育祭の日だったからだ。
ちなみに美咲は朝からテンションダダ下がりだった。
「うん。ごめんね、連絡もなく来ちゃって」
「むしろガンガン来てくれた方が嬉しい……というか、俺の方がいつも待たせて悪い」
「もう慣れたから」
「……ところで、体操服じゃないんだな」
今の鈴音は、見覚えのあるパーカーとジーンズ姿だった。
「終わったの三時とかだし、とっくに着替えたよ」
「それもそうか……あと、なんかいつもより髪が綺麗な気がするんだが……」
「……啓太ってほんとそういう変化には敏感だね」
「その方が女子にモテるらしいからな」
そういえば前にもこんな会話をした気がする。
懐かしんでいると、鈴音が若干冷たい目になった。
「な、なんだよ?」
「いや、まだモテたいんだなって思って……」
視線を逸らした後、鈴音はどこか拗ねたような声で続けた。
「……私だけじゃダメなんだ」
「えっ、い、いや、そんなことない! 断じてない!」
勢いよく首を振って否定すると、それを見て笑われた。
……こいつ、俺の答えが分かっててからかいやがったな……。
「ごめんね、意地悪言っちゃった」
「……いや、よく考えると俺も、モテたいとかは失言すぎた」
「それはそうかも。……啓太がモテたら、私困るから」
「……なるほど」
何が"なるほど"なのかは自分でも分からないが、ついそう返していた。
二度とモテなくていい、と思ったのは、生まれて初めてかもしれない。
「髪はシャワー浴びて来たの。あんまり汚い格好見せたくなくて」
別にそのままでも汚いなんて思わないけど……と思っていたら、鈴音がパッと明るい顔に変わった。
「うちの組、二位だったよ」
「おめでとう」
「ありがと。一位狙ってたから、クラスの子は結構悔しがってたけど……えっと」
鈴音は立ち止まってスマホを取り出し、こちらに見せてきた。
「これ、途中で撮ったやつ」
そこに写っているのは、体操服姿の鈴音。と、クラスメイトと思しき生徒たちが体育祭を楽しんでいる光景。
何枚か見せてくれたが、そのどれにも美咲が写っていて、なんとも仲の良さを感じさせる。
「……?」
数人のクラスメイトに囲まれて、困ったような笑顔を浮かべる鈴音の写真を見た時、何故か胸がモヤつくような感覚がした。
不思議に思っていると、次の写真は美咲が一人でポーズを決めているものだった。
「……鈴音がソロで写ってるのはないのに、美咲のソロはあるんだな」
「うん。私が欲しかったから撮った」
……俺としては、鈴音が一人で写ってる写真が欲しかったのだが。無いものはねだりようもない。
スマホをしまった後、鈴音は髪をクルクルと指でいじり始めた。
視線も左右に忙しなく動き始めて、明らかに何か言いたげだった。
「ところで……リレーの件なんだけど」
「ああ、どうだった?」
「…………一位だった」
良いことのはずなのに、何故かとても気まずげに伝えられた。
「すごいじゃないか」
「みんなも速かったから、そのおかげ」
「なら、約束のご褒美やるよ」
「えっ……!?」
鈴音にしては珍しく、分かりやすく動揺したような反応だった。
そんなに変なことを言った覚えはないんだが……。
「前に言ってただろ。勝ったらご褒美って」
「ほんとにいいの?」
「ああ」
多分甘いものを要求されるんだろうなと思いながら頷く。
「それなら……」
鈴音は言葉を止め、周囲を軽く見回した。
「……えっと、ここじゃあれだから、ちょっとうち寄って」
「え?」
何故家に? という疑問が渦巻いているのに、何となく聞くタイミングを逃したまま、ついて来てしまった。
相変わらず誰もいないらしい家の中に入ると、玄関で立ち止まった鈴音がこちらに振り向く。
「……ご褒美って、なんでもいいんだよね?」
「ああ。ちょっと高めのケーキでもいいぞ」
「……」
あれ?
なんかすごい呆れた顔になってしまった……。
「子供扱いやめて」
「そんなつもりはなかったんだが……」
俺が同じ立場でも、食べ物を要求する。
……もしかして俺がガキっぽいのか?
ショックを受けていると、鈴音は「ん」と短く言葉を発しながら、両手を広げた。
「なんだ?」
「抱きしめてほしい」
「…………えっ!? い、いや、それは」
「なんでもいいって言ったじゃん」
確かに言ったけど、あまりに想定外の提案で戸惑う。
「……別に、抱きしめるくらいなら友達同士でもやるでしょ?」
「それは女子だけの話では……」
「そうなの?」
少なくとも俺はそうである。
怜央とは仲が良いけど、ハグなんてとてもじゃないが想像出来ない。したらキモいとか言われそう。
「……でも、やるって言ったのは俺だしな」
恥ずかしいとかそんなことを言って逃げていい場面ではない。
覚悟を決め、鈴音の方へ手を伸ばした。
肩に手を置いて、そのまま引き寄せる。
あっさりと腕の中に収まった彼女は、想像よりも軽くて、柔らかくて、華奢だった。
「……っ」
声にならない息が漏れる。
近過ぎて落ち着かない。
鈴音の髪が頬に触れて、甘い匂いがして、なんか頭の中がグルグルする。
「……ありがと」
胸元で、小さくそう呟かれた。
「い、いや、こっちこそ、アリガトウゴザイマス」
「なんで啓太がお礼言うの……めっちゃ棒読みだし」
「気にしないでくれ……」
これ以上何か言っても恥の上塗りだと思ったので、誤魔化すように腕に少しだけ力を込めた。
すると、鈴音も遠慮がちに俺の背中に手を回してきた。
……こ、こういう時って、どれくらい抱きしめてていいものなんだろうか。
あまり長くてもキモがられるか。そろそろ離れるべきか。
なんて考えていたら、鈴音が少し身を離し、こちらを見上げてきた。
「……啓太」
いつもより低めの声と、赤く染まった頬に、今度は頭の中が真っ白になった気がした。
何かが切れたような感覚がして、彼女の方に顔を近づけようと――
「にゃあ」
したところで、足元から聞こえてきたその鳴き声に我に返った。
今、俺は勝手にキスしようとしたのか……?
そのことを自覚して、バッと音が出るような勢いで離れた俺を見て、鈴音は困ったように眉を下げた。
「クロ、お出迎えありがとう」
それから足元に擦り寄ってきたクロを抱き上げる。
人懐っこいクロは、抱っこされても嫌がることなく大人しく腕に収まっている。
「あ、えと……悪い」
「謝ることなんてなかったと思うけど」
あれ……もしかして何しようとしてたか気付かれてない?
鈴音はクロの額をくるくると撫でて可愛がった後、その体を下ろした。
「……続きはまた今度ね」
「え」
「今日はお兄ちゃんいつ帰ってくるか分からないから、早く帰った方が……からかわれずに済むと思う」
「あ、ああ」
今度っていうのはどういう――なんてデリカシーのないことは流石に聞けず。
ロボットのように頷いた俺は、鈴音に見送られて家を出た。
◆ ◆
「お兄ちゃんのプリンもらうねー」
「当たり前のようにもらうなよ。自分のはどうした」
「もう食べたに決まってんじゃん」
何で偉そうに言うんだろうか。
俺が自分のプリンを取り戻そうと手を伸ばすと、美咲は後ろに下がった。
「待って待って。実はね、明日体育祭の打ち上げがあるの」
「……それがプリンとなんの関係が?」
「そこで鈴音の写真撮ってきてあげるから」
こいつ、前ので味を占めてるな……。
「お前に頼まなくたって本人に直接頼めばいいし」
「へー、頼めるの? 可愛い鈴音の写真が欲しいんだーって、鈴音に言えるの?」
「…………」
ニヤニヤとした顔がなんともムカつくし、言ってることも事実なのがより腹立たしかった。
実際、鈴音本人に「写真くれ」なんて恥ずかしくて頼めない。
「プリン、もらっていいよね?」
「……約束は守れよ……」
「はいはーい」
スキップ混じりに立ち去る美咲の背を見て、俺はガックリと項垂れた。
続く




